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中野好明のゴルフ-グリーンサイド

ゴルフ リポーター歴35年の中野好明が思いつくままに話す独り言

卓話

2009年07月31日 09時28分48秒 | Weblog

サンクロレラ・クラッシク初日、石川遼が、7535ヤード云うタフな
 小樽カントリークラブを65の7アンダーで単独トップ。
これは凄いけど、

テレビのインタビューで、石川遼は、
 「明日は、65を忘れてイーブンな気持ちでぷれーする」
こう言えることが、これまた凄いですね。これをアマチュアで云うと、

何時も、ハーフを45ぐらいで回っている人が、午前のハーフを40で回った。
 すると、飯を食った後の午後は、この40を基準にしてしまうんです、
午後のプレーでちょっとボギーが先行するとあせるんですよ。
 
平均、45で回る方は、全部ボギーでいいはずなのに。
 湯原信光は、コースに出たらスコアの結果は、インサイドワークで決まる、
そう言ってた事を思い出します。


さて、この28日の事ですが、中野ロータリークラブの方から、集会で30分ほど、
 卓話ををして欲しいとの連絡を頂き、新宿のホテルまで出かけました。
30数人の少人数の集まりでしたが、

社会貢献を常々考えている人たちですから、なんとなく品のある方に見えます。
 そこで、私が話すわけですから、ゴルフとなりますが、
テーマは、「ゴルフが上手くなりそうな話」としました。

といいますのは、私がCS放送で担当している、「めざせシングル」
 その人たちを話題にすればご理解していただき易い、
そう思ったからです。

相対的にこの番組に出てくる方々は、ハンディが1とか2の方々ばかりですから
 ゴルフに十分な有り余る時間とお金がありそうに感じますが、
しかし、大抵の方が小規模な会社を経営、

有り余る時間や、金銭的にもとてつもなく裕福とは感じないのです。
 逆に、小さな会社ですから、自分が休んでゴルフや練習を
しているわけにいきません。

朝一時間早く起きて練習場に、または自宅で素振り、
 もしくは夕方、会社が終ると一目散に練習場に、また、多くの場合、
コースでのプレーが、週に一回ぐらいの方が珍しくないのです。

これを例にすると、有り余る時間がある人は、その時間に価値観が薄く、
 集中力をもって練習できず、技術が身につかない、
勿論、全ての人が総立ち憂い身ではありませんが。

明日でも明後日でも何不自由なく、いつでもコースへいける人は、
 一打入魂に、もしかすると欠けるのかも知れません。
昔、青木功が「グリーンはな、水はけを良くしておき、水を最小限あげる。
 そうすると芝は、

その少ない水を芝は吸収しようと、根を下に長く伸ばす、水をたくさんあげると、
 根は楽をして横に伸場してしまう、だからいいグリーン作りは、
砂を入れて水はけをよくして、水を十分にあげないこと」
 と聞いた事があります。

これとゴルフが上手になる道と、ちょっと似てる、
 そんな話を、その中野ロータリークラブの人たちにさせて頂きましたが、
ご理解頂けたら幸いです。

 


