仕事でも、こういうウェブ上の駄文を書くときにも、よくネットで検索をする。そういう自分が言うのも図々しい話だが、検索しながら書いた言葉には、重みがない。読んだり聞いたりして「この人の言葉は軽い」と感じるのではなく、検索する前から頭に知識が入っている人の編む言葉のほうが重くあってほしいという一種の願望のようなものだ。
もう一つ、ウェブに蓄積されている知識はマユツバものだ。これも私が言うと図々しい話になるが、ホントのようなウソが散らかっている。ウソならまだいい。本当に知りたいと思う知識が、どんなに探しても出てこない。ウソの情報さえないのだ。
と、私が感じるようになったのは、数年前だろうか。私が強烈な印象を抱いていた人物の名前を検索してみても、ほとんど情報らしい情報が出てこなかったときから。あれほど有名な人物について述べていないウェブは、なんと頼りないものだろうという一種の軽蔑が、Webに頼って仕事をしているにもかかわらず、最近まで残っていた。
すべては、私のミスだった。その人は「及川ラカン」ではなく「及川裸観」だったのだ。正しい表記を入力してgoogleで検索してみると、53件でてきた。この数が多いかどうかはともかく、私の知らなかった及川裸観像が少しずつ見えてきた。複数のページにまたがる情報を総合すると、以下のようになる。
・1901年、岩手県前沢町に生まれる。
・幼少時は虚弱体質
・のちに北海道・網走に移住。
・20歳過ぎから「裸修行」を行い健康体となり、「健康は裸運動と笑いが大切」との信念で全国行脚しながら、健康普及活動に尽力
・裸で新聞配達したことがきっかけで社会に知られるようになった。
・1975年「キワニス社会公益賞」受賞
・あまりに有名だったために、鉄道は顔パスだった。
・東京・西日暮里で「ニコニコ道場」を開いていた(現在は跡地にスイス山小屋風カフェがある)
・1988年11月22日、86歳で死去 最期は西日暮里の病院に入院していた。
私個人も、及川裸観をテレビで観たことがある。一度はNHKの朝のニュース番組。アナウンサーと上半身裸でのぼりを手にした裸観が会話するのだが、裸観の話は途中にまるでしゃっくりのように、「ワハハハ」という笑いが挟まれていた。「奥様は魔女」のような見えない観客の笑いではなく、裸観本人の体内から出てくる笑いである。裸観の話の内容と、笑いがリンクしているようには思えなかった。話をしているうちに体内の笑いのエネルギー値が上昇していき、一定のレベルを超えると間欠泉の如く吹き出してくるようにも見えた。ニュース番組のなかで裸観が自ら語ったキャッチフレーズは「全身これ顔!」だったと思う。
もう一度は、たしか永谷園のお歳暮(かお中元)のテレビCM。裸観は当時でもかなり極端なキャラクターだったはずで、よくCMに起用したなと思う。昔は人前で授乳する母親も多かったようだから、裸観の格好にも批判的な視線を向ける人が少なかったのだろうか。
今回、ウェブという情報ソースを見直したのは、直接裸観を目撃した人の一次証言がいくつかあったからだ。
http://www.k5.dion.ne.jp/~omoide/omoide2-3.htm
これは「自分史」の一こまに登場する裸観。(冒頭から1/3ほど進んだところ。ブラウザの機能で「裸観」を検索するとすぐ見つかる)
http://blog.mag2.com/m/log/0000069671/75191717.html
は、「顔パス伝説」の真相(ページの最後あたり)。そして
http://blog.livedoor.jp/noumitaran/archives/50143330.html
は子どものころに見た裸観の思い出だ。
ブログの普及やパソコン、ネット環境の値下がりの結果、誰でもウェブ上で文章を発表できるようになった。その結果、どこからかの引用ではない「私が見た、会った」式の証言は増えていくのかもしれない。
私のいる街から200キロくらい離れている網走には何度か行っている。この夏にも一度行った。だが、博物館となっている網走監獄以外には、何もないところだと思っていた。かの及川裸観ゆかりの街だったことは、うかつにも知らなかった。裸観は極寒の地、北海道で裸になったから全国的な知名度を得たけれど、もしも温暖な石垣島あたりで裸になったら、何年か前の東京スポーツに登場した人のように、単なる「文明社会を拒否した人」と、また別の意味で注目を集めたような気がする。
........という文章を1ヶ月ほど前に書きかけたまま忘れていたのだが、読み直して再検索してみると、ウィキペディアの見出し語として9月末に「及川裸観」が登場していた。まだ偉大な裸観の生涯の解説としては貧弱な内容だとはいえ、むしろ今後の成長が楽しみな項目といえよう。現時点では「おいか わらかん」となっている名前の読み方も、裸観の人となりがわかってくるころには修正されるはずだ。
もう一つ、ウェブに蓄積されている知識はマユツバものだ。これも私が言うと図々しい話になるが、ホントのようなウソが散らかっている。ウソならまだいい。本当に知りたいと思う知識が、どんなに探しても出てこない。ウソの情報さえないのだ。
