評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
「安倍語録」から
Ohmynewsに、青木理氏が、「安倍語録」をまとめられています。これまでの、国会答弁、著書、インタビューでの発言などから抜粋したものですが、読む価値があると思います(http://www.ohmynews.co.jp/HotIssue.aspx?news_id=000000001564)。
私が気になった発言を三つあげてみます。
(1)「侵略戦争の定義は定かでない。政府が歴史の裁判官になって単純に白黒つけるのは適切でない」(衆院予算委)
一番気になったのは、この発言です。ある戦闘行為が侵略戦争かどうかは、確かに議論の余地がありますが、政府、即ち行為の決定者は、「白黒」の判断が出来ていなければなりませんから、過去の事例についても、将来起こりうる仮定のケースについても、明確な判断を持っていなければなりません。それが侵略戦争であるかないかが判断できない人が、たとえば、自衛隊の行動を指揮するというのは、不適当ではないでしょうか。
この程度の論理構造を分からずに、その場しのぎとも思える口先を弄するというのは、不誠実なのか、それとも、ご本人としては不誠実でないと思っているとすると、議論に耐える「脳ミソ」が無いからではないか、という推論が自然に思えます。どちらでも困ったものですが、第三の可能性はあるのでしょうか?(北朝鮮を欺くために、バカのふりをしているとか・・・)
靖国参拝問題についても、「行ったか行かなかったか言う必要はない」「首相になったら、行くとも、行かないとも言わない」(注:安倍氏の発言そのままではありません)といった内容のことを仰っておられましたが、必要なのに立場を明らかにしないこと、或いは、「白黒」の付く議論を避けて行動しようとすることは、非常に危険な傾向だと思います。必要な説明や議論をしないリーダーは危険です。
(2)「我が国が自衛のための必要最小限度を超えない実力を保持するのは憲法によって禁止されていない。そのような限度にとどまるものである限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わず、これを保有することは憲法の禁ずるところではない」(衆院特別委で)
これも、かなりの発言ですね。憲法は、核兵器と通常兵器の区別について触れていませんが、日本が核兵器を保有することは、核拡散防止条約に反しますし、現時点では、近隣職国も日本国民も望まないのではないでしょうか。このような発言を、「憲法には禁止と書いてないじゃないか」という感覚でできてしまうとすると、視野の狭さ、想像力の貧しさ、発言へのリスク感覚の乏しさは、政治家としてはB級品以下だと思うのですが、いかがでしょうか。
(3)「現憲法の前文は何回読んでも、敗戦国としての連合国に対する詫び証文でしかない」(『安倍晋三対論集』)
感想はご本人の自由ですし、日本には言論の自由が(ある程度は)あるので、こう発言したこと自体を非難しようとは思いませんが、現憲法に対してこのような認識の人物が、総理大臣になるというのは、私としては、気持ちの良いことではありません。
ちなみに、私個人の意見を述べると、敗戦は事実ですし、日本として連合国に詫びるべき行為も多々あったと思うので(戦勝国側にも原爆投下をはじめとして多々あったと思いますが)、「詫び証文」を掲げること自体は、少しも悪いことではないし、正しく詫びることこそ、むしろ誇るべきことではないかと思っています。
●
何れにしても、今後、安倍氏について考えることは重要でしょう。その際には、事実(主に安倍氏の発言)に基づいた論考が必要でしょうから、今後も「安倍発言」のコレクションは重要です。注目すべき発言があれば、是非、当ブログにご教示下さい。ご協力よろしくお願いいたします!