勝負は残酷

2009年07月27日 12時24分21秒 | Weblog

全英シニアオープンで予選落ちをした青木功は、予定よりも二日早く、
 日本に帰ってきました。
その予定外の行動で、帰ったその夜は奥さんが不在。

ということもあったんでしょう。
 「夕飯でも食うか」
との電話を頂き、近くのピザ屋に出かけました。

聞くところによると、最初は焼き肉屋を予約したそうなんですが、
 土曜日の夜、それに食事の一時間前の突然のことなんで、
その店は満席、ピザ屋になったそうですが。

その話を聞きながら、来月、67歳になるのに元気なおじさんと思いましたね。
 その日は多分、コースで予選落ちが決まると、
飛行機を予約。

その後、ローカル線でロンドン、ヒースロー空港から成田へ、
 成田から車で東京、
およそ20時間の大移動、

日本に着いたら、家でビールとお茶漬け疲れを取る、
 私だったらそうするだろうと思うんですが、
焼き肉屋に行こうとするとところが、世界を旅する青木なんでしょうね。

キャディー兼マネジャーの村田さんも一緒だったのですが。
 話の中心は、全英のワトソンの事、
丁度、前回、ワトソンと青木の昔話をお伝えしましたが、

また、そこで、その昔話をすることとなりました、
 一つ前回のご報告で漏れていたのは、
「ワトソンは、あの試合、新婚旅行、そのもの気持ち、

試合の最中なのに二人並べて写真を撮ったり、俺、大サービスを
 しちゃったよ。
しかし、全英オープン、勝負って残酷だよね。

プレーオフの前の18番ホール、ワトソンがセカンドをオーバーしてボギーと
 するんだけど、残り190ヤードの距離を8番アイアンで打って
グリーンオーバーだよ。

勝負に気が入ってしまうととんでもない距離が出てしまうんだね。
 3メートルのパーパット、
ワトソンの気持ちが乱れているんで、自分が代わりに打ちたくなったね。

しかし、勝負って残酷だ、140年ぶりに記録が生まれるって云うのに、
 ゴルフの神様は、そうさせないんだから。
プレーオフで負けたワトソンが目の前を通るんだけど、声をかけられなった。

でも、翌週の全英シニアでは、何時ものワトソンだったけど、
 内心は吹っ切れていないかもしれない。 
そうそう、予選落ちで帰る時、

尾崎直道に 「帰るぞ」
 て言ったら、「予選落ちしたのは残念、その気持ちと。
でも、二日早く帰れる、その喜びもあるでしょ、そう言われたけど確かな事。
 俺たち、幾つになっても日本人、と思ったね」


 


トム・ワトソン

2009年07月22日 08時35分11秒 | Weblog

今年の全英オープン、予選ランドの二日間は、石川遼とタイガー・ウッヅが
 話題を独占しました。
そして決勝ラウンドは、言うまでもなく今年、還暦を迎えるトム・ワトソンでした。

最終日にテレビを見ていた方の大半は、トム・ワトソンの優勝を願いながら、
 ご覧になっていたと思うのですが、如何でしょう。
ワトソンにとって1977年の全英、このターンベリーで勝った思い出のコース。

その最終組のリポーターをしていたのは青木功、ちょっと昔話が少なかったように
 感じましたが、どんな気持ちで試合を見てたんでしょう。
青木とワトソン、振り返ると長い長い歴史があるんです。

今は消滅してしまったサントリーオープンは、1973年に静岡県の
 愛鷹600ハンドレッドクラブで第一回大会が開催されたののですが、
その時の優勝者は杉本英世。
 アメリカからは、今後期待の新人選手と招待されたのがトム・ワトソンです。

ワトソンは、その年、リンダ婦人と結婚したばかり、新婚旅行気分で日本に
 二人でやってきたんです。
そして予選ラウンドで一緒に回ったのが青木功です。

その試合、青木功にも付き合いだしたばかりの新しいガールフレンドが
 いました。その人は現在夫人、チエさん。
その頃のトーナメントは、それ程のギャラリーもなく、

常に青木とワトソンの組を見て回る二人は、次第に世間話をしながらの
 観戦となりました。
プロゴルファーは試合をしながらも、友人や妻の行動をよく見てるものなのです。

ホールアウト後、青木は、
 「初めて会ったのに、ずいぶん話し込んでいたな、何を話してたの」
チエさんにそう聞いたらしいのです。

「リンダが言うには、日本は何もかも楽しいけど、たった一つの不満は、
 ホテルのディナーのステーキが高いこと、アメリカの十倍ですって」
それを聞いた青木は、チエさんに言ったんです。

「そうか、だったら今夜から、ホテルの食事のサインは全部青木功と
 書くように伝えてくれ」
その翌年、1974年からマスターズなど、アメリカツアーに参戦するように
 なるのですが、二人が親交を深めた事は言うまでもありません。

それに、もう一つ、1977年、ジャック・二クラスと戦ってワトソンが勝った、
 ターンベリーの全英オープンは、青木功が始めて参加した全英オープン
なんですね。

当時は、土曜日も予選落ちがあって青木は予選落ち、
 翌日の日曜日は、ジャックとワトソンの一騎打ちを見て、
その足で翌年の開催地、セントアンドリュースを下見、
 1978年の全英は、7位に入り、イギリスでのゴルフに手応えを感じたのです。

