23.5センチの足跡 日本に帰ってきた

アメリカ留学→日本一時帰国→ウガンダでボランティア→日本で起業。そんな私の足跡を綴ります。

3月7日(ムヨンジョトウモロコシ!)

2010-03-09 17:13:12 | 日記
日曜日だけれど朝学校に出かけた。
畑から採れたてのトウモロコシを生徒が食べる姿を
見に行くためです。

トウモロコシ畑は4回に分けて種植えをしました。
最後に植えた部分は雨季を逃し、成長しきれませんでした。
そして3回目に植えた部分はしっかりと成長したのですが、
雨季が近づいているため乾燥しきれない恐れと
乾燥して次の種をする時は雨季が半分過ぎてしまうので
成長しきれない恐れがあるので、
3回目に植えた部分はトウモロコシのまま
食べることになったのです。
もちろん日本の黄色くて甘いトウモロコシとは
違い、形も大きさもばらばらで、
もさもさしていますが、自分たちで育てた
トウモロコシを口にすることが出来てみんな大喜び。
寮にいる生徒たちは一列に並び
トウモロコシを受け取る。そして最後は
奪い合い(笑)
なんとも嬉しい光景です。
校長も
「アフリカに来てトウモロコシを植えて
今そのトウモロコシを食べているなんて
信じられる?」と嬉しそうに私に聞く。
確かにウガンダに来る前こんな
経験をするとは考えてもいませんでした。
嬉しい限りです。

そんな時クロから電話がきた。
台湾は発展してるよ~と楽しそうに話をしてくれた。
良かった良かった。そして同時に帰国後もちょくちょく連絡を
とりあっているジェフからもメッセージが届く。
今日はメディカルスクールの面接だったという。
さらにタンザニアにいるシャーロットからもメッセージが
届いて来週ウガンダに帰ってくると連絡が来た。
みんな遠くにいてもこうやって電話やネットで
繋がっていられることに感謝ですね。

学校を出る前にたくさんのトウモロコシを袋に詰めてくれたので
帰り際にいつも通りかかって話をする人たちに
そのトウモロコシを配りながら帰った。

そのごネットカフェでしばらくアップデートをしていなかった
日記をアップデートし、またお昼校長と落ち合い
お昼を食べ、エフランスの卒業パーティーに行くため
エンテベに向かった。
途中路上で写真立てのプレゼントを買い、ラッピングまでしてもらう。

11時半から始めまるはずが、カンパラを出たのが4時近かった。
親戚や友達が何時間もスピーチし続けるだけだから
このくらいがちょうどいいはず、と余裕の校長。
着くとお昼ご飯は逃したけれど、みんながプレゼントを渡しているところで
確かにちょうど良かった。(笑)
にしても大きなパーティー。
テントやスピーカーを借りて司会者までいる。
音楽係がタイミングよくいろんな音楽を流す
盛大なパーティー。
ウガンダ人は貧しくてもパーティーは本当に盛大です。
私も少しスピーチをし、
エフランスの親戚や友達との会話を楽しんだ。
夕飯やビールも出してくれて
あ~お腹一杯。

盛りだくさんの一日でした。


3月6日(ムズング vs コンダクター)

2010-03-09 17:03:01 | 日記
今日は朝から1日中雨。
家にこもり溜まっていたペーパーワークを
終わらせた。UPAのインターネットを
使っていいと聞き、姉とスカイプで話した。
姉は4月の初めに友達とウガンダに来る予定です。
今から楽しみ、1週間で何ができるか考えています。
夜はUPAメンバーと市内のインディアンレストランに
行くことになっていた。
雨がまたぱらぱら降ってきたし、夜のカンパラは
渋滞がひどいのであまり乗り気ではなかった。
マタトゥを乗り換えるはずが
カンパラ行きのマタトゥが見当たらない。
ヤニスが雨の中、空のマタトゥを隣の通りから
捕まえ10人のムズングをレストランまで
連れて言ってくれるように交渉してくれた。
料金は2倍だけど雨の中歩くよりいい。

が、何故か乗客をどんどん入れるコンダクター。
しかも通るなといったメイン通りをいつものように通り
渋滞にはまる・・・。
話が違うじゃないかとヤニスが怒り始め、
もう1人のドイツ人の女の子も
かなり怒り暴言を吐いている。
「降ろせ!お金は払わないよ、ドアを開けろ!」
という二人にコンダクターは「お金を払え」
と口論が始まる。
交通整備をしていた警察まで巻き込む騒ぎ。
意味もない口喧嘩が始まり私はちょっと
二人にイラッとした。
こんなことしててもしょうがないし、もう9時近い。
どうせ警察は何もしないし、コンダクターは明らかに
アホなんだからとにかくこのマタトゥから
出ることが最優先でしょう。

