『憚りながら』 後藤忠政著
ヤクザの生き方に非常に興味がある。
著者は筋の通らぬことが大嫌いで、幼いころに根付いた信念をしっかりもっており、自分自身が納得できないことは、相手がどんな奴であろうと立ち向かう精神は戦国時代のサムライともいえる。
ヤクザは絶対撲滅しないだろう。
終戦直後の混乱期にはむしろ、治安維持にヤクザを利用してきたし、昭和四十年ぐらいまでは、国家も警察もヤクザを必要悪として認めていたのだ。
犯罪が起き解決に困難な時、警察はヤクザのからの情報を重視するし、対右翼対策にヤクザの力を借りる。
任侠の精神というものは、本来日本人が最低限持たなければならない心なのだろう。
本書は二〇〇八年十月に山口組を引退し、翌年四月八日、天台宗系の「無常山浄発願寺」において得度した元後藤組組長・後藤忠政(本名・忠正/得度名・忠頴叡)氏に対する延べ五十時間のインタビューを構成したものである。
一九八四年、四代目山口組の竹中正久組長から盃を受けて直参となった後藤氏は以降、山一抗争や伊丹十三襲撃事件などを通じ、武闘派ヤクザの象徴として語られてきた。また、東京の政財界にも確固たる人脈を築く経済派とも評され、巨大宗教組織・創価学会との接点についても数々の憶測が飛び交ってきた。その存在感ゆえに、警察当局が「仇敵」と見なした人物でもある。
しかし、その実像については、今日に至るまで詳らかにされてこなかった。
最初で最後の著者の「生き方本」だと感じた。
少年時代、恐喝やケンカで何度もパクられる。
暗い留置場に収容されるが、何時間かすると自分以外の人間には、親兄弟が迎えにくる。自分には誰もこない。何の差し入れもない。
その時に著者はっきりと悟るのだ。
「俺の周りには誰も助けてくれる人はいないから、自分独りで生きていかなきゃどうしようもないんだ」
「これからは自分のことは全て自分で解決しようそして、一万円手にしたら五千円はポケットに入れておこう」
この時点で、誰にも頼らず自立をし、何かある為にお金を蓄えておくという、後に武闘派、経済ヤクザと呼ばれる原点を形成しているのだ。
そして、数々の修羅場を体験しているが、時として神様をも味方につける運という名のもとに、命を落とすことなく、生き続けることは、成長させ続ける為に用意された宿命なのかもしれない。
大酒のみの父親に毎晩毎晩殴られて、おふくろにどうしても連れて帰ってもらえなかった日に、母は電車に惹かれて即死。
極道になってからも数知れないケンカでも生き残ってきたのはまさに信念の塊だろう。
六十を過ぎた頃のアメリカでの肝臓移植の成功のエピソードは読み手を熱くさせる。
そして、兄弟の絆。
僕は男三兄弟だったから血が繋がっているという事実だけで兄弟の結束は自ずとできると思っていた。
だが著者は言う。
「兄弟なんて、遠くにいれば必要ないんだよ。ちかくにいればこそ、兄弟という絆を意識するし、力にもなり、泣いてくれることもあるんだ。進む方向が一緒で、歯車がちゃんと噛み合っているとすごく大事な存在になるけど、そうじゃなかったら全然いらない。その兄弟の歯車を束ねて動かす原動力に俺はなったんだろうな。」
ヤクザが兄弟を大事にする意味がここにある。
感心させられたのは、
「ヤクザが指を詰めるとういう行為はひとつの主張なんだ。世間では下手を打ったら指を詰めさせられるなんて考えている人がほとんどだろうが、違うんだよ。ヤクザ個人がそれぞれの自分の判断で指を詰めるのが大半だ。」
まさに著者の生き方そのものだろう。
もしヤクザではなく、堅気の世界で存在していたとしても、企業のトップに君臨するのだろうな。
涙したのは、
カメラマン海外拉致事件を民間で解決した背景。素晴らしい話です。
PS.宅見若頭殺害の背景や山口組六代目司組長との関係なども知りたかった。
あまり山口組内部関係は書けないと思いますけど…。
