プルサーマル計画を憂慮する有志の会

愛媛県伊方発電所3号機におけるプルサーマル発電の問題を考える有志の会です。

原発安全性のクリア

2011年06月30日 | 日記
 佐賀県の古川知事、言いたくて言いたくて堪らなかった運転再開、海江田大臣の「印籠」の威を借りて、玄海原発の再開を容認しました。ちなみに、お二人の遣り取りは、海江田さん「危険のない所は政治判断で動かす」、「玄海2,3号機の安全性は国が責任を持つ」、それに対して古川さん「疑問に思ってきた点は解消された」、「安全性の確認はクリアできた」・・・これでは猿芝居ではないでしょうか?どこにも説明などなく、根拠も示さず、それでもって、疑問解消、安全確認とは・・・

 古川さんの場合、最初から運転再開と顔に書いていましたが、未だ「白紙」だと豪語している愛媛県中村知事は、6月定例県議会の一般質問で、「当面は安全対策を徹底しながら、原子力発電を利用せざるを得ない」とまで答弁していますから、「白紙」どころかもう既に「真っ赤」(嘘色)に染まっているではありませんか。伊方原発3号機は、MOX燃料を装荷し終わり、後は真っ赤な「白紙」を白紙撤回するだけの秒読み段階です・・・

P.S. 汚染浄化システムで漏水、停止、原子炉に水を戻す配管でも漏水、循環注水冷却システム停止、塩分除去装置のタンクでも漏水、別の配管からも漏水・・・しかも、「1~4号機などに溜まった高濃度の放射能汚染水が28日現在で約12万1千トン」、「5月末時点から1万6千トン増えた」(『朝日新聞』)そうです。濃縮された放射性廃棄物の問題も加算されていますから、残念ながら事態は悪化したと判断しても良いのでしょうねえ・・・

P.S.2 橋下さんがまたも「口先暴力」を振るわれました。「電力は足りているのに危ないと言う電力会社にだまされてはだめ。まるで霊感商法だ」そうですが、当の関電八木社長は、「原子力発電所が動けば、節電をお願いする必要はなくなる。ただ、原発が動かないということで節電を要請したので、現時点で15%を見直す考えはない」とか。別に15%節電は見直す必要はありませんが、社長さんの文章と思考が支離滅裂のように感じるのは私だけでしょうか?(これは「見直す」必要があるようです)「すべてのお客様に15%を求めていない」とか、どうも「公共性」ないところ、つまり一般の住民は、電力は足りているが、原発が動かないなら節電をしろ!、ということらしいです。これでは、橋下さんでなくても、「詐欺商法」だと言いたくもなるというものです・・・

P.S.3 古川知事は、「クリア」の為に3つの条件を出していたとか。今回の事故を受けた上でので原発の安全性とは、①圧力容器上からの燃料プールの分離、②原子炉の分散(敷地内1原子炉、一県1原子炉)③老朽炉廃炉(地震による配管破損の危険性回避)といった少なくともこうした条件がクリアされなければ、まともな安全確認とは言えないと思います・・・あと、MOXはとんでもなく危険です、NO MOXを4番目の条件にして頂きたいものです・・・

株主総会の行方

2011年06月29日 | 日記
 28日には、東京電力、中部電力、鳩首電力、北陸電力、Jパワー(電源開発)の株主総会が開かれました。確かに、これまでにない注目度と脱原発の動きは見られましたが、電力会社の大勢は原発維持のようです。

 東京電力や九州電力の株主総会には、「古い原子力発電所から順に停止・廃炉とする。原子力発電所の新設・増設は行わない」(引用は、『朝日新聞』)との株主提案がありましたが、東電では賛成8%(反対89%)、九電5%で否決されました。「東電は、銀行や生命保険会社などの大株主から・・・反対票をとりつけていた」、いわゆる委任状でもって乗り切ったようです。物言わぬ株主ではなく、はっきりと原発維持を株主は主張しているのです。

注目の東電の役員人事は、刑事責任どころか、民事上の責任すら問われないまま(今後行われる可能性はありますが)、殆どの役員が居残るもので、これでは被害者への賠償も自分たちの責任ではないと居座る可能性が高いかと思われます。何も変わらない、変わりたくないと電力会社も株主も考えているように感じます・・・

P.S. 九州電力の「真部利応社長が節電に数値目標を設けない方針を明らかにした」、「これまで・・・最大15%節電を求める方針を示していたが、火力発電の燃料調達にめどがついた」、「節電の数値目標を引っ込めたことで、再稼働できないと電力不足になるという九電の主張は説得力を失った形」で、九電の玄海原発2,3号機を無理やり運転再開する根拠はないということになりますが・・・

