店長スペシャル

人生は心に想い描いた通りになる。ゴールデンルールの道。

憚りながら

2010-09-27 18:42:39 | Weblog
『憚りながら』 後藤忠政著


ヤクザの生き方に非常に興味がある。
著者は筋の通らぬことが大嫌いで、幼いころに根付いた信念をしっかりもっており、自分自身が納得できないことは、相手がどんな奴であろうと立ち向かう精神は戦国時代のサムライともいえる。

ヤクザは絶対撲滅しないだろう。
終戦直後の混乱期にはむしろ、治安維持にヤクザを利用してきたし、昭和四十年ぐらいまでは、国家も警察もヤクザを必要悪として認めていたのだ。
犯罪が起き解決に困難な時、警察はヤクザのからの情報を重視するし、対右翼対策にヤクザの力を借りる。

任侠の精神というものは、本来日本人が最低限持たなければならない心なのだろう。

本書は二〇〇八年十月に山口組を引退し、翌年四月八日、天台宗系の「無常山浄発願寺」において得度した元後藤組組長・後藤忠政(本名・忠正/得度名・忠頴叡)氏に対する延べ五十時間のインタビューを構成したものである。
一九八四年、四代目山口組の竹中正久組長から盃を受けて直参となった後藤氏は以降、山一抗争や伊丹十三襲撃事件などを通じ、武闘派ヤクザの象徴として語られてきた。また、東京の政財界にも確固たる人脈を築く経済派とも評され、巨大宗教組織・創価学会との接点についても数々の憶測が飛び交ってきた。その存在感ゆえに、警察当局が「仇敵」と見なした人物でもある。
しかし、その実像については、今日に至るまで詳らかにされてこなかった。
最初で最後の著者の「生き方本」だと感じた。

少年時代、恐喝やケンカで何度もパクられる。
暗い留置場に収容されるが、何時間かすると自分以外の人間には、親兄弟が迎えにくる。自分には誰もこない。何の差し入れもない。
その時に著者はっきりと悟るのだ。
「俺の周りには誰も助けてくれる人はいないから、自分独りで生きていかなきゃどうしようもないんだ」
「これからは自分のことは全て自分で解決しようそして、一万円手にしたら五千円はポケットに入れておこう」
この時点で、誰にも頼らず自立をし、何かある為にお金を蓄えておくという、後に武闘派、経済ヤクザと呼ばれる原点を形成しているのだ。

そして、数々の修羅場を体験しているが、時として神様をも味方につける運という名のもとに、命を落とすことなく、生き続けることは、成長させ続ける為に用意された宿命なのかもしれない。
大酒のみの父親に毎晩毎晩殴られて、おふくろにどうしても連れて帰ってもらえなかった日に、母は電車に惹かれて即死。
極道になってからも数知れないケンカでも生き残ってきたのはまさに信念の塊だろう。
六十を過ぎた頃のアメリカでの肝臓移植の成功のエピソードは読み手を熱くさせる。

そして、兄弟の絆。
僕は男三兄弟だったから血が繋がっているという事実だけで兄弟の結束は自ずとできると思っていた。
だが著者は言う。
「兄弟なんて、遠くにいれば必要ないんだよ。ちかくにいればこそ、兄弟という絆を意識するし、力にもなり、泣いてくれることもあるんだ。進む方向が一緒で、歯車がちゃんと噛み合っているとすごく大事な存在になるけど、そうじゃなかったら全然いらない。その兄弟の歯車を束ねて動かす原動力に俺はなったんだろうな。」
ヤクザが兄弟を大事にする意味がここにある。

感心させられたのは、
「ヤクザが指を詰めるとういう行為はひとつの主張なんだ。世間では下手を打ったら指を詰めさせられるなんて考えている人がほとんどだろうが、違うんだよ。ヤクザ個人がそれぞれの自分の判断で指を詰めるのが大半だ。」
まさに著者の生き方そのものだろう。
もしヤクザではなく、堅気の世界で存在していたとしても、企業のトップに君臨するのだろうな。

