喫茶・野菊

ゆるく書いています。

珈琲の味。

2018年08月21日 | 日記
私はコーヒーが好きだ。

それも、

朝の起き抜けに
寝ぼけたまま淹れるコーヒーが
一番うまいと思っている。

ざっくり見積もって
12~15時間、
何も食べてない新鮮な胃袋に
淹れたての
これまた新鮮なコーヒーを注ぐ。

私は猫舌なので
淹れたてにほんの少し水を足してしまうところが
せっかくのコーヒーに大変申し訳ないが
実においしい…と
2時間ほどかけて2杯味わう。

その後激しい尿意をモヨオシ
一滴残さず「出した」時の清々しさよ。

昨日まで貯め込んだ毒素が
この褐色の薫り高き飲み物によってクリアーになる。

人間は
朝のこのルーティンを遂行した後が
一番美しいのではないかと勘違いもしたりして。

時間が経つにつれ
息をすればするほど
よからぬものを吸いこんでしまう人体は
夜になるころ
目も当てられない状態になっているだろう。

誰だって
心当たりがあるだろう。

そんな風に思う。

昼。

食事の後に飲むコーヒーには味がない。

すでに満腹の胃に
コーヒーの味は届かないのだ。

けれど人々は
何の疑いもなくそれをやっている。
店の店員も
「コーヒーは食後にお持ちしますか?」と
マニュアル通りに訊く。

私はココロの中で
「さんざん喰った後に飲んでもたいしたうまくもないし、されどコーヒーを飲みに来たわけでもないから、別にそれでいいです」と
ちょっと長めの一行を
息継ぎなしで読んでいる。


時折、
夜にコーヒーを飲む人がいる。
私の友人だが
気でも違えたのかと思ってしまう。

夜のコーヒーか。
なぜだ、なぜ夜に飲みたくなるのか教えてほしい。

ススキノのネオンも届かないこの暗闇に
いっそとけ込むように正体を晦まし
誰とも会話をせず
粛々と一日を、いや
その人生でも終えようというのか。

知人が珈琲豆の輸入をはじめ
ネットショップを開店した。

彼がインドネシアで魅せられた珈琲豆は
子どもが咥える棒付きキャンディーのような
ほんのり甘い果物の香りがする
日本ではまず出会うことができない貴重なもの。

1年以上異国の地で仕事をしなければいけなかった彼とて
軽いホームシックに陥り
何か心の支えが欲しかったのだと思う。
現地の優しい女の子でもよかったけれど
彼はびっくりするくらいフルーティな珈琲豆に出合った。

嬉しかっただろうな。

人は多くを語るどころか
本当のところ
何も話さない生き物なのだろうと思っている。

声に出して話す言葉の数々は
心が音声化されたものではなく
業務上発せられる電話の呼び鈴みたいなもの。
とって答えるだけのツールでしかない。

いいたいことを山ほど抱えているのが
人間なのだろう。

今朝、

簡単に淹れた珈琲を飲んでいたら
早朝から消防車が遠くを通過して行った。
控えめなサイレンに聞こえた。
からっぽの胃袋には
いつものように
コーヒーが注がれ
火事場のようすを想像することもなく
一番おいしいコーヒーの味を楽しんでいた。











