Malang Indonesia ジャワ島ぐらし

高原の学園都市マラン。Universitas Brawijayaや街での出来事を綴ります。

動詞・形容詞・形容動詞

2023-02-03 | Class for begginer
長かった大学の長期休業もあと10日
2月13日から偶数学期(後期)が始まります。
ITC、GIGAスクールとの呼び声が高い昨今ですが
ネイティブとしてはできるだけ手書きで板書をしながら
本物を伝える授業をしたいと年始に誓いを立てました。

大学には赤と黒のホワイトボードペンしかないので
モールにあるGramediaという書店で色ペンを買い揃えました。


Gramediaはインドネシア全国にある書店、ちょっとお高いですが
おしゃれな文具がきれいに並んでいて
ついつい文具の沼にはまってしまいます💦

動詞はピンク
ナ形容詞は緑
イ形容詞は青


学生にも同じ色のマーカーを用意してもらい
授業の初めには教科書の文章に品詞ごとに一緒に色を塗ります。

そうそう、外国人への日本語指導では
形容動詞をナ形容詞、形容詞をイ形容詞っていうんです。
動詞の活用も、我々が学校で習ったナ行変格活用とか5段活用とかいわずに
シンプルに1グループ、2グループ、3グループとしてあります。

今日は節分。
春待つ夜空に、福を呼ぶ声が響くのでしょう。
故郷の花の季節がちょっぴり恋しいマランの2月です。
75人の1年生の教科書に色鮮やかな品詞の華が咲く日を待ちわびつつ。


Pray for peaceful spring coming upon you and yours 💕




3 February, 節分(Setsubun),
the day before the beginning of spring in the Japanese calendar,

the annual 豆撒き(Mamemaki), the Bean-Throwing Festival, takes place.
This is when roasted soybeans are thrown in people’s houses
to ward off evil spirits and to bring good luck.
Bags of beans with 鬼 (oni, or monster) masks are sold in supermarkets.
A member of the family wears the monster mask while people throw the beans and shout,
‘鬼は外!福は内!(”Oni wa soto! Fuku wa uchi! Out with the devil! In with fortune!”).
The beans are seen as purifying the house.

Why did I start writing this blog

2023-01-31 | 日本語教育
2009年公立中学校を退職して中国に渡りました。
大学勤務の後輩がブログで授業の記録を発信しているのを見ていて
「自分もやってみたい」と憧れていました。

寧波職業技術学院への赴任が決まったのをきっかけに
このブログを開設しました。
blogをとおして、新しい出会いもたくさんありました。
中国ではFacebookなどのSNSは遮断されアクセスできません。
遠く離れていく教え子に自分の消息を知らせたくて
いつでも彼らが私に繋がれるように
gmailは変えずに、ブログは休み休み書いています。

日本に戻ると「公務員」っぽい仕事が多いので
制約や監視も気になり、長期休止をしてきましたが....

2月13日からブラウィジャヤ大学の偶数学期(後期)が始まります。
授業の記録のため、研修のない環境で自分の授業を公開して振り返るため
学生の学びを記録し伝えるために記事を書きます。
大学の授業は
90分×7コマ、中間テスト。断食の1か月は短縮授業で
ハリラヤの休暇を挟んで90分×7コマ、期末テスト。
2021年の後期からon-lineで学び続けてきた3年生とは最後の学期です。

Pic is GKDI (gresia kirist di indonesia,)
with Christian students in FIB Universitas Bwawijaya,
Meckel, Naomi, Yolanda, Amelia.
i live in Indonesia where most of the people are Muslim
but in my class 2-3 students our of 25 are Christian.
Indonesia constitution declare
all the citizen and people who visit Indonesia must to have religion
that government agree with
Muslim, Christian, Catholic, Buddhism and Hindi.

Goodbye January, and welcome February.
Dawn will come soon here and there.
Especially pray for Myanmar,
It has been 2 yrs since Military's sadden attack.
Pen is mightier than sward, I believe, we all believe.



