小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

ついに桜前線も

2024-04-16 | ウォーキング

日本列島を迷走中の桜前線でしたが
昨日は夏日の中、満開の桜の下でお花見をしている青森の様子が
テレビで映し出されていました
桜前線、ついに本州を北まで北上しましたね

春爛漫と言っていいのでしょうか
春の花が一斉に咲き、我が家の小さな庭も賑やかになってきました

地を這うように背の低い我が家のシャクナゲですが
桜の花に劣らない、かわいいピンク色です

庭だけでなく、野も山も新しい命を生み出し育み始めています

暖かい春風を感じるというよりは、すでに初夏のような渇いた風を感じます

散り始めてはいるものの、まだ桜を楽しんでいます


桜の幹に根付いたハナニラ


新緑のなかに映える山桜も美しい                  

街にかわいい新小学一年生や、新しい制服に身を包んだ学生、紺のスーツの新社会人が目につきます
やっぱり4月は、希望をもった新しい節目の季節なのですね。

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桜の花に見放されて

2024-04-03 | ウォーキング

4月になって、いよいよ春爛漫の季節を迎えたはずなのに、朝から細かい雨が降っています
まるで春の陽光に見放されたような憂鬱な気分です

すっかり桜の開花に振り回されたこの1週間でした
3月29日には友人とお花見を予定していたところ、雷を伴う大雨で中止
今日に延期したのに、今日も朝から雨
桜の方はと言えば、まだ枝ばかりが目立ちます
桜祭りなどのイベントを予定していたところも、この気候に振り回されたことでしょう。

日曜日は貴重な晴天でした。友人たちと大船フラワーセンターに出かけてみました
ソメイヨシノこそまだでしたが、暖かな日差しに春の花が咲きそろっていました


モミジの新芽が美しい


大木となったシャクナゲ「太陽」


紫モクレン

珍しい花木に出合いました

こんな可愛い花なのに、葉にも茎にもビックリするような
棘(爪楊枝ほどの長さ)を持っていました
この植物は何のためにこんな鋭い棘を持っているのでしょうか


山野草の仲間 なかなか個性的

賑やかに咲きそろった広場の花壇

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甲州街道8回目(鳥沢~初狩)

2024-03-23 | 街道歩き

膝関節症と診断されていた足も、リハビリを続けて、だいぶ改善されるようになりました。
理学療法士からは、「歩くのは大いに結構!でも痛かったらやめておいてくださいね」という心強い言葉に、今週も甲州街道を先へ進むことにしました。
ただ、気になるのはスギ花粉!帽子にマスクに眼鏡という少し怪しいスタイルでの出発となりました。

6:50 2024年3月16日 自宅スタート
 自宅を出発してからおよそ3時間、先回の到着駅JR中央本線鳥沢駅に到着しました
乗降客の少ないこの区間は、しばらくドアは自分で開ける半自動ドアとなり
駅に着いても一瞬ドアが開くのを待ってしまいました

