退屈な日々の小さな記憶

退屈な日々の小さな出来事を思いついたまま記録します。

再びホーチミン その2

2016年05月23日 | ミャンマー.ベトナムの旅

帰国最後の日に戦争証跡博物館に行った。不思議なことに、職員の昼休み中は館が閉まっているので、敷地内にある喫茶コーナーで時間待ちをした。


敷地内には、ベトナム戦争時に使用したジェット戦闘機や戦車などの兵器が展示されていた。


入館すると、当時の様子を記録した写真や兵器が展示されていた。戦争の悲惨さが迫ってくる。
約半世紀前のことを、今のベトナムの若者達はどのように思っているのだろうか。街を歩いていると、ここが社会主義共和国家であることを忘れている。


気持ちのよい通り。




この後、国営百貨店に向かったが、到着してみると閉鎖されていた。それで少し離れているが、ガイドブックで紹介のあった土産を販売する店にいった。店は素材や品質にこだわっている。ところが店は移転していて、ウロウロしていると、どこかの店の人が移転先を教えてくれた。
客待ちをしていたタクシーに乗り込んだが、店は郊外にあった。帰りもそのタクシーを使って、結局、日本円にすると二千円ほど支払った。




夕方、ホテルに戻ってロビーでしばらく休んでから、目の前の公園の向かいにある日本食の店で夕食をとった。
ホテルにもどると、ロビーでインターネットを見たりして時間を潰した後、タクシーで空港に向かった。フライトは零時10分。いつも真夜中に帰る。


ミャンマー・ベトナムの旅、終わります。 

再びホーチミン その1

2016年05月20日 | ミャンマー.ベトナムの旅
ホーチミンに戻って、前回利用したリバティホテルに二泊しました。

夕食に日本食が食べたくて、ホテルで教えてもらってタクシーで出かけました。着いた所はラーメン、寿司などのほか、様々な日本食を提供する店が集まっていました。適当な店に入ると、若い女性が何人も働いているカウンターだけの店でした。

メニューを選んだあと、この女性と日本語で少し話をしました。彼女は日本語学校で学んでいて、上手に話します。周りの客は、一人でビールを飲んで食事をしたり、仲間と食事をしていますが、皆日本人のサラリーマン風の人たちでした。彼女達はしきりに日本語で客と話をしています。

同じようなことが、リバティホテルの朝食の時にもありました。若者の料理人に日本語で話しかけられました。やはり日本語学校で学んでいるとのことです。そういえば、ピザの店でも同じようなことがありました。

ベトナムでは、小学校から日本語が英語と並んで第一言語になるとのことです。なぜ若者に日本語ブームなのか、アニメや日系企業の進出の影響なのでしょうか。


日本食のレストランから歩いて帰ることにした。途中、ライトアップされたホーチミン市人民委員会の建物に出会った。




ベンタイン市場の脇では毎夜、夜市が開かれる。


ホテル近くの公園で年配の人たちがダンスを楽しんでいた。少し離れたところで、若い人たちも同じように楽しんでいた。


名の通ったホテルは雰囲気が違う。


翌日は、ホテルから少し離れたビンタイ市場に出かけた。ここは卸の市場であるので現地の人ばかりだ。






市内の中心部に戻るとき、近くのバスセンターからバスに乗ることにした。バスセンターで市内行きのバスの番号を聞いたところ、わざわざ中から出てきて自分の手のひらに料金とバスの番号を書いて説明したうえ、乗り場の方向を示してくれた。

バスに乗り込むと車掌はぶっきらぼうで、現地の人もまるで怒られているようであった。地図で中央郵便局を示して、ここで降りたいと言ったら、ベトナム語で怒ったように無理という感じで言った。再度、この付近であることを地図に示すと納得したようであった。しばらく走ると、ここで降りよと教えてくれた。バスを降りて歩いていると、後ろから来た現地の人が中央郵便局の方向を教えてくれた。

後で友人から、この車掌は一緒に降りた現地の人に、中央郵便局の方向を教えてやれと言っていたようだったと聞いた。これまで、ベトナムの公務員にはあまりいい印象を持っていなかったが、チョット見直した。


中央郵便局。




ホーチミンの肖像。


近くにあるサイゴン大教会。


喉が渇いたので、近くにあったカフェでジュースを飲んだ後ホテルに戻った。





再びヤンゴン

2016年05月17日 | ミャンマー.ベトナムの旅
インレイ湖からヤンゴンのビューティー・ランド・ホテルに戻ってきました。ここで二泊した後ホーチミンに戻ります。
翌日、この国最大の聖地であるシュエダゴォン・パヤーに行きました。ホテルから徒歩で20分程のところです。

ホテルでオーナーと話をする機会がありました。このオーナーは、日本人客から学んだそうで、日本語がとても上手でした。印象に残ったのは、映像ジャーナリストの長井健司さんが、ヤンゴンで軍事政権に対する僧侶・市民の反政府デモの取材中に死亡された事件当時の話です。2007年、長井さんはこのホテルに泊まって活動していました。いろいろあったようですが、ホテルで弔いをされたそうです。
当時の混乱からは想像もできない穏やかな日々ですが、約9年前の事であったのかと気づかされました。

このホテルの近くには、ランドマークとなる「さくらタワー」がそびえ立っています。ここにはジェトロのほか多くの日本の上場企業が入っており、これから注目されていく国のようです。



