南夕陽探偵事務所オフシャルブログ

2022.02.18.より北のこぐま 演歌のシンガーソングライターの書いていたブログを引き続きます

マイクとわたし

2021-05-02 00:02:00 | 日記
マイクチャンネル3
マイクとわたし
入学すると私は放送部に入部しました。高校では体育の先生が体育館から月曜日の全校朝礼を指揮っていたのです。
1期上の放送部先輩のTさんは響きのある声で後に列車の乗務員になる人でした。
高校では、毎朝クラッシックの名曲がかけられ、昼休みには月曜日から金曜日まで、昼のDJ番組があり、私は金曜日の昼のミュージックサロンと言う番組を担当していました。
この頃は洋楽で、夏の日の恋、やビリーボーンの星を求めてなどの名曲
又ビートルズ、イタリアカンツォーネでヒットした夢見る想いや頬にかかる涙などが民放ラジオのリクエストでの人気曲を校内放送でもかけました。
OBの先輩の引率でNHKローカル局を見学し、ニュースの原稿などスタジオで読ませて頂きました。
アナウンサーになるには最低短大以上の学卒が資格条件で当時は、旭川局独自の採用アナもいたようで、ここには、どうしてもアナウンサーになりたくて中途採用で40歳まで教師をされていた人もいる事をしりました。
高校に入って間もなく、まだなんのレッスンも受けていないのに、全校朝礼で私はマイクの配線や設置の手伝いで卓の前にいました。
連絡事項が終わり、各サークルや運動部のリーダーが、放課後の練習予定を伝えに来るのですが、そのメモを先生に渡そうとしたら願ってもない事に君がやりなさいと言って私がアナウンスする事になるのです。
体育館の壇上から遠く離れた放送室の先輩には声しか聞こえません。
この日のマイクに乗った私の声に先輩達はびっくり入部仕立てで音声テスト前の私はこの放送でアナウンサー合格になったのです。

私の高校は体育系では、私が入学した年に野球部が北北海道の代表で甲子園に初出場しました。
又放送部も女子アナは場内アナウンサーとしておなじみのバッターOO君などの放送をさせて貰ったりもしていました。
巨人軍の王選手が旭川の劇場に来られた時に我が高校野球界が甲子園に行ったのを記念して何故か?
劇場の舞台で放送部のアナウンサーが王選手のインタビューをする事になり劇場の舞台で私が担当したのでした。
高校での放送部の活動はとても盛んで一緒にNHK全国放送コンテストに行ったOO高校の女子アナとお友達になり、街の合唱団のコンサートなどで他校の女子アナが司会をする事になり公会堂に会いに行ったのです。
この時、彼女はいつものセーラー服ではなくシンプルな司会者らしい姿で、私もブレザーに白のハイネック姿で楽屋に行ったのです。
そのブレザーは父が誕生日に買ってくれたばかりの物でした。
それから何日かたったある日にS先生の授業中に具合が悪くなり保険室に行ったあとで、事もあろうに先生が私の悪口をいったようで、今保険室に行った君達の学級委員長は、夜ブレザーを着て遊んであるいているんだ!と言ったようで、クラスに信頼のある友達が弁解してくれたようです。
この年には旭川では大映映画が氷点のロケでこられた陽子役の安田道代さんがこられ、旭川の大映劇場から
高校放送部の代表で私が選ばれたのです。
このころ私は旭川駅ビルにあるHBC旭川放送局にリクエスト番組のはがき整理のアルバイトなどもしていた事から、女優さんのこられるビルに
伝助(録音機)を借りインタビューするのでした。
本番前の大事件
私達の放送部は昼の体育館とスタジオを結ぶ2元放送をする日の事でした。スタジオのミキサーを担当する技術の後輩3人が放送時間になっても誰も来ないのです。
その日ね放送はどうなったのか?忘れましたが、後輩は早飯をたべ廊下に正座させられていました。
その後輩は今東京の歌声喫茶の役員として活躍されています。






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