10:00 ウォーキングスタート
駅前には、扇の形をした扇山が迫っています

鳥沢宿は上鳥沢宿と下鳥沢宿に分かれている合宿でした
その間は550mしか離れていません


上鳥沢宿本陣跡 「叶屋 旅籠風」


10:10 本陣跡 明治天皇駐蹕地碑

11:00 猿橋宿
史跡猿橋は日本三大奇橋のひとつで、もの見物人で賑わった宿場でした

芭蕉の句碑「うき我を淋しがらせよかんこ鳥」

両岸から張り出した四層のはね木で橋を支えています
橋の長さは31m、川面まで30m
現在の猿橋は寛永四年(1851年)の図面をもとに、昭和59年に復元されました

12:10 大小の馬頭観音

江戸日本橋より23里目の一里塚があったようですが、わからず通り越してしまいました

12:23 駒橋発電所送水管
 明治40年当時は日本最大の水力発電所だったそうです

中央線の踏切を渡り、駒橋宿に入ります
本陣も脇本陣もない、旅籠数件だけの小さな宿場には桂川の渡船場がありました

12:40 厄王大権現  秋葉大権現常夜燈

駒橋宿の街並み

旅籠橿屋 古い町並みが残っていました

大月宿
この宿場は富士街道との追分を控え、富士講の人々で賑わっていたようです

13:00 大月駅
特急が止まる大月駅の駅前は賑やか、駅前のミモザが見事でした

13:30 大月市役所の先に「明治天皇御召換所跡」と本陣跡

13:50 一里塚跡
庚申塔や芭蕉の句碑が残るのどかな風景が広がっていました

花咲宿
やはり下花咲宿と上花咲宿で構成され、それぞれに本陣1と脇本陣2があり
全長は600mほどでした

14:00 溝口本陣跡

代々溝口五左衛門が務めました「明治天皇御召換所跡」の碑

丸石の道祖神は甲州特有
この先街道は交通量の多い国道沿いを歩きます

15:00 源氏橋
笹子川とJR中央本線を渡り、線路に沿って進みます

砂利道でこれが甲州街道かと不安になりました
そのままセメントの鉱業所の敷地に入ったようでしたが、
これが甲州街道でまもなく舗装道路にでて、国道と合流しました

初狩宿
初狩宿は下初狩宿と中初狩宿の二宿で構成されています

15:20 聖護院道興歌碑

文化3年聖護院の僧正の歌碑
「今はとてかすみを分けてかえるさにおぼつかなしやはつかりの里」

15:26 山本周五郎出生地碑

街道筋の建物は、道路より一段低いところに建っているのが気になりました
多分街道の改修がされたのでしょうか

15:28 廿三夜塔 傍らに明治40年建立の常夜灯

15:35 初狩駅
しばらく、甲州街道はJR中央本線沿いにあるので
この日ももう少し歩こうと思ったのですが、疲れが残らないうちにと
この日のウォーキングを初狩宿までとしました
(歩数:30106歩 距離:15キロ)

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甲州街道第7回目(上野原~下鳥沢)

2024-03-08 | 街道歩き

昨年秋から冬にかけての各地のクマ出没情報に、甲州街道も峠も多いので出かけるのに怖気づいてしまいました。
とにかく怖がりなので・・・
でもこの調子だと、甲州街道の終点「下諏訪」にはいつ着くのだろうと心配にもなり、思い切って再スタートを切りました。

2024年3月3日 6:55自宅出発(バス)


10:10    上野原宿
冷え込みもあまり感じることなく快調な滑り出しだったのですが
上野原宿の外れ、上野原本町歩道橋を過ぎたところで
思いっきり鋭角に右に折れることころを間違えて直進してしまいました
上野原を過ぎると街道は、JRから大きく離れてしまうので、
このあと旧道沿いのJRの最寄り駅は14キロ先の鳥沢駅
果たして鳥沢駅まで歩けるのか、半年ぶりのウォーキングでもあったので
少し不安で、先を急げとばかり道を間違えてしまったようです

11:00 鶴川沿いにでたので間違えないだろうと思い先にすすみ
鶴川橋とおぼしきところで、道に間違えたことに気がつきました
やはり土地の人に聞くのがいちばんと思い、近くの床屋さんを覗いてみたら
お客さんもいないようだったので聞くと・・・
とても親切にもとの鶴川歩道橋に戻る道を教えてくれました
(結局、この方は教えたけれど心配になって、車で先回りして
鶴川歩道橋脇で待っていてくれました 感謝!感謝です!)
結果、1時間以上のロスとなってしまいました

12:00    鶴川橋
昔は橋はなく、120m下流に渡しがあったようです
 遅いお昼 30分ほどの休憩

橋の上から上流側と下流側を望む

12:10 鶴川宿の街並み
明治・大正の二度の大火で、建物はほとんど焼失してしまったそうです

脇本陣跡、問屋場跡、本陣跡のみ


傍らに地蔵尊が祀られている水天宮

12:40 中央自動車道の跨線橋

 大椚(おおくぬぎ)の一里塚 江戸日本橋より19里目

13:05 大椚観音堂
 宿場のはずれに吾妻神社と観音堂が建っていました

大日如来坐像と 千手観音像菩薩像が納められ
その奥に昔クヌギが立っていたので、名前の由来になったということです

13:50 野田尻宿
 中央自動車道の脇に宿場は位置し、今では近くに談合坂SAがあります
鶴川が川留になると大いに賑わったようですが
やはりこの宿場も明治19年の大火でほとんど焼失してしまいました