 


明日開幕

2009年07月15日 21時48分51秒 | Weblog

明日初日を迎える全英オープン、タイガー・ウッズと石川遼を組ませるなんて、
 R&Aって粋ですよね。
勿論、商売の何らからみもあるんでしょうが。

ご存知のようにR&Aはゴルフの総本山、なんとなく堅い役所のような
 ところ、と想像してしまうじゃないですか、
それでタイガーや石川遼は無視、

プロフッショナルは自分で、その名声を勝ち取れ、と言ってもおかしくない団体、
 そう思うんですが、
「え、これがR&A」 と感じたことが二回あります。

私、テレビ朝日で全オープンのリポーターをしている頃、
 一度は、日本人選手、その名前は思い出せませんが、その組について、
ホールの端のほうのラフを歩きながら、

その選手のプレー振りを見ていたんです。
 すると、その組の協議委員が私のそばに来て、何か注意をしだしたんです。
てっきり、選手の邪魔になるので、もっと遠くを歩け、
 そんな注意と思ったのです。

しかし、よく聞いてみると、
 ラフを歩いてはいけませんって言っているんです。
その理由はラフはミスショットのボールの行く所、リポーターが、そこを歩いて、

平らにしてしまったら、ミスとナイスショットの違いがなくなる、
 だからフェアーウェーを歩きなさい、と言うことなんです。
リポーターを信頼しているというか、

競技を大切しているというか、R&Aならではの判断と思ったのです。
 もう一つは、セントアンドリュースの17番ホールのバンカーです。
この17番は砲台グリーン、

グリーンが砲台な上に、その面が狭いので手前からホールを攻めようと、
 グリーン左手前のガードバンカーに捕まる事が多いのです。
そのバンカーはご説明するまでも、

幅が狭く、その深さが2メートルもありますので、
 人が、そこに人が入るととテレビカメラがどんな角度から撮っても、
人の背中や頭が見えるだけで、

ボールの状況などが分かりません。
 そこでR&A、勿論、BBC放送局の要望もあったのでしょうが、
そのバンカーカのピンに向かって正面の壁にレンズを入れたのです。

その方法は、砲台グリーンですから、そのバンカーの反対の面から穴を空け、
 丁度、内視鏡のように、グリーンのそこをテレビカメラを通して、
反対側のバンカーを内部を見えるようにしたのです。

これボールのライや、深いバンカーから、どうしたら高いボールを打てるかなど、
 ゴルフファンを楽しませた事があります。
いろんな意味で、全英オープンは、最も権威ある大会と信頼申し上げています。
 今年は、どんな大会になるんでしょう。


メジャー大会

2009年07月11日 12時34分54秒 | Weblog

前回、青木功を練習場に連れて行きボールを打ってみろと言った人は、
 金田中の岡崎さんとお伝えしましたが、岡副さんの誤りでした。
訂正、並びにお詫びします。

さて、今週は全米女子オープン、しかし、男女とも、日本の選手はそうなんですが、
 メジャー大会となると、どうも、その活躍は素晴らしいものではありません。
精神面、技術面、その要因をあげると数多くあると思いますが。

一つの例としてコースをあげると、男子の全米オープンは昨年も今年も、
 パブリックコースの開催でした。
全米オープンが開催できる程のコースが、アメリカのパブリックのゴルフ場に、

存在するのも驚きですが、そんな難易度の高いコースで、
 普段は、そこで一般ゴルファーがプレーを楽しんでいるのかも不思議です。
多くの日本人ゴルファーは、

ゴルフと云うスポーツを通じて勝負を楽しむよりも、
 その日のスコアが幾つだったかを楽しんでいるように感じるのです。
何時も、90でラウンドしている人が、

100を切れないようなコースに行ったら、
 「このコースも、たまには楽しいけど、ゴルフはストレス解消に来ているんだから、
もっと、いいスコアが出るコースでプレーをしたいね」
 多くゴルファーの本音かもしれません。

