笛吹牧師フルート教室

播磨地方・姫路と網干でフルートとリコーダーの教室を開設しています

音楽を愛するとは

2010-04-21 16:51:21 | 日記
音楽を通じて、名声や富を求めると、まずは裏切られます。
でも音楽そのものの喜びを求めると、確実に一生の間、喜びをもたらせてくれます。
異性に好意を感じたり、激しい恋であっても、一生連れ添うのとは、根本的に違うものがあります。
相手の学力や資産力や地位を愛するのでなく、その人そのものを愛する喜びに、少し似ています。

夢中になるのは楽しいことです。
私は老若男女問わず、真剣な顔は美しいと思います。
高校野球も勿論、高校生のクイズ大会など、テレビにアップに写る顔は感動ものです。
吹奏楽コンクールも楽しいものです。
大変な努力を重ねて来て、全力を尽くす姿は美しい。

でも、決して少なくない人が、燃え尽きるのは残念です。
「吹奏楽コンクールで全力を尽くしたので、もういやだ」という言葉すら聞きます。
それはそれで価値があるのでしょう。
でも私の立場では、音楽を一生の趣味にしてほしかった。
彼等はクラブ活動に全力を尽くしてたので、燃え尽きても後悔はないでしょう。
かえって私などは、燃え尽きるほどのことをしていないのかもしれません。

練習は、いやというほどやりました。(文字通り常にうんざりも…)
中高年の入り口である今では、練習量が減ると衰えが実に激しくなります。

90まで現役演奏家を続けた名人達がいました。
バックハウス、ルビンシュタイン、ホロビッツ。なぜか皆ピアニスト。
指揮者も長寿ですが、これはわかる気がします。
技術の衰えは演奏家がカバーしてくれますし、仕事自体が実にヘルシー。

フルーティストでは、ニューヨークフィルの奏者だったジュリアスベイカーは70になっても、現役時代の名人芸が衰えをみせなかったのが、自分もまだまだ現役と思え、励みになります。

さて、この人達は気が遠くなるほどの長時間練習をしていたことでしょう。
才能か努力かとよく言われますが、一生の間、大量の練習は、努力では疲れます。
一生連れ添う夫婦も、お互いにどんなに多量のうんざりを乗り越えたでしょうか。
気分的に好きなだけでは、すぐに燃え尽きてしまいます。
なにが必要なのでしょうか?

音楽を学ぶ目的

2010-04-17 10:26:09 | 日記
目的を明確にすると、いろいろメリットがあります。より深く味わえます。

まずは本格的に学びたいと言う人。すなわちプロを目指す動機とは?。

当然ながら目指したとたんに失うものも多いのです。
中でも、時間は大量に必要とします。特に恋愛やデートの時間も犠牲になります。アルバイトも。
「のだめ」のように、大いに役立つ恋愛も可能ですが、グルメやファッションの楽しみは最小限にする必要があります。

さてなぜプロを目指しますか。
単純なところでは「モテたかった」・・実に明快。
そのまま音楽の魅力にも目覚めて、結構成功した人も多いようです。
でも音楽が優秀なだけでは、モテません。様々な要素を必要としますので。

「仕事やステイタスとして。」
これには明快な回答ができます。
「やめたほうが良いです」と。
毎年数千人、万前後の音楽系大学を卒業しますが、純粋に音楽を仕事にできる人は10人ほどでしょう。
音楽教育に携われたら、ほぼ成功。それも採用枠は実に少ない。
お金がほしいと音楽を勉強しても、まず裏切られます。

またステイタス確立は音楽には無理です。
芸術とよい言葉がありますが、実はただの芸能。
江戸時代は士農工商の下に置かれました。
河原乞食と言われる、被差別グループでした。
由緒正しい歌舞伎の世界も例外ではありません。
なので彼等は人気と資産ができると、店舗を持ち、せめて商人レベルの身分を手に入れました。
「○○屋!」のかけ声は、その屋号です。

偉大なベートーベンも生活者としては貧乏人。
西洋音楽もジプシーやユダヤ人たちの被差別グループです。
ハングリー根性が、偉大な芸術を育てました。
宮廷楽士や教会のオルガニストは大出世です。

特に日本では「音楽家」は収入も地位も不安定です。
男性だと、結婚すら困難でしょう。
それでも音楽の魅力に情熱をもち、プロを目指しますか?
「じゃやめよう」と思う人は、早くやめたほうが被害が少なくてすみます。
ただし音楽まではやめないでください。
一生の友として、最高のものですから。
また述べますが、音楽を中心に友人がふえたり、時に商売に役立ったり、技術研究のアイデアのもとになったり、さまざまなメリットがありますから。

最もシンプルに「好きだから」
大変な広がりのあることばなので、少しずつ。