プルサーマル計画を憂慮する有志の会

愛媛県伊方発電所3号機におけるプルサーマル発電の問題を考える有志の会です。

メロックス社の品質管理能力や工程管理能力に疑義が・・・

2010年03月30日 | 日記
四国電力(株)は、伊方発電所3号機用のMOX燃料を、三菱重工業(株)と契約し、元請会社である三菱重工業(株)はMOX燃料の製造を、フランスのメロックス社に委託しています。

メロックス社は、MOX燃料製造会社として、アレバ NC社(旧コジェマ社)の100%持株会社として、1990年7月設立されています。
ちなみに、アレバNC社は、親会社のアレバ社の100%持株会社で、ウラン鉱山開発、ウラン精鉱販売、ウラン濃縮販売、燃料成型加工(MOX燃料)、再処理、原子燃料物資の輸送及び関連サービス、原子燃料サイクル(発電を除く)に関するその他付随業務を行っています。

三菱重工はそのアレバ社と提携していますが、「海外案件の失敗で収益が悪化」、「2008年度、同社原子炉部門の業績は、売上高30.4億ユーロに対して▲6.9億ユーロと3期連続の営業赤字に沈んだ」とのことです。

 その最大の原因として、「アレバが03年に32億ユーロで受注したフィンランド・オルキルオト3号機の建設遅延によるコストの増大」があり、「品質や工程管理のトラブルが続き、約3年遅延して追加コストが発生。発注元の電力会社から、逸失利益も含め20億ユーロ以上の賠償請求を起こされた」ています。

 そう言えば、六ヶ所村の再処理工場は、アレバ社のラ・アーグ再処理工場(アレバNC社運営)を手本として造られ、日本原燃は同社と提携し技術協力を受けていますが、トラブルが相次いでいます。

原子力ビジネスに当然リスクは伴うものでしょうが、同社の品質管理能力、工程管理能力に問題があるとの推察は否めません。メロックス社は、実質的にアレバ社の孫会社であり、同様に品質管理能力や工程管理能力に疑義が生じてくるのではないでしょうか。


ウラン燃料とMOX燃料の含有不純物量の規定比較

2010年03月29日 | 日記
 電気事業法、第四十五条第二項第二号の規定に基づく、「発電用核燃料物質に関する技術基準を定める省令」における、ウラン燃料とMOX燃料の含有不純物量の規定に関する記述の比較です。


(二酸化ウラン燃料材)

第四条  二酸化ウラン燃料材は、次の各号に適合するものでなければならない。
一  高速増殖炉以外の原子炉に用いる場合にあつては、次の表の上欄に掲げる元素を含有する場合における当該元素の含有量のウランの含有量に対する百分率の値は、それぞれ同表の下欄に掲げる値であること。
炭素 〇・〇一〇以下
ふつ素 〇・〇〇一五以下
水素 〇・〇〇〇二以下
窒素 〇・〇〇七五以下

二  高速増殖炉に用いる場合にあつては、当該燃料材に含まれる不純物の含有量の全重量に対する百分率の値は、実用上差し支えがないものであること。
三  ウラン二三五の含有量のウランの含有量に対する百分率の値の偏差は、著しく大きくないこと。
四  ペレット型燃料材にあつては、ペレットが次に適合すること。
イ 各部分の寸法の偏差は、著しく大きくないこと。
ロ 密度の偏差は、著しく大きくないこと。
ハ 表面に割れ、きず等で有害なものがないこと。
ニ 表面に油脂、酸化物等で有害な付着物がないこと。
五  ガドリニウムを添加していないものにあつては、次に適合すること。
イ ウランの含有量の全重量に対する百分率の値は、八十七・七以上であること。
ロ 酸素の原子数のウランの原子数に対する比率の値は、一・九九以上二・〇二以下であること。
六  ガドリニウムを添加したものにあつては、次に適合すること。
イ ウランの含有量の全重量に対する百分率の値は、実用上差し支えがないものであること。
ロ 酸素の原子数のウランの原子数に対する比率の値は、実用上差し支えがないものであること。
ハ ガドリニウムの含有量の全重量に対する百分率の値の偏差は、著しく大きくないこと。
ニ ガドリニウムの均一度は、実用上差し支えがないものであること。

