スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

旧東海道・日本橋から

2010-09-22 | 旧東海道


それでは、あらためてお江戸日本橋から☆



日本橋が初めて架けられたのは1603(慶長8)年のこと。
当時は長さ43間(約78m)の木橋だったそうです。

現在の橋は、1911(明治44)年に東京市が完成したルネサンス
様式の石造二連アーチ橋で、橋銘は徳川慶喜の筆だとか。


照明灯を飾る青銅の麒麟は東京市の繁栄を、獅子は守護を表しています。
          


橋の袂の広場には さまざまなゆかりの展示がされています。

「日本橋由来の碑」



「日本国道路元標」
1604(慶長9)年 幕府が五街道の起点を此処としました。
1873(明治6)年 明治政府が七国道の起点と定めました。

橋の中央にある基準となるものは、1972(昭和47)年に柱から
プレートになりました。プレートの文字は佐藤栄作氏だそうです。
     


「里程標」






では、日本橋から西へ向かって・・

まもなく左側に、老舗デパート


その先の右側には、重厚な構えの銀行




八重洲通りを越すと、ほどなく京橋です。
高速道路の高架下に、

「江戸歌舞伎発祥之地」碑


江戸歌舞伎は1624(寛永元)年 中村座の猿若勘三郎が
中橋(日本橋と京橋の中間)で櫓をあげたのに始まります。
その後 市村座・森田座・山村座が加わった4座が集まって
大いに賑わい、江戸大衆文化として発展していきました。


そのすぐ近くに
「京橋大根河岸青物市場蹟」碑


1664(寛文4)年 京橋川の水運を利用して京橋の傍に青物の市がたち
売り物は大根が多かったので大根河岸と呼ばれるようになったとか。
1935(昭和10)年 築地の東京卸売市場に合併されるまであったようです。


「京橋親柱」
     
①                        ②

京橋は日本橋とほぼ同時期に架けられた橋で、明治・大正と
2つの時代に設置された橋の擬宝珠型親柱が保存されています。

①は、1875(明治8)年に石造アーチ橋に架け替えられた時のもの。
②は、1922(大正11)年 アールデコ風の橋に架け替えられた時のもの。
昭和38~40年 京橋川の埋め立てに伴い、撤去されました。



銀座に入りました。

「銀座煉瓦之碑」・「ガス燈」


1872(明治5)年の大火で銀座は全焼し築地まで延焼。その後 府知事に
より
銀座通りの建物は耐火構造の煉瓦造り洋風二階建てに統一されて
「煉瓦通り」と呼ばれ、街路灯はガス燈が用いられました。

碑の床の煉瓦は、発掘された当時使われていたものを使用し、
当時のまま「フランス積み」で再現してあります。
ガス燈の柱は明治7年の実物。燈具は忠実に再現したもの。



柳通りに植えられている柳は、「銀座の柳」3代目。
もともと埋立地の銀座では、当時の代表的な樹木だった桜・
松・楓などが根付かず、湿気に強い柳が植えられたのだとか。




「銀座発祥の地」碑


1612(慶長17)年 幕府はこの地に銀貨幣鋳造の銀座役所を
設置し、町名を「新両替町」としましたが通称「銀座」と呼ばれ
1869(明治2)年 正式に「銀座」を町名としたそうです。



銀座4丁目交差点です。
(この人波の中、写真を撮るのはチト恥ずかしく・・ )



だいぶ歩いたので、今回はここを終点としましょう。 
続きは、またいつか☆


 


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2 コメント

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わかりやすくて (kikyo)
2010-09-24 09:03:30
日本橋からの街道旅お疲れさま。
「京橋大根河岸青物市場蹟」のことなどなど分かりやすい説明がほんとにいいです。

京橋の親柱のこけしのような形、親しみやすい形だなあと思いました。
銀座には桜並木が無理だったことが、有名な銀座の柳につながったんですね。
なるほどねぇ。
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却って難しい? (夜猫子)
2010-09-24 10:21:37
たくさん人が通る道で写真を撮るのは、ちょっといつもとは違った緊張がありましたよ。
(立派なカメラで本格的に撮る人は別でしょうけど・・)
多くの人にお馴染みの場所なので、解説・情報もあり過ぎるくらいあって
却ってまとめるのが難しかったデス・・
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