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東京絵の具

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石見銀山

2011年03月27日 | 中国
石見銀山は、世界遺産に選ばれたにも関わらず、観光の店舗は
限られており、昔の街並みを出来る限り残している点は評価が高い。

住所:島根県大田市
備考:世界遺産、日本の地質百選、国指定史跡、重要伝統的建造物群保存地区

石見銀山(いわみぎんざん)は、1526年に九州博多の豪商・神屋寿禎によって発見されて以来、
1923年の休山まで約400年にわたって採掘された世界有数の鉱山遺跡です。

戦国時代には大内氏、尼子氏、毛利氏などにより岩城銀山の競奪戦が繰り返され、
最終的に徳川幕府が直轄地として、大航海時代を迎えたヨーロッパに
「石見」の名を知らしめ、最盛期には世界の3分の1の銀を交易していました。

2007年に、東西の経済・文化交流の促進や豊かな自然環境を残した生産技術が評価され、
国内初の産業遺産として「石見銀山遺跡とその文化的景観」は世界遺産に登録された。

石見銀山世界遺産センターは、石見銀山の歴史や鉱山と暮らしの学習施設で、
ガイダンスコーナー、遺跡立体模型や遺跡クイズ等様々なプログラムでより
深く石見銀山を体感できます。また、石見銀山駐車場も兼ねています。

大森町

大森地区では、石見銀山資料館、熊谷家住宅、旧河島家、五百羅漢、龍源寺間歩の
5つの有料施設があり、1500円の石見銀山散策チケットで全て見て回れます。

大森代官所跡は石見銀山を支配する拠点であった。現在は石見銀山資料館として利用されている。



熊谷家住宅 [国指定重要文化財]
享和元年(1801年)に建築、以後、土蔵などを増築して明治元年(1868年)に屋敷が整う。
銀山業を実業として、酒造業や年貢銀の検査、郷宿、町年寄などの要職を務めた熊谷家は、
石見銀山では最も大きな商屋であった。



観世音寺。岩山の上にあり、江戸時代には大森代官所が銀山隆盛を祈願していました。



石見には130以上の神社仏閣があり、多くの山城が築かれていたらしく、
いかに戦国時代にとって重要な場所であったかがうかがえる。



羅漢寺・五百羅漢



銀山地区(柵内)

銀山採掘のために掘られた「間歩(まぶ)」と呼ばれる坑道は500余り残っている。
写真は「史跡石見銀山遺跡 福神山間歩」。間歩番号461となっている。



その内、一般公開されているが龍源寺間歩の一部。(大久保間歩の公開はツアー形式での限定公開)



正徳5年(1715年)の開発で、開掘の長さは600mに及んでおり、石見銀山では、
大久保間歩に次いでの大坑道です。公開されている坑道は江戸時代に開発された
間歩156.7mの内、栃畑谷へ通り抜ける新坑道116.4mです。



大田市指定史跡「吉岡出雲墓」
毛利家の家臣から大久保長安につかえ、銀山の採掘を担当して活躍すると共に、
伊豆や佐渡などの各地の鉱山の鉱脈発見、採掘技術の普及指導に功績をあげた人物。



清水谷精錬所跡



石見銀山街道の鞆ヶ浦道入口。銀を港まで運ぶ道で、鞆ヶ浦(ともがうら)まで約9.3km。