冬桃ブログ

片翼の天使~根岸外国人墓地

 とても久しぶりにここへ来た。
 根岸線山手駅近くにある根岸外国人墓地。



 門を入ってほどなく目に入るのがこの像。
 1999年、山手ライオンズクラブ30周年記念として
建立された慰霊碑だ。



 なんの形だろう、と思われるかもしれない。
 じつは天使の翼である。
 しかも片翼が小さい。
 「翔べない天使」を意味している。

 私が初めてここへ来た時、まだこの像はなかった。
 当時、私は、横浜が生んだグループサウンズ
「ゴールデンカップス」のメンバーだった人々を、
取材していた。
 私にとっては初めてのノンフィクションだった。
 その過程で、ある日、メインで取材させていただいていた
エディ藩さんから、「秘かに埋葬されている赤ちゃんたちの
ために慰霊碑を建てるから、チャリティソング作りに
協力して欲しい」と言われたのだ。

 その慰霊碑を建てるという、当時の山手ライオンズクラブ会長
(元町・霧笛楼社長、鈴木信晴さん)、
副会長(現YC&AC総支配人、依田成史さん)に会い、
詳しい話を伺った。
 そして終戦後、進駐軍と日本女性との間に生まれた
混血の赤ちゃん達が、ここに800体くらいも
秘かに埋葬されているということを知った。
 時代が時代だから、どのような事情でそうなったのか
想像することはたやすい。

 観光地にもなっている山手外国人墓地には
横浜開港に功績のあった、いわば歴史に名が残るような
外国人が埋葬されていて、しっかり管理されている。
 山手外国人墓地が手狭になったので明治35年(1902)、
あらたに設けられたのがこの根岸外国人墓地なのだが
埋葬されているのが世間的には無名の人が多いせいか
横浜の人にさえあまり知られていない。
 私が訪れた1998年当時は、管理人さんはいたものの
荒れ果てた感じはいなめなかった。

 それでも長いこと、山手ライオンスクラブや近隣の有志
そして墓地の上にある仲尾台中学校の生徒や先生によって
清掃、調査されていたのである。
 郷土史家の田村泰治さんは、中尾台中学校の先生をして
おられた頃、歴史研究部の生徒達と一緒に、茂った草を
掻き分け、墓碑の記録、写真撮影、図面作成などを
根気よく続け「郷土横浜を拓く」という本を上梓なさった。
 その本には、秘かに埋葬されたという嬰児たちのことも
詳しく書かれている。
 
 こんな話を聞いてしまったからには、単なる
「ゴールデンカップスのその後」で本を書くわけにはいかない。
 その嬰児達は、私やエディ藩さんと同時期に生まれ
この世をろくに見ることもないまま、
こっそり葬られたのだ。
 終戦後のできごととはいえ、あきらかに戦争の犠牲者だ。

 「そんな暗い話を掘り起こして、誰が喜ぶと
思うんです?!」という行政の抵抗に遭いながら
慰霊碑が建てられたのと同じ年に「天使はブルースを歌う」
(毎日新聞社)というノンフィクションを書き上げた。
 わたしにとっても大きなエポックになった出来事だった。

 チャリティーソング「丘の上のエンジェル」
 作曲・歌 エディ藩 作詞・山崎洋子
https://www.youtube.com/watch?v=ePdmyyDfO5s

 田村泰治さんが生徒達と調査をなさっていた頃、
墓地にはおびただしい数の、小さな木の十字架が
並んでいたそうだ。
 それはもう横浜市によって片付けられてしまったが、
こんな感じだったのかな、という小さな木の十字架が、
いまも草むらに横たわっている。



 がらんとした墓地の奥。



 ぽつりぽつりと建つ墓には「INFANT](嬰児)
という文字が目立つ。
 墓石があるのは、親がはっきりして、まともに
埋葬されたものだ。





 墓地の入り口には案内板があり、日本語と
英語で由来が記されている。
 が、日本語版は、赤ちゃん達に関して
「第二次大戦後に埋葬された嬰児(幼児)」とだけあり、
詳しいことはなにも説明されていない。

 英語の方は、同じ説明板にあるというのに、
なぜか字がすっかり薄くなっている。
 意図的に消されているような雰囲気さえあり、
ほとんど読めない。
 けれどもよ~く目をこらしてみると、「兵士と
日本女性との間に生まれた子供達」という文字が
うっすらと浮かび上がってくる。

 なぜこの部分は日本語に訳されていないのか。
 なぜ英語版の方はこんな状態で放置されているのか。
 終戦から70年、「戦争」というものに関して
あらたな局面を迎えようとしているいま、私は
その答えを知りたいと強く思う。



コメント一覧

冬桃
忘れたくないですね。
boyoさん

 コメント、ありがとうございます。
 華やかな横浜も大好きですが、
こうした歴史も忘れない「浜市民」
でありたいなと思っています。
 なにしろ、私はこうした赤ちゃん達と
同世代ですからねえ。
 思いもひとしおです。
boyo
合掌
横浜に生まれ住み60年近くたちますが、ネットの「はまれぽ.com」というwebマガジンで墓地のことを初めて知り、更に山崎さんの著作も読ませていただき、本日、お参りに行かせていただきました。

合掌。
冬桃
怖れるべきは歴史の改ざん。
酔華さん
 関東大震災や戦争で、大きな闇の歴史ができた
のは事実だし、ないほうがおかしいです。
 人間はそんなに強いものではないのですから。
 そうした歴史の掘り起こしは、誰かを責める
ためにやるのではありません。
 自戒のためです。
 消した方が良いと思うのなら、こそこそせずに
それこそ民意を問うてからにしてほしいものです。
酔華
同感です
http://blog.goo.ne.jp/chuka-champ
私が初めてこの墓地を訪れたときは、
木製の白い十字架がたくさんありました。
なかには傾いたものや、横の棒が取れてしまったのも・・・
全然管理されてないんだなぁと、その時思いました。

表の案内板、日本語のものしか読んでいませんでした。
英文と比較すべきでした。
昨日、数か月ぶりに墓地を訪れ案内板を確認してきました。
最初の英文の上に、書き直したものが貼ってあった形跡がありました。
その張った部分も99.9%が剥がれ、その裏写りした文字が最初の文字と重なって解読不能に。
それでも、なんとか読みこなすと、
たしかに外国人兵士と日本人女性の間に生まれた子ども、という表現が確認できました。

横浜市はこのことをなぜ消そうとするのか…
だれの指示なのか・・・
解明が待たれますね。
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