私が気になった発言を三つあげてみます。
(1)「侵略戦争の定義は定かでない。政府が歴史の裁判官になって単純に白黒つけるのは適切でない」(衆院予算委)
一番気になったのは、この発言です。ある戦闘行為が侵略戦争かどうかは、確かに議論の余地がありますが、政府、即ち行為の決定者は、「白黒」の判断が出来ていなければなりませんから、過去の事例についても、将来起こりうる仮定のケースについても、明確な判断を持っていなければなりません。それが侵略戦争であるかないかが判断できない人が、たとえば、自衛隊の行動を指揮するというのは、不適当ではないでしょうか。
この程度の論理構造を分からずに、その場しのぎとも思える口先を弄するというのは、不誠実なのか、それとも、ご本人としては不誠実でないと思っているとすると、議論に耐える「脳ミソ」が無いからではないか、という推論が自然に思えます。どちらでも困ったものですが、第三の可能性はあるのでしょうか?(北朝鮮を欺くために、バカのふりをしているとか・・・)
靖国参拝問題についても、「行ったか行かなかったか言う必要はない」「首相になったら、行くとも、行かないとも言わない」(注:安倍氏の発言そのままではありません)といった内容のことを仰っておられましたが、必要なのに立場を明らかにしないこと、或いは、「白黒」の付く議論を避けて行動しようとすることは、非常に危険な傾向だと思います。必要な説明や議論をしないリーダーは危険です。
(2)「我が国が自衛のための必要最小限度を超えない実力を保持するのは憲法によって禁止されていない。そのような限度にとどまるものである限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わず、これを保有することは憲法の禁ずるところではない」(衆院特別委で)
これも、かなりの発言ですね。憲法は、核兵器と通常兵器の区別について触れていませんが、日本が核兵器を保有することは、核拡散防止条約に反しますし、現時点では、近隣職国も日本国民も望まないのではないでしょうか。このような発言を、「憲法には禁止と書いてないじゃないか」という感覚でできてしまうとすると、視野の狭さ、想像力の貧しさ、発言へのリスク感覚の乏しさは、政治家としてはB級品以下だと思うのですが、いかがでしょうか。
(3)「現憲法の前文は何回読んでも、敗戦国としての連合国に対する詫び証文でしかない」(『安倍晋三対論集』)
感想はご本人の自由ですし、日本には言論の自由が(ある程度は)あるので、こう発言したこと自体を非難しようとは思いませんが、現憲法に対してこのような認識の人物が、総理大臣になるというのは、私としては、気持ちの良いことではありません。
ちなみに、私個人の意見を述べると、敗戦は事実ですし、日本として連合国に詫びるべき行為も多々あったと思うので(戦勝国側にも原爆投下をはじめとして多々あったと思いますが)、「詫び証文」を掲げること自体は、少しも悪いことではないし、正しく詫びることこそ、むしろ誇るべきことではないかと思っています。
●
何れにしても、今後、安倍氏について考えることは重要でしょう。その際には、事実(主に安倍氏の発言)に基づいた論考が必要でしょうから、今後も「安倍発言」のコレクションは重要です。注目すべき発言があれば、是非、当ブログにご教示下さい。ご協力よろしくお願いいたします!
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« 竹中平蔵氏と... | ランダエタ選... » |
要は、何か言っているようだが、突っ込んで紐解いて行くと実は何も言っていない、というタイプです。
他に当たる先がないので、彼の公式HPなんて思い立って見てみましたが、すると何となくその辺が浮き上がってくる気がします。
「 イノベーションの力とオープンな社会で日本社会の新たな活力を」(HP上の記載そのままの表現)。ひょえーー。まったく何を言っているのか分からない日本語です。他にも「予防重視のメディカル・フロンティア戦略推進により、技術と提供体制の両面からのイノベーションを通じた健康寿命の延伸」。
私は仕事柄、日→英訳を仰せつかることがあるのですが、これらなんか、「英語に直せない→直すと意味不明になる→もともとの日本語に意味がゼロだから」という悪日本語の典型です。
それにしてもあのHPに登場する言葉の羅列ですが、いまどきどんなに「安いコンサル」でもあの体たらくはないのではないでしょうか?