P.S.2 また「故障で停止している関西電力の舞鶴火力発電所1号機が、7月中にも運転再開できる見込みになった」、「原発1基分に匹敵する出力90万kW」、「稼働すれば・・・ピーク時の不足は110万kWに縮小する」、「さらに自家発電業者からの購入増などで上積みの予定で、実施に必要な節電幅は大きく縮小しそう」、「ただ、関電は・・・当面は15%の要請幅を変えない方針」とのことです。いずれにしても、原発なしで、この夏を乗り切ることはできそうです。その上で、原発をどうするのか、電力会社及び、政府、株主に、電力供給を受ける多くの「利用者」もともに、真剣に考えていくことが大切だと思います・・・

「循環注水冷却」の意味

2011年06月28日 | 日記
 浄化システムと注水システムが繋がりましたが、浄化システムも注水システムもトラブル続きですぐに停止してしまいます。各国の技術の寄せ集めではあるし、容易に作業が可能な環境ではありませんから、致し方がないのかもしれません。ただ現実を直視すると、この「循環注水冷却システム」は、「循環」していないことと、「冷却」できていないことが最大の問題かもしれません・・・

 この「循環注水冷却システム」は、「建屋地下に漏れ出した汚染水を一定量ためておくのを前提とする冷却法」(以下、引用は『朝日新聞』)、「(さらにその)地下に漏れているかが確かめられておらず、それを食い止める手だてもない」、できるのは「周囲の井戸を監視するくらい」、「また、汚染水を浄化して循環させても、汚染原因となる放射性物質自体が減るわけではない」、「水は浄化されるが後に濃縮された放射性廃棄物が残る」、「廃棄物は当面、集中廃棄物処理施設の地下にある貯留槽や、新たに設置するタンクなどで保管することになるが、最終的な処理方法はまだ決まっていない」、「法的な扱いも決まっていない」のです。

まさに放射性物質の詰まった「パンドラの箱」に穴を開けてしまったのです。しかも、そこには「希望」はありません。圧力容器、格納容器、配管に「穴」がある限り、永遠に「循環」は達成できません。勿論汚染水は地下へと漏出していることでしょう。そして海へ・・・注水した水も、本当に溶融デブリの塊に掛かっているのか、それさえ分かりません。掛かっていても、焼け石に水どころか、その水が汚染水として溜まり続けるのです。漏れて溜まることが前提の「循環」システムを、「循環」していると呼ぶのか、それすら分からなくなってきます。それでも、少しは冷えてくれていれば良いのですが、溶融デブリを冷却できるとは、正直考えられません。このシステムは、まさに汚染水と放射性廃棄物を生み出す為にこそ存在しているようなものです。ただ、それしか手立てが他にないというのです。世界中の科学の粋を集めても、これが事故を超した原発の、現在最高の「循環注水冷却システム」なのです。

これで原発を未だに続けようということの意味が、私には分かりません。まだ続けられると考える人間の、愚かさでしょうか。愚かさだけなら私も負けてはいませんが、やはり原発は必要だとは思えません。勿論、原発以外の電力でも私にとっては同じことです。私たちの中に「利」を求める心がある限り、何処かに、誰かに犠牲と苦しみを生み出してしまうのです。太陽光であろうが、風力であろうが、差別(しゃべつ)はないのです。この世界の「利」のシステムがある限り、私たちに我欲がある限り、パンドラに開いた穴から漏れ続ける毒物から、私たちが解放されることはないのです・・・

P.S. 菅総理の人事(改造?)、これは一体何の為の人事なのでしょうか、何の意味があるのでしょうか?最早異様としか言い得ない状況です。彼には、物事を進める為に説明をし、理解を得る為に努力するという姿勢が見られません。一国の首相ならば、その為にこそ汗をかき、血を流すべきです。それこそ、この国の為に、被災地の為に・・・


原発安全宣言の怪

2011年06月27日 | 日記
 安全協定締結を求める自治体の動きは、さらに広域連合としてのまとまりを見せ始めています。「2府5県でつくる関西広域連合は、・・・西日本で原発事故が起きれば、近畿圏も広範囲で被害を受ける恐れがあることを踏まえ、原発の安全性や情報入手に一定の影響を持つべきだとの考えで一致した」(『朝日新聞』)そうです。

ただし彼等も、本気で国策に対峙して県民・府民の生命と財産を原発事故から守ろうなどと考えているわけではないと思います。世論が「嫌原発」の体勢となってきたことから、いくらなんでもこのまま原発推進、運転再開では県民・府民の理解を得られない(得るつもりなど本当はないのですが、形だけでも整えて反対を封じたい)からなのです。できることなら、すんなり運転再開をして、電力供給を安定的にし、原発はやっぱり必要だし、経済のためには電力はなくてはならないということにして、これまでの経済活動を維持し、それに纏(まつ)わる政治的な柵(しがらみ)、つまり「利」のシステム(利権構造)を後生大事にしておきたいのです。

形としては、「安全性」を楯に拳を大上段に振り上げてはいますが、早く再開できるように国がちゃんと方針と方策を決めて、道筋を作ってくださいよと、エールを送っているに過ぎないように思われます。勿論、フクシマのようなシビア・アクシデントが一たび起こったら堪ったものではないと、それこそ真剣に考えてはいるでしょうが、県民・府民のことは、ひとかけらぐらいしか頭にはないのではないでしょうか。

