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ある風景

自然の姿に感動し、永遠に焼き付けたいその一瞬!そのイメージを胸一杯にふくらませ、息を止めてカシャン!!結果は・・・

今年の夏、ワンダリングの夏

2006-07-22 01:04:31 | Weblog
6月からずっと忙しくこちらのブログに書き込みが出来ませんでした。
やっと7月の間に書き込みが出来ます。
その間いろいろな事がありました。
10-11月に絵描きさんと2人展をやることになりました。
以来山のリーダーの方が忙しく、なかなか写真まで手が回らないのが現状です。
少しずつ写真は撮りためてはいますが、私の群馬の写真の先輩のクマさんのストックには遠くおよびません。
6-7月は京都の秘境の「芦生」や北海道の「利尻・礼文」や、三重県・滋賀県の「鈴鹿」などの花を見て回りました。
鳥も野鳥の会のCDを買って聞きの練習をしています。
何を言っても分かったのは、人間は「気持ち」が大切だし、気持ちの持ち方を大切にするということですね。
また書き込みしていきます。
添付の写真は先日の撮影会でたまたま和歌山から梅を献納にきた和歌山の行列に合いました。そのときの下鴨神社の神殿のまえの女性達や男性達の姿です。
おおきな和歌山のおいしい梅をいただきました。





すっかり初夏に!

2006-06-02 09:58:43 | Weblog
 先日、御室88カ所を歩いていると、あんなにがらすきの森がなんと、すっかり新緑がモコモコの森に変身しているではないですか!薄い紫色の大きなハナビラのモチツツジも盛りを過ぎています。思えば3月の最初に咲くアオモジの黄緑の花も今年は十分に見ていないな。次に咲くミツバツツジもハンチョロケの鑑賞しかできていないな。リョウブの白い花はぜんぜん気が付かなかった。ネジキの白い鈴なりのハナは先日その咲き残りをすこしだけ見たような。そして、これも咲き残りのツクバネウツギ。少し黄色がかったかわいい花。なんとコシアブラもタカノツメもいつのまにか葉が大きくなってもうテンプラには堅すぎるくらいまでになっている。
 今は低山では、もう春の花は終わって、替わって初夏の花たちが咲き始めていると思う。5月の中旬には、オオカメノキ(ムシカリ)が満開だった。クリンソウの初々しい群落も見られた。ほ本シャクナゲも今年は竜ヶ岳(愛宕山塊)でたくさん見られた。
 鳥もやっとミソサザエが分かるようになったかな??ハシボソガラスとハシブトガラスの違いも鳴き声なら一発で分かることもおしえられた。鳥もかわいい!
 さあ、来週は、いよいよ撮影会がはじまる。今年はがんばらないと。
 その理由。私が写真で私淑している人が一念発起で30年以上の自分の写真を整理してCDに焼いて見せてくれたこと。ことばではとても評価などできませぬ。どうか皆さん、みてください。鑑賞するものはことばで表しては失礼というものです。
  彼は、銀塩カメラで30年以上アマチュアカメラマンとして撮影してきましたが、テリトリは、主に浅間山や白根山。とこに撮りためた、なかでも傑作の作品がこれでもかこれでもかと出てきます!!私はいただいてすぐに見ましたが、なんとそれから毎晩見ています。癒されるのですね!!!
  CDを見たい方はこのブログの書き主までご連絡ください。
  Mail Address: longnosed-goblin@mbr.nifty.com

CDの写真をここに出したいのですが、目下私のデジカメはニコンの工場で入院中。出てきましたら掲載します。


 

早春はいそがしい!