私は自分の仕事との関連上、彼の外交政策に非常に興味があります。
「米欧豪印など価値観を共有する国々との戦略対話を推進」(HPからそのまま引用)とありました。「米欧豪印」って、これまた無茶苦茶強引な組み合わせですし(しかも欧は国じゃないし)、「戦略対話」っつーのも何のことか分かりませんが、とにかく、きちんと外交交渉の場で言うべきことは言い、議論に臨んでいただき、終始一貫毅然とした態度を保って頂きたいものです。
が、それは無理なんじゃないか、っていうのが私のコメント前半部分の趣旨につながるわけですね。はい。
それでは本日はちと調子に乗りすぎた感ありですね。失礼しました。
討論番組などでは「太平洋戦争は侵略ではない」「靖国行っても何の問題もない」という言葉が喉まで出掛かっている、というよりもそのまま言うと問題があるから、後世の歴史家に~という口ごもった言い方になっています。
サンデープロジェクトなどでも、下記のようなやり取りが繰り返されています。
田原「あの戦争は侵略戦争か?」
安倍「いや違う」
田原「じゃあ侵略戦争ではない?」
安倍「(イエスと答えたいけどそう言うと問題があるから)ですからそういった事は後世の歴史家が・・・・」
これはもうイエスと言ってるも同じで、本音が出ているといって過言ではないでしょう。
歴史観は人それぞれですから正解はありませんが、何も言わないとかゴマカス、という態度は政治家ではないですね。
あまりにも稚拙というかなんというか。
こういう見え透いた態度しか取れない人が総理でいいんですかね。
了解致しました。
「消費税を上げないといったことは一度もない。税制の抜本的な改革の中で考えていかなければならない」
私の頭が悪い所為か、この発言で安倍氏が何が言いたいのかもよく分からないのですが山崎さんはどうお考えですか?
評価以前の問題です。
国民としては、リーダーが議論下手というのは、内向きにも外向きにも心配ですね。もっとも、議論をきちんとしない、或いは、議論を噛み合わせるということ自体がよく分からないというスタイルは、小泉純一郎氏と同じですね。
たとえば、イラクに大量破壊兵器があるという確証がなければ派兵できない理屈なのに、「無い、とはいえない」と開き直るような要領です。安倍氏も、あれを見ていて、「是なら、僕でも総理が出来る」と思ったのかも知れませんし、単純に「毅然としていて格好の良い姿だ」と思っているのかも知れません。
>nyさま
おそらく安倍氏にも、「これを言い切ると拙いかも」というレベルのリスク感覚が時々働くのでしょう。聞いている方はじれったいし、もちろん、話をはぐらかしているわけで、良いことは何一つありません。
それにしても、政治を論じるとなると、田原氏の番組まで見なければならないのですね。政治評論家はたいへんだ・・・・。
>寒がり親父さま
別の日本語に翻訳すると「消費税について論じていないとは言われたくないけれども、今はその問題に答えたくない」でしょうか。
一般論として「抜本的」という言葉は、「今すぐに出来ないぐらい大がかりなこと」を指すので、日付の確定してない将来の話になるわけですね。
たぶん安倍氏本人も、何を言っているかわかっていないのではないでしょうか。
>わたしも凡人様
評判を聞いて考えるに、安倍晋三氏ご本人よりも、安倍氏の奥様の方が賢そうですね(印象論に過ぎませんが、比較対象が安倍晋三氏なので、当たっている「確率」は高いと思います)。
晋三さんも頼りにしておられるようだし、本当に分かって欲しいことは、先ず奥様に説明するのがいいのかも知れません。
しかし、である。
「皆さん、力を合わせてこの日本を美しい国にしようではありませんか」と問われて、何と答えればよいのだろう。何も語っていない人物には「答えようがない」のだ。
