「正」しい道を行くためには、「一」旦、立ち「止」まって、過去と今と未来をよく考えることが大事なんだと、ボスがよく言う。その言葉はどこかで常に私の判断の指針になっている。
その話を人にしたら「とあるお坊さんが、一は原則を意味すると言っていたよ」と教えてくれた。
今日、3年日記を振り返っていたら、2年前の自分が辛い状況ばかり書き綴って、「辛」と「幸」を横に並べ、私には生きる上での原則「一」がないからなのかな、と書いていた。
そこから2年経った今、未だに原則を手に入れられている気はしない。私は、どんな原則を持てばいいのだろう?一方で、時に、原則から生まれる「希望」や「信じる気持ち」がいろいろな強さや衝突を作り出すなかで、どんな原則が正しさにつながるのだろう?
これまで、たくさんの魅力的な人に会うたびに、未来に対する希望を失わず、自分の頭で物事を考え、自分ができる範囲のことに全力で取り組み、時に自分ではない誰かを守るために理不尽に頭を下げることも厭わず、意味のない争いや建設的ではない態度を避け、必要な時にはユーモアを持って不満を表現し、時には正当にNOを言う姿を目にしてきた。
まだ原則は見つからないけれど、私もいつか、そんな人になりたいと思う。
その話を人にしたら「とあるお坊さんが、一は原則を意味すると言っていたよ」と教えてくれた。
今日、3年日記を振り返っていたら、2年前の自分が辛い状況ばかり書き綴って、「辛」と「幸」を横に並べ、私には生きる上での原則「一」がないからなのかな、と書いていた。
そこから2年経った今、未だに原則を手に入れられている気はしない。私は、どんな原則を持てばいいのだろう?一方で、時に、原則から生まれる「希望」や「信じる気持ち」がいろいろな強さや衝突を作り出すなかで、どんな原則が正しさにつながるのだろう?
これまで、たくさんの魅力的な人に会うたびに、未来に対する希望を失わず、自分の頭で物事を考え、自分ができる範囲のことに全力で取り組み、時に自分ではない誰かを守るために理不尽に頭を下げることも厭わず、意味のない争いや建設的ではない態度を避け、必要な時にはユーモアを持って不満を表現し、時には正当にNOを言う姿を目にしてきた。
まだ原則は見つからないけれど、私もいつか、そんな人になりたいと思う。