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(ウラン・プルトニウム混合酸化物燃料材)

第五条  ウラン・プルトニウム混合酸化物燃料材は、次の各号に適合するものでなければならない。
一  各元素の含有量の全重量に対する百分率の値の偏差は、著しく大きくないこと。
  *(ウラン燃料にはある、数値による規定はありません)

二  酸素の原子数のウラン及びプルトニウムの原子数の合計に対する比率の値は、実用上差し支えがないものであること。
三  ウラン二三五、プルトニウム二三九及びプルトニウム二四一の含有量の合計のウラン及びプルトニウムの含有量の合計に対する百分率の値の偏差は、著しく大きくないこと。
四  プルトニウムの均一度は、実用上差し支えがないものであること。
五  ペレット型燃料材にあつては、ペレットが次に適合すること。
イ 各部分の寸法の偏差は、著しく大きくないこと。
ロ 密度の偏差は、著しく大きくないこと。
ハ 表面に割れ、きず等で有害なものがないこと。
ニ 表面に油脂、酸化物等で有害な付着物がないこと。

MELOX社製MOX燃料、及び国の審査等の問題点

2010年03月27日 | 日記
2009年8月19日、関西電力は高浜原発3、4号機用MOX燃料の自主検査の結果、7項目のうち1項目について、目標値を満たさなかった4体を廃棄、製造個数を16体から12体に変更しましたが、このMELOX社(正確にはコジェマ社メロックス工場)製MOX燃料の問題点(製造・検査・品質管理等)、及び国の審査等の問題点についてまとめてみたいと思います。


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・2000年(3月、4月)にも、当時製造中だった関電用のMOX燃料に不備が出て、廃棄されている。

・MELOX社製MOX燃料は、通常のウラン燃料よりも多く不純物を含んでいること。

・品質管理に重要なプルトニウム・スポットの検査法である化学エッチングの精度の低さ。
(* 未確認事項です。ご存知の方はお知らせ下さると有り難いです)

・国の技術基準である「発電用核燃料物質に関する技術基準を定める省令」には、不純物に関して、ウラン燃料については4元素に濃度規定があるけれど、MOX燃料には規定がないこと。

・ある不純物(情報非公開)に関して、ウランの基準を達成できないMELOX社の技術水準の低さと、MELOX社からの基準値低下の要請を受け入れた電力会社及びそれを放置した政府の対応

・発注元の関電の要請に対しても、MOX燃料に関する情報を開示しないMELOX社の姿勢と、日本国民の生命、財産に直接関わる情報を、「商業上の秘密」として拒否するMELOX社に対して、国として何ら情報開示を求めようとしない政府の対応(日本の主権にも関わる問題)

・BFNL社によるMOX燃料のデータ捏造問題を受けても、MOX燃料の安全性を確認し保証するために、当該燃料のペレットの外径測定データを取得し、精査しようとしない政府のあり方。

・現在の輸入燃料体検査は、原子力発電所では、燃料体の外観をモニターを通して損傷がないか見るか燃料集合体の寸法を測るだけで、実質的には書類上の審査のみで合否が判断されていること。

・電気事業法施行規則に関する原子力安全・保安院の2000年7月14日付通達「MOX燃料体に係る輸入燃料体検査について」で要求されている「立ち入り調査」の契約が結ばれていないこと。
(* 未確認事項です。ご存知の方はお知らせ下さると有り難いです)

・品質保証活動が、国が要求している製造期間全体ではなく、(二酸化ウランと二酸化プルトニウムを混ぜる1次混合以後の)2次混合からとなっていること。
(* 未確認事項です。ご存知の方はお知らせ下さると有り難いです)

 *以上の他に、問題点があれば、ご教示下さい。



「トリウム溶融塩原子炉」というオルタナティブ

2010年03月25日 | 日記
 プルサーマル計画だけでなく、現行の原発に代わる、新たな選択肢として、古川和夫博士の「トリウム溶融塩原子炉」をご紹介しながら、国益にかなう新たな選択肢となる国策を提示できればと思います。