ヤクザの生き方に非常に興味がある。
著者は筋の通らぬことが大嫌いで、幼いころに根付いた信念をしっかりもっており、自分自身が納得できないことは、相手がどんな奴であろうと立ち向かう精神は戦国時代のサムライともいえる。
ヤクザは絶対撲滅しないだろう。
終戦直後の混乱期にはむしろ、治安維持にヤクザを利用してきたし、昭和四十年ぐらいまでは、国家も警察もヤクザを必要悪として認めていたのだ。
犯罪が起き解決に困難な時、警察はヤクザのからの情報を重視するし、対右翼対策にヤクザの力を借りる。
任侠の精神というものは、本来日本人が最低限持たなければならない心なのだろう。
本書は二〇〇八年十月に山口組を引退し、翌年四月八日、天台宗系の「無常山浄発願寺」において得度した元後藤組組長・後藤忠政(本名・忠正/得度名・忠頴叡)氏に対する延べ五十時間のインタビューを構成したものである。
一九八四年、四代目山口組の竹中正久組長から盃を受けて直参となった後藤氏は以降、山一抗争や伊丹十三襲撃事件などを通じ、武闘派ヤクザの象徴として語られてきた。また、東京の政財界にも確固たる人脈を築く経済派とも評され、巨大宗教組織・創価学会との接点についても数々の憶測が飛び交ってきた。その存在感ゆえに、警察当局が「仇敵」と見なした人物でもある。
しかし、その実像については、今日に至るまで詳らかにされてこなかった。
最初で最後の著者の「生き方本」だと感じた。
少年時代、恐喝やケンカで何度もパクられる。
暗い留置場に収容されるが、何時間かすると自分以外の人間には、親兄弟が迎えにくる。自分には誰もこない。何の差し入れもない。
その時に著者はっきりと悟るのだ。
「俺の周りには誰も助けてくれる人はいないから、自分独りで生きていかなきゃどうしようもないんだ」
「これからは自分のことは全て自分で解決しようそして、一万円手にしたら五千円はポケットに入れておこう」
この時点で、誰にも頼らず自立をし、何かある為にお金を蓄えておくという、後に武闘派、経済ヤクザと呼ばれる原点を形成しているのだ。
そして、数々の修羅場を体験しているが、時として神様をも味方につける運という名のもとに、命を落とすことなく、生き続けることは、成長させ続ける為に用意された宿命なのかもしれない。
大酒のみの父親に毎晩毎晩殴られて、おふくろにどうしても連れて帰ってもらえなかった日に、母は電車に惹かれて即死。
極道になってからも数知れないケンカでも生き残ってきたのはまさに信念の塊だろう。
六十を過ぎた頃のアメリカでの肝臓移植の成功のエピソードは読み手を熱くさせる。
そして、兄弟の絆。
僕は男三兄弟だったから血が繋がっているという事実だけで兄弟の結束は自ずとできると思っていた。
だが著者は言う。
「兄弟なんて、遠くにいれば必要ないんだよ。ちかくにいればこそ、兄弟という絆を意識するし、力にもなり、泣いてくれることもあるんだ。進む方向が一緒で、歯車がちゃんと噛み合っているとすごく大事な存在になるけど、そうじゃなかったら全然いらない。その兄弟の歯車を束ねて動かす原動力に俺はなったんだろうな。」
ヤクザが兄弟を大事にする意味がここにある。
感心させられたのは、
「ヤクザが指を詰めるとういう行為はひとつの主張なんだ。世間では下手を打ったら指を詰めさせられるなんて考えている人がほとんどだろうが、違うんだよ。ヤクザ個人がそれぞれの自分の判断で指を詰めるのが大半だ。」
まさに著者の生き方そのものだろう。
もしヤクザではなく、堅気の世界で存在していたとしても、企業のトップに君臨するのだろうな。
涙したのは、
カメラマン海外拉致事件を民間で解決した背景。素晴らしい話です。
PS.宅見若頭殺害の背景や山口組六代目司組長との関係なども知りたかった。
あまり山口組内部関係は書けないと思いますけど…。