涙したのは、
カメラマン海外拉致事件を民間で解決した背景。素晴らしい話です。


PS.宅見若頭殺害の背景や山口組六代目司組長との関係なども知りたかった。
あまり山口組内部関係は書けないと思いますけど…。



四十九日のレシピ

2010-09-23 18:51:05 | Weblog
『四十九日のレシピ』 伊吹有喜著


人はあたりまえのことには感謝しない。むしろ気づきもしないだろう。
そのあたりまえのことが無くなった状況に出くわした時、人はありがたみを感じる。
「親孝行しようと思うと親いない」本書を通じてあらためてそう思った。

僕が二十六才の時、母親は病気で亡くなった。
先ほどの言葉通り母に何もしてやることが出来なかった。
もう少し一緒にいた時間の中で大切にしておきたかったな。
大好きだった母の手料理。もう二度と食べられないのなら少しは教わっておけばよかった。
そうした自身の経験も含めて本書からあらためて大事なことに気付かされた。
「自分の一番大切な人のことを、心から一番に大切にしなければいけない」ということ。
いたってシンプルなことかもしれないが多くの人(自分も含めて)はそれが出来ない。
もしかしたら、誰しも仕事などが忙しいときや追い込まれたとき、距離が近い本当に大切な人のことを蔑ろにしてしまうことはないだろうか。

彼らの後悔や、生前の乙美について何も知らなかったことへの情けない思いが、自分に重なった。でも涙はでない。
本書はとってもあたたかいストーリーだから。


ある日突然乙美が脳梗塞で亡くなる。残された夫や娘に対して乙美は日々の些細な事あるは突然の状況でも対処できる「レシピ」残しておいた。
そのレシピは井本という教え子から伝えられるのだが、井本という若い現代風の女性の放つ言葉は時として、抜け出したくても抜け出せない弱い現代人に対しての愛のムチにもなる。

乙美は「四十九日のレシピ」として、四十九日当日は、読経や焼香はいらず、レシピ通りの料理を立食形式で出して、みんなで楽しんでもらえればうれしいという遺言を井本に託す。
素敵で立派なお話。

四十九日の日にまるで自分で作った料理のようにみんなにふるまう。
せっかく自分の為に集まってくれるのだから最高のおもてなしをと、故人がさもそこにいるかのようにふるまう姿には本当に感動させられた。
自分が死んだ後のことまで考える人は真の大人なのかもしれない。
そういえば、母も亡くなった後の葬儀代として、どこそこの通帳から引き出せすように言っていたのを思い出しました。

レシピはそれだけではなく、「掃除のレシピ」、「料理のレシピ」、「ひな祭りのレシピ」そして「お誕生日のレシピ」など、自分が存在しなくなっても夫が普段通り暮らせるように色々用意してある。
もう少しそのレシピの内容も知りたかったな。

冒頭は、「今日から彼女があたらしいお母さんになる人だよ」と父から初めて紹介された時、乙美手作りの重箱お弁当を投げ捨てた百合子の気持ちは、三十三年の時をこえ、乙美と同じ年齢になってその意味を知る。

生きている時は素直に甘えられなかったり、反抗したりした母親が亡くなってその優しさや偉大さを知り、無性に会いたくなるという気持ちに血のつながりは関係ないはず。


自分が今生きている。
たったそれだけのことが、きっと誰かの踏み板になっているのだ。
そう考えれば生きてゆくのに力が湧いてくる。



勝手にふるえてろ

2010-09-21 11:53:44 | Weblog
『勝手にふるえてろ』  綿矢りさ著


学生時代にクラスメートの輪に入らず、物静かな女子生徒が必ず何人か存在していた。
ルックスはどちらかというとブサイクな部類で、今で言うオタク系に種別される女子生徒たち数名。
授業中はもちろんのこと休み時間でさえも私語をせず、風邪で休んでいても、周囲にはわからない存在の彼女たち数名。