以下に引用します文章は、パリで行われた第四世代原子力システム国際フォーラム(GIF)における古川氏の発言をまとめたものです。

「トリウムを利用する原発(溶融塩炉原発)は、原子力発電に液体核燃料を使うことにより過酷事故が原理的にありえない安全単純な原発」であり、「最も厄介なプルトニウムと縁が切れ」(ほとんど生成しない)、「ウラン濃縮は必要ない」原発です。

「固体燃料体がないから現状の軽水炉よりはるかに単純な構想(構造?)となり安く発電可能」で、燃料となる「トリウムはウランの数倍存在し独占不能で安価」、「単純な化学処理で燃料増殖リサイクルが可能になり、プルトニウムを含む超ウラン元素類が生産されないから、核廃棄物は大きく減らせる」とのことです。

さらに、「プルトニウムを含む核廃棄物の消滅処理に最適な炉型方式である」上に、「そもそも『トリウム利用』は強い放射能を伴い核兵器向きで無い」ので核兵器への転用が難しいとのことです。

 また氏は、「日米露が共同で基礎開発に取り組めば、基盤技術は整っているので実に僅かの資金と期間で実用化が開始できる。20年もすれば本格利用に入れる」とし、「現在の核エネルギー技術は今世紀前半に終息させ、プルトニウムのない世界を完成させ」、「核兵器の完全廃絶」と「核テロなどに乱されぬ平和世界構築」をビジョンとして述べられています。
* 「核不拡散の新たな枠組みと原子力ビジネスの流れ」への古川博士のコメントもご参照下さい。

氏の提唱されている「トリウム溶融塩原子炉」による核エネルギーシステムでは、現在の原発における多くの問題点、つまり余剰プルトニウム処理の問題と核兵器転用の可能性(核不拡散)、放射性廃棄物の低減と処理の問題が解消されるか大きく軽減されます。また廉価で原発を製造することができ、次世代の基幹産業としてのビジネスチャンスを創生することができ、日本の国益に充分かなっていると言えるでしょう。

原発というマントルの流れを止め得ないのであれば、少なくとも氏の提唱する「トリウム溶融塩原子炉」は、全ての原発を無くす前段階のセカンドベストとなる選択ではないかと思います。

しかしながら、現在「トリウム溶融塩原子炉」は実験炉に留っています。その最大の理由は、「トリウム溶融塩原子炉」では核兵器となるウランやプルトニウムを使わない、ほとんど生成しないということに尽きるかと思います。原爆が作れない原子炉は要らない、というのが当時の選択だったのだと思います。

さらに、原発産業に関わる企業にとっては、ウラン濃縮や核燃料を作るフロントエンド、使用済燃料や放射性廃棄物処理を行うバックエンドでの受注が見込めない「トリウム溶融塩原子炉」は、「うまみのない原発」だったのでしょう。
またプラント建設や電気機器メーカーにとっても、構造が簡単で小型化できる当原発は、儲けがあまりに少なかったのでしょう。

この政治・経済(軍事も含む)システムに乗っかっている以上、5大国を筆頭にした各国の為政者や企業はこのシステムのなかで生き残りをかけ、核抑止と他国への軍事的優位を確保するため、或いは平和目的という名目で原発を保有するという、当然といえば当然の選択を行ったのでしょうが、やはりどこかとても寒々とした、淋しい思いに駆られます。(感傷的過ぎるでしょうか・・・)

現行の原発と比べると、将来の子孫が担う放射性廃棄物という極めてやっかいな負担や、原発をつくるための財政的負担、また作業員の作業時の被爆や原発周辺の過酷事故による放射能汚染の危険性が極めて小さくなる、この「トリウム溶融塩原子炉」が、せめて核廃絶や原発廃絶の橋渡しとして、現行の原子力行政・原子力ビジネスにとって代わることはでいないものかと思案します。

日本の国益を真に考えるならば、次世代の選択肢として、この「トリウム溶融塩原子炉」による核エネルギーシステムを考えないというのは理にかなわないように思われます。少なくとも現行のプルサーマルをはじめとする原子力政策よりも、はるかに多くの課題への回答を持った、国益にかなう「国策」と言えると思うのです。

ただし、様々な利権構造が複雑に絡み合っているこの世界のシステムの中で、この「トリウム溶融塩原子炉」が、今後実用化への道を順調に進むことができるのかどうかは、私には分かりません。(今までも、実用化の道を何度か阻まれているように思います)

