退屈な日々の小さな記憶

退屈な日々の小さな出来事を思いついたまま記録します。

モロッコ エッサウィラからアルジャディーダへ その3(

2016年07月02日 | モロッコの旅

城塞都市に入ってみた。旧市街は世界遺産であるが、観光客はほとんどいない。夏になると避暑にやってくる人で賑わうとのこと。


ポルトガルの影響が残っている。








城壁の上に出る。




先頭を行くのは今回のツアーコンダクター。日本人の彼女は元エールフランスの副操縦士という変わった経歴を持つ。旅が好きで転職したという。












この後、バスはカサブランカに向かって100㎞弱走った。翌日ドバイ経由で帰国。




モロッコ エッサウィラからアルジャディーダへ その1

2016年06月26日 | モロッコの旅

2013年モロッコのツアーです。
エッサウィラから世界遺産のアルジャディーダまで、バスは海岸線を縫うように半日かけて走ります。大西洋と通り過ぎる景色をカメラに収めました。




これほどの石を掘り出して畑にしたのだろうか。


海辺の別荘。




海辺の街。


















途中、見晴らしの良いところでバスは止まり、しばらく大西洋を行き交う船を眺めた。















モロッコ  フェズの旧市街 

2015年09月03日 | モロッコの旅

丘から旧市街(メディナ)を一望する。ビッシリと詰まった建物に狭い路地が入り組んでいる。迷宮の都市と言われるゆえんだ。


地元のガイドに案内されて路地の一角から街に入った。


路地ではさまざまな店が連なる。






ロバが活躍する場でもある。








すれ違うのがヤットのような路地を通ったりしたので、広場に出るとホッとする。






ガイドに置いてかれないように必死で撮影する。


ブー・ジュルード門。通常はここから迷宮都市に入るが、今回はここが出口となった。





モロッコ  アイト・ベン・ハドゥ

2015年08月23日 | モロッコの旅
乾燥しきった大地の中に、オアシスと世界遺産のアイト・ベン・ハドゥの旧集落が出現します。
以下は、ネット情報の抜粋です。

部族間の抗争が激しかった500年前、アトラス山脈の南側の荒れ果てた大地のオアシスに、先住民であるベルベル人が倉庫と要塞を兼ねた村を築いた。そのひとつがアイト・ベン・ハドゥの集落。

村の内部には銃眼が配置された塔が一定の間隔を置いて何本もそびえる。道がまるで迷路のようにその間をぬっていて、まさに難攻不落の砦を思わせる。

家には電気や水道はなく、村が出来た当時とあまり変わらない生活を今も続けている家族がいる。日干し煉瓦でできた家の土壁は、厚さが50センチほどあり、40度を超える暑さでも室内を涼しく快適に保っている。




右側の橋を渡って右に折れると旧市街だ。頂上には穀物倉庫が見える。


水の無い川を荷物と人を背負わされたロバが通り過ぎていった。


日干し煉瓦で作られた集落の狭い路地を頂上目指して登って行く。


銃眼が見える。日干し煉瓦のため、長い時間が過ぎると雨風で削られ補修が必要となる。




路地の踊り場でアイト・ベン・ハドゥなどの絵を売っていた。


茶色の部分は紅茶で描き裏から加熱するとこの様になると聞いた気がする。


頂上にある穀物倉庫。修復されて新しい。




見渡す限り砂漠のような荒野が広がる。


新市街の景色。住居はコンクリートブロックなどで作られ、昔ながらの色で仕上げられている。


穀物倉庫から見た新市街。手前の川は水がない。