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聖書ものがたり・DEUTERONOMY(申命記)




旧約聖書とはなにか

旧約聖書略解の申命記を参照


 あなたの神,主はあなたを良い土地に導きいれようとしておられる。

 それは,平野にも山にも川が流れ,泉が湧き、地下水が溢れる土地,小麦,大麦,ぶどう,いちじく,ざくろが実る土地,オリーブの木と蜜のある土地である。(申命記第8章7~8節)

 熱風からの日陰。砂漠を40年間彷徨ったイスラエルの民が立ち寄ったであろうアラビアのオアシス。アカシア(Acacia)の木は15~20フィートの高さまで成長する。

 牛とラバとを組にして耕してはならない。(申命記第22章10節)

 挽き臼あるいはその上石を質に取ってはならない。命そのものを質に取ることになるからである。(申命記第24章6節)

 オリーブの実を打ち落とすときは,後で枝をくまなく捜してはならない。それは寄留者,孤児,寡婦のものとしなさい。(申命記第24章20節)

 彼が王位についたならば,レビ人である祭司のもとにある原本からこの法律の写しを作り,それを自分の傍らに置き,生きている限り読み返し,神なる主を畏れることを学び,この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らなければならない。(申命記第17章18~19節)

 Gerizim山で過越(PASSOVER)のため野営するサマリア人。過越しのいけにえを屠ることができるのは,あなたの神,主が与えられる町のうちのどこででもよいのではなく,ただ,あなたの神,主がその名を置くために選ばれる場所でなければならない。(申命記第16章5~6節)

 過越し祭りの前日,食事の準備が完了するとサマリア人は紀元前120年に滅びたサマリアの最も聖なる寺院のあるGerizim山の岩場に集合する。写真で立っている高位の祭司が以下を述べる。「これから述べる掟と法は,あなたの先祖の神,主があなたに与えて得させられる土地で,あなたたちが地上に生きている限り忠実に守るべきものである.................」(申命記:礼拝の場所・第12章1~6節参照)

 ヨルダン川とアラバが西境となった。それはキネレト湖から,その東にピスガ山のすそ野が延びてきてアラバの海,すなわち塩の海(注;死海)に及ぶ。(申命記第3章17節)

セイル(SEIRあるいはLand of EDOM)には,かつてフリ人が住んでいたが,エサウ(ESAU)の子孫は彼らを追い払って滅ぼし,代わってそこに住んだ。これは,イスラエルが主から与えられた領地を手に入れたのと同様であった。さあ,立ち上がって,ゼレド川を渡りなさい。(申命記第2章12節)

 シホン(SIHON)の町,ヘシュボン(HESHBON)の遺跡。「しかしヘシュボンの王シホンは我々が通過することを許さなかった................我々は町を一つ残らず占領し,町全体,男も女も子どもも滅ぼし尽くして一人も残さず,家畜だけを略奪した。それだけが,我々の占領した町々の戦利品であった。(申命記第2章30~35節)

 モーゼはモアブ(MOAB)の平野からネボ山,すなわちエリコの向かいにあるピスガ(Pisgah)の山頂に登った。主はモーゼに,すべての土地が見渡せるようにされた...............主はモーゼに言われた。「これがあなたの子孫に与えると私がアブラハム,イサク,ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし,そこに渡って行くことはできない」主の僕モーゼは主の命令によってモアブの地で死んだ。主は,モーゼをべト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが,今日に至るまで,だれも彼が葬られた場所を知らない。(申命記第34章1~6節)

 ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツァオルまでである。(申命記第34章3節)

ムスリム(MOSLEMS)はここにモーゼが葬られていると信じている。写真はエリコ(Jericho)の近くにあるNEBY MUSA(モーゼの墓)の空中写真。西暦13世紀に建てられて以来イスラムの巡礼者たちはここを訪れている。一説にはエルサレムに対抗するためにアラブ人によって建てられたとする説もあり,聖職者はまず触れない話でもある。

 その理由としてマホメット(ムハンマド)とモーゼを同一視していると解釈した方が早いでしょう。

 キリスト教圏におけるムハンマドモーゼの子孫(申命記34:1-6)とされるアブラハムを祖とする。


 ムスリムの巡礼者は毎年Good Fridayには老若男女が七日間NEBY MUSA(モーゼの墓で祭りを楽しむ。


 イエスかバラバか?バラバを選んでしまった人類

 小さなバラバはやはり無数に存在し、常にバラバを!と叫んでいる状態にあるのは戦前と変わらない、と思う。戦争という一点に集中しないだけで、さまざまな局面で私達はバラバをつい選んでしまっているような気がする。たとえばレンアイなどをする時、ある女にとってイエスとなるような存在のオトコとバラバのようなオトコがいてそれぞれから求愛されたとすると、結局多くの女はバラバたるオトコを選んでいるような気がする

 受難曲ってな~~に?

 J.Sバッハ作・マタイ受難曲・血しおしたたる

 血しおしたたるとは?

 第54番(血しおしたたる


 あなたの神,主が与えられる土地から取れるあらゆる地の実りの初物を取って籠に入れ,あなたの神,主がその名を置くために選ばれる場所に行きなさい。(申命記第26章2節)

 脱穀している牛に口籠を掛けてはならない。(申命記第25章4節)
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