また、こうした「トリウム溶融塩原子炉」による核エネルギーシステムの利点が現実のものとなったとしても、私にとっての問題点が消え去るわけではなく、私がこれまで述べ続けてきたこの世界のマントルである、政治・経済(及び軍事)システムの流れが止まり、その問題点が解決されるわけではないのです。根本的な問題は、今も厳然とここにあります・・・

それでもなお、氏の研究と思いは、原発そのもの、この政治・経済(及び軍事)システムそのものに違和感のある私にとってさえ、非常に価値のある業績であり、今後の日本の国策となりうる可能性を持った選択肢だと感じました。

ウラン・プルトニウムによる現在の原発の現実を見据え、そのなかで、科学者として、できうる限りの努力を傾注され続けてきた博士の歩みに敬服するとともに、氏の願いである、プルトニウムのない、核兵器のない世界が実現することを、私も共に祈らせて頂きたいと思いました。


プルサーマル計画は真に国益にかなう国策なのでしょうか?

2010年03月24日 | 日記
 国益とはなんでしょうか?ウィキペディアでは、「国益とは本来的に政府の利益」であり、その「定義や優先順位は、時代、その国の価値観、体制、政策立案者などにより大きく異な」り、「国を構成する誰もが利益を得るとは限らず、一部の国民や勢力にとっては負担を受けたり痛みをともなう事もある」とあります。

 つまり、国益とは「日本政府の利益」であり、国民の利益とは必ずしも一致しないものと言えるかと思います。せめてその国益が、大多数の国民の利益を代表するものであってくれれば、痛みや負担を負う立場に置かれた国民も、幾ばくかの理解を、慰めを得られるかとも思うのですが、それどころか、一部の政治家や一部の企業、或は国の行く先を大局的に考えることのできない官僚によって国策が決定され、国が動いているとするならば、国益とは一体何なのかといった憤りの声も当然上がってくるでしょうし、それを国益と呼び、国策と称することを許容することはできなくなるでしょう。

 国を憂い、国の真の利益を考えることが、ひいては多数の国民の利益とならなければ、国民をミスリードする国策となり、国益を損なうことに繋がりかねません。
そこで、プルサーマル計画が真に国益にかなうものなのかどうか、その功罪(正と負)を簡単に(私の限られた知識の範囲内ですので)まとめてみたいと思います。

<プルサーマル計画の「正」の点としては、>
〇 NPTに加入している日本が、余剰プルトニウムを持たないという約束を果たすためには、欠かすことのできない、現在実行可能な唯一の方策である。核不拡散に神経を尖らせている米国に辛うじて説明できるものであり、これなしでは、日本は外交上非常に厳しい状況に立たされることになります。
*知識が乏しく、これ以外にプラスとなる点を見出せませんでした。単に政府の言い分を追認するのではなく、真にプルサーマル計画のプラスの点がありましたら、ご教示頂ければ有り難いと思います。

<プルサーマル計画の「負」の点としては、>
× プルサーマルでほんの少しプルトニウムを消費しても、やはり消費し切れないほどのプルトニウムが生じ続けますから、大量のプルトニウムを持つことに対する批判を免れることはできず、NPT違反を問われ、核兵器を持つのではないかとの疑惑を5大国をはじめアジア周辺各国に持たれることになります。
× MOX燃料自体、品質の安定したものの製造が難しいと言われていますし、原子炉運転においても、被覆管の破損等、過酷事故に繋がる危険性が高まります。
× プルトニウムの毒性はウランに比べて桁違いに高く、地震や人災による万一の事故においては、余りにも甚大な被害が予想されます。
× 大量の放射性廃棄物を排出しますが、その処理方法も、その処理地も未定であり、後世に多大なる負の遺産を残すことになります。
× MOX燃料(強い放射能と高熱を発する)を取り扱う作業員の負担が大きくなります。運送や積み下ろし、装荷時、或は定期点検等において、当然ながら放射能被爆の危険性も高まります。
× 取扱も含めて事業者の負担が大きくなり採算性が低下しますから、電力会社の経営を圧迫することになりますので、交付金をはじめとする税金の投入や電力料金への転化が懸念されます。
× 使用済燃料の再処理の際、周辺地域のみならず、大気や海流を通して放射能汚染が広がり、健康被害を引き起こすことになります。
*さらに問題点があれば、ご教示下さい。

