財団日報

月4回が目標です

移転

2011-02-27 22:19:39 | Weblog
以下のサイトに移転します。こちらにはもう書きません。

今後もよろしければ新サイトをご覧ください。

http://yayuyoorg.wordpress.com/

蹴鬼

2010-11-07 15:17:09 | Weblog
 番組は見ていないのだが、主題歌だけが印象に残っているアニメがある。私の場合、「キックの鬼」がそうだ。

 アニメ主題歌は、勇ましい声や、かわいい声で歌われるものだと思うのだが、キックの鬼のそれは妙に低くて沈んだ声だった。明るい子どものコーラスや、歌にかぶせられたキックやパンチの効果音も、男の声の地味さを際だたせていた。ほかのどのアニメ主題歌と比較しても「キックの鬼」は異色であり、子どもだった私の心に、気味の悪さとともに強い印象が残った。

 この「キックの鬼」の主題歌が、アニメのモデルであり、実在のキックボクサー、沢村忠によるものだったのを知ったのは最近のことだ。プロの歌手ではないのだから、ほかのアニメソング歌手のように歌えないのも当然のことだ。むしろキックボクサーとしては、あの歌はうますぎる。亀田3兄弟のうちひとりが試合の前かあとに歌っていたと思うが、当然あれよりもうまい。「真空飛び膝蹴り~」といった歌なので違和感が強いが、フランク永井のヒット曲を歌わせたら「女心を一発KO、歌声ローキック」のキャッチフレーズで人気を集めたのではないかと思う。

 当時の事情はよく知らないし、「キックの鬼」の主題歌を沢村本人が歌っていたことより詳しい事実をネットで調べるつもりはさらさらないので以下は予想だけれど、あれはキックボクシングや沢村を単なる題材にしたアニメなのではなく、沢村を売り出すためのメディアミックス戦略の一貫だったのだろう。実在の沢村をアニメ化し、その主題歌を生身の沢村が歌うというわかりにくい図式も、そう考えれば納得がいく。そういえば、あの国民的スター、王貞治もレコードを出していたくらいだし、昭和40年代はスポーツ選手と音楽産業がいまよりも近い場所にいたのかもしれない。

 もうひとつ、主題歌だけ知っているアニメが「アパッチ野球軍」だ。私が住んでいる地域でアニメがテレビ放映されていたかどうかさえ知らない。ある日、私より4~5歳下の少年を長男とする3人兄弟のいる隣家に行ってみると「俺たちアパッチ野球軍」のレコードがあった。歌声こそは、アニメソングのイメージからそれほど離れていなかったが、歌詞の内容が奇妙だった。

「♪俺たちゃ裸がユニフォーム~」。

 アニメに、ユニフォームを身にまとっていないことを理由に審判がアパッチ野球軍の不戦敗を宣告しようとして、この言葉で抗議するシーンがあるのかどうか知らないが、ドカベンや巨人の星に輪をかけて現実離れした野球アニメだったことだけは想像できる。

 アパッチ野球軍は、なんと原作が花登筺であることを大人になってから知った。昭和40年代はスポーツと「細うで繁盛記」の距離も今よりかなり近かったようだ。

押下

2010-08-14 11:32:16 | プログラム
以下、覚書。

・Radikoで「爆笑問題の日曜サンデー」を録音したくなった。ここはエリア外のはずだが、会社のPCだとなぜか聴取可能(自宅は不可)。日曜に会社に出てくるのはわびしいので、なんとかタイマー録音したい。

・いろんな都合で、定時に「午後のこ~だ」を起動し、「録音開始ボタン」を押すのが一番安全で簡単ということになった。それくらいのプログラムなら、と甘く見て無料開発環境のactive basicをダウンロード。最新版はなぜかエラーが起きるので、V4.24を使う。

・やることは、以下の5つ
 ①TBSを流しているradikoのサイトを起動
 ②午後のこ~だを起動
 ③午後のこ~だの「ライン入力録音MP3録音」タブを開く
 ④指定の時間になったら午後のこーだの「録音開始」ボタンをクリック
 ⑤3時間後、同じボタンをクリック