このメイン通りまでは500シリング(20円相当)。
私はお金を渡し、ドアを開けるように言った。
他のメンバーも次々にお金を渡し
ドアは開いた。
は~~~、こう言った時はクロに戻ってきて欲しいです。

インド料理はおいしかったのでみんな少し
気持は落ち着いたよう。
私は先に帰るグループでボダボダに乗りゲストハウスに帰った。
初めてボダボダに乗った韓国人のジェイド。
怖がって私にしがみ付いていた。
私も最初はそうだったな~と
慣れきったアフリカの生活をふと振り返る瞬間でした(笑)


写真は前日の小学校のクラスの様子です。
日差しをよけて勉強している姿が
なんともかわいい。

3月5日(アメリカから届いた本)

2010-03-09 16:46:18 | 日記
午前中はチャールズの子どもたちが通う小学校で
英語を教える予定だったので隣町に出かけた。
学校に着くと3,4歳の子から14,5歳くらいの
子達が私を笑顔で迎えてくれた。
ムヨンジョとはまた随分違う雰囲気です。
今日は対義語の勉強。
対義語を並べてちょっとした問題文をだすけれど
8歳や9歳の子どもたちにはなかなか難しいみたい。
英語もあまり分からない生徒がたくさんいるので
現地の先生に手伝ってもらう。

休憩の時間になって先生たちの部屋に入ると
何故か私にだけコーラとローカルマフィンが出された。
他の先生たちはカサバやポレッジという
トウモロコシの粉の飲み物だったので
次からは私にもカサバとポレッジをお願いした。
歓迎してくれるのは嬉しいけど、
ムズングだからと言って特別に扱われたくない。
そして後半はちびっ子クラスも呼んでゲームをした。
まずはローカルの歌遊びをしてその後
だるまさんが転んだを教えた。
50人近くの子どもたちとだるまさんが転んだは
無理があったけど何度かやるうちに慣れてみんな
楽しめたよう。

他の先生よりちょっと先にお昼を食べさせてもらい私は
銀行と郵便局に向かった。
銀行の口座は再び開くことが出来たので
確認と振込みに行くと、すでに振込みの作業は
終わっていた。が、残高が合わない。
最初に私が入れた5000円相当が無くなっていた。
何故かと聞くと毎月1500円相当が月手数料で引かれているという。
そんなの聞いてない。
ジュリエットとこれは確かめないと。

少しイラっとしながら郵便局に向かった。
ここで受け取るのはなんとアメリカの友達から
寄付してもらった本!!
受け取ってから数箇所署名をしやっと郵便局を
出てそのまま学校に直行!!
届いたよ~~~
と校長や先生たちに渡し、早速箱を開く校長。
中には次から次へと新しい本がたくさん出てきた。
懐かしいアメリカの匂い。
エアーで送ってくれたので1万円近く送料がかかっていたことに
とても恐縮。
初めてアメリカから届く本の寄付に私も先生たちも
そして生徒たちも喜びは隠せません。
いろんなところで写真を撮り、本を本棚に並べた。
今ある本棚にはすでに入りきらないので新しい
鍵つきの本棚を作る予定です。

たくさんの方々にご協力を頂き、本当にありがとうございます。
私はウガンダに来て、人の役に立てていること、
そして何より周りの人々に支えてもらい、励ましを感じることが
本当に幸せです。
この幸せはどこに行っても何をしてても
忘れないようにしたいです。
そして自分の人生に感謝の気持を常に持つことも
学びつつあります。


3月4日(Invictus)

2010-03-09 16:11:22 | 日記
朝一番に起きるクロの姿はない。
とても憂鬱な気分になったけど
溜まっていた洗濯物と
部屋の掃除をして気分を入れ替えた。
午後から学校に行くと、
Ishida先生が帰ってきた~と生徒が
笑顔で迎えてくれた。
オフィスに入るとびっくり、段バールいっぱいに
詰まった本が積み上げられていた。
「いいニュースだ。あるNGOが200冊の本を
寄付してくれた。」
という。中古の教科書やら小説がたくさん詰まっていた。
ムヨンジョ学校にあるの20冊の本は
一気に10倍になった。