 自治体も実は再開したいのに再開できない、それぐらい、政府の「安全宣言」は薄っぺらく、根拠がないのです。指示した津波対策と水素ガス排出のマニュアル作成だけで、「はい安全です」では、悪い冗談でしょ、と自治体の方も言いたくもなるかと推察します。それでも、立場の弱い自治体から、その切り崩しは始まっており、相も変らぬ札束攻撃とお上の「印籠」でもって、早くも炎上してしまっているのが玄海原発のある玄海町と町議会で、滋賀県は最早風前の灯というところのようです。佐賀県知事の古川知事は、保安院の住民説明会を「中身のある議論」だとか・・・。プルサーマル計画を国内初で受け入れた滋賀県、どうもお上には逆らえないようです。それにしても、住民7人とは肝の小さいことで。しかしこれまでは、住民説明会が開かれた時点で、住民側が負けていたというのが現実、今回は巻き返すことができるでしょうか・・・(決して他人事ではありません。プルサーマルを2番目に受け入れた愛媛県も、あと少しお金でも積まれたら、陥落してしまうかもしれません・・・)

P.S. 「バンキシャ」で、(中部電力の取材でしたが)津波対策として、非常用ディーゼル発電機やバックアップの可搬式ポンプを屋上へ移動させたのは良いのですが、野晒し、日晒しだとか。台風(の風雨)対策は考えていないのか、或いは竜巻や落雷はどうなのかとの疑問が出ていました。ポンプもほんとに小型の物で、「これに命を託すのですか」と元東芝職員の後藤政志氏。氏はまた、「制御棒システムのどこがやられても大変なことになる」と述べられていましたが、いつでも安全に止められると過信しているなら、また同じ轍を踏むことになります。

また基準地震動に関しても、想定の倍、1000ガルでもって十分とし、東電はじめ他の電力会社は(四国電力も)「安全」としていますが、そのような保証はどこにもないのです。中越沖地震では4、000ガルを観測、たまたま地震による大きな損傷はなかったものの、同じ僥倖が再び訪れることは1億分の1の確率でしょう。1000ガルで安全が確保できるという論理なら、フクシマでまさしくシビア・アクシデントなど起きるはずもなかったのです。4000ガルが観測されたのならば、柏崎・刈羽原発だけでなく、(地盤や断層に違いはあれど)他の原発でも、最低これに耐え得る耐震性を持っていなければ原発の運転はできないというのが、何処にでも当てはまるべき「安全基準」というもののように思います。今のままの付け焼刃的な対策で安全と言うのならば、まさに「原発安全宣言の怪」そのものであって、このような状況の中で三度「原発戦争」に突入するのかと思うと、ほんとうに背筋が凍り付きそうです・・・

P.S.2 浜岡原発に関しては、ただ一時的に止まっているだけで、それでもって他の原発より、より安全などと言える状況ではありません。これに対して、浜岡原発の運転そのものの是非を問う裁判が準備されているそうです。原告には、静岡県湖西市の市長も名を連ねているとか。原発は悪で止めればそれで良いなどと私は思ってはいませんし、彼等もそうだと思いますが、こうした訴訟という暴力も、風穴を開ける為には必要なのかもしれません・・・(ただ、これまで風穴を開けられ続けてきたのは、原告、国民の方だけでした。やはり暴力の大きさと質が違いますか・・・)

P.S.3 福島第1原発3号機の「使用済燃料プールにホウ酸を注入し始めた」、「燃料集合体を固定しているアルミ製の入れ物の腐食を防ぐため」、「3号機のプールには・・・建屋爆発の際に入った大量のコンクリートがれきが溶け・・・プールの水はアルカリ性に」、「このまま長期間経過すると、アルミが腐食して燃料集合体が倒れる恐れがあることから、ホウ酸で中和させる」、「燃料集合体が束になって倒れるということがあれば、最悪の場合、再臨界の可能性がある」そうです。私たちの知らない「危険」は、原発にはまだまだ沢山ありそうです・・・

リラッキングの愚

2011年06月26日 | 日記
 これまで国は、使用済燃料の「再処理」を国是とし、六か所村の再処理工場で再処理をする予定でしたが、その再処理工場が止まったまま(低レベルから高レベルまで核廃棄物が増加しますので止まったままの方が良いのですが)、現在各原発の燃料プールには、使用済燃料が溜まり続けています。その「窮余の策として各電力会社が取り組み始めているのが『リラッキング』という方式」(以下、引用は『朝日新聞』)ですが、伊方原発でも既に行われていますし、もう既に殆どの原発で行われていると思います。(これまで29基がリラッキングを実施)

「使用済燃料は通常、プールの中で、ラックという格子状の容器に入れて、一定の間隔を置いて並べている」、「リラッキングは、ラックを置き換えることでこの間隔を詰めて、よりたくさんの燃料を並べるというもの」で(伊方で実施する際には、2倍置けるようになるとの報道がありました)、これはどう考えても危険であることは否めません。同じプールに倍の燃料を入れるのです。水の量は同じですが、逆に発熱量は増え、冷却がより困難になります。

