YOU-PROJECT BLOG

YOU-PROJECTのウェブログです。
毎週金曜に「演出者の眼」を連載してます。

ね:寝かす

2016年07月01日 | 演出者の目
ね:寝かす

昔、外山 滋比古 先生の「思考の整理学」の中で述べられていたこととも重なりますが、あるアイデアや物語を寝かせる、ということは僕の中でもよくやります。
と、いうか忙しくてそうなる、ということと僕が一度思いついてしまったことはやらずにはおれない、ということがあります。
たとえば小学生時代に思いついてしまった物語を今頃持ち出してきて応募しようと思ってみたり、演出のアイデアをずーっと整理せずに放置していたり。

二ノ宮知子先生の「のだめカンタービレ」で主人公の千秋が楽譜片手に寝食を忘れて勉強するシーンがありましたが、僕も台本を片手にそれをしないといけなくなります。
ただ、その時にいろいろとここまで自分にインプットしてきた知識やアイデアを作品とリンクさせて取捨選択していくわけです。
そこまでは寝かせていて熟成するって感じですね。

とはいえ、そういう時間、演出家としての時間、作家としての時間を今取れていなくて、受験生以来寝かしていた30分スケジューリングを実施しようか迷っているところです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ぬ:ぬすっと

2016年06月24日 | 演出者の目
ぬ:ぬすっと

どろぼー、だったかもしれませんが、ぬすっとで書きます。

この話、ひょっとしたらずいぶん前に書いているかもしれませんが小学校四年の時の出来事です。

いじめというわけではなく、でも着実に少し悪意のあるいたずらとして、たしか30センチ物差しだったと思うのですが、私のものを前の席の子が取りました。

そこで私は「ぬすっと」もしくは「どろぼー」と言ったわけです。

すると担任の先生はあろうことか、私に対して叱り始めました。

「お友達のことをそんな風に呼ぶものじゃない」と。

私は言いました。「この人は私のものを取りました。その行為を正確に表現しただけですが何か間違いがありますか?」
(いくぶん今の私の言葉で書いていますが、当時も敬意を持ちつつもはっきりとした意見を述べてはいたと思います)

ブルドッグのような顔をしたこの女性はさらに怒り出しました。

私も一歩も引けません。

そもそも教師として被害者を守らず、加害者を罰せず、さらにその上被害者を非難するなどあってよいはずがありません。

この世に正義はないのか。しかしそのことを言っても論点がずれるだけですから、一言「広辞苑を開いて調べてみてください」と言いました。

しかし、もちろん彼女は聞き入れず、しかし私の決意を悟ったのか、話し合いは平行線のままでしたが彼女の私への非難も終わりました。


今でも論理的に言って私が間違っていたとは思えません。まあ彼女の想いは少しは分る気がしますが、間違っているものは間違っている。

しかし、今書いて思いましたが「先生なのに・・・」という思いはあったかもしれません。

今なら教師は聖人君子などではなく、間違いを犯す弱い人間であることを理解していますが、当時はまだ若い、幼い少年でした。

しかしやはり、言葉じりを捉えて叱られたところで、被害の回復がなければ泣き寝入りですし、

やはり悪は悪としてしっかり裁き、その上で友情を築いていくためのいろんな方策をとってくれたほうがよかったなあ、と思います。


障害物走が山あり谷あり走になった時にも思いましたが、セリフを書く練習をさせるほうが「言葉の用い方」を学ぶという点ではよっぽど良かろうって思います。

これは言葉を専門的に扱う今の仕事になってより鮮明に思うようになったことです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

遅くなり、すいません。

2016年06月18日 | プロデューサーズボイス
演出者の眼は作者多忙のため今週は休載です。


かといって、プロデューサーからもそんなにお知らせはないのですが…

取り急ぎ、お知らせです。

10月最終週と11月最初の週が公演となります。
是非とも予定を空けておいて下さい。

最高の作品にします。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

に:忍耐

2016年06月10日 | 演出者の目
に:忍耐

「演劇入門」では、入門ゆえにいろいろと辛抱しないといけない部分があります。

あまりにも基礎的なことなので、注意し忘れていることなどがあって、そういうことを忍耐強く言っていかないとな、と思います。

たとえば平田オリザさんの「転校生」を今年もやる予定なのですが、東京の言葉で書かれているので自分たちが普段用いている関西弁に書き換えさせています。

そのときに勝手にセリフをカットしてしまったり、意味が全く異なるようにしてしまう子がいます。

自分でいろいろ考えて言葉を造り変えていくそのチャレンジ精神は素晴らしいのですが、前者は次のセリフを言う相手役に対して、

そして後者にしても(いやもちろん前者もですが)作者に大変失礼です。


終わりの言葉を勝手になくしてしまったら次のセリフを言う人が困る、ということが分からないのだろうか。

わからないんですよね。想像力がまだ及ばない。


一学期のテーマは「聞くことに早く、語ることに遅くあれ(聖書)」なんですが、

二学期は専門学校で教えていたときに頻繁に言っていた「自分のことだけに目を留めず、他の人の益を求めなさい(聖書)」にしないといけません。

でも、その専門学校生もゲネプロでいきなり登場位置を勝手に変えてしまったりしてたんですよね・・・。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

