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死者の書

霊界はなぜ時空ゼロか

https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/c44ecb031d1a91482316cebd2410150a

道をたずねた。

老婆は答えた。

上さまに行けば山,

下さまに行けば海。

どちらに行けば極楽でしょう。

どちらさまも天国,

どちらさまも地獄。

世界はあんたの思った通りになる。

文・藤原新也(メメント・モリより)

エジプトの死者の書などは....................................

https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E6%AD%BB%E8%80%85%E3%81%AE%E6%9B%B8

モーゼの十戒は死者の書のパクリ

おまけ

ウラジミール・ジャンケレビッチの死より その2

https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/a2f502aeee4b89211f9b2661cb278a76

ウラジミール・ジャンケレビッチの死より その1

https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/638677be541bdeb9d4f644d86c24585c

エジプト神話の冥界『アアル』について

https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/49b23dcae19fa53b2c90843a3ab45dd2

エジプトの天国とキリスト教の天国

http://web.archive.org/web/20170520212344/http://www.aldokkan.com/religion/field.htm

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A2%E3%83%AB#%E8%84%9A%E6%B3%A8

アアル(: Aaru、Yaaru、 IaruまたはAalu)とは、古代エジプト神話における楽園のこと。

概要

古代エジプト神話における天国で「アアルの野」や「エジプトの原野」とも言われる。ヘリオポリス九柱神の一柱であるオシリスが支配する世界である。

古代エジプト人の独自の生死観により魂は、死後に死者の審判を抜けると地下の冥界ドゥアトを通り、楽園アアルで再生できると信仰した。

信仰

アアルは、太陽が昇るに在り、永遠のナイル川三角州の土地の様な原で狩猟ができを捕り永久に暮らせる理想の霊界の土地とされる。正確に言えばアアルは、が連なりトウシンソウが繁る野であり、オシリスが住む恵みの野として知られエジプトでは、「Sekhet Hetepet(平和の野原)」と言われる[1]。死者は審査や関門を経て、ここに入ることが出来ると信じられた。

死者の書には、アアルに至るまでの危険回避や対処の指南も書かれた。

死者の審判においてマアトの「真実の羽根」を天秤の一方の皿、他方の皿に死者の心臓を置いて天秤に掛け、心臓が軽く釣り合いがとれれば長く危険な旅を経て永遠の楽園であるアアルに至ることが出来る。古代エジプト人は、人の知性は心臓に宿り、生前の悪事は心臓に染み出て残ると考えた。悪事を犯して心臓が重く羽根と釣り合いがとれない場合、心臓はアメミットに貪り喰らわれる「第二の死」の裁きを受け、霊はアアルに至る事は出来ない。

天秤の審査を経た霊は、アアルに着くまでの長い旅の途中に多くの危険に遭遇する。アアルに着くと一連の関門を通らなければならず神への供物の数量に従い15~20箇所など幾つかの関門を通過する。此所を刀を持った悪霊に護られながら通ると言われる。

マアトの「真実の羽根」と「第一の死」後の死者の心臓を天秤に掛けている図。パピルスに書かれた死者の書の一部。

管理人注:クリスチャンにとっては信じられないでしょうがモーゼの十戒はエジプトの死者の書の言葉は悪いですがパクリなのです。

エジプト神話(エジプトしんわ、英:Egyptian mythology)とは、古代エジプトより興った当時のエジプト人の世界観を示す手段としてエジプト固有の神々の行動を記した神話をまとめたものである。同神話が表している信仰は、古代エジプトの宗教の重要な部分である。エジプトの文学や芸術、特に短編小説や賛美歌、儀式文書、葬礼文書、神殿の装飾といった宗教的素材にエジプト神話が頻繁に現れる。これら原資料が神話の完全な記述になっていることは稀で、短い断片だけを記したものが多い。

概要

自然のサイクルに触発され、エジプト人は現在の時間を一連の繰り返しパターンとして捉え、その一方で最初期の時間は直線的だと考えた。エジプト神話はその直線的な最初期にあたるもので、同神話が現在のサイクルにつながるパターンを設定している。現在の出来事は神話の出来事を繰り返しているのであり、そうすることで宇宙の根源的秩序であるマアトを更新していくことになる[注釈 1]

神話上の過去を起点とする最も重要なエピソードの中に創造神話があり、その中で神々は原始の混沌から宇宙を造形していく。地上における太陽神ラーの統治の物語や、破壊の神セトに対抗する神々オシリスイシスホルスの闘争に関するオシリスとイシスの伝説がある。神話と見なされるかもしれない現在時間からの出来事としては、この世界とそれに対応する異世界ドゥアトを通るラーの日々の旅が含まれる。これらの神話エピソードで繰り返し出てくるテーマには、マアトの支持者と無秩序の勢力との間の対立、マアトを維持する際のファラオの重要性、そして絶えず起こる神々の死と再生などがある。