 さらに、「リラックングをすると当然、燃料が過密になり、再び核分裂が起きたり熱が高まったりする恐れがある」、「このためラックの材質に、核分裂を起こす中性子を吸収するホウ素を添加することで危険性を緩和」してはいますが、「燃料体同士は設計時より密集しているので、過酷事故時に損傷して臨界反応が起こる可能性が計算上は高まる」ということです。プールを大きくできないから、ラックの間隔を狭くして、つまり危険性を増大させ、それの辻褄合わせでホウ素を入れる、これでプラスマイナス危険性はゼロと考えるのが電力会社と国の「想定」です。

こうした「想定」が耐震、耐津波、耐老朽化等あらゆる項目に渡ってなされれば、危険性が無限大(相乗的)に高まり、過酷事故が発生するのは時間の問題だった、またどの原発でも起こりうるという「人災事故」だということが分かります。リラッキングなどもってのほか、事故を起こす要因となるばかりか、一旦事故となれば、その「愚」による事故の悪化、拡大が避けられないのです。こうした「愚」を挙げれば、枚挙に暇がないくらいです。

そもそも、原子炉の頭の上に、「使用済燃料プール」があること自体が大問題です。また、「使用済燃料プール」に、新品の燃料、定期検査中の使用途中の燃料、使用済燃料があることも大きな問題です。発熱量が違いますし、使用によって含まれるプルトニウム等の放射性物質等の種類や量も違ってきます。(定期検査で燃料を抜く時、圧力容器の上部にも水を満たして、プールと繋いで、水中で燃料棒を移動させるそうですが)、基本的に、原子炉の頭上のプールに置いて良いのは、定期検査の時に抜く使用途中の燃料棒だけにすべきです。

新品の燃料、使用済の燃料はそれぞれ別の施設で厳重に保管されるべきものです。MOX燃料に関しては、さらに厳重な管理必要です。と言いますか、これも本来、ウラン燃料とプルトニウムを一緒に燃やす設計となっていないのです。品質、材質、危険性の違うものを混ぜておいて、一元管理できるわけがありません。危険を自ら呼び込んでいるようなものです。

一旦事故が起きれば、(いえフクシマでは起きたのです)、MOX燃料からはプルトニウムが放出されてしまっています。現在も尚、1,2,4号基の燃料プールは安定的な状態には至っていません。つまり、高温のプールからは少なからず(希ガスや揮発し易いヨウ素やセシウム等の)放射性物質が蒸発しているのです。よく考えなくても、プール自体にも格納容器が必要だと分かります。その格納容器にも放射性物質を除去するフィルターやベント装置が必要であることも自明でしょう。ちなみに、福島第1原発もリラッキングを行っています。その使用済燃料の総数は、10,921本です。この数だけでも、私のような臆病者を震撼とさせるには十分です。使用済燃料の置き場がないからリラッキングを実施したのですが、使用済燃料の置き場がないなら、原発の運転を止める、或いはやめるのが本当ではないのでしょうか・・・

P.S. 浄化装置が本格稼働から5時間後に止まったトラブル、実は1時間半後に既に止まっていた、しかも、国が把握するまで1週間ほど掛かったとか。また、1,3号機の水素爆発についても、「東京電力が爆発の予兆のデータを事前に掴んでいながら、経済産業省原子力安全・保安院や自治体の法令に基づく通報をしていなかった」、さらに、「1号機の原子力圧力容器への海水注入については、3月12日午後8時20分に注入を開始したと、事実に反する内容を保安院に報告していた」そうです。

嘘つき東電の幹部はやはり逮捕すべきです。(ましてや、株主総会での再任などあり得ません)幹部を一掃して、新たな体制で(一時国有化して)、原発事故の対応、被曝管理、賠償問題への対応を行っていくべきです。それにしても、事故以前にも嘘ばかりついてきた東電の言うことを鵜呑みにして「嘘報告」をプロパガンダしてきた政府は、もっと責任が重いと言えますが、未だに誰一人責任を取ろうという姿勢はありません。それどころか、自らの弁護に終始し、保身に執着するばかりです。国民を道ずれに、地獄の果てまで落ちて行こうというのでしょうか・・・

EPZの抜本的見直しを

2011年06月25日 | 日記
 原発立地自治体の周辺の自治体に、福島第1原発事故後、原発を運転・営業する電力会社と「原子力安全協定を求める動きが相次いでいる」(以下、引用は『朝日新聞』)そうです。協定の「内容はさまざまで、福井県と立地市町の協定は運転停止を求める権限を持つと明記し、原発停止後に事業者が無断で再稼働することも禁じ」ています。