な:何か

2016年06月03日 | 演出者の目
な:何か

さて、今回のタイトルは「なんか」ト読むのか、「なにか」と読むのか。

もちろん場合によるのですが、まずは副詞と名詞の違いがあるとして、関係性によっても違いますね。

なにか、という方が丁寧な印象を受けます。

本当に日本語は突き詰めていくと難しくて、「~なってきた」と「~なっていた」って一字の違いでもやっぱりそこに違いがありますよね。

こういうのが厄介なんですが、今はどの現場でもその差異を突き詰めていく作業中です。

学者ではないので、あくまでその俳優がその場面で、その相手役に向かって言うときに成立するのか、しないのか。

そこが注目点です。

稽古で出てくる言い間違いはその俳優と作家との齟齬や解釈の違いでもあるので貴重です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

と:友

2016年05月27日 | 演出者の目
と:友

ちなみに私の名前です。

劇団名がYOU企画なので名前の読みがユウだと思われがちなんですが、自分の名前を劇団名につけるほど私はおめでたい人間ではありません。

たしかに友は大事にしたいと思っています。先日の15周年も何の返事もなかったので、不安に思っていましたが多くの友人となった観客が来てくださいました。

聖書にも「真の友はどんな時にも愛しつづけるものであり,苦難のときのために生まれた兄弟である」という格言が示されています。

演劇ユニットYOU企画とは、演劇をするユニットという集合体であること、そしてYOU(あなた)が主役の企画です、という意味であることが由来です。

演劇というのは、目の前の「あなた」と創りだすものだからです。

もちろん観客が主役という意味ですし、社会が要請する、もしくは日本流に言うと世間が求める演劇作品を創りだしたいと思います。

この人称も重要で、私や名前を表す友ではなくて、私たちに代わるべきかな、と思います。

台本を読む時、この人称の変化に敏感でありたい、と思っているのでこんなことをつらつらと書いています。


末尾ですけれども、蜷川さんが亡くなられました。たくさんの友が言葉を捧げています。

僕自身は劇場ですれ違ったのと、「身毒丸」を拝見したぐらいですが、それでも大きな影響を受けています。

あまりにも有名な方たちが言葉を出しておられるので、僕なんかは、と思っていましたが、遅まきながら感謝を記しておきたいと思いました。

「ロミオとジュリエット」の演出ノートは「ジュリエット」の大変参考になりました。すばらしい演出でしたし、日本で演出家と言えばこの方でした。


近年、芸術センターでお世話になった高瀬久男さんや、桃園会の深津さんなど、本当に演出家として名を残し職業演出家として成立していた人が亡くなっていきます。

そこまで親しくさせていただいていたわけではありませんが、友を失ったかのような大変残念な気持ちです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

て:鉄人

2016年05月20日 | 演出者の目
前回公演では、久しぶりということもあってか、公演後に体調を崩しました。

大学のころに入団ワークショップを受けた劇団の主宰の方が、公演が決まるととりあえず走ると言っておられたことを思い出しました。
まずは、京都御所でひたすら走り込むそうです。やはり公演は体力勝負です。


劇場で働いていると、毎日が公演で、なんだかよくわからなくなります。1日14時間とか働いていると思考力がなくなります。
辞めて良かったと思う反面、公演にたいする体力というか慣れは、なくなってしまいました。

以前は鉄人だったのだろうかと思います。あるいは年4回とか年6回とか公演されている劇団や、1日二回公演される歌舞伎などの公演形態でされている方は本当に鉄人です。

YOU企画は機が熟すまで待つ辛抱強さが武器です。
好きな聖書の格言に「一握りの憩いは、二握りの骨折りと風を追うことに勝る」という言葉があります。
休憩が無理に働くことに勝るということです。働き過ぎの日本人には最適の知恵の言葉です。

公演のない期間がちょっと長い時もある劇団ですが、そういうことだとお思い下さい。


でも秋にちゃんと新作をやりますけど。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

つ:追伸

2016年05月13日 | 演出者の目
2004年にウィリアムサローヤンの「hello out there」という作品をやりました。
これは2003年に一度やったものをもう一度同じキャストでやったものです。

