城山公園でエネルギー・チャージして、元気百倍
「本郷橋」を渡って、住宅街へと入って行くと、
左側に、
「国府山 宝前院」
真言宗のお寺だそうです。
説明板のようなものは見当たらず、ひと気もありませんが
境内には、見事なイチョウ・クスノキの巨木といろいろな花々が・・
住宅街を進んで行くと、
やがて、左側のR1と並行する松並木の道になりました。
「国府本郷一里塚」の標柱
日本橋から17番目の一里塚が、国府本郷内の此処から
約200m手前にあったことを記した説明板があります。
旧道はやがて、「国府新宿」交差点でR1に合流します。
少し先の「六所神社入口」交差点の右側に、
朱塗りの大鳥居と「相模国総社六所神社」の石柱。
神社の参道のようですね。 行ってみましょう☆
まもなく、右手にお寺があります。
「寶積院」
真言宗のお寺。
町最古の「国府新宿梵鐘」には、1631(寛永8)年の銘と
銘文中に、国衙(国府の政庁)の役人の「在張(庁)」の陰刻。
(説明パネルより)
お寺の入口に、大きく枝を広げたカヤの木が立っています。
樹高 15mと町内最大級の大木で、推定樹齢 300年以上とか。
JR東海道線の下をくぐる「六所架道橋」を抜けると、長い参道の先に
社殿が見えてきました。 左手に、樹齢700年の大ケヤキ。
「六所(ろくしょ)神社」
主祭神: 櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)
相殿に祀られる分霊: 寒川神社・川勾神社・比々多神社・前島神社・平塚八幡宮
社伝によると;
崇神天皇の頃、出雲国から移住した柳田氏が当地を開拓し、「柳田大神」を
祀ったのに始まり、718(養老2)年 現在地に遷座して「六所神社」となりました。
『吾妻鏡』には、1186(文治2)年 源頼朝が社殿を造営、1192(建久3)年には
政子の安産を祈願して神馬を奉納しています。 また、1252(建長4)年には
第6代征夷大将軍となった宗尊親王が、幣帛神馬を奉納したと記されています。
現社殿は、永正年間(1501-20)に北条氏綱が造営、氏政が修復したものとか。
古来 都から各国(地方)に派遣された国司は、先ずその国の主要大社を巡拝する
ことになっていましたが、それには多くの日数・費用・人員を要したために、やがて
各社の分霊を国府近くの神社に合わせ祀って「総社」と称し、参拝するようになりました。
「相模国府祭(さがみこうのまち)」
一之宮「寒川神社」(寒川町)・二之宮「川勾(かわわ)神社」(二宮町)・
三之宮「比々多神社」(伊勢原市)・四之宮「前鳥(さきとり)神社」(平塚市)・
「平塚八幡宮」(平塚市)の各神社から、毎年5月5日に分霊が総社である
「六所神社」に集まり、国家安泰・五穀豊穣などを祈念する祭典が行われます。
R1に戻って、西へと進みます。
「変電所入口」の信号を右折し、「JR二宮変電所」の前を過ぎて・・
「日吉山 蓮花院」
真言宗のお寺で、相模新西国観音霊場第5番札所です。
本尊の「木造 聖観世音菩薩 及び 二天立像」は町指定有形文化財。
3体のうち、中央の像高35.5cmの観音像は平安後期の作と推定
され、二天像は観音像とは別作で江戸時代の作とされています。
(説明パネルより)
R1に戻ります。
「二宮町」に入って来ました。
「塩海橋」
傍らに「塩海の名残り」の標柱が立っていますが、何を指しているのか・・?
この付近の浜では、塩が製造されていたのでしょうか。
ほどなく、右手に入った所がJR「二宮」駅。
今回のゴールといたしまセウ☆
先述の六所神社で頂いた「湯津爪櫛(ゆつつまぐし)御守」
今さら‘良縁’は望みませんが(笑)、女性の災禍除けのお守りとか。
櫛稲田姫命のご神徳に守られて、この先も楽しく旅が続けられますよう・・
今回は、25,803歩
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