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聖書ものがたり・JOSHUA(ヨシュア記)




 緊急ニュース:シロアムの池で記事にしましたが予想通りハリケーンが発生したようです。(すぐ後で水蒸気爆発による地震も

熱帯低気圧、ハリケーンに発達=米テキサス州に非常事態宣言―メキシコ湾

6月30日12時57分配信 時事通信
 【ワシントン時事】米海洋大気局(NOAA)は29日、メキシコ湾の熱帯低気圧「アレックス」がハリケーンに発達したと発表した。最大風速は約30メートルで、西に向かっている。30日夜から7月1日にかけてメキシコ北部か米テキサス州南部に上陸する見込み。原油流出事故現場の海域とは離れている。
 オバマ大統領は29日、テキサス州に非常事態宣言を出し、連邦緊急事態管理庁(FEMA)に対して、直撃に備えて同州と緊密に連携するよう指示した。 


The oil spill could destroy humanity: the hour has come for us to take responsibility for our destiny
By Jane Burgermeister

 ハリケーンの発生を示唆するHP

  皆殺し聖戦の実体

 旧約聖書とは何か

 旧約聖書略解

 ヨシュア記解説その1

 ヨシュア記解説その2

 旧約聖書解説(無機質な解説)

 キリスト教の光と影


バール(Baal)とはカナーンの主神。雨と豊饒の神でしばしば太陽神とも見なされる。ただし後にキリスト教文化下で悪魔化して邪神とみなされた。バール (Baal)は「主」の意で神を示す一般名詞でもある。なお女性形はバーラト(Baalat)。この語はバビロニアで「主」の意を持ち主神の称号であったベル(Beel)に由来すると推察される。
 大神エルと女神アシラトの息子であるとされ、海神ヤムを倒して神々の王となる。その後死の神モトの恨みを買って殺されるが、妃のアナトの力により復活した。アナト、アスタルテの両女神を妃とするが、この二神はしばしば混同あるいは同一視される。説によってはさらに多くの女神を妃として持ち、時にこれらの女神にはバーラトの名が冠されるが、その多くは両女神と同一視される場合がほとんどである。古くは海神ダゴンの子とされることもあったらしい。河神アシュターや死神モトとは兄弟とされることもある。
 以上のようなバール神の姿は主として「アシュタルテ・パピルス」といった古文書によるものであるが、統一国家を持たなかったフェニキア人はそれぞれの都市国家において独自のバールを崇拝しており、「アシュタルテ・パピルス」に登場するバールはバール・ハダドあるいはバール・サフォン等と呼ばれる神であったらしい。これらフェニキア諸都市で崇められたバール神群にはテュロスのメルカルト(「街の神」の意であり単なるバールの別名とも思われる)、ビブロスのアドン(「主」)、シドンのエシュムン(「治癒」)等がありその数は極めて多く、しばしば区別される。
 しかし古代~中世のヨーロッパにおけるバールの姿にはローマと地中海世界の覇権を争ったカルタゴの神であったバール・ハンモン(「鍛冶師」)の影響も無視できない。幼児供犠(史実であったかどうかには議論の余地が有るが)で悪名高いこの神はその後の支配者ローマ人による悪宣伝も手伝って邪神とみなされており、後世バール神が多くの悪魔の原形となった背景としては、フェニキア人がパレスチナ(カナーン)での主要な異民族であったことの他にこのことも無視出来ない要素であろう。いわゆるLAWの源流にあるものが、かつてローマと呼ばれ、今ではキリスト教と呼ばれている一連の普遍的統一概念であることを鑑みれば、バールは二重の意味でLAWの敵対者であったといえるかも知れない。
 バール神そのものはバビロニアの暴風神エンリルがその原形と目されるが、豊穣神タンムーズの性格も色濃く受け継いでいる。ユダヤの唯一神Y.H.V.H.もバールの影響をかなり強く受けており、元々はバール神群の一柱とする説もある。ユダヤの伝説的英雄ニムロッドの原形もバール神と推察される。ギリシャに伝わってオリオン、アドニス、ヘラクレス等の半神の原形となった他、前述の様に中世期には多くの悪魔の原形となった。女神転生においてはバール神はY.H.V.H.によって悪魔バエルとベルゼブブに引き裂かれたとの独自の解釈をしている。(解説はここから