このブログでも何度か言及しているぐらい気に入っている作品です。
普通に読むだけだと30分超の戯曲を一時間まで引き延ばした、というか合間を創作したのですが、これが自画自賛であれなんですが、面白い。自分が見たいものを作っているので当たり前なんですけど。

でも最後に付け加えてしまったシーンが、今となっては訳がわからないというか、いらなかったなーってちょっと後悔してます。
セリフのないループのシーンでした。

作っていると、だいたい最後の方で、何かしら付け加えたくなるときがあります。
演出家の病というか。

でもそういう追伸は大抵いらないんですよね。


演技のポイントとして、コミュニケーションの黄金のアドバイス「聞くことに早く、語ることに遅くあれ」という聖書の言葉があります。

作者の声をよく聞いて、観客が耳をすます時、ラストには必要かもしれません。

どうしても伝えたらない気がして、追伸、追伸と連続したくなりますが。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ち:地球

2016年05月06日 | 演出者の目
私たちがすむ地球です。
可能ならこのブログ、地球上の全ての人に向けて発信したいですが、そうするには英語に変換しないと難しくなりますね。
先日、英訳したスピーチをしましだか、実力のなさを痛感しました。海外で仕事したいと思っていましたが、明らかに力不足です。

とはいえ、今日お話したいのは、そういう感じで常に外からの視点を持ちたい、という話です。


古代、亀の上に四頭の象が乗っていてその上に地が乗っている、と考えられていました。
今、尾田栄一郎先生のワンピースでゾウ編が連載されていますが、海の上を移動する象の上に島が乗っている、という奇想天外な設定の中で物語が進んでいますが、かつてはそれが本当だと信じられていたのです。

でも聖書では、ヨブ記26章7節では「神は地を無の上に掛けておられる」とあり、イザヤ40章22節では「地の球体(円)の、さらに上に住む方」つまり神様について書かれています。聖書でエホバまたヤハウェと一般に呼ばれている神は、聖書が書かれた時点で、ガガーリンよりはるか昔に、漆黒の闇に浮かぶ球体を見事に描写しています。

まさに神の視点で、外から眺めた地球を正確に描写しています。
ガガーリンは青という色を足して、あの名言を残しました。

演劇も常に外からの視点を必要とします。
いつも作品を創る時に、勉強として大量の映画や小説、マンガ、絵画、音楽などを必要とします。
それは外から見た視点を取り入れるためもあるのかもしれません。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

た:多面性

2016年04月28日 | 演出者の目
た:多面性

 前回の「ハーフ」からキャラクター創作に取り入れている方法があって、それは人の多面性を前提にしています。

よく人はいろんな役割を演じている、と言われます。父親、息子、兄、上司、部下、友などなど。

僕自身は、演劇とは究極に単純化すると「人と人が出会うものだ」と思っていて、

出会って人が変化する、その変化が上述のそれぞれになるのかな、と考えています。

しかし、それを創造していくとなると、どうするのか。


W.サローヤンを二度目にやった時に取り入れた手法で、絵画のポーズを借りてくる、というのがありました。

マグリットの絵を基にして、二人に見える絵の構図を完成させるのです。

ある時点(絵)からある時点(絵)への移り変わりの部分は俳優たちに創作してもらい、

マグリットの絵の構図に気づいたらなっているのです。

この作品は、今映像で見返しても、(ラスト以外は)非常に面白く感じます。

まあ、自分が見たいものを創っているからそうなんですけれど。

ハーフで試みたのは、小説版が元からあったので、そのキャラクターが似ている身近な人物を想定してもらい、その人のモノマネから始めました。

さらに「動物に例えると?」というのを聞いて、動物の真似も組み入れていきました。特に動作、仕草などをこのセリフのときはしてください、という感じです。

今回もそのように作ってみるつもりです。

「ウオレスとグルミット」の監督が、クレイアニメのアニメーターは役者だ、と言っていて、ちょっとした表情などを眉毛をかえたりして創っていきます。

でも僕たちはそれを見て、驚いているとか泣いているとか思ったり、恋人だった人が殺人者になったりするさまを見たりするわけで。

実際にはフィジカルな動きからキャラクターは造形されていくのだなあ、と思います。


とはいえ、俳優たちに眉毛を3センチあげてなどといったり、してもらったりするだけで感動が生まれるとも思っていません。

結局、そうしたもともと違う人や動物などを、一人の人格に統合したり、絵と絵の合間を創っていくのはやはり俳優その人なのだ、と思います。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加