授業を終え、今日はUPAのメンバーで
映画を見ることになっていたので
みんなと市内で落ち合った。
1回イベントでドイツ映画を見たけれど
こうやってお金を払って映画館で映画を見るのは
半年以上ぶり。
見た映画は
「Invictus」
南アフリカの独立後大統領となった
ネルソン・マンデラの話です。
彼は白人と黒人の平等を訴え25年間刑務所暮らしを
した後、1994年にイギリス領から独立した
南アフリカの大統領を5年間務めた人。
独立直後、白人と黒人の仲はもちろん悪状況。
そんな状況を南アフリカのラグビーチームを
応援し、白人と黒人の平等を和を築き上げた
実話の映画です。

この映画はかなりお勧めです。
アフリカにいるからもっと親近感が沸くのも
あると思います。そして何よりマンデラの人柄の良さと
国をひとつにするため周りになんと言われようと
白人と黒人を同じ場所に集めることに恐れを持たない
彼の精神にとても感動しました。
白人と黒人の歴史を知り、討論しあうだけでは何も解決はしない。
結局はみな同じ人間です。
同じものを共有し、同じものに感動や喜びを抱くことで
二つのグループは和を持つ。
スポーツや音楽はそういった面でとても大切な役割を果たすと思います。

それはアフリカにきて特にそう感じました。
サッカーを一緒に観戦したり、
同じ音楽を聴いて踊ればなんとなくあった壁は
なくなるんです。

キャスティンと
とても元気付けられたよねとかなり
満足な気分で映画館を後にしました。
クロやボビーが帰った後も他のメンバーと
もっともっといい思い出をつくっていこうと思います。


3月3日(クロ台湾へ帰国)

2010-03-07 19:13:52 | 日記
とうとうクロが帰る日がやってきた。
時間は止まることなく流れるんですね。
チャールズ社長が車を出してくれ、
校長とUPAメンバーのキャスティンが一緒に空港で
見送ることになった。
クロが発つことはあまりにも寂しすぎるから
ずっと考えずにいた。
というよりもこの6ヶ月毎日一緒に時間を過ごした
人がいなくなるのが信じられなかった。
そして彼は唯一私がウガンダに来たときから
このゲストハウスに住んでいたメンバー。
これで私が一番古株です。

最後の最後まで冗談を言いながら
笑っていたけど、さよならを言う瞬間が来たとき
涙が止まらなかった。
するとあのクロも涙をぼろぼろと流し始めた。
風邪を引いてもマラリアになっても決して
人に言わず、弱さを見せなかったクロが
泣いているのを見て、少し驚いた。
彼もたくさんいい思い出をつくれた証拠ですね。
今までの思い出と感謝を込めて
泣きながらハグを交わし、今年中にまた
会う事を約束しました。
台湾なら週末にでも旅行に行けます。
彼が見えなくなって、車に戻ってからも
私は涙が止まらなかった。
キャスティンもクロのことを1ヶ月しか知らなかったけど
涙していました。

クロは本当にみんなから好かれる
UPAのメンバーの中でも中心的な存在でした。
よく食べよく寝てよく運動をし、みんなから
マシーンだと言われていました。
本当に親切で、ヒューモアがあり、
常識をしっかりわきまえて空気の読める
素敵な人でした。
台湾にいる彼女に毎日手紙を書くまめで
誠実なところも私はとても尊敬しています。

台湾での忙しい暮らしの中で人生の意味だとか
価値観が見えにくくなり、仕事を一旦辞め、
ウガンダに来た彼。
彼は答えを見つけたよ、と帰る前に話してくれた。
28歳の彼の人生の話を聞き、
私も28歳になったとき彼のように
しっかり物事を考え判断をし、人のことを考えられる
人になりたいと思います。

日本語が少し分かる彼を「お兄ちゃん」と呼んだとき
「いもうちゃん!」と応えた彼に
爆笑した時から
本当の兄妹のようにウガンダ生活を共にしました。
お互いほぼ何を考えているか理解し合え、
そういった存在がどれだけ大切だったか
同じ事を最後に交換した手紙で書いていました。

いつも彼が座っていたリビングの椅子に
クロがいないのを見るのが今はまだ辛いです。

さよならはいつも辛いですね。

そして次に空港に向かうときは私が見送られるときでしょう。