 中東の神「バール」とユダヤ教の神「ヤハウェ」参照

 エリヤはバアルの預言者たちに言った......(列王記:エリアとバアルの預言者第18章:25節)Baal(バール,もしくは,バアル)はCanaan(現パレスチナ)の神であった。それがユダヤ系クリスチャンに言わせると上の写真は「Symbols of False Gods」,つまり偽の神のシンボルと定義づける。「エフライムは,ゲゼル(Gezer)に住むカナン人を追い出さなかったので,カナン人はその中にとどまり,ゲセルに住み続けた。(士師記第1章29節)。写真の中の大きな穴は(水のみ場か)人身御供を求める偶像崇拝とされる。いつのまにかコラン・プランシー著「地獄の辞典」にこのバアルは表紙となったりフレッド・ゲティングズ著「悪魔の事典」では『19世紀に,パイルドンという言葉は、デーモン(悪魔)の名前バールもしくはベルに由来すると提議され,村のまわりの荒地には,彫刻のある石や,土塁,古代の墳墓,環状列石という形で,当時ドルイド僧と結びつけられていたものが点在するので,ドルイド僧がバアル崇拝に関わっていたという推測は,村とデーモンの関係を確証するに充分であった』と。

 ゲヘナ(Gehenna)とは通常地獄,つまり,永遠の懲罰の場所の意味である。厳密な意味では『ヒンノムの谷』を意味する。バアルとモレク(子どもの生贄を要求する)への生贄がここで捧げられたという。これらを理解しないとダンテの神曲地獄篇第11歌や煉獄篇第12歌は理解不可能である。アシュタロスはJudges(士師記)第2章13節にあるように,異教徒カナン人(現パレスチナ人)の女神で,古代フェニキアのシドンの住民の神バアルの妻にあたり,イエホバを棄てたユダヤ人によって崇拝もされた。本来バアル(BAAL)はセム人の豊穣の神の一人であった。女神ペレトに相対するあるかもしれず,天国の女王の夫としてアストレトと結びつけられた。ミルトンによるとアストレトをアシュタロスと呼ぶ。バアルの名前は,「王」を意味し,多くの歴史上の名前の敬称として使用された。ハンニバル(バアルの恵み)やベルゼブブの語源でもあるとされる。この偉大な神の名前は後にデーモンを表すために採用され,ヨーロッパ中世のグリモアール(魔導書)の伝統では,バアルはデーモン王のなかでもっとも強大な王の一人を表すようになった。

 拙稿失われた時を求めてにはENUCH(エノク)がいかにEUNUCH(宦官)に改竄されていたかを知ることが出来る。(使徒言行録第8章26~28節)

『前1400年頃『バアルの物語』(T.H.ガスター/矢島文夫訳『世界最古の物語』より)
 神聖なバアルの声が響き、バアルの雷が鳴りわたるとき、大地はふるえ、山々はおののき、高地は揺れどよめく。彼の敵たちは山腹にすがり、また森かげに逃げはしり、東から西へ、あわてふためいて、彼の面前からのがれ去る。
 これはシリアのウガリットから発見された粘土板に書かれた神話。バールはこのウガリット神話の主神で、雨の神だった。河の神の竜ヤムと主神の座を争い、これを倒して主神の座につくが、今度は死の神モトの策略により、死の国から戻れなくなり、死んでしまう。バールが死ぬと、今度は少年神アシュタルが主神の座についていたが、バールは妹アナトの働きで復活。アシュタルを押しのけて、再び主神の座についたというのが、大体の粗筋だ。死と復活の密儀である。

前5世紀頃ヘロドトス『歴史』iconクレイオの巻(松平千秋訳/岩波文庫)
 町の両区域ともその中央に囲いがあり、一方は壮大堅固な壁をめぐらした王宮であり、他方は「ゼウス・ベロス」の青銅の門構えの神殿である。この神殿は私の時代まで残っており、方形で各辺が二スタディオンある。聖域の中央に、縦横ともに一スタディオンある頑丈な塔が建てられている。
 これはバビロン(現イラク中部)にあったバベルの塔をヘロドトスがリポートしたもの。「ベロス」はバールのギリシア的転訛で、ゼウスと同一視して、「ゼウス・ベロス」となっている。この塔は8階建てになっていて、塔の頂上に神殿はあるが、神像は置かれていない。この神殿には一人の巫女以外は泊まることがない、という。