 以上のように、国策であるプルサーマル計画に、どうみてもあまり利点を見出せません。むしろ、弊害のみが目だってしまいます。
これでは、国策として「プルサーマル計画」を推進する理由がなくなります。果たして、これで国益にかなうと言い切れるでしょうか。

 先ほども申し上げましたが、一部の企業や政治家、或は官僚の思惑だけで、国家の利益を左右することは赦されません。国益を論じるならば、そうした利権も明らかにした上で、それでもなお日本政府の利益となり、ひいては国民の福祉と安寧に寄与するのでなければ、それを国益であると呼ぶことはできないでしょうし、誤った政策を国策とし、国民を、国家をミスリードしているとの謗りを免れることはできないでしょう。


白昼夢3.国策が止まったら・・・

2010年03月23日 | 日記
こうしたマントル、政治・経済的な世界の動きの上にある、プルサーマル計画を、たとえ一国の内閣総理大臣であっても、その一人だけの意思で止められることはできないでしょう。

最初からプルサーマル計画は、単にプルサーマルだけの問題ではなく、世界の中で様々に絡み合う政治的、経済的、さらには軍事的諸問題を含んだ総合的な問題です。それらの問題を考え、どのように対処するかという課題の回答を持たずして、計画の中止を主張しても、国がそれを聞き入れることはないでしょうし、またそのようなことができる状況でもありません。

それを強行することは、現在の政治・経済システム(マントル)の上に乗っかっている他国との強烈な摩擦を引き起こし、関係が悪化し、そのシステムからの排除の憂き目(経済摩擦、冷戦、軍事紛争等)に陥ることにもなりかねません。そうなれば、多くの日本人に、多大なる損失と犠牲をもたらすことにもなるでしょう。

自分だけでなく、そうなった場合に放棄する全ての利益を認識し、受容する、またそれに対する批判を甘受する覚悟がある者だけが、中止を主張する権利を有するのだと思います。そうなると、私のように、この政治・経済システムからの恩恵を受け過ぎている人間は、その資格を完全に失うことになります。

家は物に溢れ、電化製品を日々使用し、それらの存在を前提にし依存して生活を営んでいますから、私などは到底その資格はないといえるでしょう。

また、私の行動が、そのシステムから恩恵を受けている多くの日本人の利益をも同時に奪うのですが、それに代わる生活の選択肢を持っておらず、その批判にも耐え得ないでしょう。

さらに、核不拡散の問題はどうするのか?NPTから脱退するのか?アメリカやロシア、中国との関係はどうするのか?原発ラッシュの中国やインドでの原発ビジネスのチャンスを逃すのか?そうでないならば、どのような外交を展開するのか?・・・

結局のところ、このプルサーマル計画を生み出しているのは、この私の、私達の生活そのものであり、その政治的、経済的、そして軍事的マントルの上で私たちはその恩恵を受け、生きているのです。

プルサーマルを拒否し否定する時、私達の生活そのもの、生き方そのものを否定することになります。クロマグロを食しながら、電気炬燵に入ってテレビを見ながら、自動車に乗って旅行をしながら、批判をすることはできないのです。

プルサーマルを止める前に、私たちの生き方こそ見直されなければならないのです。そうでなければ、嘘になります。プルサーマルを止めて欲しいという思いが、二重舌の謗りを受けかねません。いえ、二重舌なのです、少なくとも私がこれまでしてきた主張は・・・

それでもなお、こうしてプルサーマルの問題を考え続けるのは、やはり、このままでいいのか、という思いがあるからです。今の政治・経済(軍事も含めた)システムの上で、それに乗っかって生きていかざるを得ないにしても、やはり、少しでもそれと違う生き方を模索していきたいからなのです。

私が購入した物を作るのにも、原料を提供している国の労働力が、資源が不当に安く搾取され、環境が汚染されているのが辛いのです。使用し終った廃棄物が、日本全国の処分場に埋められ、環境汚染を引き起こし、健康被害を生じている実態を知っているのです。これらの廃棄物が輸出され(バーゼル条約も何の実効性もありません)、韓国や中国やフィリピン等でやはり環境汚染、健康被害を生じ、人命を奪っていることが申し訳ないのです。