「ハネムーン期間」というのは、マスコミの悪い習慣ですね。番記者を配備し終えるまでの、マスコミどうしの談合的時間調整でしょう。批判は直ぐにでも開始すべきです。
安倍氏の「美しい」には、具体的な内容が伴っていませんね。敢えて推測すると、自分を鼓舞する「勇ましい」と、自分の庭先に邪魔者がない「清潔」とを、半分半分に指しているように思えます。
村上龍も、「あんた統一教会に祝電送ったそうですね」とか切り出してくれるものと信じていたんだがなあ。あの番組のあの回は、司会を山崎さんに譲るべきでしたね。
オーマイニュースは見ていないし、株には興味もなかったし、ですがあちらの記事も読ませていただこうと思います。ちなみに、ギャンブルは丸裸になるまでやりました。
それにしても、後藤田くんなんか褒めてたらフジではしのげませんよ。ウイングを広げて保険が必要ですね。
>おそらく安倍氏にも、「これを言い切ると拙いかも」というレベルのリスク感覚が時々働くのでしょう。聞いている方はじれったいし、もちろん、話をはぐらかしているわけで、良いことは何一つありません。
山崎さんのおっしゃるように、彼の長々と話しながら何を言いたいのか良く分からない印象は、本音を言うとマズイという妙なリスク感覚に基づいているのかもしれません。
そういう面は小泉総理の分かりやすさの後なだけに、なおさら目立ちます。
小泉総理は一応、有言実行と言うイメージがありますが、安倍氏は不言実行になるかもしれませんね。しかも悪い意味で。
予想としては森総理以上に失言を連発し、結局何もしゃべればなくなる→にもかかわらず政策は大胆なモノを行おうとする→小泉氏同様、ヒトラーなどと呼ばれ、バカ総理の方がまだ救われる、などというめちゃくちゃな状況になる、という感じです。
国民もバカではないですから、あのような意味不明な話し方を続けていれば近いうちにボロも見えてくるでしょうね。
小泉さんにしろ、福田さんにしろ、麻生さんにしろ小沢さんにしろ、よい意味での不真面目さがあって、北朝鮮に対して強硬っぽい姿勢は見せても本当に戦争になるようなことはしなさそうです。
ただ、安倍さんに関しては、悪い意味での真面目さ(不真面目なら歴史認識などどうでもいいはず)があって、正直不安です。
しかも多少ニコチンだかタールだか減らして、いくら軽く装ってもホープはホープ、LightはRで始まる。声の軽さに騙されてはダメだ。(タバコのほうはそれなりに美味しいです)
安倍の想定する美しい国のモデルは北朝鮮と紙一重の国でしょう。おしんこを自慢するかキムチを自慢するかとか、天皇を利用して国家忠誠を強いるか将軍様への忠誠を強いるか、の瑣末な違いはあるが、薄気味悪いことこの上ない。日本だって圧倒的に数は少ないが餓死者も出続けていてむしろこのままでは増えそうだがアメリカから高い武器を買うお金は惜しまない。しかも一方は侵略戦争って何のことだっけ?強制連行は幻でしょ?てなスタンスで、他方は拉致事件解決済みだったよね?と来たもんだ。日本が中国やロシアなどと協調することを阻止したいアメリカの意向を忠実に守って喧嘩腰の小泉安部はマッチポンプ状態維持するために御用学者も総動員し続ける公算だ。元々無理筋な四島返還要求とかに豹変させたのもアメリカのご指導ご鞭撻でした。
そんな中、今日のNHKニュースは米中合同軍事演習ですよ。小泉は公費で世界名所巡りでもしてればいいが、安倍はこういう流れにどう対処するつもりなんでしょうか、世界一人ぼっちになっても『美しい国』は美しい~って自画自賛するのか、誰にも頼らない・対話もしない自主独立こそが美しいとか言い出すのか、それなら北朝鮮のほうが先輩・師匠だ。
安倍氏が、どのくらい、或いはどのように、「従米」なのかは、よく見たいと思っています。日本で政権をって維持しようとすると、従米にならざる得ないことは良く理解しているでしょうが、彼のタカ派的姿勢を思うと、心の底では、「嫌米」なのかも知れないと思うことがあります(大学時代にアメリカで遊んでいるから大丈夫かも知れませんが)。
