伊勢三郎義盛は山賊ではない!!

伊勢三郎義盛について少し言及しておきたい。大河ドラマ第九話では、鏡の宿であるから、滋賀県の竜王町の辺りで悪さをしている山賊として登場するのであるが、これは少なくても、おかしい。何故ならば、伊勢三郎という人物は、実在の人物で、しかも「義経記」によれば、一番最初に家来になった重要人物であるから、それなりに注意をした描くべきである。

義経記によれば、伊勢三郎と義経が出会ったのは、上野国の板鼻(現在の群馬県安中市)となっている。そこには彼の氏素性がはっきりと記載されている。これは信憑性が高いと思われる。三郎の父は、伊勢の二見が浦の度会義連(わたらいよしつらという神職であったが、京都の清水寺にお詣りに行った時に、九条の上人という人物の前で、乗り物を降りなかったということで咎めを受けて、上野国に流されてしまったのである。

「度会家」という家は、代々伊勢の神職を務める名家で、三郎の父は、源義朝にも目をかけられていた人物だったのである。伊勢の三郎は、「山立」(やまだち)ということで、これまで山賊のように言われてきた。これは大いなる誤解である。「山立」とは、「山達」とも表記する。秋田の阿仁のマタギもまた「山立」である。要は「山立」とは、山猟師のことである。彼らは「山伏」同様に、懐に「山立根之秘巻」というものを持って、日本中の山を自由に歩く権利を有しているプロの集団である。また彼らは、一度天下に反乱などがあった時には、駆り出されて、武者となって治安の維持にあたることもある。

彼らが持つ巻物には、「日本国中山々嶽々御証印之天下永代之御免許証定如件」 (日本中の山々を歩くことを永久に認める免許証)と書かれ、最後には「清和天皇と弘名天皇の許証印」という印が押されている。これについては、柳田国男が「神を助けた話」の最後に、資料として、その原典を原文のまま掲載しているので、興味のある人は読むとよい。

そんな訳で、伊勢三郎の心情について斟酌(しんしゃく)すれば、義経と会った時、自分の家を再興するチャンスと思ったのである。つまり代々伊勢の神職まで務めた名門の者が些細なことで流され、群馬の安中辺りに定住して、山猟師に身を落としていたのである。そんなこともあって、義盛は義経の最初の家来となったと思われる。
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