私はコーヒーが好きだ。
それも、
朝の起き抜けに
寝ぼけたまま淹れるコーヒーが
一番うまいと思っている。
ざっくり見積もって
12~15時間、
何も食べてない新鮮な胃袋に
淹れたての
これまた新鮮なコーヒーを注ぐ。
私は猫舌なので
淹れたてにほんの少し水を足してしまうところが
せっかくのコーヒーに大変申し訳ないが
実においしい…と
2時間ほどかけて2杯味わう。
その後激しい尿意をモヨオシ
一滴残さず「出した」時の清々しさよ。
昨日まで貯め込んだ毒素が
この褐色の薫り高き飲み物によってクリアーになる。
人間は
朝のこのルーティンを遂行した後が
一番美しいのではないかと勘違いもしたりして。
時間が経つにつれ
息をすればするほど
よからぬものを吸いこんでしまう人体は
夜になるころ
目も当てられない状態になっているだろう。
誰だって
心当たりがあるだろう。
そんな風に思う。
昼。
食事の後に飲むコーヒーには味がない。
すでに満腹の胃に
コーヒーの味は届かないのだ。
けれど人々は
何の疑いもなくそれをやっている。
店の店員も
「コーヒーは食後にお持ちしますか?」と
マニュアル通りに訊く。
私はココロの中で
「さんざん喰った後に飲んでもたいしたうまくもないし、されどコーヒーを飲みに来たわけでもないから、別にそれでいいです」と
ちょっと長めの一行を
息継ぎなしで読んでいる。
時折、
夜にコーヒーを飲む人がいる。
私の友人だが
気でも違えたのかと思ってしまう。
夜のコーヒーか。
なぜだ、なぜ夜に飲みたくなるのか教えてほしい。
ススキノのネオンも届かないこの暗闇に
いっそとけ込むように正体を晦まし
誰とも会話をせず
粛々と一日を、いや
その人生でも終えようというのか。
知人が珈琲豆の輸入をはじめ
ネットショップを開店した。
彼がインドネシアで魅せられた珈琲豆は
子どもが咥える棒付きキャンディーのような
ほんのり甘い果物の香りがする
日本ではまず出会うことができない貴重なもの。
1年以上異国の地で仕事をしなければいけなかった彼とて
軽いホームシックに陥り
何か心の支えが欲しかったのだと思う。
現地の優しい女の子でもよかったけれど
彼はびっくりするくらいフルーティな珈琲豆に出合った。
嬉しかっただろうな。
人は多くを語るどころか
本当のところ
何も話さない生き物なのだろうと思っている。
声に出して話す言葉の数々は
心が音声化されたものではなく
業務上発せられる電話の呼び鈴みたいなもの。
とって答えるだけのツールでしかない。
いいたいことを山ほど抱えているのが
人間なのだろう。
今朝、
簡単に淹れた珈琲を飲んでいたら
早朝から消防車が遠くを通過して行った。
控えめなサイレンに聞こえた。
からっぽの胃袋には
いつものように
コーヒーが注がれ
火事場のようすを想像することもなく
一番おいしいコーヒーの味を楽しんでいた。
それも、
朝の起き抜けに
寝ぼけたまま淹れるコーヒーが
一番うまいと思っている。
ざっくり見積もって
12~15時間、
何も食べてない新鮮な胃袋に
淹れたての
これまた新鮮なコーヒーを注ぐ。
私は猫舌なので
淹れたてにほんの少し水を足してしまうところが
せっかくのコーヒーに大変申し訳ないが
実においしい…と
2時間ほどかけて2杯味わう。
その後激しい尿意をモヨオシ
一滴残さず「出した」時の清々しさよ。
昨日まで貯め込んだ毒素が
この褐色の薫り高き飲み物によってクリアーになる。
人間は
朝のこのルーティンを遂行した後が
一番美しいのではないかと勘違いもしたりして。
時間が経つにつれ
息をすればするほど
よからぬものを吸いこんでしまう人体は
夜になるころ
目も当てられない状態になっているだろう。
誰だって
心当たりがあるだろう。
そんな風に思う。
昼。
食事の後に飲むコーヒーには味がない。
すでに満腹の胃に
コーヒーの味は届かないのだ。
けれど人々は
何の疑いもなくそれをやっている。
店の店員も
「コーヒーは食後にお持ちしますか?」と
マニュアル通りに訊く。
私はココロの中で
「さんざん喰った後に飲んでもたいしたうまくもないし、されどコーヒーを飲みに来たわけでもないから、別にそれでいいです」と
ちょっと長めの一行を
息継ぎなしで読んでいる。
時折、
夜にコーヒーを飲む人がいる。
私の友人だが
気でも違えたのかと思ってしまう。
夜のコーヒーか。
なぜだ、なぜ夜に飲みたくなるのか教えてほしい。
ススキノのネオンも届かないこの暗闇に
いっそとけ込むように正体を晦まし
誰とも会話をせず
粛々と一日を、いや
その人生でも終えようというのか。
知人が珈琲豆の輸入をはじめ
ネットショップを開店した。
彼がインドネシアで魅せられた珈琲豆は
子どもが咥える棒付きキャンディーのような
ほんのり甘い果物の香りがする
日本ではまず出会うことができない貴重なもの。
1年以上異国の地で仕事をしなければいけなかった彼とて
軽いホームシックに陥り
何か心の支えが欲しかったのだと思う。
現地の優しい女の子でもよかったけれど
彼はびっくりするくらいフルーティな珈琲豆に出合った。
嬉しかっただろうな。
人は多くを語るどころか
本当のところ
何も話さない生き物なのだろうと思っている。
声に出して話す言葉の数々は
心が音声化されたものではなく
業務上発せられる電話の呼び鈴みたいなもの。
とって答えるだけのツールでしかない。
いいたいことを山ほど抱えているのが
人間なのだろう。
今朝、
簡単に淹れた珈琲を飲んでいたら
早朝から消防車が遠くを通過して行った。
控えめなサイレンに聞こえた。
からっぽの胃袋には
いつものように
コーヒーが注がれ
火事場のようすを想像することもなく
一番おいしいコーヒーの味を楽しんでいた。