ちなみに愛媛県と伊方町が四国電力と結んでいる「安全協定」には、「資料の提出及び立入調査権」(第12条)や、「前条第1項の規定による資料の提出又は立入調査の結果、発電所周辺の安全確保及び環境保全のため必要があると認めるときは、丙に対し、原子炉の停止、出力制限その他の適切な措置を講ずることを求めることができる」(第13条)という措置要求権等が定められてはいますが、こうした権限が形ばかりで、実質的には決して抜かれることのない「伝家の宝刀」となってきました。実際、県は国策に盲従し、立地自治体は補助金や寄付金、雇用等で、電力会社には頭が上がらない状況がありました。

ただし、(事故前からもありはしましたが)事故後の、原発周辺の自治体の動きは、非常に切迫した、真に住民の安全と生命を担保しようという姿勢が見られます。具体的には、「中部電力浜岡原発の30キロ圏内に入る静岡県の4市は、・・・協定締結を求めた」、「関西電力高浜、大飯原発の20キロ圏にかかる京都府は・・・EPZを半径20キロに広げる暫定的な地域防災計画を独自に作成」、「前26市町村の連名で、20キロ圏内の5市町と(京都)府が、福井県の立地自治体並みの協定を結ぶよう関電に要請」しており、他にも同様の動きは広がりつつあります。

しかし、「全国7つの原発近くにある2府県38市町村が、原子力安全協定を電力事業者に要請しているが、締結に至った例はまだない」のが実態で、「運転に際して意見を聞かねばならない自治体の増加は、事業者に何のメリットもない」ということで、協定締結を渋ってきた経緯があります。これは、「国の原子力安全委員会が『防災対策を重点的に充実すべき範囲(EPZ)』の目安を原発の半径8~10キロとして」きたことの弊害であり、それを楯に電力会社は協定から逃れてきました。

実際、島根原発から「約17~23キロ離れた鳥取県境港市と米子市は、福島原発の事故前から再三、中国電力に協定締結を求めてきたが、『EPZの範囲外』として拒否されて」います。これは、国が「防災計画を作る都道府県にはこの数値を『十分尊重』するよう求めてきた」ことが最大のネックとなってきたのです。今回のフクシマの事故を見ても、「半径8~10キロ」が如何に根拠のない数字だったかは明らかです。放射性物質の飛散の状況を見ても、少なくても飯舘村や浪江町の50キロ圏外、しかも単に半径といった単純な線引きでは済まされない被害の状況があります。

 私自身の感想は、最低でも100キロ圏内は深刻な放射能汚染、その被害が及ぶ地域だと思いますが、防災上避難訓練も行わなければなりませんから、60キロ圏内をEPZの範囲として指定するよう見直しを行うべきだと思います。これは、「もんじゅ裁判高裁判決」にて、「控訴人ら(第1審原告ら)が本件原子炉施設からの距離が約11キロメートルから約58キロメートルの範囲に居住する住民である」、「控訴人らが本件許可処分の無効確認を求める法律上の利益を有することについては,本件を福井地方裁判所に差し戻した最高裁判所の判決により確定している」として、原告適格を認めた最高裁判決を根拠にしています。

 国は、「EPZの再検討も含む防災指針などの抜本的な見直し作業を始めている」そうですが、今回の事故を教訓にした、EPZの指定とそれに基づいた安全協定の締結が望まれます。自治体が住民の生命と財産を守ろうという姿勢がを示すことが、電力会社への厳しい目となり、国への強いメッセージとなることと思います・・・

P.S. 原発事故による避難民の方々への聞き取り調査で、「(原発利用に)賛成26%、反対70%」、「(今回の事故は防げたかに対して、)防げた46%、防げなかった28%」だったそうです。原発の安全性を信じていた方も多く、事故によって、経済的な恩恵は認めても(「役立っていたと思う人、75%」)、原発を利用したくないという思いが強くなったことが分かります。避難という極めて過酷な状況に置かれている避難民の方々の切実な声だと思います。その声を、大きな流れにできないだろうかと私などは思うのですが、それは同時に、その依存してきた電力会社からの雇用や固定資産税、寄付金、さらには国からの補助金といった「利」から如何に離れることができるのか、という切実な問題と向き合うことにもなるのです・・・

「もんじゅ」 いつまで存続?

2011年06月24日 | 日記
 これまでに何度も、「もんじゅ」の無用さについては書かせて頂きました。ナトリウム漏れ事故、情報隠蔽や事故後の点検漏れ、再開まで15年を要し、再開するやすぐトラブルで停止、現在は原子炉内に落ちた装置の引き抜きに手間取っている状況で、昨日その作業が行われたとか。これまで「もんじゅ」の開発に約2兆円、さらに実働させるまでに掛かった費用は9千億円を超え、一日の維持費も毎日5、500万円必要です。

国内(六ヶ所村)での再処理もトラブル続きで上手くいかず、使用済核燃料からプルトニウムを取り出し、それを再利用する核燃料サイクルは一部プルサーマル計画として生き残ってはいますが、今回の福島第1原発事故で、そのプルサーマル計画に使ったMOX燃料(ウランとプルトニウムの混合燃料)が溶融し、極めて高い放射性物質を空と海へ現在も放出し続けています。「もんじゅ」まさにトラブルの王様のような存在ですが、冷却材にナトリウムを使っている「もんじゅ」は、ナトリウムが空気に触れる発火するため扱いにくく、その危険性は圧力容器を原爆に喩えると、原爆の中にダイナマイトを詰め込んでいるようなものです。

