【問題】徳川家康の亡骸は、その死後から日光東照宮に改葬されるまで、次のうちどこに葬られていたか?
・赤城山
・久能山
・箱根山
・筑波山
【正解】久能山
【解説】家康は元和2年(1616)に死去してから1年間、駿府の久能山(静岡県静岡市)に葬られ(久能山東照宮)、後に日光(栃木県日光市)に改葬された(日光東照宮)。
・赤城山
・久能山
・箱根山
・筑波山
【正解】久能山
【解説】家康は元和2年(1616)に死去してから1年間、駿府の久能山(静岡県静岡市)に葬られ(久能山東照宮)、後に日光(栃木県日光市)に改葬された(日光東照宮)。
【問題】伊達政宗が死去した際、徳川幕府は何代将軍の時代であったか?
・初代 徳川家康
・2代 徳川秀忠
・3代 徳川家光
・4代 徳川家綱
・5代 徳川綱吉
【正解】3代 徳川家光
【解説】政宗は寛永13年(1636)享年70でこの世を去ったが、その時の将軍は3代家光であった。家光は戦国の生き残りである政宗を非常に慕っており、様々に優遇したと言われる。
・初代 徳川家康
・2代 徳川秀忠
・3代 徳川家光
・4代 徳川家綱
・5代 徳川綱吉
【正解】3代 徳川家光
【解説】政宗は寛永13年(1636)享年70でこの世を去ったが、その時の将軍は3代家光であった。家光は戦国の生き残りである政宗を非常に慕っており、様々に優遇したと言われる。
【問題】賤ヶ岳の戦いで、羽柴・柴田両軍対峙中に柴田方へ寝返り、最期は加藤清正に討ち取られたとされるのは次のうち誰か?
・毛受勝照
・原長頼
・山路正国
・不破勝光
【正解】山路正国
【解説】山路正国は元柴田勝豊の臣であったが、勝豊が秀吉に降ったため羽柴方として参戦していた。しかし決戦前に柴田方へ寝返り、秀吉軍と戦うこととなったが、柴田軍劣勢の中、加藤清正によって討ち取られたという。
・毛受勝照
・原長頼
・山路正国
・不破勝光
【正解】山路正国
【解説】山路正国は元柴田勝豊の臣であったが、勝豊が秀吉に降ったため羽柴方として参戦していた。しかし決戦前に柴田方へ寝返り、秀吉軍と戦うこととなったが、柴田軍劣勢の中、加藤清正によって討ち取られたという。
【問題】滋賀県にある彦根城は、ユネスコ世界遺産に登録されている。○か×か?
・○
・×
【正解】×
【解説】彦根城は天守や多聞櫓などが国宝に、城跡は国の特別史跡に指定されているが、ユネスコ世界遺産には登録されていない。
・○
・×
【正解】×
【解説】彦根城は天守や多聞櫓などが国宝に、城跡は国の特別史跡に指定されているが、ユネスコ世界遺産には登録されていない。