彼のナショナリズムと従米がどのように絡み合っているかが見所です。
>nyさま
安倍氏のじれったさは、小心故の警戒心ですが、小心な人は、追いつめられると暴発するので、その点がしんぱいです。
>田中大介さま
こんにちは。確かに、政治家的な不真面目さ、清濁併せ呑む訳のわからなさ、みたいなものを、安倍氏は持っていませんね。
>Dialecticianさま
朝青龍に総理大臣杯を渡しに「安倍官房長官」として登場するあたり、前任者を真似た軽さがあります。そういえば、総選挙の頃には、プロレスラーの小川直也のハッスルを真似て「東スポ」の記事になる軽さもありました。これらを悪いとは言いませんが、深みのあることを何もしないのですよね・・・。
確かにこんな発言をしていましたね。ただ、この論理で行けば、「日本」を「北朝鮮」「イラン」にしても何ら反論ができない内容に成るんですね。「悪法も法なり」で、ある法体系を満たしていることと、それを行なうことが良いことかは峻別されるべきでしょうに。さらに山崎様もご指摘の通り、この問題は国内に留まることではないのが肝で、そう軽々と言える話ではないはずです。
それにしても、総裁決定からのメディア(特にテレビ)のヨイショ振りにはもう...。正直テレビ切ってしまいますね、彼の名前が出ると。更には空前絶後のお坊ちゃま・二世内閣が出来るとなると、我々はどうすればいいんでしょうか?
組閣まであと少しですが、多分、組閣の際の記念写真を見ると、歌舞伎の舞台かと思うくらいの、世襲議員軍団なのでしょう(歌舞伎も、それ自体として芸術を追究するなら、血にこだわる世襲ではなく、オープンである方がいいと思うので、今ひとつ好きになれない点があります)。
山崎さんは、過去の宰相でこれは優れていた、と評価できる人を発表できますか?
質問の意図は、こりゃダメ、ありゃダメ、というのは簡単だが、ありゃ良かった、という判断を人間なかなかせんものだ、ということでして、「下降線」議論をするなら、「下降線」前の宰相はどうだったのか、山崎さんの評価を知りたくなりました。
ところで、私の居住する南米P国では、8月に大統領選がありました。選出されたのは、1985年に若干36歳でもって大統領になったことがある人物です。その後政権末期に7000%とかいうインフレ率を招いたことと(ちょっと想像つきませんね。一年前に1円でタクシー乗れたのが今日は7000円だ、ということですよね)、本人の汚職疑惑(良くある話です)などから国を叩き出され・・・・・そして、今20年後に返り咲いた、というわけです。大統領選ファーストラウンドでは泡沫候補だったのに、気がついたらいつの間にか大統領になってしまいました。
まさにこれこそ今流行の(?)「再チャレンジ」が可能な社会でしょうか。
「ギャンブルで丸裸」になったとコメント文中に軽く告白される方がいらしたかと思えば(すみません、当方、明るくケラケラと笑わせていただきました)、法律論でもって緻密な議論を展開される常連の方がいらしたり、且つ、レフェリー(?)をなさっている管理人たる山崎さんの紳士(真摯)的な態度に・・・・に深く学ばさせていただいております。
距離を感じさせないWebの良い面だと実感しております。
(1)についてですが、これも結局憲法改正の意欲を現しているだけのような気がします。私は防衛についてもっと詳しく明記するのは悪くない気もします。(実際隣国は、軍事費を増やし続けているようですし、自衛隊の防衛費を気にしてる場合じゃないでしょう。防衛費のほとんどは人件費のようですが。)
(2)については、確かに日本が「核」を持つのは反対です。ありえません。現・内閣官房長官、次期内閣総理大臣が発する言葉ではありませんね。この点は批判すべきです。