2006-03-13 16:36:49 | Weblog
先日「そんなに花が好きならスイスアルプスいっしょにどう?」と美人の女性に誘われました。うーん、と悩みましたが、結局行ってもその女性に気を取られて、おちおち花も見てられないと気づいて、・・・・。というよりも、行くと決めていた矢先にちょっとしたアクシデントがあって、結局は私は行けないことになってしまいました。まことに残念な事をしたものです。
 まあ、花は日本中どこにでもあるし、今回はしかたがないか、ということであきらめました。
 さしあったって見たいのは佐渡の花、と言っても、この時期にしか会えないオオミスミソウです。それにできればシラネアオイやその他の早春の花たちにも会いたい。
 次には新潟の低山にある花の園に行って、早春の花たちをめでたいと思っています。その次には飛んで東京に咲くという夜の花を見に行きます。というのは冗談で、東京都の奥多摩にあるエゾエンゴサク。さあ、お目にかかれるかなー?
  ほんとうはせっかく関東まで行くので白根山や丹沢あたりをしっかり歩きたかったのですが、まだ雪をかぶっているようなので、いつかにします。
 さて、最近中高年の男性で、今まで見向きもしなかった「山野草」特に小さな野の「花」に熱中する人が増えているという話が先日の新聞にのっていました。そうか、もう自分を癒してくれるのは奥さんや娘さんではなく、野に咲く「花」なのか!とちょっぴりの寂しさと逆に安堵感を持って読みました。
 大のおっさんが小さな花をのぞき込んでいる図を想像してください。おもしろいですよね。また、その小さな命をいとおしく思うおっさんが増えてるなんて、素晴らしいじゃありませんか!
 そうするといままで登山靴で踏んでいた道脇の野草にも気が行くかもしれませんね。そう言う意味では私もそうなのでお仲間が増えるという意味で安堵しています。ただし、いくらかわいいからと言ってとってはいけませんね。
 これから忙しい時期を迎えます。木も新芽が吹いてきます!あー、忙しくなるなあ!
それはそうと、コシアブラのテンプラを今年の春は食べないと・・・。
  
 

今年の予想?!

2006-01-04 16:21:14 | Weblog
今年はどのような年になっていくのでしょうか?
まず、
経済面ですが、過渡期にあると言われて久しいのですが、
構造改革と言いながら、実質上は大資本・大企業中心の対策に
なってしまいました。
例えば、株価はあがっても、地方の最繁華街と言われる駅前商店街を
見てください。閑古鳥のないているところがすくなくありません。
地元の努力不足と責められながら・・・なすすべがないのです。
一方で、
郊外では大きなモールが車で一杯になっています。
要はこれを構造改革という名の時代変化ととらえる人もいますが、
予告無しの変革というのが問題なのです。
これは完全にアメリカ式の消費経済構造の手法です。
アメリカの大都市の周辺の地価は高騰し、そこに巨大なモールが沢山出来ています。そこには巨大資本とブランドが入っています。
まあ、経済のグローバル化が着々と日本では進んだということですね。
そのうちにアメリカの巨大資本がズズズッとやってくることでしょう。
一方で
市中銀行への貸出金利を0%にしたために日本は完全なデフレになってしまいました。これをどうにかしてインフレ直前まで持って行きたいのが金融政策担当者達の願いでしょうが、日本のこのデフレへの慣れが世界経済にも大きな足かせになっています。うまく移行しないと超インフレになってしまいます。
そうはいっても、だんだんと強弱のはっきりした領域が見えてきました。
これからのことを考えると早く動いた人が勝つ。その方向と読みが正しければということ。わたしは身が軽いので(当然のごとく特大の土地や資金を持ってはいないので)見極めたらばすぐに動きます。
一方で
日本の政治はご存じの通り。トップダウンの妙味を味わっている人たちの時代です。しばらく自由に意見が言えないうちに、日本は、経済はアメリカなどの超資本の支配下に、そして、政治は極端に右傾化。子供達の少子化と共に子供達はますます過保護になっていき、自分で自分のことが出来なくなっていくでしょう。
環境の悪化と共に日本人は自分たちのすべてを担ってくれるははずの「貴重な財産」である子供達をなんの考えもなく、自分たちの今の都合だけの「消費」にしようとしている。親が守ることも大切。もっと大切なのは自分のことを自分で考えて自分で自分を守ることを目指さないと、今の流れでは異論を吐く余地さえもない戦中の雰囲気になっているのです。当時の若年者・若者達も連れ出され、負けと分かった戦に投入され、いまになって、同じ系列の政治家に「二度と戦争はしません」という誓いの道具に使われるのはきっと「やめてくれー」とさけんでいるのではないでしょうか?
父親(元職業軍人)ゆずりの私も特別に保守的な人間だと思っていますが、この点だけは許せないのです。
若者の命は貴重ゆえ「勝ち戦」の可能性があるときにのみ使え!!私はそう言いたいのです。そんなことは二度とくりかえしてはならないのです。その叫びの気持ちが分からない人がその気持ちを代弁するのはおこがましい。そうとも思います。
また一方では、
社会はどうなっていくのでしょうか。
あらゆるものの価値がひっくりかえり、昨日の価値は今日になったらなくなっていったり、またあたらしいものが生まれていくはずです。天才を沢山生み出す国が勝つでしょう。いや、経済がグローバル化するとアメリカをトップとするピラミッドのような世界がより完璧に作られていくのです。アメリカが崩壊するとき、今の世界も崩壊する。そんな気がします。それに対抗する予定のアラブ諸国も目標がばやけて混沌とした状況を呈しています。
同陣営の中では国境も国もなくなってしまうでしょう。そんな意味がなくなってしますのです。
あるのは、アメリカを親分とする属国?の連合とそれ以外という分類の世界観がもっともっと敷衍していくと思われます。
みなさんも今年が去年とおなじスピードで過ぎるなどと言う「幻想」をもたないことです!