 『前200年頃『士師記』第2章(日本聖書協会訳『聖書』iconより)
 イスラエルの人々は主の前に悪を行い、もろもろのバアルに仕え、かつてエジプトの地から彼らを導き出された先祖達の神、主を捨てて、ほかの神々すなわち周囲にある国民の神々に従い、それにひざまづいて、主の怒りをひきおこした。
 紀元前1300年頃、エジプトが弱体化し、その属領カナンがの統治が弱まると、イスラエル人たちはカナンへ「侵攻」を始めた。そのカナン人たちが崇敬していたのが、バールである。民族が接触すると、その文化的影響を受けることになり、イスラエル人の中にも、バールとアシタロテを崇敬するものが出てくる。そんなバールとアシタロテを崇敬したイスラエル人に、激しくヤハウェが怒ったというのが、この記事。

前200年頃『列王紀上』第18章(日本聖書協会訳『聖書』iconより)
 「あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい」
 というのは、預言者エリヤの言葉だ。エリヤはバアルの預言者450人を集め、バールが神か、主が神かを問うた。エリヤはバールの預言者たちに、祭壇に生贄を奉げ、バールに呼びかけ、答えてくれるか試みよといい、バールの預言者はその通りにしたが、何も起こらなかった。エリヤが主に祈りを捧げると、主の火が下って、あたりを焼き尽くし、その地からを示したという。バールの預言者たちは捕らえられ、キション川で殺されたという。

前200年頃『列王紀下』第10章(日本聖書協会訳『聖書』iconより)
 エヒウはその侍衛と将校たちに言った、「はいって彼らを殺せ。ひとりも逃してはならない」。侍衛と将校たちはつるぎをもって彼らを撃ち殺し、それを投げ出して、バアルの宮にある柱の像を取り出して、それを焼いた。また彼らはバアルの石柱をこわし、バアルの宮をこわして、かわやとしたものが今日まで残っている。
 ここでも、バール信徒虐殺計画が実行され、多数のバール信徒が殺されている。エヒウは、偽りのバール祭儀を執り行い、バール信徒を集め、皆殺しにしたのである。

前200年頃『エレミヤ書』第32章(日本聖書協会訳『聖書』iconより)
 またベンヒンノムの谷にバアルの高き所を築いて、むすこ娘をモレク(Moloch, Molech, Molekh, Molek, または Moloc)にささげた。
 ここでは、モレクとバアルが同一になっている。

 CIAのプロパガンダ・MOLOCH神

前200年頃『ゼパニヤ書』第32章(日本聖書協会訳『聖書』iconより)
 わたしはこの所からバアルの残党と、偶像の祭司の名とを断つ。
 主の言葉。よっぽどバール信者を滅ぼしたかったらしい。

前1世紀頃?『エレミヤの手紙』40(日本聖書学研究所訳『聖書外典偽典2』より)
 さらにカルデア人自ら面目を傷つけているがそれに気づかない、と言うのは、口のきけない唖者を見つけると神像の前に連れてきて、この男が話せるように、ベルに嘆願する、まるでベルが聞き得るかのように、そして彼らはその結果を見てそれら神像を捨て去るということができない、彼らにはまるで理解力が欠けているからだ。
 この『エレミヤの手紙』は、ヘロドトス『歴史』iconとリンクする内容で、バビロニア(カルデア人はバビロニア人と同じ)のベル神像とその信仰に対する批判がずっと書かれている。

紀元前後頃『ベールと龍』(関根正雄訳『旧約聖書外典』下巻icon/講談社文芸文庫)
 バビロニア人は、ベールという名の偶像を祀っていたが、この偶像に供える毎日の供物はたいへんなもので、上等の小麦粉十二樽、羊四十頭、それに六樽のぶどう酒にものぼる量であった。王もこの偶像をうやまい、毎日かかさず礼拝に行っていた。
 これは『ダニエル書』の、『七十人訳ギリシア語聖書』で追加されたエピソード。この王はペルシア人クロスだそうだが、バールを熱心に崇拝し、毎日供物をしていた。その供物は、毎日綺麗に無くなるので、王はバール神が食べているのだと思っていたが、ダニエルはこのトリックを見事に破る。単に、祭司たちが食ってただけ(笑)。これにより、バイールの祭司達は処刑され、神殿も壊されたという。

