上海で日本語を話している中国の若者達

中国人に囲まれて日本語で通していく日常の出来事を書き綴っています。

水漏れ

2010年01月29日 | 日記
先日は洗面台の排水周りを修理して、ほっとしていたのですが、今朝は何と給水パイプから水漏れです。
しかも温水器に繋がる金属メッシュのフレキシブル管から噴水の様にお湯が噴出していて、手がつけられません。
やっと原因を見つけると、フレキ管を繋ぐ部分のパッキンが腐食していました。
仕方ないので、部屋への大本の水道栓を締め、大型レンチ(出来ればウォーターポンププライヤーが良いけれど無いだろうな)とパッキンを買って、帰宅してから修理する事にして出社しましたが、既に9時を廻っていました。
何で中国の水道周りの部品の出来はこんなに悪いのでしょう。
全国全メーカー統一規格統一デザインなので、悪徳業者が品質の低い偽物を市場流通に混ぜやすいのは判るのですが、これってある種のサポタージュかテロ行為ですよね。
ああ、明日は水道工事で半日潰れる予感がしています。

身体を張ってのギャグ?

2010年01月28日 | 日記
昨日は日本商工クラブの賀詞交換会でしたが、そこで知り合いの総経理達と休憩時間に盛り上がったのが、民主党の身体を張っての昨今のギャグについての談義。
「現政権は、バラエティ・ワイドショー番組の為に、毎日話題を提供しているとしか思えない。」とのご意見には全く同感。
幾らなんでも億単位のお金の件を忘れていたと言って納得する人は居ないでしょう。
「恐らく、首相も幹事長も、日本の窮状を救う為、既存の自民党路線の政官方針の変更によって変革するのではなく、国民の危機意識を煽り、国民一人一人にイノベーションをもたらす為に、自らの身を犠牲にして笑いを取っているのでは無いでしょうか?」という発言で、私も大きく座の笑いを取らせて頂きました。
さて、三ヶ月先の万博を控えて経済成長中の此処中国・上海社会にとって、日本の政治混乱と経済低迷は、正しく「対岸の火事」なのですが、もはや笑うしかない状況の今年の日本、どうなってしまうのでしょうか。

営業センス・・・後付は無理!

2010年01月27日 | 仕事
董事会を経て、今年度の事業予測が半年前に私がした数値通りになる事が判り、ようやく応老師にもSI事業部の重要性を理解して頂きました。
早速、曹君を事業部長に迎えるべく現在の営業部を再精査したのですが、現営業部長は、営業の「いろは」目標数値管理どころか、仕舞には「管理の為の管理」をする帳票作りが重要だと言い出す始末です。
応老師と私におんぶに抱っこで今年も行く心算だった事がアリアリと判ります。
思わず「営業は数字を上げて何ぼだろう!」と言ってしまいました。
(久々に血圧が上がっているのが自分でもわかりました。う~ん、熱が・・・。)
確かに学校の様に和やかに運営している会社なのですが、前線部隊たる営業部までがそれでは・・・。
某新人に期待するところも大ですが、それ以前にやはり思い切った人事が必要な様です。

明日からまた、怒濤の日々

2010年01月26日 | 日記
昨日はローカルの公安派出所で、居住証明の発効に関して1時間、すったもんだの挙句、応老師の電話一本で5分で発効してもらい、意地悪をされたおばちゃん窓口に笑顔で見送られ、改めて華東師範大学のネームバリューの凄さを思い知った処です。
さて、今日はFの現地社長方の視察で、華師大教授&党書記達と昼食会で済み、肝臓が休まりましたが、明日からは日本商工クラブの賀詞交換会に始まり、お客様との懇親会、来海している某社本体の社長との懇親会と、毎日30分刻みで宴会が連続しています。
昨日も応老師からは、「バイクだから大丈夫でしょう。すぐ来てください。」と、いきなり呼び出されてますが(御蔭様で公安から解放されたのですが)、果たしてこの極寒の中、スーツ姿で上海の夜道を疾走するのは無謀でしょうか。

写真はSBFの風景

怒濤の週末、終わる。

2010年01月25日 | 日記
ようやく金、土、日曜の会議トリプルヘッダ-が、終わりました。
本当にこの数日はブログを書く暇も無かったです。
金曜日は昆山の某ビール工場への見学を絡めた上海ITフォーラム(ビーコン社ユーザー会)に出席。
結局TESの忘年会はドタキャンして応老師に全てお願いする事に。
帰宅すると翌日のSBFの宿題作製と董事会資料の最終確認。
土曜の朝に資料を応老師に送信後、愛車で建国路のSBF会場に急行です。
昼飯抜き状態でSBFの司会をこなし、夕方には中座して虹梅路の小南国に取って返します。
董事会が合流する前に個室に滑り込み、やっと食べ物にありつきけそうになりましたが、応老師から御茶のオーダーを申し付かって、服務員と交渉。
董事達と会った時にはへとへとでしたが、和酒乾杯のスコールに曝されました。
終了後は更に某焼酎バーの会を考えていたのですが、結局取り止めにしました。
明けて日曜は新しい同好倶楽部の立ち上げ会議に出席。
資料が間に合っていないので、口頭でプレゼン。
元々同じ趣味の会なので、まぁ何とか乗り切りましたが・・・。
結局DVDの編集は夜中になってしまいました。
さて、今朝は頑張って董事長出席の幹部会に出ましたが、そろそろ燃え尽きそうなので、NETを眺めてみるとこんな記事が・・・。
日経ビジネスオンラインの記事【中国羅針盤】「反腐敗闘争が始まった! 政府機関と企業との関係構築がますます難しくなる」を読んで、何故、所属する国立大学系企業では総経理の給料より安い給与条件しか出せないのか合点がいきました。