しかし、「近隣諸国」が望まないからという理由は不適切だと感じます。ロシアは例外ですが、中国・北朝鮮は核を持っているのですから。それを言ったら日本は両国の核保有を望みません。
(3)については、確かに「詫び証文」という意味もあるかもしれません。
私は日本国民として今更謝罪するつもりはありません。(国際的な慣例上、敗戦国は存在する限り謝罪し続けなければならないのなら別ですが。)
憲法に「詫び証文」の意味を持たせるというのは、戦勝国の言い成りにならなければならず、外交なんてものは必要なくなります。(現状外交なんてあってないようなものですが。)独立国と言い難くなります。
私は「謝罪」よりも「反省」を憲法に盛り込むべきだと考えます。
※私は極端なナショナリストではありませんが、最低限のことは求めたいと思ってます。
過去の名宰相は?とは、難問です。宿題として考えてみたいと思います。
>とほほ様
(1)については、内容の賛否以前に、安倍氏の論理性の欠如と議論への消極性が問題だと思います。
防衛については、国民が議論して決めるといいでしょう。(私は大きな変化を望みませんし、息子には、兵隊に行くぐらいなら、亡命せよと教えますが)
(2)確かに、隣国が望まないから、というのは、理由として適切ではありませんね。安倍氏の発言時点を意識すると「隣国等を無用に刺激する」とでも言っておけば、批判としてより適切でしょう。
ここでも、憲法の条文だけでなく、条約まで目配りすべき立場の安倍氏の視野の狭さ、つまり「能力」を問題にしたいと、私は思っています。(本音を言うと、安倍氏では、率直に言って、心配なのです)
(3)「詫び」よりも「反省」が適切とのご指摘に基本的に賛成です。ただ、相当に強く反省をしたためておかないと(今の前文よりも強いくらいに)、政治的な意味合いとしては、戦争を正当化する方向への変化を加速するでしょう。こうした影響も考えると、私は、憲法改正に消極的です。
日本のこれまでと現状は、「従米」の「半独立国」のような存在ですが、軍事的拡張以外の主権が差別的に認められなくなっているわけでもなく、個々の国民としては、むしろ兵役や余計な防衛費が無い分だけ得をしてきたと思います。
尚、「最低限のこと」として何を意味するかは人によってちがうと思います。一意的には決まらないでしょう。
ちなみに、私は、軍事的には、今の状態は、「最低限」のかなり上(アメリカにサービス過剰)だと思います。
アメリカの国力が衰えた場合に、日本に軍事的な負担を一部持たせようとする可能性がありますが、それを遅らせるためにも、憲法9条を大事に抱えてのらりくらりしているのが得だと思います。(「従米」を現実として認めた場合の、好都合な処世法という意味です。日本に国としての完全な独立性を持たせたい向きには、不満だろうと思います)
それにしても、日本は外交が苦手ですね。戦争以上に下手なのかも知れません。この点は、多分、ナショナリスト(とほほ様のことではありません。世間一般のナショナリストです)とも意見が一致すると思います。
山崎さんのブログを見て、いろいろ考えてみましたが、安倍氏は「伝える能力」が欠けているのだと感じました。
TVで安倍氏を見てもそう思います。(ある意味不安ですね)
小泉氏は1フレーズが基本で、あれはあれで「伝える」のには適していたのかもしれません。いろいろ批判はありましたが、一般国民にベラベラ説明したところで仕方が無いと思うのであれくらいでいいかなと。騒いだのはメディアだけかなと今になって思います。
竹中氏は、ノーカットの番組に出るといいですが、それ以外だとかなり説明不足な感じでした。やはりメディアの功罪が多々あるのでしょう。