また「もんじゅ」の直下には、白木・丹生断層及びC断層という活断層の存在が明らかとなっており、これでは原発事故が起きるのを待っているようなものです。地震は天災でも、原発事故は人災です。今回のフクシマように、地震が起き、配管等が破損(破断)すれば、冷却材であるナトリウムが単に漏れるだけでなく、発火するのですから、「もんじゅ」の危険性は普通の原発をさらに大きく上回るわけです。プルトニウムの存在も合わせて考えれば、余りにも余りにも危険すぎるのです。

ちなみに、名古屋高等裁判所(金沢支部)が出した高裁判決では、
「要するに,原子炉設置許可処分の段階における安全審査の究極の目的は,平常運転時はもとより,事故時においても,原子炉内の放射性物質の有する潜在的危険性を顕在化させないことの確認にあるということができる。したがって,上記違法と目される審査基準の不合理,又は安全審査の過程における看過し難い過誤,欠落によって,この確認(原子炉内の放射性物質の潜在的危険性を顕在化させないことの確認)に不備,誤認などの瑕疵が生じたとすれば,その瑕疵は,安全審査の根幹にかかるものであるから,原子炉設置許可処分を無効とならしめる重大な違法事由と認めることができる。」とあります。

今回、その「原子炉内の放射性物質の潜在的危険性」が顕在化し、その安全性の「瑕疵」が明らかとなったのですから、原子炉設置許可処分を無効とならしめる重大な違法事由が認められるということです。昨日の報道では、東京在住の方が、福島第1原発の設置許可取消訴訟を起こし、第一回審理が行われたそうです。「誰かがしなくてはいけない」、「同じように考えておられる方も多いのではないでしょうか」とその方は言われていましたが、なかなか一人で裁判などできるものではありません。時間と労力、費用とストレス等考えれば、誰でも二の足を踏むものです。彼の背景は知りませんが、原発の危険性が証明された現在、設置許可そのものが違法であることも自明の理であると思うのですが・・・

P.S. 先の高裁判決の住民側勝訴の後、最高裁逆転敗訴という結末が待っていたことは、あらゆる住民と国との裁判での「お約束事」だったのでしょう・・・

P.S.2 「環境省は、・・・海水浴場や河川、湖での放射性セシウムの基準を、『水1ℓ当たり50ベクレル以下』、放射性ヨウ素の基準を『同30ベクレル以下』とすることを決めた」(引用は『朝日新聞』)そうです。これは「飲料水の基準よりも厳しい」そうで、「夏の2ヶ月の被曝量」で0.1mSv以下になるようにしているそうですが、厳しいと言うより当たり前過ぎる基準だと思います。年間1mSvというのが、最低限の基準だということを、常に思い出したいと思います。逆に言えば、飲料水や野菜の暫定基準そのものが、余りに甘い基準だということです・・・

自治体からの原発運転再開NO!

2011年06月23日 | 日記
 原発を立地している県や市町村から、国の安全宣言が信じられない、現在の安全基準のままでは原発運転再開はできないとする動きが広がっています。今のところ、運転の再開を認めている自治体は、玄海原発の玄海町だけのようです。

 全国で最多の原発を擁する福井県では、「短期的な対策は全て終えた」(以下、引用は『朝日新聞』)とする保安院の黒木審議官に対して、西川知事は「同じことの繰り返しをやっているだけ」と「従来の説明の域を出ていない」国の対応を批判しています。これまで福井県が求めてきたことは、

1、原発の高経年化(老朽化)が福島第1原発に与えた影響を明らかにし、高経年化原発の新たな安全基準を示すこと

2、地震の揺れが事故に与えた影響を明らかにし、それを踏まえた耐震対策を示すこと

3、菅首相が停止を要請した浜岡原発以外の原発を安全とした合理的根拠を示すこと

ですが、これに対する保安院の説明は、

1、高経年化による機器の劣化が事故の発生や拡大を招いたことを示すデータはないが、高経年化の影響は今後検証する

2、福井県の周辺海域にプレート境界はなく、浜岡原発で想定されるような大きな津波が襲来する切迫性はない

といった紋切り型の回答です。この説明に対して県側は、

1、地震の揺れによる破損がないという、客観的なデータを示すべき

2、かつて大きな津波があったという伝承や文献が残っている。切迫性がないとする根拠があいまい

と切り返しています。この遣り取りを見て、今まで、一部の反原発団体と、県の対応を見ているようだと感じられた方は多いのではないでしょうか。福島第1原発事故が起きるまでは、立地県である自治体も、こうした国と同様のケンモホロロ対応を、原発の安全性に疑問を抱く市民に対して行ってきたのです。「いくら安全と言われても信じられない」と県議会からも国の安全宣言に批判が集中したそうですから、隔世の感があります。ただ、こうした当たり前の疑問を、事故が起こる前に持って頂きたかったというのが、愚かな私の愚痴ではあります・・・