・・・・さて以上が昨夜飲み過ぎて見た「悪夢」でうなったわたしの「うなりごと」です・・・・。

2006年はどんな年に?

2006-01-01 00:41:28 | Weblog
いよいよ2006年が明けました。
今年はどんな年になっていくのでしょうか?
一説には
株化が暴落し、
日本経済は凋落の一途を辿る!という人もいますが、
そうかといって、
再び栄えると予言する人も少なく、
一体日本はどうなっていくのでしょうか?
私は
日本はこのままだと、「危ない!」と思っている一人です。
あなたはどうですか?


ちょっと雪山に?

2005-12-27 00:33:31 | Weblog
 昨日の日曜日は雪山に行ってきました。
いやいや雪山といっても、京都の西北に
そびえている940mそこそこの愛宕山に行って来たのです。
 清滝から大杉谷を通って、月輪寺から道と
合流します。そしてそこから10分ほどで神社に
着きます。
 昨日は上は30-40cm位の積雪。
気温は午前10:00神社の本殿入り口で6℃。
これでは今年のこれからの本格的な「冬」の到来が
心配です。
里雪はたいてい京都盆地の場合、春雪になっていました。
本当に今年は雪は多いですね。
途中広沢の池で、
モルゲンロードの愛宕を撮りました。
またのお楽しみに。







今日の北嵯峨

2005-12-18 17:17:51 | Weblog
今日は寒いですね。全国的に大寒波到来です。
もう鴨川には、

ユリカモメ
ヒドリガモ
オナガガモ
コガモ
カイツブリ
アオサギ
コサギ
マガモ
カルガモ
セグロセキレイ
オシドリ
カワセミ

などが
うじゃうじゃ
いるのではないかと思うのですが、
この寒さではどうしようもありません。

もっとも、カルガモやカワセミや年中いますが・・・。
さて、
今度の2月には
京都の御所で
探鳥会があります。
いままで木の中の鳥を余り見た事がないので
ぜひ参加したいと思っています。

先日
鴨川でカワセミが川のまん中の丸い石の上に
とまっているのを見ました。

ふと北山をみるとその奥は真っ白。
その右手に比叡の山並みがいよいよ真っ白に輝いているのでした。

ふと、生物の進化を考えていると、海から陸に上がり、そして、空へ、
かつて、鳥であったときの記憶をわれわれはもっていると言われています。
「俯瞰図」というようなものがその高さにいなくとも簡単に書けてしまうのはきっと「鳥」の記憶が未だわれわれの記憶にのこっているからでしょう。
 あの上の方を舞いながらゆったり飛ぶ
ノスリ
などを見ていると本当に親しみが湧いてくるのが不思議です。

そういえば、北嵯峨では今日あたりもう雪が真っ白に積もり、
むこうに真っ白な愛宕山がどっしりとそびえているのが見えるのではないでしょうか。

最近はNHKの全国ニュースで広沢の池の鯉の生け捕りが風物詩になりつつあります。そして、ニュースで写される広沢池の北にたおやかに並んでいる箱庭のような山にはこれでもかといわんばかりの歴代天皇の御陵が並んでいます。あの背景の山々は実は歴代天皇のお墓なのですね。