市街はイギリスの植民地時代に整備されて整然としている。シュエダゴォン・パヤーに向かって歩いていると、この近くのヤンゴン中央駅を観光する二人の日本人婦人と出会った。正面は教会。


全てが金ぴかであるシュエダゴォン・パヤーの境内。多くの人が熱心にお参りをしている。
ガイドの青年が声をかけてきたので、料金を聞くと10ドルというのでお願いした。シンプルでゆっくり話す英語なのでわかるところが多かったが、内容にあまり関心が無かったので適当に聞き流していた。友人は自分より英語がわかるので熱心に聞いていた。








信者が仏像に金箔を貼っていく。  







年齢になると参拝するとのこと。日本の七五三のようなものだろうか。両親が撮影を承諾してくれた。


マーケットに行くと、路上に4席ほどの椅子を並べたコーヒースタンドを見つけた。コーヒーはアメリカンのようで少し物足りなかったが、ほどほどにおいしかった。。


コーヒーを飲んでいると、何人かの少女の修行僧が自分たちの後ろを通っていった。このあと砂で描いた絵を売ろうとする人や、寄付を求める人が話しかけてくるので早々に切り上げた。


街を歩いているとやたらにパラボラアンテナが目につく。


宿泊したホテルから少しヤンゴン川の方に下がったところはインド人街。雑多なものが路上で売られている。








膨大な仏塔群のカックー

2016年05月14日 | ミャンマー.ベトナムの旅


ホテルで朝食の時に日本の若者と話をする機会がありました。彼も昨日はインレイ湖を巡ったようで、今日はカックーを観光のあと、午後4時までに戻って夜行バスでバガンに移動すると言ってました。

自分たちは今日の午後5時前にヘーホーの空港からヤンゴンにフライトをするので、飛行場までの時間とフライトの手続きを見込んでこの地を午後3時に出発します。それで、なんとなくカックー観光を諦めて街の歴史博物館などで時間を潰そうと考えていました。

若者がここを観光しないのはもったいないと言うので、チョット気になってフロントで聞いてみました。車をチャーターすると片道100㎞を2時間で走るので十分予定の時間に戻れると言われ、急遽行くことにしました。車のチャーター料金は45ドルです。


チャーターした車は街の市場の前を通った後、郊外の道をひたすらカックーに向けて走る。


しばらく走ると給油に立ち寄った。車種は日産のAD。


給油の間、前の道路を眺めていると人をいっぱいに乗せたトラックが通って行った。


昔、日本にもあった農耕用発動機のようなもので動く荷車が通って行った。


どれほど走ったのか、山を越えて少し標高が上がったところでジャカランダの花が咲いていた。


狭い舗装の道を対向車とうまく譲り合いながら、走れるところはかなりスピードを上げてひたすら走った。
カックーの遺跡は2000年に初めて外国人旅行者に開放された。観光にはこの地の少数民族であるパオ族のガイドを同行しなければならない。途中、管理事務所に立ち寄ってガイドを乗せ、入域料を払った。ガイドはアルバイトの男子大学生であった。


約800年の間、増築され続けて2500近い仏塔となる。











遺跡入口の左端の広場に店が出ていた。


なぜか小さなニンニクがたくさん売られていた。これまでも山積みにしたトラックを何度も見かけた。




この一角にあるローカルフードの小さな店で麺料理を食べた。ここでの滞在時間は1時間30分。予定通り午後3時にホテルに戻れた。









インレイ湖

2016年05月11日 | ミャンマー.ベトナムの旅

宿泊したホテルの部屋は清潔であるが、名前はチョット違和感のある「ジプシー」。


インレイ湖を巡った。朝食の時にフロントで、日本人がチャーター船の相乗りを募っていると言われた。相乗りの話は割安になるのでありがたかったが、自分たちは勝手気ままに移動したかったので、別に行動することにした。その二人組の人たちはヤンゴンから長距離バスでやってきたようだ。また、この日の観光が終わると夜行バスでバガンに向かうというが、自分たちとよく似た年齢なので、体力的にチョット心配になった。
運河は往来が盛んで、水は濁っている。





インレイ湖では漁をする舟に出会う。インレイ湖の風物詩。すると自分たちの舟はスピードを落として、写真を撮りやすくしてくれる。乾季の時期になると湖の水深は2mほどになる。この辺になると水の透明度も上がってきて、一面に水草が水面近くまで成長しているのがよくわかる。それで、水中深く舟のスクリューを入れないのだろうかと思った。
魚は手のひらサイズであると言われたが、あまり取れていないようだ。いつからか観光用の漁になったのだろうか。魚を見たかったので聞いたところ、街の市場にも出ていないと言われた。


漁民は両手を自由に使うために足で櫓をこぐ。




湖には水上の店や住居が連なっている。自分たちも水上レストランを利用した。


観光用に、水上の店舗で蓮の茎から取り出した繊維を使って糸を紡いだり織布を実演している。色々な布を販売しているが、蓮のそれは高価であった。


湖は観光以外にも生活の物資や人を運ぶ水上交通の場でもあり、盛んに行き交う。






リゾートホテル風の建物も見受けられる。 


別のところでは浮島で野菜が栽培されていた。




トマトの根元には、泥状の肥料が置かれているようだ。