1998年に、今は、消滅してしまったサントリーオープンが、
 習志野カントリークラブから総武カントリークラブに場所を移したのですが、
初年度のコース造りは、フェアウェーの幅30ヤード、ラフの長さ20センチ、

全米オープンが開催されるほどタフなコースを作りました。
 それでも、谷口徹が、
「バンカーが綺麗過ぎる、バンカーもハザードなんだから、平らに易しくしないで、
 もっと荒々しくてもいい」

そう、クレームをつけたのですが、そう言っても、それに応えてくれるコースと、
 谷口は、期待しながら、そう言ったのかも知れません。
その後、大会が、2年3年と続いたのですが。

次第に、フェアウエーの幅が広くなり、ラフの長さも、普通の日本の
 トーナメントの長さと同じになってしまいました。
その頃、支配人に聞いてみたのです。

「せっかく、タフなコースが、最近は普通のコースに感じますが」
 「いや、大会が終った直後の月例ですと、
我がコース、トップクラスのシングルプレーヤーが、

90も切れない状況なんです。
 皆さんのご意見で、コースをハードにしないことにしました」
残念ながら、これがコースの本音と思います。

ずっと前に、ある九州のコースで日本オープンが開かれました。
 日本オープンは、ご存知のように開催が決まった数年前から、
真の実力者をチャンピオンにしようとJGAのコース委員が、

それにふさわしいコースを作ろうと、木を植えたりバンカーを作ったりする
 ようですが、
そのコースでは、そのバンカーを大会が終ると埋めたしまったそうです。

理由は、勿論、そのバンカーがあると普段のプレーが難しいからです。
 世界のメジャー大会に出ると日本人プロは成績は芳しくない。
その要因は、我々の身近なゴルフ場にある、そう感じています。


ゴルフを始めたきっかけ

2009年07月08日 13時22分42秒 | Weblog

前回は、青木功プロの事務所にお邪魔して、
 「どうしたらゴルフが上手くなるか」
そんな話をしたことをお伝えしましたが、

「ゴルフを始めたきっかけ」 などの話もしたのです。
 今、丁度、スポーツニッポンで「我が道」と題して青木功の自叙伝を掲載中ですが、
今朝、そのコラムをみると、

話は、既に東京都民ゴルフに就職、松井功(日本プロゴルフ協会会長)と出会い、
 コースには内緒でゴルフをしていたなどと書かれていますが、
そのゴルフを始めたきっかけを、

先日も事務所で聞きましたのでお伝えします。
 青木とゴルフの出会いは、家の近くに我孫子ゴルフクラブがあり、
小遣い稼ぎにキャディーのアルバイトをしたのがきっかけなのは、

多くの皆さんがご存知です。
 ですから、プロゴルファーになりたくてキャディーを始めたわけではありません。
聞くところによると、中学時代、野球の腕前はある程度のもので、

その野球で高校は推薦入学の可能性もあったと聞いています。
 野球の腕前がある程度の方は、人が投げたボールを打てる人が、
ゴルフをやったら、止まってるゴルフのボールを打てないわけがない、
 最初、そう思うのが普通です。

青木功も、その一人、その小遣い稼ぎでキャディーを始めたものの、
 ゴルフのプレーには、まったく興味がなかったわけです。
それに身なりの立派な大人が、

小さなゴルフボールを操るのを苦労している姿は滑稽で仕方なかったようです。
 そんなある日、新橋の料亭、金田中の主人岡崎さん (と思うのですが)
のキャディーをしている時、そのミスショットに思わず、「プー」と
 噴出してしまったそうです。

その岡崎さん、その後も黙々とプレーをしていたそうですが。
 ラウンドを終えると、練習場に行くと言い出したそうです。
キャディーとしたら練習場は付録で残業みたいなもので、

あと数十円もらえるかなと青木は付いていったそうです。
 すると岡崎さんは、そこで自分のクラブを青木に渡し、
「さあ、ここでボールを打ってみろ」
 そう言ったそうです。