14:15 荻野の一里塚 江戸日本橋より二十里目

14:35 武甕槌(たけみかづち)神社

「軍神」を祀るところから軍勢神社とも呼ばれていました

14:45 座頭転がし

 先導者の声を頼りに進んできた盲人が、屈折している峠道を声の方に進み
深い谷に落ちてしまったという急坂が続いています

15:10 犬目宿場
「この地は狗目嶺とて一郡の内にて極めて高き所なり・・・」
というように海抜500mを越えるところに位置しています

宝勝寺 
葛飾北斎、歌川広重もこの境内から犬目峠や峠から見える富士山を描いたといわれています

15:20 白馬不動堂 神仏混合の赤鳥居

15:36 恋塚の一里塚 江戸日本橋より二十一里目

16:30 下鳥沢宿
 

JR鳥沢駅
17時の電車で帰路につきました
長い長い一日でした
(歩数:37563歩 距離:16.1キロ)

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春のような日差しに背中を押されて

2024-02-25 | ウォーキング

春のような陽気に誘われて、ウォーキングも少し遠出をしてみました
サイクリングロードを兼ねた境川の川岸を歩くのは、ほぼ半年ぶりでしょうか
境川はその名の通り、武蔵國と相模國の境界を流れる川なのですが
河口は相模湾、河口から10キロ地点ぐらいだとまだ両岸とも神奈川です

境川遊水地公園内には、様々な生き物が生息しているビオトープがあります

水鳥が浮かび、鳥たちも飛来していました
冬の間は、池の周りの枯れ葉色した葦やガマの草の根元にも虫たちが潜んでいることでしょう

近くに天王森泉公園があります
明治大正のころは製糸場として県内でも大きな製糸場だったということです
近くに和泉川が流れ、豊かな湧き水を活かした製糸場は、今でも公園奥にはワサビ田があるほどです

かっての製糸場本館 館内で吊るしびな祭りをやっていました


やっぱり、女の子の節句は華やかです

公園内にもいろいろな植物が大切に育てられ
これから季節も進むと、いろいろな花が芽ををだすことでしょう
            福寿草                  ユキワリソウ      

冬あやめ               しだれ梅

河津桜もほぼ満開でした

春のような陽気に、このまま季節は春になるのかと思ったのですが
それはちょっと甘かったような・・・
翌日は雪がチラつく真冬並みに・・・河津桜も震え上がっていることでしょう

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鎌倉アルプス トレーニングのつもりが・・・

2024-02-18 | ウォーキング

例年になく、先週は2週間もはやく「春一番」が吹き荒れ
庭の紅白の梅も早く満開を迎えてしまい、強風に花弁を落としはじめています

この暖かさに、そろそろ甲州街道ウォークを再開しなければと思い
そのトレーニングを兼ねて鎌倉アルプスを建長寺から瑞泉寺まで歩いてきました
ところが、足が不調で・・・

スタートは、北条氏ゆかりの寺「建長寺」
建長五年(1253年)に北条時頼によって創建された日本最初期の禅寺

先週のNHKのブラタモリは建長寺を訪れていました
僧侶の靴から石敷きの床まで、中国のお寺の完全コピーだと言う話がとても興味深かった
仏殿・法堂


建長寺創建当時から残る 梵鐘(国宝)                
            古木の柏槇は創建当時から現在まで生き抜いてきています

「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」夏目漱石が松山時代に詠んだ俳句で
正岡子規の「柿食えば」の句の下敷きになったといわれていますが・・・
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」があまりにも有名

