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カール5世

2009年08月05日 09時19分32秒 | 人物

 

 ティツィアーノ 

 

カール5世

Karl V.   1500年2月24日 - 1558年9月21日
ハプスブルク家出身の神聖ローマ皇帝(在位:1519年 - 1556年)
スペイン国王(在位:1516年 - 1556年)としてはカルロス1世(Carlos I)と呼ばれる。

宗教改革期の動乱やオスマン帝国の圧迫といった困難な時代にあっても、
当時のヨーロッパから新大陸に広がる広大な領土をたくみに統治した有能な君主であったが、
晩年は長年の痛風と相次ぐ戦争に疲れて自ら退位し、修道院に隠棲した。

 

 

在位
 
1519年 - 1556年(神聖ローマ皇帝)
1516年 - 1556年(スペイン王)


戴冠 1530年2月24日(神聖ローマ皇帝)
 


別号
 
ブルゴーニュ公
ブラバント公
フランドル伯
ルクセンブルク公
ネーデルラント君主
ミラノ公
ナポリ王
シチリア王

出生 1500年2月24日  フランドル、ヘント
死去 1558年9月21日  スペイン、ユステ

 


カール5世の血筋
 
ネーデルラントの領主フィリップ美公とカスティーリャ女王フアナの間に生まれた。母方の祖父母は結婚によって統一スペイン王国を誕生させたアラゴン王フェルナンド2世(カスティーリャ王フェルナンド5世)とカスティーリャ女王イサベル1世であった。さらに父方の祖父母は神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世とブルゴーニュ女公マリーという、当時のヨーロッパ王族のサラブレットともいうべき血筋の生まれであった。

 

  カール5世の「ハプスブルク帝国」(16世紀中頃)

「カール5世は~国の人間である」と言い切るのは難しい。なぜなら母フアナはスペイン出身で、統治領域の中心はスペインであり、カール5世は自分の生まれ故郷の低地諸国に愛着を持っていたので、言葉の問題から当初は馴染めなかったからである。それでもカール5世はスペイン王位についてから熱心にスペイン語を覚え、スペインを統治した。ちなみに、弟のフェルナンド(神聖ローマ皇帝フェルディナント1世)は兄と違いスペイン生まれのスペイン育ちである。
 
また、父方からハプスブルク家の血を受け継いだ神聖ローマ皇帝であるものの、ドイツ人とは言い難い。カール5世はフランドルのガン(ヘント、現在はベルギーの都市)で生まれ、母語は当時のフランドル貴族の公用語であったフランス語であった。
 

 

カール5世はフランス人ではなかったが、フランスとパリをこよなく愛した。当時の貴族の常として西欧最大の都市にして西ヨーロッパ社交界の中心都市であったパリに数回滞在しており、フランス社交界でも「シャルル・カン」(Charles Quint)として知られていた。父フィリップも親仏派だったといわれるが、カール5世は「パリはもはや都市というより、一つの世界だ」(ラテン語:Lutetia non urbs, sed orbis.)と言ったと伝えられる。最もよく使ったのもフランス語だったが、皮肉なことに政治的にはフランス王と生涯対立関係にあった。
 
スペイン王として、神聖ローマ皇帝として、生涯かけてヨーロッパ全土を回り、北アフリカにまで足を伸ばしている。多言語話者であったと言われており、カール5世の言葉として伝えられる有名なものに"I speak Spanish to God, Italian to women, French to men and German to my horse." 「スペイン語は神への言葉、イタリア語は女性への言葉、フランス語は男性への言葉、ドイツ語は馬への言葉」というものがある。しかし、実際は、カール5世が不自由なく完璧に話すことができたのは、フランス語とスペイン語だけであり、ドイツ語とイタリア語については完全ではなかった。ラテン語も話せたが、これも不完全であった[2]。

 

 

 

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