パドヴァ (Padova、ヴェネト語 : Pàdoa)
イタリアヴェネト州の都市、パドヴァ県の県都で、経済・通信のハブ地。
市は時にはヴェネツィアを含んだパドヴァ=ヴェネツィア都市圏に含まれ、
人口およそ160万人の規模。
1943年9月8日、第二次世界大戦 、パドヴァはナチス・ドイツの イタリア社会共和国の一部となった。市には新国家の公共教育省、軍、軍用空港が置かれた。レジスタンス運動は、新ファシスト政権下、そしてナチス支配下でも非常に活発であった。レジスタンスのリーダーの一人は、パドヴァ大学の副総長コンチェット・マルケージであった。
パドヴァは連合国側の戦闘機によって数度の爆撃を受けた。最も被弾したのは、鉄道駅とアルチェッラ地区北部であった。これらの爆撃の最中、マンテーニャのフレスコ画を所蔵していた、美しいエレミターニ教会付属の礼拝堂が破壊された(教会がドイツ軍本部に隣接していたため巻き添えとなった)。一部の美術史家は戦時中イタリア最大の文化的損失とみなしている。