エヌのブログ - 永田町激動記 & 東日本大震災記録

2011.8.30新首相誕生に伴い、≪エヌのブログ - 東日本大震災記録≫を、( ↑上記↑ )に改題

初代内閣安全保障室長・佐々淳行氏、菅首相を語る

2011-07-10 20:00:21 | 菅_偽パフォーマンス
阿比留氏のブログ 2011/07/01 08:54 より転載
菅直人は市川房枝に嫌われていた : 阿比留 瑠比

(略)

さて、30日朝の産経紙面でも少し触れましたが、29日に初代内閣安全保障室長の佐々淳行氏から、この菅首相に関するエピソードを少し聞いたので紹介します。(参照、私のエントリ「菅首相の『原点』と市川房枝氏の指摘について」http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2308138/

それによると、佐々氏は警視庁警備一課長当時、菅首相の母校である東京工業大学の加藤六美学長の要請で、学生だった菅氏を捜査していたそうです。加藤学長は、アジ演説がうまく、学生たちを煽っては不埒な行動をそそのかす菅氏に困り果て、相談してきたとのことでした。

ところが、「第4列の男」と呼ばれた菅氏は逃げ足が速く、結局逃げられたといいます。この「第4列」の男についての解説は、今度、総務政務官に就任した浜田和幸氏が昨年11月の参院本会議で以下のように述べています。こんな人の部下になりたがるなんて、浜田氏も不思議な人物です。

《思えば、東工大の学生のころ、菅総理は学生運動のリーダーでした。小生も国際反戦デーのデモに参加したものです。その当時、菅総理は四列目の男と呼ばれていましたね。デモ隊の四列目にいれば、機動隊とぶつかっても捕まる可能性は少ないから。留年までして学生運動の指導者であり続けていながら、あなたはいつでも逃げることを考えていたようでした。》

そういうわけで、佐々氏は菅氏の学生時代から、顔と名前を知っていたそうですが、奇妙な縁があったのか、この二人は再び接点を持ちます。菅氏がその後、婦人運動家の市川房枝元参院議員に近づいて踏み台にしていく話は有名ですが、佐々氏の実姉の紀平悌子氏が当時、市川氏の秘書を務めていたのです。

紀平氏は当初、菅氏のことを佐々氏に「いい青年が来た」と語っていたそうですが、その見方はすぐに覆ります。あるとき、佐々氏が姉の紀平氏に、「市川さんは菅氏のことを評価しているの?」と聞くと、紀平氏はこう答えました。

「何を言っているの!市川さんは『菅はよくない』と怒っているわ」

その後、衆院議員となった菅氏は、政治家のパーティーの場などで佐々氏を見つけると、佐々氏が東工大時代の菅氏の件や、姉のことを言い出す前に、一方的に「いやあ、紀平さんと私は本当に仲がよくて」だとか「いつも佐々さんには大変お世話になって」だとかしゃべりまくり、言葉をはさませないのだそうです。佐々氏はこう語りました。

市川さんは菅氏に利用するだけ利用されて、いま生きておられたら本当に不愉快だろうと思う。菅氏は昔は『第4列の男』だったが、今では私は『4番目の男』と呼んでいる。

東電の清水社長、海江田経産相、岡田幹事長に問題はみんな押し付け、自分は矢面に立たずに逃げている。でも、菅氏が開き直って市民ゲリラを国会と官邸のど真ん中で始めちゃったので、セオリー重視の自民党の谷垣総裁にはなかなか対抗できないだろうなあ…」

なんだかなあ…。どうしたものかなあ。



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