運動神経には自信のあった青木はドライバーを一振り、
 そのクラブは空を切り、尻餅をつきそうになったとか。
ここで岡崎さんは高笑い、2度3度、青木の空振りを見て満足げに
 引き上げたそうですが。

もし、この岡崎さんが、青木を練習場に連れて行かないで、
 キャディーマスター室にクレームを入れる人だったら、大目玉をくらい、
ゴルフと云うゲームに嫌悪感を持ち、
 今の青木功はなかったかもしれません。

人が大成するということは、その人の持って生まれた能力が必要なのは
 当然の事ですが、
何時、どんな人に会うかも、大成の条件に含まれていると思うんです。

 


ダービー

2009年07月03日 18時23分29秒 | Weblog

およそ2ヶ月ぶりにご近所のプロゴルファーがアメリカから帰りましたんで、
 ご機嫌伺いに、昨日事務所にお邪魔しました。
すると頭をかきながら、

多分雑誌社か、あるいは知人からの質問事項を読んでいました。
 目の前に私が座ると、
「この質問、どう答える?」

私に、そう言うものですから文を覗いてみると、
 「どうすれば、ゴルフが上手くなりますか」
との質問。

「どうすれば、ゴルフが上手くなるかって、そりゃ、俺がしたい質問だよ。
 それを知ってりゃ、もっといい成績残してるよ」
「練習の積み重ね。これでいいんじゃないですか」
 「当たり前だけど、そうするか」

青木功は、ゴルフに関しては不器用なほど純粋です。
 そして昨夜は、競馬のダービーの優勝祝いがありました。
話は、7,8年前に遡りますが、

山梨の運送屋の親父が、青木家の、やれ、クリスマスとか、やれ、花見会に
 顔を出すようになりました。
そして5年前には、世界の殿堂入りの際にも、ご夫妻でフロリダまで
 ご一緒するまでの間柄になっていました。

その殿堂入りに、やはり、ご夫妻で参加したのが、1983年から青木がCM出演を
 している、コンピューターのソフト会社、オービックの野田社長夫妻です。
青木を通じて運送会社の親父、久米田氏は、次第に、この野田夫妻とも
 仲良くなったのです。

この野田夫妻は、多彩な趣味を持っていますが、
 何頭持っているか知りませんが、馬主としても有名です。
時々、競馬場にも一緒に行っていたようです。

そうなると、ある程度経済的な余裕があると、馬が欲しくなるのが人情のようです。
 昨年の夏、北海道に野田夫妻と一緒に行って数等の馬を競り落として
来たようです。

その一頭の馬、ロジユニヴァースが今年のダービーで優勝してしまったのです。
 今年の三歳馬は、7,768頭だそうですから、初めて馬主になった人の
優勝は、奇跡に近い数字といえそうです。

昨日の優勝の食事会では、野田社長が、
 「そう言えば、久米田さんは、阪神大震災の際、自分のトラック2台で、
そこにパンなどの食料と水を運んだことがありました。

私も多少の寄付はしましたけど、不眠不休で山梨からトラックで被災地に
 駆けつけた、そんな行動に神様が、運をプレゼントしたんでしょう。
実は、私もダービー馬の馬主になりたいんだけどね」
 そんなスピーチをしたのですが。

実際、久米田氏は、地震の翌日、山梨地区のコンビニにトラックを横付け、
 パンにお水、それからなるべく火を通さないで食べられる食料を2台の
トラックに詰め込み、

そのまま、高速を走って被災地の、確か、小学校に運んだという事なんです。
 こんな親父ですから、近くの学校の子供たちが、野良犬を、自宅の庭に
置いていくそうなんです」
 「犬が増えて困るよ」
そう、言ってますが、表情は嬉しそうです。
 ゴルフを介した友人たちは、色んな人がいます。


頭と運

2009年06月29日 10時53分14秒 | Weblog

テレビのゴルフ解説者で設計家でもある大西久光氏は、
 プロゴルファーで大成するには、心技体、それに頭と運が必要、
そういっていますが。

昨日の石川遼が勝った全英への道、ミズノよみうりオープンは、
 そんな頭と運、それを感じた試合でした。
多くのゴルフファンは、ご存知のように、

大会最終日、11番ホールを終った時点では、石川遼が15アンダーで、
 2位の金亨成に5打差をつけて首位独走、
コースに足を運んだ誰もが、遼くんの勝利を信じて試合を楽しんでいたはずです。