もちろん授業を受ける態度は格別に良いだが、テストの点は非常に悪く、授業中にいったい何を頭の中で考えているのか不思議でしょうがなかった。
コイツらこそ、本当の“不良”と呼ぶべきかもしれない。

授業中の彼女らの頭の中は、そう、“妄想”でいっぱいだったのである。
中学生の頃から少女漫画に興味を持つと、憧れの男子生徒に対してもそういう眼差しで接してくる。
あくまでも頭の中で…。

妄想に妄想を繰り返す毎日は、本人にとって幸せにちがいない。
だが彼女たちは年を重ねるたび、恋愛に対して感情というハードルを独自の視点で積み上げてゆくことに現段階では気づかないでいるのだ。

いつの日か、白い馬車に乗った王子様が私を迎えに来てバラ色の恋愛をする的な妄想だらけの空想は、彼女たちの処女膜を破るチャンスを失いさせ、恋愛経験という言葉を自身の辞書から削除させてしまう。

主人公、ヨシカもそんな一人。
だが彼女にはなんと二人の「彼」がいるのだ。
学生時代から好きでたまらないサラサラの長い重たげな前髪の「イチ」。
声をかけることも出来ずに、昼休みに視野見という形でひたすら妄想を繰り返す。
それは時に“天然王子”としてマンガに登場し自分自身だけのヒーローと化してゆく。
あくまでも頭の中の片思いなのだ。

もう一人は元体育会系でビール腹のあつくるしいオーラを放つ「二」。
社会に出て社内で知り合う現実の彼は、ことごとく彼女の妄想を現実で否定しまくる。
あくまでも頭の中での否定なのだ。

この「二」とのやり取りを描く著者はやはり天才である。
言いたいことを言わずに、心に秘めた思いを描かせたら天下一品。

ヨシカと二の会話の中で、二の解答に望みどおりの相槌を返してあげたのに即座に打ち消してくれる二、企画のことをかっこつけてプロジェクトと呼ぶ人を私は嫌いです、と心で語り、一番語りたかった絶滅した動物について、食いついてこない、二に激怒する彼女。
おもしろいなぁ。うん。わかるよ。の繰り返しでした。

価値観という言葉は好きではない。絶対に価値観が合う人なんていないから。
でも気が合う人は必ずいるはず。

箸にも棒にも引っかからない現実の彼の二を、どうしても好きになれない彼女は純粋に素直すぎるかもしれない。彼女は恋愛イコール結婚(本人は否定しているが)と考えているのなら、二者選択を余儀なくされている状況ならば、二番目の方が絶対長く続くだろう。

なぜなら、妄想の果ての現実より、現実の果ての妄想の方が幸せになれる気がするから。


PS.イチがヨシカの名前まで覚えていなかった展開には少々ショックを受けた。
この場面はかなり大事なような気がするのだが…。
ヨシカがあまりにもサラッとしていてなんか肩透かしをくらったような…。
それだけヨシカの妄想に僕自身が入り込んでいたのかなぁ。

光と影の誘惑

2010-09-10 14:42:41 | Weblog
『光と影の誘惑』  貫井徳郎著


貫井徳郎の作品は本書から読み始めるのがベスト。
このダークすぎる短編四作品が著者の基本形と考えれば、他の作品のレベルの高さが分かる。

「長く孤独な誘拐」
息子を誘拐され誘拐犯になることを要求された親の孤独と葛藤を描く。
テーマこそ新鮮ではないが本作が良い意味で残酷すぎて良かった。
あれだけ「無事でいる」ことを心の支えにしていた息子を「ガキはとっくに死んでるよ」と犯人にさらっと言わせるのは過酷極まりない著者ならではだと思う。
そして、他人の子供に笑顔で手を振らせる様はコワイコワイ。
アンハッピーエンドの代表作。子供を持つ親はツライ!