プルサーマルも、クロマグロの輸入も、その構造は同じです。同じ構造の上にあります。プルサーマルは反対だが、ビールを飲みながらクロマグロを味わうことは矛盾するのです。(私などはそうした生活を営んでいるのです・・・)それが、真の問題なのです。

核不拡散の新たな枠組みと原子力ビジネスの流れ

2010年03月21日 | 日記
 昨日に続いて、東京財団研究員による論考「日露原子力協定締結はわが国の原子力政策の国際化に向けた第一歩」をご紹介しながら、我々が否が応でも乗っからざるを得ない「マントル」であるところの、再構築されつつある核不拡散の枠組みと、原子力ビジネスの流れを見てみたいと思います。

「ロシアにとって、東芝をはじめとする日本企業との提携関係の構築は、原子力発電所建設に関するエンジニアリング技術やタービンなど周辺機器の製造技術を吸収する絶好の機会である。また、世界一の供給能力を有するウラン濃縮サービスのアジア・太平洋市場への売り込みを拡大できるというメリットもある。ここに原子力分野で日露の相互補完関係が成立」、「東芝はこれを皮切りに、核燃料サイクル部分の弱点を補うべく、積極的に国際提携を構築する戦略をとり続けるだろう。そして、日本政府はそれを積極支援していく」のであり、日本の、「自国のエネルギー安全保障を最重要視する立場から、自国内での核燃料サイクル技術の確立を国是とし、それでも足りない部分は海外から調達するという内向きの発想で策定されてきた従来の原子力政策からの脱皮」が図られつつあり、「核拡散問題の深刻化を受けた国際原子力機関(IAEA)+米露を中心とした新たな核不拡散体制(=核燃料サイクル技術の国際管理体制)構築の動き」が「わが国の原子力政策が国際化に向かい始めている背景」にあるということです。

 言うまでもなく、日本政府は余剰プルトニウムを所持しないと宣言しており、この新たな「核不拡散の枠組み」を無視して、原子力行政を行うことなどあり得ませんし、不可能でしょう。プルトニウムをMOX燃料として僅かでも消費しようとする国策は、如何にも下策ではあっても、日本政府の苦肉の策であると言えるのではないでしょうか。

「03年10月、エルバラダイIAEA事務総長が」「核燃料サイクル技術の多国間管理構想を発表」、「核の平和利用の拡大」と「核拡散の防止」を両立させるには、ウラン濃縮技術や使用済み核燃料の再処理技術といった核兵器開発に直結する核燃料サイクル技術は移転させない代わり、核燃料供給を保証し、また、使用済み核燃料の中間貯蔵・再処理といったバックエンドも管理する多国間の枠組みの構築が不可欠と主張」、「ロシアはIAEA並びに米ブッシュ政権との緊密な連携の下でイランとの核燃料供給協定の締結に踏み切」るという流れができ、さらに「露プーチン大統領が国際核燃料サイクルセンター構想を、米ブッシュ大統領もこれと類似したグローバル・ニュークリア・エナジー・パートナーシップ(GNEP)構想をそれぞれ発表。ロシアは国際核燃料サイクルセンター構想の一環として、全ての参加メンバーに対し、ウラン濃縮サービスへの市場価格でのアクセス権を保証する国際ウラン濃縮センターの設立構想」を発表しました。

「核燃料サイクル分野での国際提携を目指す東芝に後押しを受けて、我が国が、ロシアとの原子力協力に乗り出すべく、日露原子力協定の締結交渉開始で合意したのは07年2月のこと。だが、そこには、以上のようなイラン核開発問題を契機とした核不拡散問題での米露接近、またこれと連動したIAEAを軸にした新たな核不拡散体制の構築=核燃料サイクル技術の国際管理下の動きという国際安全保障上の背景もあった」としています。

 さらに、「東芝と露アトムエネルゴプロムによる濃縮ウランの備蓄施設の共同建設構想」が、「日露原子力協定締結直後に発表」され、「このプロジェクトに、東京電力をはじめとする電力事業者が参加すれば、これは即ち国家の濃縮ウラン備蓄となる。またそこにアメリカや他のアジア諸国が参加すれば、IAEAが提唱するいわゆる国際核燃料銀行へと発展する」ということです。

