スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

港区・三田~高輪①

2013-12-28 | 東京・川崎


地下鉄「三田」駅A6出口を上がると、目の前はR15(第一京浜国道)。
ここから品川方面へ向かって、ちょっとぶら~りしてみました☆


さっそく、出口のすぐ右手に丸い石碑

西郷南洲・勝海舟会見之地碑

1868(慶応4)年 西郷隆盛と勝海舟が江戸無血開城の取り決めを行い、
江戸の街が戦火を免れたという 有名な会談が行われた場所。

江戸時代 此処には薩摩蔵屋敷があり、すぐ裏手には江戸湾に面した
砂浜が広がり、国元からの船荷が陸揚げされていたといいます。
現在は埋立地が伸び、海はJRの線路の先のそのまたずうっと先の・・・




札の辻
R409が交差し車の往来が激しい交差点には、面影は全くありませんが
江戸時代には、此処に高札場があったことが地名として残っています。
          
説明板によると;
1616(元和2)年 江戸の正面入口として芝口門が設置されました。
門の東側は海に接し、房総が望める景観が1日見ても見飽きない
美しさだというので「日暮御門(ひぐらしのごもん)」と呼ばれたとか。
高札場は、のちに高輪・大木戸に移されたようです。




高輪大木戸跡

嘗て 道幅6間(約10m)の両側に石垣が築かれ、夜は大門を閉めて
治安の維持が図られました。 現在は片側の歩道上に、1727(享保9)年に
築かれた 幅5.4m 長さ7.3m 高さ3.6mの石垣が残されているのみ。
国史跡に指定されています。





「泉岳寺」交差点にやって来ました。 角の高所にあるお社は・・?

高輪稲荷神社

お社に上がってみようと思ったのですが、階段の途中で水を流して掃除の
真っ最中でしたので上がるのはやめました。 で、縁起などはわかりません。
嘗ては、この辺りも泉岳寺の寺域だったということです。


交差点を右折して坂を上って行くと、

萬松山 泉岳寺

中門

1836(天保7)年 再建


山門

1832(天保3)年 再建


本堂

曹洞宗
1612(慶長17)年 徳川家康により外桜田に創建
焼失のため 1641(寛永18)年 現在地に再建
              開山:門庵宗関禅師(今川義元の孫)
本尊:釈迦如来


本堂左手奥に、義士達の墓があります。 国指定史跡

萱野重実(三平)を加えた48基の墓塔が、整然と並んでいます。
唯一人切腹を免れた寺坂吉右衛門以外、戒名はすべて頭に「刃」の文字・・

浅野内匠頭長矩墓                 大石内蔵助良雄墓
          

今日も、たちこめる紫煙に包まれています・・


(続)


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