でも、プロに聞くと勝ったと思った瞬間から、プレッシャーを体に感じると言うのです。
 プレッシャーを感じるとフットワークが鈍くなります。
腕の振りは、そのままですからボールが予定より多くフックがかかります。


もしかすると、遼くんも、楽観的なギャラリーの雰囲気に飲まれ、一瞬勝った、
 そう思ったのかもしれません。
しかし、次の12番ホールに悪夢が待っていたのです。

そのパー4で遼くんは、ドライバーで二発のOB、次のショットもフックして左のラフ、
 上がってみれば、7オン2パットの9ストローク、せっかくの5打のリードを
すべて使い果たし、10アンダーで金と並んでしまったのです。

前のホールで二発のOB、次の13番のティーショットが不安になるのが、
 ゴルファーの当然の心理、
しかし、そこは201ヤード、パー3のショートホール。
 ドライバーショットは必要ありませんでした。

神が、ドライバーショットの不安を忘れさせる、しばしの時間を与えた、
 そんな感じがしたのです。
そのパー3を金のボギーに対し、パーで切り抜けると。

これまで誰よりも多い練習量が、自信を復活させる裏づけとなりました。
 「これまでの練習は、こんな窮地を乗り切るため」
そう、思って次の14番ではドライバーを振り切ったと思います。

その後は、立て続けにナイスショットを連発、
 圧巻は、16番パー5のイーグルです。
セカンドショットをグリーン横まで運びましたが、ピンまでは約35ヤード。

これを寄せに行くと、強めに入ったインパクトでしたが、
 ボールはピンに当たってカップに入ったのです。
勝負運がない選手ですと、ピンに当たっても横に3メートルも弾かれたかも
 知れません。

18番ホールも、2打差のリードがありながら果敢にツーオンを狙ってバーディ。
 ジャンボや青木が言うように、
「2打差あったら、安全にパーで逃げ切り。そう思うんじゃなく、
 そこでバーディを取って3打差で勝つ」
そう思う選手じゃないと、大成はしないよ。

心技体、それに頭と運、大西久光氏の言う、スター選手の要素を全て
 持っているのが石川遼、そう感じるですが、願わくば、その対抗馬が欲しい、
日本のプロゴルフ界です。

 

 


ゴルファーズ・ビ・アンビシャス

2009年06月23日 13時41分22秒 | Weblog

今朝、一日遅れで全米オープンが終わりました。
 ミケルソン、ジュバル、それに世界的には無名と言っていい、
リッキー・バーンズ、それにリーカス・グローバーの戦いになりましたが、

勝ったのは、グローバー。
 予選会からの出場といいますから、何年か前に、アメリカの田舎町の
プロゴルファーが、全米オープンに予選会から出場して優勝する
 映画がありましたが、
俳優は、リチャード・ギアーでしたっけ。

「これは映画だからいえる夢物語」
 その時は、そう思って、その映画を見ていましたが、それが現実のものと
となりました。
 その脚本を書いた人も驚いているのかもしれません。

もう、10年も前になりますかね。
 アメリカのフロリダでゴルフ番組の中継のお手伝いをしていた事がありまして、
何人もの日本人ゴルフ留学生に会いました。

子供がプロ志望で家族でフロリダに移り住んでいる方々もいましたが、
 その人たちの会話で中で記憶に残っているのは、
小さな子供が将来はプロゴルファーになりたい、そう言うと。

一般的な日本社会では、
 「プロゴルファーで何人、食べていける人がいるの。
仮に、食べていけたとしても、何歳まで、試合が出来ると思う。
 プロって大変なんだから」

と、多くの人が、まずは会話が否定から入るとが普通というのです。
 フロリダで同じ事を言うと。
「プロゴルファーになりたい、そりゃーいいや。
 オーガスタでタイガーを破ってグリーンジャケットを着るんだよ」