 これは、核不拡散とともに、核燃料提供のサービスセンターの設立とその独占を目論んでの動きと見ることができるでしょう。日本もその枠組みに入ろうと必死のはずで、この原子力ビジネスに乗り遅れることは、莫大な国益を損なうということなのかもしれません。
 良くも悪くも、こうしたマントルの動きの上に、プルサーマル計画はあるということなのだと思います。

*論考「日露原子力協定締結は わが国の原子力政策の国際化に向けた第一歩 (2)」の全文のアドレスは、http://www.tkfd.or.jp/research/sub1.php?id=235です。


国際化する日本の原子力政策と多国籍化する原子力ビジネス

2010年03月20日 | 日記
 日本の原子力政策の国際化の動き(それはまさに、我々が否が応でも乗っかっているところの、政治・経済的な「マントル」の流れを示しています)が良く分かる、東京財団研究員による論考「日露原子力協定締結はわが国の原子力政策の国際化に向けた第一歩」を引用、編集しながらご紹介させて頂きます。

「中国やインドといった新興国の経済成長に伴う化石燃料の中長期的な安定供給への不安、そして、地球温暖化問題への関心の高まりを背景に、数年前から、世界各国で原子力発電に対する見直しの機運が高まって」おり、日本政府は、「06年8月、『原子力立国計画』報告書を発表」しています。

「そんな最中の06年2月、・・・東芝が、米ウェスティングハウス(WH)を買収」、「一躍、世界の原子力プラント市場のメインプレーヤーに躍り出」ましたが、「将来的な核燃料需給ひっ迫化の可能性の他、後述する核不拡散問題への対処の必要性から、現在、世界の原子力ビジネスの潮流は、単に原子力プラントを受注・建設するだけではなく、核燃料サイクルのうち、核燃料の製造・供給(フロントエンド)と使用済み核燃料の再処理・再利用(バックエンド部分)を含んだ一括契約へと移行しつつ」あります。

「現在、西側先進国の原子力プラントメーカーの内、原子力プラント建設と共に、核燃料製造・供給(フロントエンド)と使用済み核燃料の再処理・MOX燃料の製造(バックエンド)を含むフルサービスを提供する体制が整っているのは仏アレバだけ」であり、そのアレバと対抗するためには、「核燃料製造・供給にかかわるフロントエンド部分の補強」が必要であり、「中央アジアのカザフスタン、そしてロシアの存在」が、東芝を最前線とする日本の原子力ビジネスには不可欠のものとなってきているようです。

 つまり、ロシアには、「核燃料製造にかかわるフロントエンド・ビジネスの中核ともいうべきウラン濃縮サービスを世界規模で提供している企業」4社中、「全世界のウラン濃縮能力の40~50%に相当する」「約20,000t SWU/年という世界最大のウラン濃縮サービスの供給能力を有する」「露国営原子力企業アトムエネルゴプロム傘下のウラン燃料会社テクスナブエクスポルト(通称テネックス)」があり、「政治経済的にもロシアと近いカザフスタン」は、「世界第二位のウラン埋蔵量を有し」ています。

 そして日本政府は、「05年、資源エネルギー庁の主導の下、カザフでのウラン獲得外交」を開始、「06年以降、日本政府の全面的な支援の下、日本の商社や電力各社が相次いで、ウラン鉱山の開発権益を獲得したが、その中に、原子力プラントメーカーで唯一東芝が含まれ」ており、「東芝が米WHの買収を経て、日本企業からグローバル企業へと脱皮」を、日本政府の強力な支援のもと行ってきたことが分かります。

「論考」の全文を読まれたい方は以下の「東京財団」のアドレスへ。
http://www.tkfd.or.jp/topics/detail.php?id=139



白昼夢2.国策どころか、政策一つ変わりません。

2010年03月19日 | 日記
 原発政策、そしてプルサーマル計画、このような国策が止まらないのは必然(フィリピン海プレートですから)としても、高速道路一本止めるのも難しいのが現実です。
 ましてや、原発行政に注ぎ込まれている4500億もの税金をストップさせることもできはしないのです。たとえば現政権がやるでしょうか、やろうとしてもできるでしょうか。