 伊方原発を抱える愛媛県の中村知事は、現在「玉虫色」の「白紙」宣言をされていますが、(再開を前提にしているのでしょうが)新たな安全基準を国が示さなければ、県民の納得は得られないだろうという姿勢を一応示しています。定期点検中の3号機は、(アレバの実質子会社の)メロックス社製のMOX燃料を装填しています。その安全性を示すデータさえ出てはいません。県も四国電力も、国も、商業上の秘密という言い逃れを楯にする企業の言い分を鵜呑みにしてきました。プルトニウムを含んだMOX燃料の危険性とその放射能毒性は、今回の事故で不幸にも明らかになりました。MOX燃料は使うべきではないのです。プルサーマル計画は中止すべきです。伊方号機は、運転再開してはいけないのです。そう、私などは思うのですが・・・

P.S. 「原子力安全に関する国際原子力機関(IAEA)閣僚級会合で20、21日、福島第1原子力発電所事故を検証する非公開の事務レベル作業部会が行われ、政治介入が現場の事故対応を無用に混乱させたとの指摘が相次いだ。原子炉への海水注入や格納容器のベント(弁開放による排気)をめぐって介入を繰り返した菅直人首相を批判した格好」『産経ニュース』だそうです。菅さんに、自らの対応が事故の悪化を拡大させたという「自覚」はないようです。ですから、勿論、責任を取るという発想もないわけです。当然、現在の政治の混乱を悪化させているとも思っておられないようです・・・

名も無き「フクシマ・インフィニティ」の被曝

2011年06月22日 | 日記
 今回の原発事故で従事した作業員の方々、「東電は事故直後から3月末までに福島第1原発で働いていた調査対象を3,639人と最終的に確定」、「このうち3、514人の被曝評価を終え、厚労省に報告」、「事故前の限度100mSvをこえるた作業員」は124人、250mSvを上回ったのは計9人となったとのことです。

しかし、「まだ125人の測定が残っている」が、「このうち下請け企業の作業員69人と連絡が取れ」ず、「該当する従業員は在籍しない」、「連絡先も名前も分からない作業員が30人ほどいることになる」とのことなのです。勿論これまでも、このような名もなき無数(インフィニティ)の作業員による被曝者が何十年と続いてきたからこそ、原発の運転が可能だったわけですが、福島原発の事故で日本のみならず、世界から注目を受けている最中、これだけ杜撰な作業員の管理しか行えないとは・・・当然、被曝管理は違法な状況となるはずです。

本来、このような杜撰かつ違法な被曝管理の下では、作業員の方々を作業に従事させてはいけないはずなのですが、それでも作業は強行されているわけで、原発の収束のために彼等は命を削って働いてくれているわけです。ただ、その原発の収束という目標が、達成可能な目標なのかという疑義が極めて高くなってきており、彼等の健康と命を犠牲にしてまで、もうこれ以上「特攻」させるべきではないと思うのですが・・・
 
 実際、作業員不足は深刻なようで、大阪のあいりん地区にある西成労働福祉センターにも、ダンプ運転手を装った嘘の求人が貼り出された(『アサヒ芸能』より)とか。こうした手配師は、「元請けに引き渡す前に、『苦情は言いません』と一筆取る」そうですが、事故以前からも募集内容を誤魔化したリクルートは横行していたのです。被曝管理どころか、名前や連絡先すら分からない労働者すらいる状況は、まさに「原発奴隷」と言われる所以です。これまでも年間被曝限度を超えると、名前を変えて働いている労働者もいたとのことですから、現在の原発労働者にも同様のことが起きていることは十分考えられます。原発労働者の不足は今後益々切迫し、原発運転が続く限り、フクシマが存在し続ける限り続く問題です。東電にはまず、名もなき原発労働者の現状把握から、初めて頂きたいと思います・・・

P.S. 国会は、「再生可能エネルギー特別措置法」の成立を含め、70日の会期延長を決めました。それにしても、菅さんの権力への異常なほどの妄執には驚かされます。被災住民を置き去りにして公然と菅降ろしをする民主党内の動きにも、それに呼応する野党にもうんざりですが、菅総理はもうこれ以上、国政を停滞させ、国民を混乱に陥れるべきではありません。

それにしても、菅総理が飛びついた再生可能エネルギーですが、たとえ「原子力村」の利権構造がもし仮に崩れても、(税金がつぎ込まれるようになれば)今度は「再生可能エネルギー村」の利権構造がそれに取って代わります。この世界の「利」のシステムがなくなるわけでも、その犠牲となる人々がいなくなる訳でもないのです。確かに、原発は危険過ぎますから再生可能エネルギーを否定するものではありません。ただし、口先で崩せるほど、この世界の「利」のシステムは軟弱ではありません。菅さんがそれを認識し、それと敢然と対峙する、できる人間でないことは、原発人災事故の対応を見れば自明のことです。少なくとも、原発事故とその対応の責任を取って退陣するということが、まだしもこの国の未来に、一縷の希望を残すことになると思うのですが・・・