方丈庭園

不老不死の仙人が住む山として、蓬莱山に見立てた蓬莱石を据えた「蓬莱式庭園」
長寿の象徴であるツルカメに見立てた石が置かれていました

天園ハイキングコースは、境内の奥、半増坊を経由して登り始めます

急な階段の先に建長寺の鎮守「半増坊大権現」を祀るお堂があります
鎌倉アルプスの尾根手前に勝上嶽展望

鎌倉の街と海を見渡す絶景が広がります
お天気もよかったので、富士山がくっきり
暖冬傾向で富士山の雪も少なめ

アップダウンを繰り返す尾根道は、運動不足には堪えました

風は冷たくても背中を差す日差しは暖かく、少し汗ばむほどでした
足が攣ること数回、休憩を取りながらなんとか
瑞泉寺山門に辿り着きました

瑞泉寺
鎌倉時代に臨済宗で重きをなした僧(夢想国師)が開山

山門

美しい本堂の屋根

名勝瑞泉寺庭園
岩盤を彫刻的手法によって庭園とした「岩庭」

岩盤の正面に大きな洞、東側には座禅のための窟

鎌倉市天然記念物の「オウバイ」

花びらが散ってしまったかのように見えるが満開状態
牧野富太郎博士によって命名されました

トレーニングのつもりが、体力の衰えと足の不調を思い知った一日でした
でも久しぶりのハイキング、古都鎌倉に触れた楽しい一日でした


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神々の国 宮崎を訪ねて(3,4日目)

2024-02-09 | 旅行

3日目も晴天が続きます
宮崎はとても暖かいイメージがあったのですが、暖冬だということもあるのでしょう
横浜との温度差はあまり感じませんでした

この日は宮崎市から日南市を訪れました
鵜戸神宮(日南市)
八丁坂 一番古い石段参道で山門まで長さ800m(八丁)の石段が続いていました

今では本殿まで整備された石段を進みますが
鵜戸神宮ならぬ運動神宮と呼ばれているほど
登ったり下ったりちょっとしたトレッキング気分です

神社としては珍しい「下り宮」

日向灘を目の前に、本殿に続く朱塗りの千鳥橋と玉橋
断崖の中腹の岩窟(海食洞窟)内に本殿はあります

朱塗りの色鮮やかな本殿

太平洋に付き出した岬の突端、洞窟の中

洞窟の中には太平洋の荒波に削り取られた奇岩も覗きます

宮崎県の南部 日南市の中央に位置する
城下町飫肥藩・伊東家5万1千石の城下町を訪れました

大手門 木造渡櫓(とろ)本瓦葺の重厚な江戸時代の櫓門

九州の小京都とも呼ばれ、とても静かで趣のあるところでした

武家屋敷が残る国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています

宮崎市に戻り、江田神社
日本最初の夫婦と言われる伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と
伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀っています


いよいよ旅も終盤となり、宮崎の神話の世界を旅し
神々の系図が少し頭に入ったかと思いきや・・・混乱したままの状態

江田神社みそぎの池近くにあった子供向けの案内板が
とてもわかりやすかった


江田神社の奥には、イザナキノミコトが禊を行い、たくさんの神々が生まれたという
「みそぎ池」がありました

なんとなく神秘的な空気に囲まれています

4日目
3日間続いた晴天も、この日は雨模様
お昼前のフライトで羽田に戻る予定だったので
ゆっくり出発まで、ホテルの敷地内にある温泉に入って過ごしました

帰りの宮崎空港の到着ロビーにはプロ野球のキャンプインする選手を
ファンが待ち構えているのでしょうか とても混雑していました

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神々の国 宮崎を訪ねて2日目

2024-02-04 | 旅行

2日目
日の出は関東と比べると、宮崎は30分ほどちがうんですね
ホテルから日向灘に、日が昇りました(7時20分ごろ)

 高千穂峡
太古の昔、阿蘇山の火山活動によって噴出した火砕流が、冷えて固まり
浸食された断崖は深い渓谷を創りました
神の住む地と言われています
高いところで100m、東西に約7キロに渡って続いています