・①、②はShellExecuteを使う。

・③は、まず午後のこ~だのメインウィンドウのハンドルをFindWindowで調べて、そのハンドルに対してSendMessage([ハンドル], WM_KEYDOWN, VK_RIGHT, 1)してみるが、うんともすんとも言わない。

・そこでメインウィンドウの子ウィンドウ(?)である別のハンドルをFindWindowExで探して、SendMessageしたらうまくいった。

・FindWindowExはActiveBasicのV4にはないので、MainWnd.sbpにDeclare文を書き加えて使用可能にした。

・④は「録音開始」ボタンの位置を調べてmouse_eventでクリックしようと考えたのだが、どうもうまくいかないので、ボタンのハンドルを調べてSendMessage([ハンドル],BM_CLICK,0,0)することに。ところが、これもうまくいかない。③で使ったFindWindowExを使ってみたが、ボタンのハンドルがわからなかった。

・そこで指定されたウィンドウの子ウィンドウを列挙するEnumChildWindowsProcを使うことに。これもActiveBasicのV4にはないので、この開発環境に関するホームページの記述を参考にDeclare文を書き加えた。

・EnumChildWindowsProcから呼び出される関数のなかで、テキストが「録 音 開 始」があれば、そのハンドルを記録しておく。このさいにWM_GETTEXをSendMessageしてもうまくいかず、はまった。ほかのアプリのウィンドウのテキストを調べる場合には、GetWindowTextが正解だそうな。

・なんやかんやでうまくボタンを自動的に押せるようになった。

・ActiveBasicのサイトが落ちているらしく、所蔵されているであろう大量の情報が読めない。グーグルのキャッシュから「テキストのみのバージョン」をクリックすると情報が得られることもある。

・Enumとはエニュマエル夫人の略ではない。

閉店

2010-07-30 19:50:24 | Weblog
 「閉店セール」という言葉には、なんだか明るいイメージがある。店のファサードに大きな垂れ幕、POP体や極太ゴシック、オレンジ色で黒く縁取りされた字を斜めに並べて「閉店在庫一掃バーゲン」。店じまいの前に少しでも在庫品を売りさばいて、再出発のためのキャッシュを確保したい。必死ではあっても、姿勢は前向きだ。永久的な撤退ではなく、リニューアルの一時閉店の場合には、「閉店」はバーゲンの口実でしかないから、積極的な姿勢が一段と目立つ。

 私のまちで、5年ほど前にオープンした家電量販店が、もうすぐ店じまいしようとしている。開店直後こそそこそこ客が入っていたが、2年くらい経過したときに業界最大手が同じ大通りに店を開いたのが誤算だった。私はその店の近所に用事があり、何度か通い、大型の買物をしたこともあるのだが、そのたびに客が少ないのを気の毒に思っていた。

 閉店セールが始まったのは、1ヵ月半くらい前だと思う。家電量販店では、来店者を洗脳すべく、店名、営業方針、テーマソングが元気よく、かつ繰り返し放送されているものだが、閉店が決まってからは、長年(といっても5年だが)の愛顧に感謝していること、アフターサービスについては店員に質問してほしいということを、通常モードの元気とともに放送していた。山崎ハコとは言わないけれど、もうちょっと暗い曲調の音楽に載せないと、明るさが空回りして余計寂しい。

 閉店の前兆はあった。もともと家電販売に使われていたスペースの3分の1が、ある日、ダイソーの売り場になっていた。このまちでは、ダイソーが売り場に空いた穴を埋める助っ人としてよく起用されるのだが、ダイソーだって飽和状態なので、商業施設の客足回復に貢献するとは考えにくい。むしろダイソーの存在は、その商業施設がピンチの初期段階にあることを意味している。いまから半年ほど前だったと思うが、家電量販店に行ってみると、いつの間にかダイソーが抜け、家電売り場との間には白い壁がそびえていた。ピンチが最終段階に進んだ証拠だ。

