エヌのブログ - 永田町激動記 & 東日本大震災記録

2011.8.30新首相誕生に伴い、≪エヌのブログ - 東日本大震災記録≫を、( ↑上記↑ )に改題

「複合汚染」の著者、有吉佐和子氏も菅直人を警戒していた

2011-06-12 03:17:23 | 菅_偽パフォーマンス
Kazumoto Iguchi's blog 2011年04月06日
菅直人研究:「菅君には気をつけろ!」その意味は「権力の犬」だとか!?


まず、政治家の菅直人と言えば、いつも出て来るのが、故市川房枝氏との関係についてである。市民派インテリ女性国会議員の市川房枝氏の薫陶を菅直人が受けて、国会議員の道に進んだ、という菅直人(自称の)伝説である。これについては、以下のものがある。

まあ、これは長いので自分で読んでもらうとして、その中に「複合汚染」で有名な有吉佐和子氏の書いたものが引用されている。以下のものである。

  有吉佐和子著「複合汚染」新潮文庫 平成14年5月5日 第49刷改版

   ☆   ☆   ☆   ☆

(P25)市川房枝を無理やり引っ張り出した青年グループというのは当時マスコミに喧伝されていた。数寄屋橋の袂に仮設した演壇の上で、彼らのリーダーが演説している。

「僕らがですね、再三再四、市川さんの出馬を要請しても、市川さんは紀平悌子という後つぎもできたことでもあるし、自分も齢だからといって頑として辞退し続けたんです。ところが今年の正月に僕たち市民運動の会で餅つきをしたんです。市川さんも杵を振り上げてペッタンコペッタンコと餅つきをしたんです。それで僕たちは先生があんまり上手に餅をついたんで驚いて、こんなに元気なら引退することはないじゃないかって考えたんです。そして僕たちは市川房枝を勝手に推薦する会というのを作りました。ハンコは僕たちで勝手に作って届けようって相談していました」

雨がぽつぽつ落ち続けていて、傘を開いて立っている人たちが多くなった。市川先生と紀平悌子さんは並んで仲良く演説者の隣の台の上に立っていたが、二人とも傘をさしていないので、私も濡れながら立っていた。

吉武(輝子)さんが、また私の耳に笑いながら囁いてきた。

「いましゃべっている男の子はさんっていうんだけど、市川房枝がどうしても駄目だったら有吉佐和子を勝手に立候補させようって言っていたのよ」

「冗談でしょう」

「いえ、本気ですよ、彼らは」

(P26)私は背筋がぞうっとした。それが本当なら危いところだった。それまで私は新聞で青年グループの存在を知り、親愛の情を寄せていたが、これは気をつけなくてはいけない。彼らに好かれたら私の作家生活が危うくなる。吉武さんのおかげで、私は彼らに対する基本姿勢というものが出来た。私は彼らから嫌われる存在にならなければならない。そう思いきめた。

(P60)「ちょっと見せて頂だい」

今夜は九州板付に降りて福岡で一泊。明日の夕刻に沖縄着。その翌日は名古屋に戻って、それから、京都、大阪。土曜と日曜は東京へ帰って、それから北海道。翌日は仙台から郡山へ行く。また東京へ帰って、二日後には長野県・・・・・・。

「冗談じゃありませんよ、こんなハードスケジュール。私の年でも寝込んでしまうわ。あなたたちは先生を・・・・・・」

殺す気かという言葉が喉まで出た来たのを私は呑み下した。青年グループ。彼らは若さにまかせて、市川先生の年齢をわすれ、候補者の健康保持を忘れて、暴走している。

(P61)どうしてこんなおばさんに毎度ガミガミ言われなければならないのかと、青年代表はうんざりした顔つきで、はい、はい、と頷いている。逆らったらいよいよ大変なことになるだろうと思っているのに違いない。気の毒にも思ったが、この若者にはどうしても嫌われたいのだ、私は。

(P72)私は市川房枝を担ぎ上げた青年グループが、たとえば市川先生のこれまでに書かれた伝記の類にも目を通したことがないらしいと知って、改めて驚いた。市川房枝の戦前の婦人運動における功績について、彼らはほとんど無知だったようだ。

(P107)この豪雨の中に、市川房枝を立たせていたのか。八十一歳になる高齢者を! 怒りと心配で、私は身体が震えていた。やっぱり行くべきだった、難波駅頭へ。私が行っていたら、こんな無茶なことは決してさせていない。全国横断のスケジュールといい、青年グループのやることは乱暴で、全く目が離せない。

   ☆   ☆   ☆   ☆

菅氏は1976年12月5日の衆議院選挙の際、東京都第7区から無所属候補として立候補した。このときは立候補をしてから私(市川房枝氏)の応援を求めて来た。そのとき推薦応援はしなかったが、50万円のカンパと秘書(市川氏の)らが手伝えるように配慮し、「自力で闘いなさい」といった。「ところが選挙が始まると、私の名前をいたる所で使い、私の選挙の際カンパをくれた人たちの名簿を持っていたらしく、その人達にカンパや選挙運動への協力を要請強要したらしく、私が主張し、実践してきた理想選挙と大分異なっていた。」(「復刻 私の国会報告」)

この市川房枝氏が、生前

   「菅だけは許せない」
   「菅君には気をつけなさい」

と言っていたというのは実に有名らしい。


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