そそりたつ深いV字型の渓谷は、大峡谷「高千穂峡」
この渓谷の写真の風景はあまりにも有名で
よく見かけていたのですが実物もまったく同じ、見事でした

迫力ある柱状節理でできた断崖

高千穂峡を象徴する風景 日本の滝百選に指定された「真名井の滝」

天村雲命(アメノムラクモノミコト)が水種を移したと言われる水源の滝

高千穂三橋

一つの渓谷一か所に、三本のアーチ橋を見ることができる
趣の違う橋を一度に見ることができるのは全国でもここだけ

午後はいよいよ「神域 天岩戸めぐり」
天岩戸(あまのいわと)神社西本宮

鳥居に架かるしめ縄は七五三縄と呼ばれ
藁を7本5本3本と垂らすことで、陰陽道の考え方から
神域の場所に陰の気が入らないようにと言われています

天照大神が隠れこもったとされる聖地・天岩戸を祀る神社

川の対岸中腹に天岩戸そのものをご神体としているために
ご神体を納める本殿はありません

背後の天岩戸(洞窟)を直接拝観するための「遙拝所」があります
ここから神職が案内してくれます
対岸のしめ縄で囲まれた深い割れ目のある岩は大きく(撮影禁止)
とても強力なパワースポット場所(確かに・・・)

平安河原宮(あまのやすかわら)
天の岩戸神社から歩いて15分ほどのところにあります

天照大神が天岩戸に隠れこもった際、
困った八百万(やおよろず)の神々が話し合いをした地として伝わっています

洞窟近くには参拝者が願いを込めた積み上げた石が並んでいました

私も旅行の無事、諸々願いを込めて積んできました

3日目に続く

 

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神々の国 宮崎を訪ねて(3泊4日)1日目

2024-02-02 | 旅行

2月に入りました。暖冬傾向に今年は春の訪れも早いようです

かって、九州には何度か訪れたことはあったのですが、宮崎県だけは未踏でした
一度、「神話の国宮崎県」を訪れてみたいと思っていたところ
3泊4日のゆっくりとしたツアーを見つけたので申し込み、早速今週訪れました

1日目
お天気にも恵まれ、宮崎空港に降り立ちました
早速バスは、青い空とコバルトブルーの太平洋
フェニックス並木が続く海岸線を、青島・堀切峠に向かいます


青島海岸の海岸線に続く波食台は言わずもがな「鬼の洗濯板」と呼ばれています

数百年前に深い海に堆積した地層が隆起し、浅い海で波の浸食によって削られ
長い年月をかけて海面に顔を出したというのが洗濯板のいわれ

街路や公園に植えられているフェニックス・ワシントンヤシ

高さは15から20メートルにも達し、幹も太く、南国ムードを演出しています

強風にもビクともしない強靭さ

青島神社
島全体が境内ともいわれる青島の中央に社があります
「海幸彦・山幸彦」で有名な神話の舞台で
縁結びの御利益で知られるパワースポットとしても有名


絵馬でできたトンネル「祈りの古道」を通った先に本宮があります
弥生時代ころから祭祀が行われたと伝わっています

青島全島を覆っているビロー樹のジャングル
その数約5千本、最高樹齢は300年

青島神社の躍動感あふれる狛犬 その先にも鬼の洗濯板の海岸

せわしない日常から離れて、宮崎でゆったりとした1日目を過ごしました・・・

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暖冬でも春が待ち遠しい

2024-01-22 | ガーデニング

最大震度7を観測した「令和6年能登半島地震」から3週間が経ちました
日を追ってさらに甚大化していく被害にただ呆然としてしまいます
全壊や半壊など被害にあった住宅の件数は3万を超え
いまだ断水地域が続き、普及も2月から4月とか
被災された方々のご苦労は想像を超えるものがあります
能登の厳しい冬を越えて、暖かい春を迎えることができることをただ祈っています 

寒い寒いと言っても、全体的には暖冬傾向でしょうか
その予感は鼻のムズムズから・・・
この暖かさでスギ花粉の飛散も早まっているのかもしれません

わが家の紅梅が2分、3分と咲き始め、メジロもつがいで訪れています

野鳥と言えば、いつもの冬よりも賑やかに飛び交っているように思います
庭のマンリョウや南天の赤い実がいつのまにかなくなっているのは
小鳥たちが突つきにきているのかも知れません
まぁ、もともと種を運んできたのは彼らですから・・・

生垣の山茶花が、今冬はお正月が過ぎても満開です

例年ですと11月頃から咲き始め年末にはほとんど咲き終わるのですが
こうも長く咲いているのも暖かさからでしょうか。毎朝の花びらの掃除も長引いています

異常気象と言われて久しいのですが
裏の庭でフキノトウが少し顔をのぞかせています

やっぱり、春が待ち遠しいです

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