 私が閉店セールに初めて行ったころには、家電売り場の3分の1くらいが、急造の壁に囲まれていた。大型の液晶テレビやHDDレコーダーなどのめぼしい商品は、もう売れたのか、市内にもうひとつある系列店に運んだのか、すっかりなくなっていた。店員もかなり減ったような印象だ。

 まだ売れ残っている商品のなかに、ソニーのハードディスク搭載コンポがあった。通常価格6万円強のところ「展示品限り半額」。それでもちょっと高い。もっと安くなるような気がして、何回か通ってみた。すると、安売りが効果を発揮したのか、どんどん商品が減っていき、入れないスペースと、空っぽの商品棚が増えていった。最後まで残っていたのは、プリンタのインクリボンとか、デジカメのケース、洗濯機用ホース(交換用)など。「あ、閉店セールやってるのか。ちょっとのぞいてみよう」と店に入った人をがっかりさせるようなものばかりだ。

 運動神経が悪く、とくに球技がてんでダメだった私は、こういう状況でチーム分けを思い出して重い気持ちになる。担任は怠慢からなのか子どものリーダーシップを育てたいのか知らないが、球技、たとえばドッジボールが得意な2人に「お前たちが順番にとりたいやつを指名して、クラスを2チームに分けろ」と命じる。猛烈に速いボールを投げるやつ、素早くボールを避けるやつ、ショートバウンドしそうなボールでも怖がらずにキャッチするやつが順番に指名されていくのに、自分は最後まで指名されない。あの「選択権を握るやつが、自分を選ばない」感覚を、インクリボンとデジカメケースと洗濯機用ホースも感じているのではないか。

 かといって、同情心から、必要でもない売れ残りを買って持ち帰るのは間違っている。最後まで選ばれないよりも、最後の最後で「ほんとはお前なんて不要なんだけど、どっちかのチームに入れなきゃならないんだから、指名しないわけにいかないよな」と、冷たい目で告げられながら名前を呼ばれるほうが辛いことを、私は経験的に知っている。

 そんな暗い少年時代の思い出が蘇ってしまったのも、たいした商品が残っていないのに、期限ギリギリまで閉店セールを続けるその店が悪いのだ。もっとも、このあたりの見解は人によって違うはずで、私が狙っていたハードディスク搭載コンポを、半額よりもさらに安い6割引や7割引で手に入れた人がいるとすれば、早速その商品で音楽を聞きながら、閉店セールって、思ったよりも明るくて楽しいなと感じていることだろう。

別離

2010-07-28 11:49:28 | Weblog
 もう長年の付き合いになるその相手とは、これまで何度も別れようと思い、仕事や転居の都合でしばらく距離を置いたこともあったのだが、結局は縁が切れず、これまでズルスルと関係を続けてきた。嫌いなのではない。むしろ好きなのだ。好きすぎるからこそ、別れなければならないこともある。

 千載一遇の機会が近づいてきた。このチャンスを活かせば、縁を断ち切ることができる。逆に、この絶好のチャンスさえ活かせないようであれば、私が死ぬまで逃げられない。相手にがっしりと首根っこを掴まれた状態で、私は繰り返し、2011年になぜ決断できなかったのかと後悔することだろう。

 なにも嫁さんと別れたいと言っているのではない。嫁さんよりももっと長い付き合いの相手、テレビとさよならしようと考えている。アナログ放送の終了日に合わせて。

 いまうちにあるのは、茶の間のアナログ式28インチテレビ。本当なら6年前、この家に引っ越したときがチャンスだったのだが、知人に「ぼくは新しい液晶の45インチテレビを買ったので、これ持ってきなよ」と言われると、イヤと言えなかった。当時中1だった娘にとり、テレビのない生活はまだ考えられなかったという理由もある。

 しかし、娘が受験勉強におわれ、息抜きの手段がテレビからネットに移ったいま、嫁がもともとあまりテレビを見ないこともあり、私がこの家で最も忠実なテレビ視聴者となっている。帰ってきて誰もいなければ、自然とテレビのリモコンに手が伸びる。なにか見たい番組があるからではない。静かな茶の間ではテレビをオンにするという行動が、幼いころからの習慣として体に刷り込まれているのだ。