最近、日本人も好きになった、褒めながら育てる、そんな国民性だというんです。
 ですから、今回のルーカス・グローバーの優勝も、
本人と、彼を応援する方々は、「グローバーの全米優勝の可能性あり」
 そう思っていたのに違いないのです。
そうでなけりゃ、ミケルソンやジュバル、そのあのギャラリーの
 喚声に勝てっこありません。

横峯さくらが、先週、ニチレイPGMレディースで3勝目を上げましたが、
 父横峯良郎氏は、さくらちゃんを褒めながら育てたに違いありません。
あれこれ注意しながら育てたとしたら、

新人の頃、マスコミやファンにとやかく言われた、あのさくらちゃんの
 オーバースイングをずっと前に直していたに違いないからです。
「さくら、今日は調子いいな。
 こんな時、練習もったいないから、あと30分、ボール打っていこうか。
ゴルフは形より練習だ」

めだかクラブとかいって、良郎氏が自ら作ったゴルフ学校があり、
 何人かの子供たちに会いましたが、皆実に明るいのです。
「ゴルフを上手くなるのは、辛いものでなく、楽しいもの」
 子供たちに、きっとそう教え込んだものと推察します。


 

 

 


船頭多くして

2009年06月19日 13時55分31秒 | Weblog

「船頭多くして船山に登る」 という諺がありますが、
 これってゴルフの諺にも当てはまるように思えるんです。
いや、私の場合は、ゴルフの練習よりも、焼き鳥屋でゴルフ談義をする時間のほうが、
 多いからなんですが。

それを十分承知で我が身を振り返ると、
 1972年、ジャンボ・尾崎が、今の石川遼のような立場にあったのですが、
そのジャンボのテレビ番組を担当することで、

ゴルフの世界が仕事場になったのです。
 当時は、若手アナウンサーでゴルフのプレーの経験者が少なかったので、
次々と、一流プロのレッスン番組を担当させていただいたのです。

最初のジャンボの番組の中身は、コース攻略が中心で、
 「このセカンド地点から、ピンまでは、160ヤード、グリーンまでは
やや上りですから、ワンクラブ大き目のクラブ、7番アイアンでフルショットです」

といったナレーションで、ジャンボのスイングを何度も見ていただき、
 そのいいスイングのイメージを頭に入れて頂くものでした。
その後、小松原三夫のゴルフ道場、

それから安田春雄の実践ゴルフと続いたのですが、この時期、安田プロの教える、
 腕の振りと一緒に、右太ももを左太ももにくっつけるスイング、
これを守ったらハンディ9までになったのですが、

この頃のグリップの主流はスクエア、しかし、安田プロはフックグリップ、
 正直なところ、そのフックグリップに不満を持っていた私は、
番組を終ると同時に杉本英世プロの聞いてみたのです。

「そろそろ、フックグリップを見栄えのいいスクエアに戻していいですかね」
 「大丈夫、大丈夫、ゴルフが安定してるからね」
この移り気な気持ちが、ゴルフの迷路の入り口でした。

ただ、言い訳をさせていただくと、
 私は、担当した番組のプロのゴルフ理論に感銘、それを理解、
もしくは理解したつもりになって、そのプロに惚れないと、
 見る方々に賛同を頂ける番組にならない思っているのです。

安田プロの番組が終ると、尾崎三兄弟の番組が始まりました。
 フットワークの使い方の表現が安田プロとちょっと違っていたのです。
右太ももを動かすから、

尾崎三兄弟は、ダウンスイングは、左ひざを割り、左ひざのリードで
 クラブを下ろすとなるのです。
この時期、家が近所の為、練習に一緒に行くのが青木功プロでした。

彼は、手打ちのように見えても教える事は、体の回転です。
 ダウンスイングでは右肩でボールを打つつもりで肩を回せてと言うんです。
トッププロの彼らを否定しているわけではありません。

多くのトッププロから多くのことを学ぼうと思い過ぎ、
 私のゴルフスイングは、山に登ってしまったのです。
石川遼が、いま、不調です。
 船頭が多すぎるのかなと、懸念しています。