前回のゴール、上大岡駅から歩き始めました☆
京急「上大岡」駅の東口を出た所に、さっそく
小さなお堂と、庚申塔らしき石塔などがあります。
「子育て地蔵尊」
金沢道・杉田道の道筋に地蔵堂が祀られていましたが
湘南電鉄(現・京急電鉄)の開通に伴い此処に移されたとか。
この辺りは「八郎ヶ谷」と呼ばれ、言い伝えによると 1156(保元1)年の
保元の乱で父 為義と共に崇徳上皇方に加わり敗れた鎮西八郎為朝が
落ち延びて、この辺りに隠れ住んでいたといわれているそうです。
駐車場の傍らに、
「源 為朝供養塔」
言われなければ気づかないかもしれません。 駐車場の片隅にひっそりと・・
特に表示も説明もなく、さほど古いものという感じもしませんでしたが・・
近くにあった立派な門。 碑には「不老門」とあります。
個人のお住まいのようです。 代々名主を務めたお宅とか・・?
駅近とは思えないような雰囲気ですね。
大岡川の東側の旧道を歩いて行き・・
やがて、
「旧道入口」の信号でR21(現・鎌倉街道)に合流します。
車がたくさん往来する通り沿いの右手に
「横浜国立大学附属横浜中学校」
樹齢100年余というたくさんの木々に包まれた校舎は、
旧・横浜高等工業学校(現・横浜国立大学工学部)の
建物で、市有形文化財に指定されているそうです。
校門前に、「鎌倉街道」の碑
通りを隔てた向かい側は
「弘明寺商店街」
ぼつぼつ開店の時間ですね。
では、ちょっとだけ寄り道して・・(笑)
アーケードを抜けると、
突き当りが通称「弘明寺観音」の山門です。
門前に、「ほどがや道」碑
側面は「坂東西国秩父百番供養塔」と読めます。
「瑞応山 蓮華院 弘明寺」
古儀真言宗のお寺。
以前ご紹介したので、説明は割愛。
鐘楼
梵鐘は江戸時代の作。 名鐘であるため、戦時の供出を免れたとか。
作者は江戸・神田に住む鋳物師 西村和泉守藤原政平。 徳川幕府の
鋳物制作の御用を務め、元禄~大正初期まで続いた鋳工の家柄。
川崎大師の梵鐘も手がけた人だそうです。
ひと休みしたら、また「金沢道」歩きを続けましょう☆
(続)
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