 テレビあると、ついつい長い時間を費やしてしまう。平日は幸か不幸か仕事が忙しいので、朝、出かける支度をしながら横目でめざましテレビを観るくらいなのだが、土日、とくに予定が変わって不意に時間が余ったりすると、1時間でも2時間でも口を開けたままテレビを見ている。この前の週末も、お笑い芸人が火の中に突っ込んだり、カースタントに挑戦したりする番組の再放送を、気がつくと2時間も見ていた。

 あと1年間、地デジ対応のテレビやチューナーを買わなければ、テレビとさよならできる。甘いものを間食しないという決意は、甘いものがコンビニで100円で売っているためにゆらぎがちだが、地デジ対応テレビは最低でも2~3万円、チューナーだけでも数千円するのは、金銭的な余裕が大きいわけではない私にとっては好材料だ。「テレビなんてもう見ない」という決意が崩れる可能性よりも、「新しいテレビを買おう」という決意が最初から成立しない可能性のほうがどう考えても大きい。アナログ放送がもうすぐ終わるという叫びが大きくになるにつれ、私は徐々に楽観的になっている。

 不安要素はある。グレーゾーンをどう扱うのかという問題だ。

 電波に載せてリアルタイムで映像が送られていくるテレビ番組はもう見ないとして、DVDで映画を借りてくるのもうやめるのか。正直なところDVDは見たい。しかしそうすると私の中の新聞記者がまっすぐに手を伸ばし、官房長官に指名されるかされないかのうちにこう質問するのだ。「DVDは見ていいのにテレビは見ちゃだめ。その違いはなんなんですか? どこに根拠があるんですか? ダブルスタンダードじゃないんですか?」。

 さらに言えば、CSのシネフィルイマジカはいいのか、日本映画チャンネルはどうするのかという問題もある。私の中の新聞記者もこの質問を用意しているはずだ。私と一緒に京マチ子主演「流転の王妃」を観たのだから。彼を納得させられるような説明は、思い浮かばない。

 とはいえ、テレビとさよならしたいという気持ちは強い。ニュースによるといまも全国で1000万世帯くらいがまだ地デジに対応していないというが、お金がないとか、方法がわからないとかだけでなく、私と同様、これを千載一遇のチャンスと捉えている人も数十万人単位でいるのではないか。私にとってDVDやCSといったグレーゾーンは不安要素だけれど、DVDやCSがあるんだから地デジはいらないとポジティブに考える人もいるだろう。

 なにかの始まりや終わりに意識的に立ち会ったことなどないが、もしも、これから約1年にわたって決意がゆらがなければ、アナログ放送の最後の瞬間は見届けようと思う。名残惜しさからしばらくは口をだらしなく開いたままブラウン管を見つめているかもしれないが、1時間も砂の嵐を見れば、コンセントから電源コードを引っこ抜く気になるはずだ。

天気

2009-12-13 08:46:35 | Weblog
 英和辞典でweatherという言葉をひいてみた。weatherは動詞としても使われ、意味のひとつに「あらしや困難などを切り抜ける、しのぐ」というものがあった。もう一つ知らなかったことがある。名詞としてのweatherはよく知られているとおり「天気」の意味だが、こんな解説が。

「英国では雨が降ったり曇りがちの日が多いので、英国人が出会えばまず天気の話をするといわれるが、米国人はあまり話題にしない」

 イギリス人が天気の話題が好きだということはどこかで読んだ記憶がある。「イギリスの鉄道では客室が小さな個室に分かれているが、見知らぬ客同士が相席になる場合がある。無言のまま向かい合って坐るのは気まずい。そういう状況でイギリス人が決まって選ぶ話題が天気や天候だ」。そういう内容だったと思う。

 問題は、辞書の解説文のそのあとだ。「米国人はあまり話題にしない」

 地球上で暮らしていて、天気をあまり話題にしないということがあるのだろうか。アメリカだって雨は降るだろうし、風も吹くだろう。それでも天気を話題にしないというのは、どういうことか。