「二十四羽の目撃者」
密室の動物園で保険金詐欺のような殺人事件が起こり、保険外交員が調査する。
本当に著者の作品?と思えるほど文体やリズムもまったくの異質。
少々ハードボイルドタッチはなかなか素敵です。
ただ海外作品のように仕上がっているから文章はヘタクソな翻訳家のマネごとにしか思えなかった。
外国語小説って翻訳家一つで、読んでいても内容が伝わってこないことがよくあるからな。
ひょっとしたらそれが著者の狙い?そんなワケないよね。
ペンギンに見守られながらの自殺は笑いました。

「光と影の誘惑」
冒頭から興味をそそられる。
ギャンブル好きの男二人が、銀行の現金輸送車を襲う計画を企てるのだが、犯行を起こすまでがやたら長い。
今ある惨めな姿は全て自分のせいなのに、他人のせいにしかできない輩二人が、いったい何をしでかすのかワクワクしながら読んでいた。
「慟哭」の前身作品のような時空を超えたトリックに必見。

「我が母の教えたまいし歌」
父の葬儀の為故郷に帰るのだが自分には見知らぬ「姉」が存在していた。
途中でネタばれするのが残念。
著者は文章がうまし、虚構を楽しませる業がある。
本作は読後、心に残ってくれるが、もう少し母が知りたかった。
実の母親の夫と結ばれる子供の気持ちはいったいどんな感じなのだろうか。
どんでん返しのプロットの面白さを古典的手法ながら堪能させてくれながら、母と女の距離感を後から子供が追跡する心情が妙に痛々しかった。
留美子の中絶と初音の行方が繋がっているようにも思えた作法も興味深い。


本書を通じて痛感したことは、予想以上に惨いことが現実に起きるということ。
事実は小説より奇なり。

火の粉

2010-09-05 14:26:47 | Weblog
『火の粉』  雫井脩介著

全ての犯罪には絶対的な動機が存在すると信じています。
状況証拠だけで犯人と決めつけるのは、事件の早期解決と被害者側の心理を安心させる為だけに過ぎません。

本書は人間の動機と状況証拠の根底を覆し、裁判官まで騙すある男を描く。

ある家で起こった一家惨殺事件。
警察もその犯人の手掛かりがなかなかつかめない。難攻する事件で警察が炙り出した容疑者は、その事件の被害者であり、唯一の生き残りである被害者の友人・武内。
警察に追求され武内は自分のした罪を認めるも、無理のある動機と武内の背中につけられたひどい打撲傷、それらをふまえて裁判長・梶間が出した判決は「無罪」。
しかし事件はこれで終わりではなかった。
数年後、梶間の家の隣に武内が引っ越してきた。それから梶間家で起こる不可解な事件の数々、いったい武内とは何者なのか?梶間の判決は間違っていたのか…。

この竹内という男とにかくコワイです。だからこそページをめくる手が止まらない。
当初、彼は善良な隣人なのか、凶悪な殺人鬼なのかよく分かりませんでした。
それは物語中に出てくるトリックの種が、あまりにも大したことないから単なる親切男だと錯覚してしまうから。

ストーリー展開は、裁判官の勲、妻の尋江、義理娘の雪見と、次々に視点が変わり進んでゆく。
視点が変わる作品は他にもあるが、読んでいてイマイチ物足りない感じがした。老人の介護、夫婦間、子供や嫁姑、等の問題が深く関わってくるのだが、今の社会にある深刻な問題を取り入れてあり、その部分に関してはそれなりに面白い。だが、本来ならば、隣人に引っ越してきた武内の人間性も、もう少し掘り下げたものがほしかったと思う。
こんな動機で武内が犯行に及び、そんな理由で隣人になる、為の材料がかなり不足だったし、説得力にも欠ける気がする。

最後まで竹内が何をしたかったのか分からず、もっとハッキリとしたものが欲しかったのが事実です。

竹内の怖さは現代の世の中の大半の人間を代表している。
それは孤独から湧出た自分なりの正義なのか?