3世紀頃『The Testament of Solomon』(JD訳)
 すると、すぐに神の心は私を離れ、私の言葉は愚かなだけでなく、無力となった。その後、私はバールと、ラファと、そしてモレク神などの、偶像の寺院を建てるという彼女の望みを聞き入れたのだ。
 ソロモン王が妻達のために、異教の神々を祀ったという記事。

1667年ミルトン『失楽園』icon第1巻(平井正穂訳/岩波文庫)
 ユーフラテス河から、エジプトをシリアの地より分けている例の河に至る地域において、バアル及びアシタロテという一般的な名で呼ばれた邪神で、前者は男性神、後者は女性神であった。というのは、天使たちは、気の赴くままに男女いずれの性をも、或は同時に男女両性をも、自分の性とすることができたからだ。
 という風に、性別が自由自在に変化する悪魔とされている。

1812年コラン・ド・プランシー『地獄の事典』バールの項(床鍋剛彦訳/講談社)
 地獄に広く勢力を持つ大公爵。地獄軍の大将とする悪魔学者もある。かつてはカナンやカルタゴ、カルデア、シドンなどで崇拝され、イスラエル人も偶像礼拝の対象とした。生贄には人間が捧げられた。アルノビウスによれば、崇拝者たちはバールの明確な性別を決めなかった。アジアでは、しばしば太陽神とみなされている。
 ミルトンがバールを性別が変化するとしたのは、3世紀のアルノビウスが元ネタだった模様』(以上はルシファー研究室より


 へブロン(HEBRON)の町並み。「主の命令に従い,ヨシュアはエネフの子カレブ(CALEB)に,ユダの人々の領内のキルヤト・アルバすなわちヘブロンを割り当て地として与えた。アルバはアナク人の先祖である」。(ヨシュア記第15章13節)

 彼らは,ナフタリの山地ではガリラヤのケデシュ,エフライム山地のシケム,ユダの山地ではキルヤト・アルバ,すなわちヘブロンを聖別した。(ヨシュア記第20章7節)


 ヨシュアの時代ホウラン(Hauran)の村での靴の修理の風景。「.........この葡萄酒の革袋も酒を詰めたときは真新しかったのですが,御覧ください,破れてしまいました。わたしたちの外套も靴も,はるかな長旅のため,古びてしまいました」(ヨシュア記第9章3~15節)

 イスラム教寺院など聖なる場所に入るときは靴を脱ぎスリッパに履き替える。「主の軍の将軍はヨシュアに言った。あなたの足から履物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である」(ヨシュア記第5章15節)

 後方はサマリア人の聖なる山ゲリジム(Gerizim)。「全イスラエルは,長老,役人,裁判人をはじめ,寄留者もその土地に生まれた者も,主の契約の箱(管理人注:アカシアの木でできた)を担ぐレビ人である祭司たちの前で,箱のこちら側とあちら側に,半分はゲリジム山の前に,他の半分はエバル(Ebal)山の前に立った。それは主の僕モーゼがかつて命じたように,イスラエルの民を祝福するためであった。(ヨシュア記第8章33節)

 ヨシュアがアモリ人(五人の王)を滅ぼしたアヤロン(AJALON)の谷。主がアモリ人をイスラエルの人々に渡された日,ヨシュアはイスラエルの人々の見ている前で主をたたえて言った。「日よ,とどまれ,ギブオンの上に 月よ,とどまれ アヤロンの谷に。」日は,とどまり 月は,動きをやめた。民が敵を打ち破るまで。『ヤシャルの書』にこう記されているように,日はまる一日,中天にとどまり,急いで傾こうとしなかった。(ヨシュア記第10章12~13節)

 王たちは皆連合し,イスラエルと戦おうと軍を進め,メロム(MEROM)の水場に共に陣を敷いた。(ヨシュア記第11章5節)

 アラブ人の祖イシュマエルの子孫(血統図はここをクリック)
 

ヨセフの骨はシケム(SHECHEM)の一画に埋葬された。「イスラエルの人々がエジプトから携えてきたヨセフの骨は,その昔,ヤコブが100ケシタ(旧約の重さの単位で重さは不明)で,シケムの父ハモルの息子たちから買い取ったシケムの野の一画に埋葬された。それは,ヨセフの子孫の嗣業の土地となった。(ヨシュア記第24章32節)

 アルノン(Arnon)川の支流,モアブの国境に及ぶ。「アルノン川はモアブとアモリ人との国の間にあって,モアブの国境をなしている。それで『主の戦いの書』には次のように書かれている。スファのワヘブとアルノン川の支流。それらの支流はアルの定住地に流れ下り,モアブの国境におよぶ。(民数記第21章13~15節)