 メキシコ湾から上陸した史上最大級のハリケーンが、ヒューストンを襲ったとしよう。大木や家、車が空を舞うなか、なじみのバーを訪れた客はハリケーンには一言も触れず、マスターに「今夜のテキサスレンジャーズのゲームが中止になったのはどうしてなんだ?」と聞き、マスターは「知らないね。見当もつかない」と首をかしげる。そういうことか。

 私はカキの網焼きで有名な厚岸の道の駅よりも東にも行ったことがないので、アメリカの状況も想像するしかないけれど、アメリカ人が天気を話題にしないのは、大陸性の気候であるために、気候変化のサイクルが長いからなのかもしれない。たとえば晴れが20日続いて、雨が10日続くような状況だと、天気が話題になるのは晴れから雨に転じてからの3日間くらいで、それ以降も天気について話せば、いつまでも同じことを口にする退屈な人になってしまう。

 天気の変化に最も敏感なのは農民と漁民だ。日本やイギリスは長い農業国としての歴史のあとで工業国に転換した。アメリカは農業国だった期間が短いために、全体的にみて国民の農業への関心が薄い。そういう理由も考えられる。

 そういえば、嫁の親戚のなかに、幼いころからアメリカで過ごした人がいる。彼と会ったとき、その人の薄着に驚いた。たしか私はコートを着ているような季節だったが、彼はTシャツ1枚だった。彼は頭がよく、敏感な人だったが、こと温度変化についていえば、鈍感だった。

 国別のCO2排出量で、アメリカは07年に中国に抜かれるまで1位、人口1人あたりではいまもダントツの1位だ。アメリカはCO2抑制に日本やEUよりも消極的だが、天気への興味の薄さが、気候変動への無関心にもつながっているのだろうか。海面が上昇して球場が水没し、レンジャースのゲームが中止になっても、その理由についてやっぱり「見当もつかない」マスターに経緯をきちんと説明してあげれば、意外と簡単にアメリカ政府の姿勢も変わるような気もする。

松子

2009-09-21 12:00:48 | Weblog
 ファストフード店でコーヒーを飲みながら本を読んでいたら、ちょっと雰囲気の違う小太りの中年男2人組が隣の席に座った。来ている服の様子が、このあたりの小太り中年男2人組とは明らかに異なるのだ。

 彼らはなにか飲み物を飲みながら、雑談を始めた。店内の雑音のなかでは、彼らの会話もとぎれとぎれにしか聞こえなかった。「さいたまスーパーアリーナはすごい」とか「目黒あたりは混んでいる」といった言葉だけが耳に入ってきた。ほかの断片的な話の内容から、彼らが東京に住んでいて、芸能界かその周辺に身を置いているということくらいは想像できた。

 奇跡的に、店内が数秒間、静かになった。その間に彼らが交わしていた会話は、はっきりと聞き取れた。

 「マツコ・デラックスは、いいやつなんだよな」
 「うん。いいやつだ」

 東京って恐いところだなと、私は思った。

清水

2009-08-11 06:51:41 | Weblog
 「酒井法子も覚せい剤やってたらしいんだよ」

 と、60歳の同僚が本気で心配していたのが、今回のニュースで一番驚いた瞬間だった。酒井との年齢差は22。私でいえばハタチそこそこのアイドルの名前を知っているのと同じだ。私は集合名詞としてのAKB48は知っているが、個体の顔と名前は知らない。

 酒井の知名度はいま、麻生太郎以上かもしれない。私はこの人の全盛期というものを知らないので「おちたトップアイドル」という表現には違和感がある。これだけ知名度が上がった人であれば、いつかはヌード写真集とか、回顧録とか、何らかのかたちで芸能界に復帰するのだと思う。「芸能界復帰を許すな」という声さえも、上げる人が多ければ多いほど、復帰を促す要素になる。

 以前、いわゆるデブタレの間では、ジャンルを切り開いたウガンダ・トラ氏が尊敬されているというような話があった。過去に覚せい剤犯罪で逮捕された芸能人のリストを見ていると、彼らの心のなかで清水健太郎が同じようなポジションにあるような気がしてならない。