1971年横須賀では既に中学校でITCを活用していた

2023-01-23 | General Education
1962年、神奈川県で生まれました。
両親は岐阜出身、父は東京にある会社で働く若い夫婦の長女でした。
1歳の時に公団住宅の抽選に当たり、千葉の借家か横須賀市鶴が丘の一軒家かで
「いずれれ自分のものになる家がいい」という母の決断で
バスもない電話も引かれていない新興住宅地、丘の上の小さな家に越しました。

鶴が丘2丁目31番地。
隣近所には同じような家族がいて
異年齢の子どもたちが未舗装の道路で遊びまわる昭和30年代。
聖心第2幼稚園に園バスで通い、横須賀市立鶴久保小学校から不入斗中学校。
学校がある場所は兵舎、軍馬の訓練場などなど。
海軍横須賀の名残が街中にのこり、中学校は豊島小学校から来た生徒と共に11クラスの学年で過ごしました。 
豊島小学校は上町といわれる地区にあり、明治の学制発布の頃かあの名門。
市長官舎、軍の上官の官舎などがある横須賀の一等地が学区。
鶴久保小学校は新興住宅地、県営住宅、日産の社宅、公団の大きな集合住宅地が学区で
県外出身の保護者がほとんどだったと記憶しています。
そうそう、柏木田や佐野という昔の歓楽街、商店街も学区でした。

中学では視聴覚部という変わった部活に5人の同級生女子と一緒に所属して
何をしていたかというと学年主任の顧問の先生の指導の下
お昼のテレビ放送を毎日放映していました。
大きなカメラを電すけと呼んでいた、録画機材に優先でつなぎ
放送室のスタジオから、先生が殴り書きをしたニュース原稿を読み
職員室からの伝達、生徒会の連絡などなど
思い返せば、学年主任の理科の先生は全校に向けて遠隔教育をしてたんですね。

断続的に「荒れ」がつづくマンモス校
日教組傘下の三浦半島教職員組合の本部が学区にあり
教職員にも「組合」と「非組ひくみ」の色があるのは生徒だった我々にも明確で
視聴覚に長けていた、ベテランの滝沢直義先生(学年主任)が
報道を使い学校全体に「まっすぐな教育」を遠隔で構築していたんです。

生徒会広報委員会では新聞を発行し
印刷所で版下を作るようなきれいな誌面で毎月生徒を啓蒙していました。
校門でビラ巻きをして、横暴な服装規定に講義をしたり
生徒集会で朝礼台から、布の名札撤廃をアジったりした生徒たちでしたが
11人の担任の先生と一緒に、それぞれが曲がりながらも巣立っていけたのは
あの「遠隔教育」のお陰もあると大人になった今はわかります。

中3の秋、日が傾いてくる木造校舎の教室で
担任の先生を囲みながらのお喋りで「私絶対に先生になる」って宣言した日を
いつまでも忘れません。
担任の神崎克己先生のお宅に残る、幼い私たちが書いた班ノートを
いつか拝見しにいきたいな~

Pic is from my family. In our school we could not have a football team cause school ground was too small to have a baseball team, track and field club, and softball team for girls.





陽光総在風雨後(阳光总在风雨后)

2023-01-20 | Reading, Literature poem song
2020年後半から新潟大学の「多文化間共修」という授業に
ブラウィジャヤ大学からも参加をし
日本人学生+留学生とインドネシア人がzoomを通して共修しています。
90分×8回の短い講座ですが、レクチャーとグループワークを組み合わせた授業で
後半の4回ぐらいは専ら3-4人のグループワークで動画を作成し発表します。

講座が始まったのは、コロナ禍で海外への門戸が閉ざされていた頃
新潟県国際交流協会のon-line研修にスラバヤにいた私が参加し
ブレイクアウトルームでご一緒した、新潟大学の国際センター長の先生が
当時「多文化間共修」の講座を担当していた有田佳代子先生に繋いでくださり
新潟大学でも留学生がキャンパスに少なくなっていた時期で
「じゃあやってみましょうか」ということで

新潟大学では全学部からの履修
ブラウィジャヤ大学でも日本語学科全体に呼びかけるので
始まってみないとどんな学生たちが集まるのか予想も出来ませんが
今期はPadletで学びを共有しながら
グループワークで体験的に多文化を学んでいます。

今日は各国での歌についての発表を作っているグループで
中国人の留学生が「私たちはこんなに日本の歌や文化に興味を持っているのに
日本人で中国の歌に興味を持ってくれる日本人があまりいません」と嘆いたそうですが
2009年~2012年私が中国にいた頃は日本からの駐在の方々がたくさんいて
皆さん、カラオケで中国語の歌を披露してくれていました。