これら神聖な出来事の詳細はテキストによって大きく異なり、矛盾があるように思えることも多い。エジプト神話は主に隠喩的なもので、神々の本質や行動を人間が理解できる言葉に変えて伝えている。神話のそれぞれの異形は、神々や世界についてのエジプト人の理解を豊かにしてくれる象徴的な見解の相違を表すものである。

同神話はエジプトの文化に多大な影響を与えた。それは多くの宗教的儀式に着想を与えたり影響を及ぼし、王権にとってのイデオロギー的な基盤を与えた。神話に由来する場面や象徴は、墓、神殿、お守りといった芸術に現われた。文学においては、神話あるいは神話的要素がユーモアからアレゴリーまでの物語で使われており、それはエジプト人が多種多様な目的に合わせてこの神話を順応させたことを示すものである。

エジプトがローマ帝国の属州となり、やがてイスラム教が流入すると、これらの信仰は途絶えたとされる。

起源

エジプト神話の発展は追跡が困難である。エジプト学者はだいぶ後年に登場した文書の原資料に基づき、その最初期段階に関する学術的な推測をしなければならない[2]。神話における明白な影響の1つに、エジプトの自然環境がある。太陽が日々昇っては沈み、土地に光をもたらし、人間の活動を規則的にした。ナイル川は毎年氾濫し、土壌の肥沃度を新たにしてエジプト文明を維持させる生産性の高い農業を可能にしていた。このように、エジプト人は水と太陽を生命の象徴と見なし、時間を一連の自然サイクルとして考えた。この秩序だったパターンは絶えず崩壊の危険にさらされた。例年と異なる低い洪水は飢饉をもたらし、高い洪水は穀物と建物を破壊した[3]。恩恵深いナイル渓谷は、エジプト人が野蛮な秩序の敵と見なした人々が住む過酷な砂漠に囲まれていた[4]。これらの理由から、エジプト人は自分たちの土地を安定しているが孤立した場所あるいは混沌に囲まれて危機に瀕している「マアト」だと考えていた。これらのテーマ(秩序、混沌、そして更新)は、古代エジプトの宗教思想に繰り返し現れる[5]

エジプト神話にとってもう一つの有力な資料に儀式がある。多くの儀式は神話に言及しており、時には神話に直接基づいている[6]。しかし、文化としての神話が儀式以前に発達したのか、あるいはその逆なのかを断定するのは困難である[7]。この神話と儀式の関係についての問いかけは、一般にエジプト学者および比較宗教学者の間で(どちらが先か)多くの議論を生むことになった。古代エジプトでは、最初期の宗教的実践の証拠は文字に記された神話よりも昔のものである[6]。エジプト史初期の儀式は神話からのモチーフを幾つか含んでいた。これらの理由から、一部の学者はエジプトでは神話の前に儀式が出現したと主張している[7]。しかし初期の証拠はごく僅かであるため、この問題は決して確実には解決しない可能性がある[6]

しばしば「魔法」と呼ばれる非公開の儀式において、神話と儀式は特に密接な結びつきがある。他の原資料では発見されていない神話めいた物語の多くが、儀式文書の中には現れる。毒を盛られた息子ホルスを救う女神イシスという広く知られたモチーフでさえ、このタイプの文書にだけ出てくる。

エジプト学者のダヴィド・フランクフルターは、これら儀式は神話に基づく精巧な新しい物語(historiolasと呼ばれる)を作りあげることで、基本的な神話の伝統を特定儀式に合うよう順応させたものだと主張している[8]。対照的にJ・F・ボーグハウツ(en)は魔法のテキストについて「この分野のために特定種類の「異端」神話が造られたという証拠は微塵もない」と述べている[9]

エジプト神話の大半は創造神話で構成され、人間の制度や自然現象を含む世界のさまざまな要素の始まりを説明している。王権は原初の時間において神々の間で起こり、後に人間のファラオに渡された。太陽神が空に舞い戻った後、人間が互いに戦い始めたときに戦争が始まる[10]。神話はまた、さほど根本的ではない伝統の始まりとされていることも説明している。マイナーな神話的エピソードで、ホルスは母親のイシスに怒って彼女の頭を切り落とし、イシスは失くした自分の頭を牛のものと取り替える。この出来事は、なぜイシスが頭飾りの一部としてたまに牛の角が描かれるのかを説明したものである[11]

一部の神話は歴史的な出来事に触発された可能性がある。紀元前3100年頃のエジプト先王朝時代末期におけるファラオの下でのエジプトの統一は、王をエジプト宗教の焦点に据えており、それゆえ王権のイデオロギーは同神話の重要な部分となった[12]。統一をきっかけに、かつて地元の守護神だった神々が国内での重要性を獲得し、統一された国の伝統に地元の神々を結びつける新しい関係を形成した。初期の神話はこれらの関係性から形成された可能性があるとジェラルディン・ピンチは示唆している[13]。エジプトの原資料は、ホルスの神々とセトとの間の神話上の争いを、エジプト先王朝時代後期またはエジプト初期王朝時代に起こったであろう上エジプト下エジプトの両地域間の争いと結びつけている[注釈 2]