でもお勧めの一冊です。寝不足になるぐらい一気に読めます。


ガリレオの苦悩

2010-09-04 18:40:39 | Weblog
『ガリレオの苦悩』 東野圭吾著


湯川先生のガリレオシリーズ短編五作品。
全ての短編の内容は、基本的に一冊まるまるミステリ本でもできるように濃く深く仕上がっている。あくまでお基本的にだけどね。

例えば何百ページある推理小説の中で、一見関係ないような部分(本当は大関係有なのだが)を省略しているから、早く新事実や真犯人が知りたい、気が早い人にはもってこいの一冊です。
非常にサラッと読めますよ。


「落下る」
マンションの一室から独身女性が飛び降り自殺をした。しかし様々な状況から他殺の疑いを持った内海は、湯川の力を借りようとするが拒否されてしまう…。そして最後に以外な結末が待っている…。

そうなんですよ。最後のオチは「えー!」と裏切られますよ。著者の反則勝ち!
でも内海の視点は本当にスゴイな。人間が一般的に行動するあたり前のことを想像出来る力は冷静さそのものだろう。
そして、湯川先生の拒否を行動で示すその姿からは大責任を感じたよ。
湯川先生はこう語る。
「価値のない実験なんてない。まずはやってみるその姿勢が大事。頭の中で理屈をこね回すばかりで行動の伴わない連中がやたら多い。そんな奴らは絶対大成しない。どんなにわかりきったことでも、まずやってみる。実際の現象からしか新発見は生まれない」と。
さすがです。自分の仕事も初心に戻れる気がします。
五作品の中で一番好きかも。


「操縦る」
かつての湯川の元教授である恩師、友永の家に湯川を含む教え子四人が呼ばれパーティーが開かれた。その最中屋敷の離れが炎上し友永の長男が死亡した。
日本刀のようなもので殺され火をつけられたのだが…。

オチはすぐに分かってしまう。それより奈美恵と友永のろくでもない息子の関係がイマイチだったな。ボトルシップを取りに行った際に、奈美恵を押し倒した背後で殺害の準備を済ませる描き方は、著者の独特なテクニックに拍手。


「密室る」
湯川の大学時代の友人、藤村が経営するペンションで密室殺人が発生した。その解明のために呼ばれた湯川だったが、なぜか藤村の態度がおかしい。視覚を惑わすトリックとは?

ペンションの宿泊客が書いたノートで全貌が見えてしまう。
短編だからここで登場させないと後がないのだろう…。


「指標す」
資産家の家に強盗が入り金が盗まれた。容疑者は母子家庭の保険外交員。中学生の娘が何か知っていると睨んだ内海は娘の後をつけるが、重要な証拠までたどり着いた娘はダウンジングで探り当てたという。
ダウンジングが果たして本当に実在するのかどうか、という点が最後まで興味を引っ張ってくれる。

信じる、信じない、の問題だろう。ダウンジングという科学的に証明できないことを描く。娘のお守りである「振り子」の信憑性を僕は信じた。
小説上だが娘の供述に嘘はないと信じています。


「攪乱す」
警察と湯川のもとに「悪魔の手」と名乗る人物から犯行声明が届いた。たしかに起きていた事件は両方とも事故で片付けられていた。犯人の狙い、湯川に固執する理由、そしてトリックは何なのか?

科学を殺人兵器にするのは許さないと気張る湯川先生が、過去に彼にバカにされた科学者からの挑戦はあまりにも幼稚。
これを科学操作と言えますかあなた?
運転している本人がただの寝不足だったらどうするのだよ。
読後疑問しか残らなかった、悲しい現実。


もともとガリレオシリーズは、「不可思議な現象を科学的に解明する」
という所に魅力がある。でも本書では、全体的にそう感じなかったのが残念でしかたない。もう少し現実的なトリックを期待したいなぁ~。
内海薫と加賀恭一郎がコンビを組んだら、新刊で購入するよ。絶対に!


テレビでは、湯川先生は、福山雅治だけど、どうしても湯川先生からは六十近くのオッサンのイメージが離れない。
若く感じられないのは僕だけ。。