国家主席も私と同じ給与だったとは。

中国の公的企業が日本人を雇うのは難しい訳ですね。
日本では大卒新人の給与と変らないですから。

やっぱり私は物好きなのかなぁ。

こんな所にも事業仕分けの影響が

2010年01月22日 | 日記
OVTAの北京事務所が正式に閉鎖される事になりました。
どうやら2010年度の厚生労働省の予算が付かなかった様子です。
結局、昨年末の南通日本人会での講演はOVTA主催でなく、日本人会主催になってしまったので、一回もOVTAコンサルタントとして活動する機会がありませんでした。(任期の3年の間に復活する事は無いかも。)
上海でも意外と色々な場所で日本のキャリア官僚の方に会うのですが、これからどうなってゆくのかな?
日本も少しずつ変り始めているようです。
はてさて、吉と出るか凶とでるか・・・。

そういえば、今年は御神籤引いていないなぁ。

341人の名簿に入りたかった

2010年01月21日 | 日記
日本には知る人ぞ知る「日本映画・テレビ録音協会」という協同組合があります。
そこのHPに同級生の記事「重力ピエロの技師を務めた藤本賢一氏」を見つけたので協会名簿を見てみると、理事の一人をはじめ、同級生が恩師達に混じって4人ほど載っていました。
日本で第一線級で活躍する録音技師の名簿に載る・・・正直かなり羨ましいです。
でも、この341人に入るのは並大抵の努力では無いのですから、彼等の今日までの精進は推して知る物があります。

今は我が道を行くしかありませんし。

そうだ、人を雇おう

2010年01月20日 | 仕事
今年の営業目標を達成する為には営業力の強化が課題です。
ニュートン力学の世界では一日はおよそ24時間、
1年はおよそ365日1/4と決まっています。
物理的に可能な運動時間は不変で、効率によって運動量が増減するだけなので、増員無くして運動量効率化の限界点以上の壁を突破する事は出来ません。
そこで、当然の解決策は「新たに人を雇う」でした。
開発者は大学が4年間特別に育てた人材を供給してくれるので、心配は無いのですが、営業マンはそうは行きません。
今日は目を付けた営業マン採用予定者の最終面接でした。
果たして彼が当社の条件で来てくれるかどうかが鍵ですが。
ライバル社、用○軟件の面接も受けている彼。条件が折り合えるかな?

急に暖かくなった上海

2010年01月19日 | 日記
曇り空の暖かな上海。
遠くで小鳥が鳴いている。
地球の優しさに自然が答えている様だ(あ、地球も自然の一部だ)

先日H1N1の予防注射を受けてから、少しだるかったが、ようやく体調が回復した感じだ。
しかし、忘年会新年会ラッシュは小康したが、原稿山積み、フォーラム目白押し、出張日程寿司詰め状態が続いている。加えて遅々として捗らないビデオ編集作業。
プライベートを大分整理したのに全然時間が空かないのは何故だろう。

最近、愛でる物が無いのは辛い。と思っていた途端に友人の増満さんから1/72 トランペッター社T55の差し入れを貰った。
やはり持つべきものは友だなぁ。
彼が意外な昔馴染みとアメリカで知り合いだったのも驚き。
本当に地球は狭いです。

浅川マキさん逝去で思い出したのは「天井桟敷」と「ぴあ」

2010年01月18日 | 趣味
浅川マキさんの訃報を読んで、大昔の浪人時代、状況劇場や黒テントなど「ぴあ」に載っていたアングラ劇団の公演に通い詰めていた日々を思い出した。

寺山修司氏のアテネフランセでの最後の講義を自分が観る事は残念ながら出来なかったが、後日人伝に聞く事が出来て興奮した物だ。
草迷宮の公開も衝撃的だった。
札幌大学時代に鷲田先生のゼミで演劇論をテーマにしたのも、劇団アンダンテの旗揚げ準備に参加したのもこのインパクトから。
早稲田の学生だった山崎君(偶然にも映画学校の同級生に同姓の早稲田出身者が居て笑った)の下宿に泊めてもらったのも今では懐かしい。

彼は今、どうしているだろうか?
思えば学生時代から他人の下宿を泊まり歩いていたなぁ。
最初の結婚相手の家に泊めてもらったのも何となくだったし。

実は野良猫みたいな生活が好きなんだな、きっと。

スクリーンデビュー作が「ぴあ」のフィルムフェス作品だったのも、録音ゼミに話が来た時「ぴあ」絡みだと知ってどうしても参加したかったからだし。
きっと上海でエキストラも、この延長なのだろうと自己分析。

でも、アングラ劇団や暗黒舞踏はやっぱりやりたく無いなぁ。