さて、嵐山の2500箇の灯籠行事も今日まで。
今日は勝負にならかったかもしれませんね。






京都といわず日本では・・・

2005-12-15 17:44:40 | Weblog
 先日京都で大変な事件が起こりました。
最近ずっと思うのですが、日本は韓国ほどは儒教が残っていないし、
そうかといって、中国ほどのふとっぱらの精神もない。
小さい島国なのはイギリスなんかと同じのようであっても、実は、本当の
自前の精神や自前の本当の思想などを実はとっくに放棄した民族なのではないかと思い始めています。
とくに聖徳太子の仏教奨励以来、外国の影響を強く受けながら国を運営してきました。
今になって、ふと自分の足下を見ると、何も残っていない。伝統と言われているのは形骸化されつつある形式ばかり。その本になっている「核」が不在のために、われわれは今何を基準にどのように行動していけばいいかという、「指針」が皆無であり、そのために、それに賛成・反対さえも態度表明できない。個人がこれほどめでにばらばらになった国は珍しいのではないでしょうか?
個人主義が一人一人の信念や信条に従って行動を起こし、そこでみんなで議論したりするといういわゆる「個人主義」が、日本では「放っといて!私のことにくちだししないで。わたしは私だけのことを考えていればいいの。」という非常に誤った個人主義に変形されて、そのまんま考える人が増えています。
いつも外の世界に過剰に反応する。自分に自信がない。意見を言わずに我慢する事が美徳。切れるとあとは切腹でけり。・・・まあそんなわれわれの風潮?にだんだん世界の人たちや、何よりも我々自身が嫌気をさし始めたというのが実情ではないかと思っています。
たとえば、今度の選挙もわれわれで自己嫌悪に陥っている人も多いことでしょう。
経済活動の結果としての勝負の結果は、そのプロセスが公平で誠意あるものの中での戦いでなければなりません。しかし、日本での経済活動はまだまだ幼稚な局面を持っています。
そんな中での、
子育てや教育や就職や結婚や出産や生活設計などについては本当に指針のない状態での手さぐりの状況が見えてきます。
不安と絶望にかられている人も多いでしょう。
その解決にも今も日本では誰にも相談や力になってくれる人がいないと思っている人も多いのではないでしょうか。
そんな中での、きわめて日本的な事が原因になって起こったような今回の事件を本当に真剣に考え直してみたいと思っています。
難しい問題ですが、今まで素通りしてきた宿題を解決しなかった「つけ」がいよいよわれわれ自身の頭にのしかかっていることだけは確かです。

京都ののこりもみじ

2005-12-09 22:51:26 | Weblog
最近は京都は観光客が多く、どこへ行っても人人人・・・
しかし、それにしても、京都は紅葉の季節をすぎると
冬の京都まで少し休憩です。と言うところですが、今年は
少し様子が違います。
うん?と思っていると、なんと、嵐山に夜遅くまで2500この
灯籠の灯が観光のメイン通りをほんのりと照らします。
東山では青蓮院では何百年ものあいだ秘仏とされた仏様が公開されます。
まあ、なんとお忙しいことでしょう!!
さて、先日ある撮影会で嵯峨の「宝筺院」(ほうきょういん)にいって来ました。
なんとすばらしいことでしょう!まだしっかりもみじが残っているではありませんか!緑のコケの上に赤や黄のもみじの落ち葉が素晴らしい。
日本の文化の核はひょっとすると「マクロコスモスとミクロコスモスの融合」ではないかと、思ってしまいました。
自然は決して自分の前に対決するものとして存在するのではなくて、自然と自分は融合しているのですね。そうでないとあんな空間に感動することはないと思います。
今年はもみじの色が悪いとかいいながら、こんなにおそくまで紅葉を楽しませてくれた年も珍しく、これもやっぱり、温暖化の影響かと思うと少し悲しくなるのです。
あなたの「秋」はどうですか?



京都西山のもみじ

2005-11-24 17:03:26 | Weblog
今年のモミジはどうかな?と思っていきましたが、
なかなか最高のもみじに出会えました。ただし、
拝観料の高さには閉口です!
市街のもみじ
寺院や神社のもみじ
山のもみじ
と三通りのもみじを見ました。
そこで気が付いたのですが、
私には少なくとも一種の強い「固定観念」
があって、いや、みんなも同じような固定観念を
もっていて、それにかなわないと「美しい」と感じない
のではないかと思ったのです!
「やっぱ、甍にもみじでないとねー」
とか
「やはり川・岩・こけがないとねー」
とか
やっぱり、正直の所
コテコテの固定観念に侵されていますね。
しかし、かといって
斬新な風景を撮ったところで
それを見る人に感動を与えることはこれまた
固定観念の枠内での知恵比べ以上に
困難なことでもあります。
1 そこに「美」があること
2 そこがどこであるかが分かること
3 誰も扱っていない映像であること
このような固定観念による条件を素直に肯定ながら、
中身での独自性を「自分の内面」に求めていくという
まことにシビアな「精神行為」になっていくのでしょうk?
結局は・・・?