今日の一枚は、日本の画家・石田徹也(1973-2005)が
2004年に描いた作品、「体液」です。
洗面所の蛇口部分にあたる顔は作者自身の自画像です。
水の代わりに流れているのは、今回のタイトルである「体液」=涙です。
溜まった涙に浸されているのは・・・三葉虫?でしょうか。
調べたんですがロシア産の三葉虫っぽいというところまでしか分からず。
上野の国立博物館にこの虫とよく似た三葉虫の模型があるみたいです。
今度もうちょっと調べてみますね。
作品は、奇妙に組み込まれた自画像を除けば、ありふれた洗面所の情景です。
窓の光はまばゆく、空間を研ぎ澄ましているかのようです。
美しいとも言えるこの空間で、静かに涙を流す作者の姿に心が揺さぶられます。
石田徹也は2005年、31歳の若さで事故にあい亡くなっています。
彼は無表情の自画像を作品で多々描いてきました。
彼の絵から、彼の表情から感じるのは、生きるうえでの痛みや悲しみ、空虚感などです。
誰もが味わう苦しみである感情を私は作者の絵から強く感じ、なぜだか惹き付けられてしまいます。
石田徹也の死後、彼の生涯はNHKの番組で取り上げられ、大いに反響を呼んだそうです。
かく言う私もおそらくその番組で知ったと思います。
展覧会も各地で開かれていたので、機会があれば是非とも本物の作品をこの目で見たみたいですね。
また、全作品を一冊に収めた「石田徹也 全作品集」(求龍堂)が出版されてもいます。
ぜひとも手に入れて紹介したいですなぁ(´●ω●`)
<たぬき>
私は「孤独だけど満たされてる」みたいなものを絵から感じてました。お葬式を描いた絵が印象に残ってます。
「満たされてる」という見解は初めてでした!
なるほど
無表情といえば、能面もそうだけど
見る人や状況によって怒って見えたり、悲しんでるように見えたりするよね。
石田徹也の表情は能面に近いものがあったのかな、と思いました。
ちなみにお葬式の絵ってこれかな?
http://www.tetsuyaishida.jp/gallery/displayimage.php?album=4&pos=7
(違ったらごめんね!)
この絵も登場人物全員の顔が作者で且つ無表情なんだよなぁ。
ああやっぱり作品集欲しいな・・・(笑)
石田さんが間違えたのか、実際にそういう洗面所があるのか、意図的に窓なのかはわかりませんが、普通は鏡です。
この絵は、あてはまらないのですが、私は石田さんの絵から「マニュアル化(契約)された世界」を感じます。
失敗させないために、しないために人々は多くの行動を制限されて生きていて、画一化された行動が穏やかで平和な世界を形成しているのだけれど、その世界はどこか生命力にかける薄暗い世界で。ときどき顔を覗かせる人間の「生」はどこか醜悪で、どこか悲哀に満ちている。それは、「人間のすばらしさ」が支配する世界では、認めることはできない、隠しておかなければ、見て見ぬ振りをしなければいけない暗黙の了解。
私は、そんな、そんな空気を石田さんの絵には感じます。
わかりにくい説明で申し分けありません。
はじめまして!そしてコメントありがとうございます。
確かに、洗面所には普通、窓ではなく鏡がありますね・・・!
うっかりというか、すっかり勘違いしてました(笑)
指摘されて初めて気づきました。まだまだ修行がたりないですね・・・
もし、あえて窓にしているのであれば、差し込む光のまばゆさに何か示されたものがあるのかもしれませんね。
ひとりごとさんが感じていることと同じかと思いますが(違ってたらすみません)
私も石田徹也の作品の多くに、息苦しい社会の仕組みに対する否定的な視線を感じます。
うすうす気づいてはいるけど、自分から言うことはしない、というかできない、というか・・・
私達が普段そう感じているからこそ、彼の絵に心惹かれるのかもしれませんね。
素敵な夢をお持ちなんですね(*´ω`*)
私も彼の個展見たいです!
彼の絵が並ぶ空間には圧倒されそうですね。
私も好きな絵ばかりを集めた私だけの個展を考えてみようかな・・・
ほとんど独り言みたく書いたので感激です!
石田さんの絵は観たい人沢山いると思うんですよねー。
なぜ開催されないのか不思議なくらい。
夢を夢で終わらせないよう、精進したいと思います。
こちらこそ・・・!
悲しいほどに過疎化しつつあるブログに何度もお越しいただいてありがとうございます。
私もまったくもって不思議です・・・
作品の持ち主が展覧会を企画してくれないものか願うばかりですね。
『暴言を吐かれて涙(体液)を流しても
誰も気にされない。
なぜならお前は人間以下のただの
蛇口だからだ!』
て意味の児童虐待問題啓発ポスターの類
かと勝手に思ってたけど違うの?