先週、大峰修験道よりも古いと伝わる 葛城修験道の聖地と言われる犬鳴山七宝瀧寺境内の
「元山上が岳」に登ってきました。
そこは 表行場と呼ばれて 「蟻の戸渡」とか「西の覗き」という行場もありました。
そこで今回は 今の「山上が岳」に 五番関から登ってみることにしました。
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五番関から大峰山寺まで往復 その1
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駐車場はありませんが 林道に路駐します。ブルーラインは奥駈まで登る道で、赤いラインが今回歩く
予定の大峯奥駈道で 五番関から大峰山寺までです。
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林道天川村川上村線(名前はよくわかりませんが 洞川温泉と川上村を最短で結ぶ林道です)の
五番関トンネルの手前の広い場所に車を止めました。ここは標高が1000m前後です。
気温は18度です。少し肌寒い感じです。
今日は私も含めて三台のようです。ここから奥駈へ歩くのは多分3回目です。
午前8時にスタートしました。
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東屋の奥の突き当りが 登山口です。
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標識もちゃんと整備されています。
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いきなりガレ場の急登が始まります。
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そのうちロープが現れました。助かります。
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道の真ん中に骨が何本かありました。鹿の足の骨と思います。
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急登を約25分すると ここの峠に出ました。右が大天井が岳、吉野で左が大峰山寺です。
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女人結界門の文字が直してあります。以前は 女人禁制に頭に来た人なのか 女の文字を壊してあり
「人結界」となっていました。「誰人も入るな」と長い間なっていて笑えました。
今回女の文字を再設置したので 女の文字だけが 光っています。
女の修験者は 隣の大日岳へ行けという事でしょうが、私個人としては はやくこんな結界門は
なくしてほしいと思っています。
参詣道を祈りの道として歩くのに男も女も関係ないと思いますし、世界文化遺産に登録された
ので、世界中からいろんな人が 「紀伊山地の霊場と参詣道」を歩きに来られます。
江戸時代に富士山の女人禁制を解除したとたん、富士山詣でが急増したそうですが、高野山も
女人禁制を止めたことだし、大峰山も女人禁制を解除すれば 洞川温泉も大峰山の宿坊ももっと
もっとにぎわうと思いますが いかがでしょうか。
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今は女性の修験者は 吉野から歩いてきて ここでひとまず下山して 私が駐車した場所に大型バスや
マイクロバスが待っていてそれに乗り込み、川上村柏木へ運ばれて そこから柏木路で伯母谷覗
経由で阿弥陀ヶ森女人結界まで登り返すという不便をされています。
日本の女の人は おとなしいので こんな理不尽にじっと耐えていますが、昔南奥駈太古の辻付近で
白人のカップルにお会いした時、「熊野から歩いてきて 吉野へ行きたい。しかし山上が岳は通れない
ので、前鬼で下山して 一日一本のバスに乗らなくてはならない。どうしてこんな目に会うの」
と女性にまくしたてられました。日本はどうしちゃったのと言う意味なのか what's going on
みたいな言葉を何回も言われたことを覚えています。私はひたすら謝りましたが。
はやく男も女もない参詣道になれば 世界にも はずかしくないのですが。
平安時代の熊野古道は男女関係なく 歩いていたそうですし。
仏教にはもともと女性蔑視はありませんから日本神道の要素が山岳修験に入り込んだあたりから
おかしくなったのでしょうね。
小乗仏教の国で昔仕事をしていました。女性は僧侶に絶対に触れません。たとえわが子でも。
それは女性蔑視ではなく宗教上の戒律と思います。僧侶は女性に触れては絶対にだめです。
日本の坊さんが 結婚して肉や魚を食べているなんて 仏教の世界では考えられませんね。
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右側の道にロープが張ってあり 通行止めです。どうしたのでしようか。
この右の道は 奥駈の昔の道でとても歩きやすい道です。どうしたのでしょうか。
台風で崩れたのか、人に歩かれるのが嫌な 山主がロープを張ったのか。
ここに分岐の案内表示もありましたが 撤去されています。
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この道を往復とも歩くしかないのでこちらへ進みます。この道が唯一の奥駈道となっている
ようですが、途中になかなか危険個所もあります。
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危険なトラバースか所に来ました。足元注意と書かれています。
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ロープの先にはワイヤーが張ってあり、ロープをもって危険個所をトラバースすると ロープも
登山者と共に ワイヤー沿いに移動する仕組みです。考えましたねえ。以前はありませんでした。
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足掛かりの部分が少ないので 鎖場も慎重に進みます。
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梯子も滑りやすいので慎重に渡ります。
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最初の難所です。谷の突き当りをグルっとトラバースするのですが、足掛かりが少なくロープも
ありません。左へ滑り落ちたら 数百メートル滑落します。慎重にトラバースします。
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その2へ続く
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