 これは、自らの腫瘍を、自らに麻酔をかけて、自ら手術をすることを想像して頂ければ良いのではないかと思います。どう考えても、不可能です。

 こうした利権、それはまさに現在の政治及び経済のシステムが生み出したものであり、その血肉といえます。その政治及び経済のシステムの中で、我々は活動し、生活をしています。それらの恩恵を享受し、そこから得る利益から日々の糧を得ています。そうしたシステムから無縁で、その恩恵をこうむっていない人など、この世にどれほどいるでしょうか。

 携帯を持ち、パソコンを操り、テレビを観、車に乗る。そのための原材料や燃料となる物質を得る過程で、汚染が生じ、労働力が搾取される。使用する過程では多くの電力を必要とし、CO2を排出する。廃棄した物が環境汚染を生じ、健康被害を引き起こし、人の命まで奪っています。

 実は我々の日常の活動や生活は、こうしたシステムのうえに乗っかっているのです。国策を地殻とすると、こうした政治、経済システムはマントルにたとえられると思います。
 そのマントル、またその上の地殻の上に乗っかって、我々は生きています。真の意味で「国策」を否定するならば、我々はこのマントル、「政治、経済システム」を放棄しなければなりません。

 プルサーマルに反対でも、原発に反対でも、我々はやはり、多くの資源や労働者を搾取し、環境汚染や健康被害を引き起こし、人命までも犠牲にして、その犠牲の下で生きているのです。

 否定すべきは、放棄すべきは、現在の私たちの生活、生き方なのかもしれません。このマントルの上に乗っかったままで、「国策」反対を叫んでも、その唾は自らに帰ってきます。必然的に、自らの足元を見直すことを余儀なくされてしまうのです・・・

 それを認識した上でも、やはり、「国策」に対して異議を申し立てる。その意義は何なのか、それを私は模索し続けています。正直、分からなくなります。これが本音です。

白昼夢1.国策は止まりません。

2010年03月18日 | 日記
 「国策は」、かつての自民党政権は勿論、現政権民主党も、たとえそれが社民党や共産党政権となっても止めることはできないでしょう。政権を持ちながらその政策を止められないとはどういうことなのでしょうか?
国策というのは、たとえば我が国、我が国土(日本列島)が乗っかっているフィリピン海プレートのようなものです。そのプレートの進んでいく方向を、そのこと自体を「国策」というのです。(私の夢の中での「定義」です、悪しからず)

 国策は少しづつ直実に進行していき、そしていつか莫大な被害をもたらします。被害をもたらすまでは、その方向に修正が加えられることはありません。結局は、それ以後も同じ方向に少しづつ進行し、また同じく甚大な被害を引き起こすのです。

 その上に乗っている以上、決してその被害から逃れることも免れることもできません。できるのは、如何に被害を少なくするのか、その「対策」なのであり、また、その被害を想定し、また甘受した上で如何に生きていくかという「受容」と「生き方」の問題だけです。

 勿論、その過程で、この国策の問題点を明らかにし、多くの人々にその危険性を知らしめ、どのように生きるのか問うことはできると思います。その意義は小さくはありません。しかし、そうするかどうかもまた、それぞれの生き方、それぞれの選択だと思います。

 しかし、「国策」が止まる、転換できるなどといって、人々を扇動し、振り回すことだけはあってはならないと思います。何故なら、フィリピン海プレートは決して止まらないのですから。

 それでもなお私は、「国策」が止まらないから何もしない、という論理に組することはできません。私は私なりに、できることをしてきましたし、今後もするだけです。

 また、他の人々に関しては、それが一般の市民であろうと、官僚であろうと、原発事業に従事している人であろうと、今あるがままそのままをじっと静かに見守るのもいいですし、自らの主張を、元々「国策」を変えることのできない国にぶつけ、激しく抵抗するのもいいですし、死から目を逸らすように「国策」から目を逸らして暮らすのもいいかと思います。それはやはり、その人その人の人生の「選択」ですから、私がとやかくいうことではないと思うのです。

 その中でも私などは、最も典型的な愚者、ドンキホーテなのだと思います。そのフィリピン海プレートを、素手で押し止めようというのですから・・・これもまた、人生の白昼夢の一幕なのでしょう。