俺は1989年に公開されたアメリカ映画「ブラック・レイン」にちょっとだけ出演してます。
一応、故・松田優作演じる冷酷非情な若きヤクザ“セイトー”の手下の暴走族の一人という役どころです。
俺の出演シーンはワンシーンのみですが、
厳しいオーディションを勝ち抜いて(今思えば運が良かっただけかも・・)
あの大作に出演した経緯をお話します。
「ブラック・レイン」の撮影は1988年の年末やったと思います。
当時21歳だった俺にとって1988年は波乱万丈の歳だったのです・・・
1988年の春に自主制作映画の撮影で飛び降りスタントに失敗し、
“下顎複雑骨折”という大怪我をしてしまいました。
※この大怪我のことについてはまたいつか詳しく書きます。
怪我をして約3ヶ月入院して一度退院したのですが再手術の為に2週間の再入院をしていました。
ブラックレインのオーディションはこの二回目の入院の直後に受けたと思います。
もうかれこれ20年以上前の事なので記憶もあいまいな部分が多いのですが
入院していた病院の看護婦さんたちに
「俺、今度はアメリカの映画に出るかもしれんでー!」と話しまくっていたのに
看護婦さんたちは
「なに夢みたいなこと言うてるのー、またケガするでー!」
と呆れ顔で言われた事だけははっきり憶えているのです。
それまで自主制作映画や関西ローカルTV番組の出演しか経験のなかった俺にとって
ハリウッド映画出演なんてまさに夢のようなことでした。
「ブラック・レイン」のオーディションの話は再入院する直前に
当時のアルバイト先(ダスキンサービスマスター大阪店)で知り合ったYくんに教えてもらいました。
Yくんもアルバイトをしながら当時大阪の大手イベント会社「L社」に所属しており
将来はタレントを目指していました。現在は怪しい(?)謎のマジシャンをやっているそうです。
そんなYくんが
「今度、大阪で凄い映画の撮影があるらしいですよ!」
「バイクのうまい人探してるみたいですよ、オーディションあるらしいですよ!」
俺は「なにぃ~っ!? それはほんまか? オーディション受けるわ!!
でももうすぐちょっと入院せなあかんねん、もし入院中にオーディションあったら
病院抜け出してオーディション受けに行くから絶対教えてくれよ!」
っと必死にYくんにお願いしたと思う。
運良くオーディションは退院後にありました。
YくんにL社に連れて行ってもらいO氏に合い、
自分のプロフィールや宣材写真を渡し、
後日「ブラック・レイン」のオーディションを受けることになりました・・・・。
つづく・・・次回「ブラック・レイン」オーディション編
映像に残るってすごいですよね。
僕なんか、作った建物がある日見たらなくなっていることありますもんね。
「ブラック・レイン」ではなにもやってないよ。
自分のやりたい事、やりたかった事が形になって残るというのは嬉しいものです。
もう映像ではないけど、これからも“理想”を現実の“形”に変えていきます。
オーディションって想像つかないほど大変すぎるとおもうけどさすがっ!!実力と男前っ
最近ユーチューブで男塾のしんちゃんもみてるよ
これもまたいつか書くかも。