と、私が感じるようになったのは、数年前だろうか。私が強烈な印象を抱いていた人物の名前を検索してみても、ほとんど情報らしい情報が出てこなかったときから。あれほど有名な人物について述べていないウェブは、なんと頼りないものだろうという一種の軽蔑が、Webに頼って仕事をしているにもかかわらず、最近まで残っていた。
すべては、私のミスだった。その人は「及川ラカン」ではなく「及川裸観」だったのだ。正しい表記を入力してgoogleで検索してみると、53件でてきた。この数が多いかどうかはともかく、私の知らなかった及川裸観像が少しずつ見えてきた。複数のページにまたがる情報を総合すると、以下のようになる。
・1901年、岩手県前沢町に生まれる。
・幼少時は虚弱体質
・のちに北海道・網走に移住。
・20歳過ぎから「裸修行」を行い健康体となり、「健康は裸運動と笑いが大切」との信念で全国行脚しながら、健康普及活動に尽力
・裸で新聞配達したことがきっかけで社会に知られるようになった。
・1975年「キワニス社会公益賞」受賞
・あまりに有名だったために、鉄道は顔パスだった。
・東京・西日暮里で「ニコニコ道場」を開いていた(現在は跡地にスイス山小屋風カフェがある)
・1988年11月22日、86歳で死去 最期は西日暮里の病院に入院していた。
私個人も、及川裸観をテレビで観たことがある。一度はNHKの朝のニュース番組。アナウンサーと上半身裸でのぼりを手にした裸観が会話するのだが、裸観の話は途中にまるでしゃっくりのように、「ワハハハ」という笑いが挟まれていた。「奥様は魔女」のような見えない観客の笑いではなく、裸観本人の体内から出てくる笑いである。裸観の話の内容と、笑いがリンクしているようには思えなかった。話をしているうちに体内の笑いのエネルギー値が上昇していき、一定のレベルを超えると間欠泉の如く吹き出してくるようにも見えた。ニュース番組のなかで裸観が自ら語ったキャッチフレーズは「全身これ顔!」だったと思う。
もう一度は、たしか永谷園のお歳暮(かお中元)のテレビCM。裸観は当時でもかなり極端なキャラクターだったはずで、よくCMに起用したなと思う。昔は人前で授乳する母親も多かったようだから、裸観の格好にも批判的な視線を向ける人が少なかったのだろうか。
今回、ウェブという情報ソースを見直したのは、直接裸観を目撃した人の一次証言がいくつかあったからだ。
http://www.k5.dion.ne.jp/~omoide/omoide2-3.htm
これは「自分史」の一こまに登場する裸観。(冒頭から1/3ほど進んだところ。ブラウザの機能で「裸観」を検索するとすぐ見つかる)
http://blog.mag2.com/m/log/0000069671/75191717.html
は、「顔パス伝説」の真相(ページの最後あたり)。そして
http://blog.livedoor.jp/noumitaran/archives/50143330.html
は子どものころに見た裸観の思い出だ。
ブログの普及やパソコン、ネット環境の値下がりの結果、誰でもウェブ上で文章を発表できるようになった。その結果、どこからかの引用ではない「私が見た、会った」式の証言は増えていくのかもしれない。
私のいる街から200キロくらい離れている網走には何度か行っている。この夏にも一度行った。だが、博物館となっている網走監獄以外には、何もないところだと思っていた。かの及川裸観ゆかりの街だったことは、うかつにも知らなかった。裸観は極寒の地、北海道で裸になったから全国的な知名度を得たけれど、もしも温暖な石垣島あたりで裸になったら、何年か前の東京スポーツに登場した人のように、単なる「文明社会を拒否した人」と、また別の意味で注目を集めたような気がする。
........という文章を1ヶ月ほど前に書きかけたまま忘れていたのだが、読み直して再検索してみると、ウィキペディアの見出し語として9月末に「及川裸観」が登場していた。まだ偉大な裸観の生涯の解説としては貧弱な内容だとはいえ、むしろ今後の成長が楽しみな項目といえよう。現時点では「おいか わらかん」となっている名前の読み方も、裸観の人となりがわかってくるころには修正されるはずだ。
実はニコニコ大将の、今から25年くらい前に、私が撮影しました映像が手元にあるのですが、私は映像関係の仕事をしており、実はニコニコ大将の御遺族の方を探しております。当時の地元での呼び名は〔裸のおじさん〕〔裸の大将〕その後〔ニコニコ大将〕や〔ニコニコおじさん〕もと呼ばれるようになったようです。
でも当時は裸の大将や裸のおじさんが正解です。
もし何か情報がありましたら教えて下さい。
突然で失礼致しました。
私が持っている及川さんに関する情報は、約3年前にブログに書いたものがすべてです。残念ながらほかに情報はありません。
網走に行けばご親戚などがいまも住んでいるかもしれません。それほど大きな街でもないですし。ただ、私の住んでいるところからは車で数時間かかりますので、ちょっと行く余裕が....。というわけでお役に立てずすいません。
あなたがお持ちの映像がテレビやネットで公開されるのであれば、ぜひ教えてください。楽しみにしています。