P.S.2 菅さん、「再生可能エネルギー特別措置法」も良いですが、企業の自家発電の6,000キロワット(東電の総発電量に匹敵するとか)、この電力を、東電をはじめとする各電力会社に買い取らせる法案を、即座に通過させて欲しいものです。それと、福井県知事が、「原発の老朽化による影響」を懸念し、「地震の揺れによる原発の破損はないことを示す客観的データの開示」を求めていますが、国がこうした自治体の疑問に対して真摯に応えることこそが、真の「脱原子力村」であり、「脱原子力政策」だと思います。橋下府知事も言うように、「この夏を乗り切れば確実に原発への依存度は下がる」ことは間違いありません。原発なしでも困らない、それを証明する大切な夏になりそうです・・・

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2011年06月21日 | 日記
「ポスト・フクシマ」は来ない

 IAEAの閣僚級会合がウイーンで始まりました。「原発事故に対するIAEAの機能強化、各国の原発の安全対策を相互評価する制度の導入などを柱とする閣僚宣言を採択する」(以下、引用は『朝日新聞』)予定だそうです。

 IAEAは、核の軍事転用を見張る「核の番人」と呼ばれていますが、同時に、「(原子力の)『平和利用の促進』を目的として設立」されました。つまり、一方で5大国はじめとする一部の国々に「核」の軍事利用を特権化し、他方ではその技術及び原子力発電を、「平和」という装飾をして、売り物にしているのです。その宣伝広告塔がIAEAです。こうした核を巡る「利」のシステムは、核と核技術を持つ国に、利益をもたらしているのです。

 また、核に軍事利用・平和利用の差別(しゃべつ)などないことは、今回の福島原発の事故と、放射能汚染の現実を見れば明らかです。福島に何十発、何百発分の核爆弾が落ちたことになるのかは分かりませんが、戦後の日本が再び「原発戦争」に突入し、核と放射能による被曝に晒された(ている)現在は、再びの戦火に飲まれている日本の哀しき現実なのです・・・

 IAEA加盟国151カ国のうち、原発を所有しているのは約30国だそうです。世界の軍事・経済・政治の大きなシステムの中で、原発を持つことを赦された国であり、この世界の「利」のシステムを維持することを担わされた国々でもあります。軍事・経済・政治は複雑に絡み合い、それぞれを別々に語ることなど出来ません。そのような差別(しゃべつ)は意味を成さないのです。

 日本が敗戦する以前から、そして戦後も、一貫して米国を覇権国とする軍事・経済・政治のシステムの中で日本は生きてきました。米国の政治主導の下、米軍基地を受け入れ(させられ)、米国の経済特区としての役割を果たしてきました。基地を受け入れ占領された中で、そうするしか日本の生きる道はなかったとも言えます。原発もまた、その一つです。その原発を、日本は持ちたかった。核武装したかったのです。その下心を見透かされて、米国は日本に原発を売り込んだのです。日本は、高い高い買い物をしたのです。

 こうして戦後は、新たな「原発戦争」に突入したわけです。そもそも戦後という言葉など、この世界の軍事・経済・政治のシステムの中では何の意味もありません。「利」を争い、常に闘い続けるしか、生き残る道はないからです。しかしながら、この世界には、決して「勝利」に酔える時は無いのです。闘い続けるか、死か、それだけです。闘い続ける者には、闘った分だけ「利」を奪う権利が与えられるのです。その「利」は、決して生み出すものではなく、「奪う」ものです。他者から、奪うのです。或いは、他者を踏み台にして、その分だけ「利」を増すのです。嫌なら、奪われる側に回るだけです。ただ、常に、奪われつつ、奪うという戦いから抜け出すことはできませんが・・・

 IAEAの閣僚級会議は、「ポスト・フクシマ」の枠組みを作るために開かれたと言います。しかし現実は、フクシマで世界中の人々の中に生まれた「嫌原発」の流れを、原発堅持に引き戻す為のセレモニーに過ぎません。失うことのできない「利」を、維持していく為の調整をしているのです。未だ戦時中のフクシマ、「Druing フクシマ」を置き去りにしたまま、新たなコーティングを施して、「利」を貪る為の話し合いをしているのです。闘いは終わっていません。今も、三度始まったのです。それが、「原発戦争」であろうが、「自然エネルギー戦争」であろうが、この「利」のシステムに何の変わりはないのです。常に「利」を求めて、相争うのです。どのような犠牲(コスト)が払われようが、「ポスト・フクシマ」は永遠に来ないのです・・・

P.S. ただ、原発は余りに危険すぎるから、MOX燃料(プルトニウム)は極めて危険であるがゆえに、私は止めた方が良いのではないかと、思うだけなのです・・・