岩淸水

心を潤す

長洲 一二

2008年12月13日 07時00分29秒 | 人物

 

 

長洲 一二(ながす かずじ、1919年7月28日 - 1999年5月4日)は、日本の政治家、経済学者。専門はマルクス経済学。神奈川県知事(民選第8・9・10・11・12代)。1996年勲一等瑞宝章。

 略歴 [編集]東京生まれ。安田商業学校(現安田学園中学校・高等学校)卒業、1937年日本銀行入行、1939年同退職、1941年横浜高等商業学校(現横浜国立大学)卒業、1944年東京商科大学(現一橋大学)卒業。

1944年三菱重工業入社、同年短期現役士官として大日本帝国海軍入隊、海軍経理学校入学、海軍少尉等を経て、1945年海軍経理学校卒業、同年終戦に伴い東京商科大学特別研究生、1949年横浜国立大学講師、1951年同助教授、1963年同教授、1964年同経済学部長。1975年から1995年まで5期20年間、神奈川県知事を務めた。この間、1959年に安東仁兵衛らとともに雑誌『現代の理論』創刊に参加(同年廃刊)して日本共産党を除名。1964年、第二次『現代の理論』創刊にも関わり主要執筆者のひとりとなった(1989年廃刊)。知事退職後は地方分権推進委員会委員や神奈川県国際交流協会会長、かながわ学術研究交流財団理事長、湘南国際村協会社長等を歴任。文化芸術面では1992年、横浜市の保土ヶ谷公園内に、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の練習場としてかながわアートホールを設置。1999年肝臓癌で療養中に、脳梗塞で死去、県民葬が行われた。

人物 [編集]県知事として全国に先駆け情報公開条例の提案をして話題になるも、1982年に山形県金山町に先に導入されてしまった。同じ革新知事の蜷川虎三京都府知事、美濃部亮吉東京都知事と同様に公立高校入試に学区制や総合選抜制度を導入し、都市部の公立高校のレベル凋落の原因を作った。

1990年に即位の礼に参加。

当初は革新自治体の代表例でもあったが、次第に自民党への接近と日本共産党の排除を強めていき、相乗りオール与党の代表例ともなった。

後援会「長洲一二と県民の会」の代表は、大学の同窓で京都大学名誉教授の宮崎義一が務めた。

『地方の時代』という言葉は長洲一二の造語である。

ゼミ生に作家の沢木耕太郎がいる。

 

 

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