今日という今日は

2018年06月11日 | 日記
今日という今日は
本当に本当に
離婚したくてたまらなかった。

でも、どうしたら離婚できるのかわからない。
誰に相談していいのかもわからない。

大きな川の傍に停めた車の中で
どうしたらいいのかと
時々水面にやってくるウミネコやトビを見ていた。

いろんなひとの顔が浮かんでくる。

おとうさん、助けて
おかあさん、ごめんね

そんなこといったらまた心配かけるから無理だ。

でも
おとうさん、助けて
お母さん、ごめんねは
何度も何度もくり返し
私の頭の中で反響していた。

もしそんなことをいえる勇気があれば
とっくの昔にいっている。
いえないから辛いんだ。

けれどきっと
いってしまえばもっとつらくなるに違いない。

これ以上辛いのはもうダメだ。
いくら我慢強い私でも限界だ。

それじゃあまた
何事もなく帰ろう。

帰ったら元凶がすでに帰宅しており
何事か私に小言をいった。

このひとは、なぜそんなことをいう。
いわなきゃ何か困ることでもあるのか。
私のことなぞ、いっそ興味なく
「あ、っそ」といえばいいじゃないか。

私はおたくを
死ねばいいとまで思っているんですよ。

おたくがこの世にいる限り
私には自由も人権もないうえに
大嫌いな怒鳴り声だけはもれなくついてくる。

理不尽じゃありませんか?そんなのって。

「もう限界なんで、出てってくれない?」って言ったら
きっと殺されるだろう。

息子は犯罪者の子になってしまうだろう。

そして私はあっけなく死ぬだろう。

私にとって
離婚をいいだせないのは
死ぬ勇気がないと同じこと。

せめて自死をした母よりは長く生きていたい。


急に暑い。今も。

2018年04月09日 | 日記
来たよキタキタ。

更年期特有のアレ。

何にもしないでぼーーーっと座っているだけなのに、

いきなりじわ~~っと暑くなって

汗がじっとりときちゃうヤーツ!

諸先輩から聞いていたような

顔面から汗が吹き出てどうしようもない!ってな感じではないけれど、

何もしないのにカッーーーー!っとするなんて、

自分に起きている現象でも、ここはやや冷やかに

「うわ、あつー。おもろー」ってな具合に受け流す。

だめですよ、大変だ!とかいって医者に罹っては。

楽しめ!とはいいませんが(何でもかんでも楽しめというひとは信用なりません)

自然の摂理を味わいましょう。

てかね。

もっかの悩みは

「まだ夫が起きている」ってこと。

はよ寝ろ!

じゃまくさい!

夫は公害です。


みそくそ。

2018年02月04日 | 日記
どうも腑に落ちないことがある。

「今日は久しぶりに夫とデートです!」とはいったい
どういう意味なんだ。

夫婦がデートをする?デートですよデート!

デートは恋人とするものでしょう?

違うの?

夫とは、時たま間違えて交尾をしても恋人にはならないでしょう?

違うの?

うーん…。

世の中
味噌もクソ一緒にしがちなのは、
この問題に限らずそこらじゅうにたっぷり散らかっている。

あまりにもありすぎるので多勢が無勢。
そっちが常識みたいに語られることがあるけれど
「全米が泣いた」みたいに
あたしゃーそんなマヤカシ(民主主義)には引っかからないぞ。

「夫と昼飯喰って、歩いて帰って来た」だけのハナシだよね、どう考えても。

むしろ「これは立派なデートなのです!」とか
大義をつけないと成立しない法案のようにも聞こえるが
違いますかね?

私は本当に真面目な性格にもかかわらず、
生まれつき不謹慎という特異体質のせいか、
この「みそくそ」がどうにも気になって仕方がない。
どうかすると、不愉快過ぎて
その日一日気分が悪くなる。

そもそもね、
家族とご飯を食べたことをSNSにアップする神経がなぁ…。
たいしたかわいくもない赤ん坊の写真を載せて
「うちの娘、かわいいでしょ!」ってのと同等の


公害です。







ハートブレイク。

2017年09月19日 | 日記
手短にいうと
失恋をした。

既婚者の私が失恋て
どだいおかしな話である。

けれど
本当なのだから仕方がない。

アンタはひとを殺しても
仕方がないというのかと
胸ぐらを掴まれたら
やっぱり仕方がないと
いってしまうかもしれない。

人生は予測がつかないから
面白いというけれど
おもしろがっているうちはいい。

仕方のないことに傷つき、
めそめそと涙を流し
のたうちまわるハメになったら
はよ終れ、この人生!と
車を運転しながら思うこともある。


とてもとても、かわいらしい人だった。

天使かと思った。

神さまからのごほうびだと思い、
素直にご相伴に与った。

そうしたら
その天使は、

ニコニコしながらすぐに
遠い彼方へ羽ばたいていった。

栄転である。

前々から行きたかった場所に移動になった。

この広い大地のどこを探しても
もう天使はいない。

ふたたび会えるような
約束はしなかった。

今の私と天使の間にあるとしたら
日一日遠のいていく時間だけ。

どんな顔をしていたのか
わからなくなるその日を楽しみにしている。