これら初期時代を経て、神話に対する変更の大半は新しい概念を創るのではなく、既存の概念を発展させることで(例外もあるが)適応していった[15]。多くの学者が、太陽神が空に引き揚げて人間同士を戦わせるという神話はエジプト古王国末期(紀元前2686-2181年)における王権と王国の崩壊に触発されたものだと指摘している[16]エジプト新王国(紀元前1550-1070年頃)では、カナンの宗教から取り入れたヤム (ウガリット神話の神)アナトといった神々を中心にマイナーな神話が発展した。対照的に、グレコ・ローマン期(紀元前332年-西暦641年)におけるグレコローマン文化はエジプト神話にほとんど影響を及ぼさなかった[17]

定義と範囲

どのような古代エジプトの信仰が神話であるのかを定義することは、学者にとっても難題である。エジプト学者ジョン・ベインズ(en)により示された神話の基本的な定義は「神聖または文化的に中心となる説話」である[18]。エジプトでは、文化および宗教の中心となる説話がほぼ全て神々の間で起きた出来事に関するものである。神々の行動に関する実際の説話は、特に初期からエジプトの文書では稀であり、そのような出来事への言及の大半は単なる顕彰かあるいは隠喩である。

ベインズほか一部のエジプト学者は、「神話」と呼ばれるほど十分に完成した説話がすべての時代に存在したが、それらを書き留めることをエジプトの伝統が良しとしなかったと主張している。ヤン・アスマン(en)など他の学者達は、真の神話はエジプトでは稀であって、最初期の著述に現れるナレーションの断片から発展してその歴史の途中で出来上がった可能性があると述べている[19]。しかしながら、近年ではヴィンセント・A・トビン[20]とスザンヌ・ビッケル[21]が、その複雑で柔軟な性質がゆえに、エジプト神話では長い説話が必要とされなかったと指摘している。トビンが主張するには、説話はそれらが説明する出来事について単純で固定された見方を形成する傾向があるので、説話は神話に対してさえ異質なものである。もしも神話にナレーションが必要とされないならば、神の性質または行動についての考えを伝えるどんな声明も「神話」と呼ばれうることになる[20]

内容と意義

他の多くの文化における神話と同じく、エジプト神話は人間の伝統を正当化する役割と、無秩序の性質や宇宙の終焉といったこの世界に関する根源的な疑問に応える役割を担っている[22][15]。エジプト人は神々に関する発言を通してこれらの深遠な問題を説明した[21]

エジプトの神々は、地球や太陽のような物体から知識や創造性といった抽象的な力までの自然現象を表している。神々の行動および相互作用がこれらの全ての力および要素の振る舞いを支配する、とエジプト人は信じていた[23]。ほとんどの場合、エジプト人はこれらの神秘的な過程を明確な神学的著述に記してはいない。代わりに、そうした過程を神々の関係および相互作用で暗示的に説明したのである[24]

多くの主要な神々も含めて大半のエジプトの神々は、いずれの神話的な説話においても重要な役割を担っていないが[25]、彼らの性質および他の神格との関係は、ナレーションの無い最小限の声明やリストでしばしば確立されている[26]。説話に深く関わっている神々にとって、神話の出来事は宇宙における彼らの役割の非常に重要な発現である。したがって、説話だけが神話であるなら神話はエジプトの宗教的理解の主要素となるが、他の多くの文化のように不可欠要素ではない[27]

 
他の神々によって支えられた女神牛として描かれた天空。この図像は幾つかの共存する空のビジョン(屋根として、海面として、牛として、人間の形の女神として)を組み合わせたものである[28]

神々の本当の領域は神秘的であり、人間では到達できない。神話の物語は象徴化を用いることでこの領域の出来事を理解しやすくしている[29]。ただし神話記述のあらゆる細部に象徴的な意味があるわけではない。一部の図像や事案は、宗教的なテキストにおいても、より広い意義を持つ神話の単なる視覚的または劇的な装飾として意図されたものに過ぎない[30][31]

天空の蛇 その6についたコメント

投稿者:Arthur Miller
2011/4/8  18:34
地球上のあらゆる物質の根底を成す数のひとつであるのが、微細構造定数。20世紀になってから、欧州の科学者たちは、この微細構造定数が、137であることを発見した。微細構造定数は、3つの基礎定数から構成されているが、電子の電荷、真空中の光速、プランク定数の次元が互いに消去しあうために、次元のない単なる数(無次元数)になる。つまり、どんな単位系を用いても微細構造定数の値は同じ137となる。物理学者たちは、なぜ137なのか解明できていない。たまたまそうなったとしか答えようが無い。

137を逆から読むと 731。

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