★気づきから築きへ 余暇の達人講師/健康デザイン研究所・代表山崎勇三

地域・組織・個人の健康と元気をデザインします/健康・余暇・生涯学習がキーワード/明るく、楽しく、元気になる講師

ぶらり広島忠臣蔵巡り

2017-12-11 | 活動内容

ふらり広島忠臣蔵巡り~「赤穂浪士」と広島の関係

 12月14日になると日本中『おのおの方、討ち入り御座る』で始まる忠臣が話題になります。ご存知のように事件は、江戸は元禄15年12月14日の夜、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたお話です。
 私のお友達に、梶ケ野さんと言われる忠臣蔵の博士みたいな方がおられます。彼は難関な忠臣蔵検定に合格したれっきとした公認講師なんですが、彼の影響を受けまして私もすっかりファンになってはしまいました。数年前に彼と一緒に、吉良邸のある墨田区から港区にある泉岳寺まで赤穂浪士が歩いた道を踏破したこともあります。
 討ち入りの舞台は江戸ですが、実は広島と大いに関係があります。安芸国浅野家(広島)は、赤穂藩浅野家の本家筋にあたります。そして、事件の発端となりました赤穂藩当主浅野内匠頭の奥さんである正室阿久里姫(瑤泉院)は三次浅野藩主の娘にあたります。...
 時は過ぎ、事件のほとぼりが過ぎたころ、大石内蔵助の三男・大三郎は安芸国浅野家に1500石取りの高禄で召抱えられました。このとき、内蔵助の奥さん「りく」も広島に一緒に同行しており広島でなくなっています。理玖、大三郎ともに、浅野家の菩提寺国泰寺(広島市西区己斐上・・元は中区国泰寺町にあり現在の全日空ホテル付近)に葬られています。今でも訪れる方が多く花束や線香が絶えることはないと言われています。
 また、赤穂浪士の一人であった原 惣衛門のお墓(供養塔)が、とうかさんで有名な園隆寺にあります。これは惣衛門の息子が広島藩に召し抱えられ、その縁で供養塔を作ったそうです。
 東区二葉の里にある明星院には四十七義士の木像があります。吉良邸討ち入りの際に表門と裏門に分かれて討ち入りしたそうですが、その順番に70㎝のリアルな姿のまま安置されています。
 映画やテレビにもなりましたが、四十七士の生き残りと言われる.寺坂吉右衛門の母は浜田藩士の娘だったことから、島根県の江津市や益田市に供養塔や分骨した墓があります。大石内蔵助の命を受けて赤穂浪士の縁者を全国に尋ね討ち入りの様子を伝えたと言われています。もちろん広島に来たことでしょう。
以上、広島には忠臣蔵にまつわる多くの歴史遺産が多く残っています。私は「ぶらタモリ」の番組が大好きなんですが「ぶらり広島、忠臣蔵巡り」を是非皆さんもさたら楽しいと思います。

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