有名だったのは北京オリンピックのテーマソング「北京 北京 ベイジンベイジン」や「朋友パニヤオ」などなど。
私も2-3曲は中国語で歌えます。
中でもお気に入りは表題の「明るい光がいつも風雨の後に」という意味の歌
1996年の四川省での大震災の後に歌われるようになり
競技場でも敗戦チームを励ます歌として歌い継がれているそうです。

写真はミルトスの花。

Yángguāng zŏngzài fēngyŭhòu

阳光  总在 风雨后

Gē xŭ mĕi jìng

歌: 许 美 静

Rénshēnglùshàng tiánkŭhé xĭyōu

人生路上 甜苦和 喜忧

Yuànyiyŭnĭ fēndānsuóyŏu

愿意与你 分担所有

Nánmiăn céngjīng diēdăohédĕnghòu yàoyónggănde táitóu

难免 曾经 跌到和等候    要勇敢的 抬头

Shuíyuàn cángduŏzài bìfēngdegăngkŏu

谁愿 藏躲在 避风的港口

Nìngyŏu bōtāoxiōngyŏngde zìyóu

宁有 波涛汹涌的 自由

Yuànshìnĭxīnzhōng dēngtădeshŏuhòu

愿是你心中 灯塔的守候

Zàimíwùzhōng ràngnĭkàntòu

在迷雾中 让你看透

Yángguāng zŏngzài fēngyŭhòu wūyúnshàngyŏu qíngkōng

阳光 总在 风雨后   乌云上有 晴空

Zhēnxī suóyŏudegăndòng mĕiyīfènxīwàng zàinĭshŏuzhōng

珍惜 所有的感动    每一份希望 在你手中

Yángguāng zŏngzài fēngyŭhòu qĭngxiāngxìn yŏucăihóng

阳光 总在 风雨后   请相信 有彩虹

Fēngfēngyŭyŭ dōujiēshòu wŏyīzhíhuìzài nĭdezuŏyŏu

风风雨雨 都接受    我一直会在 你的左右

(試訳)
喜びと悲しみに満ちた人生を
好きな人と共に歩む。
転んだときもじっと待つときも
勇気を持って頭を上げる

あなたが荒れる海を行くときに
迷わないよう、私は灯台になって待っているから
希望はいつも風雨の後に現れてくるもの
希望は自分の手の中にある

風に吹かれても、雨に降られても気にしない
雨の後には虹がかかることを信じて
私はずっとあなたのそばにいるから



敵に塩を贈る

2023-01-19 | Malang Jawa Timur
戦国時代のお話です。
甲斐という国の武田信玄と越後という国の上杉謙信は先祖代々、仲の悪い侍同士でした。山に囲まれた甲斐の国、日本海に面した越後の国、両方とも都の京に出るにはちょっと不便な場所です。戦の真っ最中でも雪になると身動きが取れず、食べ物がなく命を落とす兵士たちもたくさんいたそうです。また海のない甲斐の国、現在の山梨県の武田は駿河の今川から塩を買っていましたが、今川と敵対するようになり塩どめと言って、塩を手に入れることが出来なくなりました。
そんな時に困っている武田方に上杉謙信が塩を送ったというのが美談になって伝えられていますが史実八詳らかではありません。

さて本題は海に面したマランの天然塩。海水から直接作っている塩はミネラル豊富で、塩分を制限をされている人でも大丈夫だそうです。バリの海よりも綺麗で澄み渡っているマランの海が作ったナチュラルソルト。スーパーフードとして名高いモリンガとセットで通販されているので、3つ買い求めました。一つは自分にもう一つは糖尿と腎臓を患っている若き同僚に贈ります。。




Ive been living in Malan for 5 month.
SInce then i never wash my clothes, have cooked just easy noodle, Indomie, enjoying single student like life.
After moving to Kost Pturi Farijin, my slow life has started.
In the morning after sunrise, walking aroung the street and buy vegetable,
cooking in outdoor kitchen is precious time with breezing.
Wash my things by myself in a small sink dry them under sunshine.

Writing and reading in spare time, 3 times in a week going to classroom.
sometimes private students come to my room and study together.
My campus life is about starting in Malang.

Pray for your healthy eating and long life.