 ウィキペディアによれば、83年以降、大麻、大麻、覚せい剤および大麻、覚せい剤で4回にわたり逮捕。現在半保護となっているウィキペディアには記述がないが、さらに昨年のひき逃げ事件でも逮捕されている。

 社会的には、大麻関連の犯罪は、覚せい剤関連の犯罪よりも軽いと考えられているらしい。犯罪としては覚せい剤のほうがより「本格的」ということになるのだろうか。例えれば入門の敷居が低い大麻は五目並べ、敷居が高い覚せい剤は囲碁のようなものなんだろう。過去の大麻・覚せい剤犯罪逮捕者有名人リストを見ると、清水健太郎をはじめ、両方に名前が出ている人がいる。野球の大リーグとアメフトの両方で有名になるような活躍ぶりだ。

 清水は今年の1月末に懲役7ヶ月の実刑判決を受けている。もう出所したころだろうか。少なくとも3回目までの逮捕には、Vシネ出演の障害になるどころか、「箔」になっていたし、4回目の逮捕以降にも復帰を画策する動きがあったようだ。酒井は現在の知名度こそ高いが、経験はまだまだ浅い。ふたたびデブタレントに例えるなら、渡辺直美くらいの存在でしかない。

卓上

2009-08-09 12:19:55 | Weblog
 実家に戻ってきている。眠れない夜、テレビをつけたら竹内力主演のVシネマを放送していた。昔気質の任侠である竹内が、組織の論理に翻弄されて、かつての仲間と対決するという内容だった。

 何度か組事務所のシーンが出てきた。義理よりはお金を大切にする組長の机の上には大きなパソコンとブラウン管式のディスプレイが鎮座している。

 本物の組事務所でも、パソコンぐらいはあるだろう。みかじめ料徴収状況の集計、業界に一斉送信する破門状の作成、芸能人を呼んで開くゴルフコンペのスケジュール表。いまどきパソコンがなければなにもできない。しかし、組長の机の上にもパソコンが必要なのかどうか。

 そのVシネマが作られたのは、おそらく今から10年ほど前。当時のデスクトップパソコンはいまよりも大きめで、どうしてもそこに視線が行ってしまう。いきおい組織の中でパソコンが大きな存在感を発揮しているような気がしてしまうのだ。

 この組長は竹内の意見も若頭の意見も聞かず、パソコンに搭載された意思決定支援ソフトの画面出力を確認したうえで、「戦争じゃ~。皆殺しにしてこい」と叫びそうな気がしてしかたがない。

調整

2009-07-21 14:52:02 | Weblog
 実家に帰ったさい、父と一緒に笑点を見るのが習慣になってしまった。大喜利のほうは極度に抽象化・先鋭化した笑いなので、相変わらず理解できない。その前の演芸のコーナーに、今は関西の芸人が出ている。少し前にはブラック・マヨネーズが出ていた。それまでバラエティ番組でしか見たことがなかったが、初めてみる漫才も面白かった。
 先週はNONSTYLEだった。やはりバラエティ番組でしか見たことがない。若手なので、大喜利とは別の意味で理解できないかと思ったら、腹を抱えて笑った。
 面白かったのだけれどこれが彼ら本来のネタなのかちょっと疑わしい。というのは、会場のお年寄りも大笑いしていたからだ。M1チャンピオンの笑いがそのままお年寄りにも通じるとすれば、守備範囲の広さに驚く。
 芸人さんが真剣にネタをやるようなテレビ番組をほとんど見ないので確信はないが、「笑点に合わせてチューンしたNONSTYLE」だからこそ私も大笑いできたのではないか。
 他の漫才師についても、笑点には同じような効果があるのではないか。笑点だからこそ楽しめる漫才。来週の放送がいまから楽しみだ。大喜利以外は。
(コンビ名は「NOSTYLE」だったような気もするが、活性炭入り冷蔵庫脱臭剤の記憶と混線してどっちだかわからなくなった)