 全滅したエリコ(Jericho)の町。「彼らは,男も女も,若者も老人も,また牛,羊,ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけ(With the edge of the Sword)滅ぼし尽くした(Massacred)。(ヨシュア記第6章21節)

THE VALLEY OF JEZREEL南方にはMegiddoの丘が見える。



現在(イスラエル建国前)のエリコ(Jericho)。後方の山はマタイ第4章8~9節にある誘惑の山。


 へブロンへ至る埃にまみれた街道で山羊の革に入れた水を売る商人。「指導者たちは続けた。彼らを生かしておき,共同体全体のために柴刈りと水くみをさせよう。彼らはこうして,指導者たちの告げたとおりになった。(ヨシュア記第9章21節)

 カイン人のヘベルがモーゼのしゅうとホバブの人々,カインから離れて,ケデシュ(Kedesh)に近いエロン・ベツァアナ二ムの辺りに天幕を張っていた。......;.シセラはカイン人へベルの妻ヤエルの天幕に走って逃げて来た。ハツォルの王ヤビンと,カイン人へベル一族との間は友好的であったからである。(士師記第4章11,17節)

 ヨシュアの占領地は,この地方全域である。すなわち,山地,ネゲブ全域,ゴシェンの全地域,シェフェラ,アラバ,イスラエルの山地とそれに続くシェフェラ,すなわちセイル途上にあるハラク山から北はヘルモン山のふもとにあるレバノンの谷にあるバアル・ガド(Baal-gad)までである。ヨシュアはこの地域の王たちを皆捕らえて打ち,処刑した。(ヨシュア記第11章16~17節)

 アンモンの国境を流れるJABBOK(ザルカ川。「アモリ人の王シホン。へシュボンに居を構え,その支配は,アルノン川沿いにある町アロエルから川の中部をヤボク川まで,およびアンモンの人々の国境までのギレアド(Gilead)の半分......」(ヨシュア記第12章2節)
この川の北の国境はモーゼの時代アンモン人の部族が住んでいた。その南岸ではエサウ(ESAU)が弟のヤコブ(JACOB)と出会い,ヤコブが天使と格闘し「イスラエルという名」をもらった伝説として知られる。この
川は現在Nahr ez-Zerkaとして遠方から見ても青々とした光沢をたたえている。


 エフライム(Ephraim)の山地。「ヨシュアは答えた。あなたの民の数が多くて,エフライムの山地が手狭なら,森林地帯に入って行き,ペリジ人やレファイム人の地域を開拓するがよい」(ヨシュア記第17章15節)

 エリコ(Jericho)陥落時を物語る葬儀用の壷の数々。

 ヨシュアの時代カナン人が作ったとされる壷。

 カナン(現パレスチナ)ラキシュ(Lachish)王ヤフィアの跡地でビーズや高価な破片を選別する子どもたち。「エルサレムの王アドニ・ツェデクは,ヘブロンの王ホハム,ヤルムトの王ピルアム,ラキシュの王ヤフィア,エグロンの王デヴィルに人を遣わし........(ヨシュア記第10章3~5節)

シロアムの池の記事では湿気でぼやけていましたが本日は晴天でよく撮れました。

 できるだけ自然の池の状態を目ざしています。

 蓮の花も咲きそうです。 

 私は藤沢市の鵠沼というところで育ったのですが鵠沼というくらい多くの沼や蓮池がありましたが相続税の関係で宅地造成されもう池はありません。市長に童心があれば市で買い上げるとかあったと思いますが当時の行政はひどかったですよ。朝湘南海岸を歩いていると黄色い泡がプクプクと。なんとバキュームカーで汲み取った汚水を沖の海で流していたのです。私は市長などは中学生,助手は小学生に任せたらいいと思います(あるいは逆も)。アメリカ人はまだ子どもの心をもった人が多くいます。だから話していて楽しいのです。多くの日本人は感情表現がゼロですからね。気が狂いそうになります。国からもらうことばかりで国のためになにが出来るか,なんて考えもしない。子どものまま大人になるって素晴らしいことなのですよ。そういうふうな大人を育てるには成長段階でそれを妨害(阻害)する要因を取り払う必要があります。やろうと思えば出来ることですよ。
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