>日本のこれまでと現状は、「従米」の「半独立国」のような存在ですが、軍事的拡張以外の主権が差別的に認められなくなっているわけでもなく、個々の国民としては、むしろ兵役や余計な防衛費が無い分だけ得をしてきたと思います。
私も賛成です。
しかし、軍事面でこれだけ深い関係にあると、結果的に外交も極端なアメリカ寄りになってしまっているのが現状ではないでしょうか。そもそも外務官僚の力量が小さすぎるのかもしれませんね。
>ちなみに、私は、軍事的には、今の状態は、「最低限」のかなり上(アメリカにサービス過剰)だと思います。
もし、有事の際にアメリカが守ってくれなかったら詐欺ですね。
だから基本的に自国は自国で守るというのが本来なのではないでしょうか。防衛・外交がややこしくなる原因の一つだとも思います。
ここのところをはっきり憲法に書いて欲しいですが・・・。
>それにしても、日本は外交が苦手ですね。戦争以上に下手なのかも知れません。この点は、多分、ナショナリスト(とほほ様のことではありません。世間一般のナショナリストです)とも意見が一致すると思います。
外務省は行政機関の中でも特にエリート意識が高いと聞いたことがありますが、意識する前にちゃんと働いて欲しいですね。彼ら将棋やチェスなどに弱かったらイメージ的に苦笑します。(嫌味)
ところで、11月にウチの大学の特別講義にゲストスピーカーとして山崎さんが来られるというので、楽しみにしていましたが、あまりに遠すぎるので聴きに行けません。とても残念です。なのでゼミの先生に詳しく内容を聞きたいと思っています。
回答ありがとうございました。
従米ではないと言い、あの戦争は聖戦だと主張するなら、北を悪の枢軸と呼ぶのだけはやめてけれ、とかアメリカに言えるような気がしますが、悪の枢軸も聖戦を戦うことがあるとすると、全くいい話ですね。
ネタですが。ランダエタに安倍さんを表敬訪問してもらい、「チキンなベイベー、ユー、ピーピーらしいね。これでもくらえ」とオムツを投げてもらうのが、反米の国のボクサーらしくていいと思います。よく考えたら、私はボクシングの話がしたくてここへ来たのでした。
彼がいわゆる「リベラル派」でないのは自明ですが、ナショナリストとしても、頭の能力なり感情コントロール(心臓や腹や腰?)が心配、ということですよね。
私もその立場で、かつナショナリストなのですが、国内のナショナリストと、なんとなくの支持者(「中韓と朝鮮ムカつく」的な)たちが、上記のところをツッコまないことこそが問題だと思います。
具体的には、
「憲法改正? で、具体的にどうするの?」
「アメリカ? で、大量破壊兵器の見通しを
あやまったこと(大義)を言明するの?」
「行政改革? で、役人の天下りは止めさせるの?」
「教育改革? で、コネ入学がある名門私立の富裕層子弟に税金を投入してていいの?」
といった、ナショナリストとしての質問が多々あります。
彼はどうも「左」の立場の質問者には臍を曲げて回答しないので、(そしてそれを是認している支持者がいないので)、
ナショナリストこそ、厳しく率直に質問することが、必要かつ有効だと思うのですが…
「是認している支持者がいない」
は、
「是認している支持者が多い」です。すんません。
外務省は、田中真紀子の一件で注目されていろいろ報道されてみると、それこそ、民営化して無くしてしまいたくなるくらい、役に立っていませんね。今や、どの省庁も、国際的な仕事に関わっているので、外務省は、民営化して、通訳とツアコン的な仕事だけに徹してくれれば、かえって、外国に弱点を晒さずに済むような気さえします。
しかし、一連の外務省不祥事報道で、一番驚いたのは、外務官僚が、一種の「エリート意識」を持っているらしいということでした。
考えてみると、人間とはそのようなものなのかも知れませんが、彼らが、一般人に対して、劣等感ではなくて、優越感を持っているのだ、という事実は、少しショックでした。
>作業員さま
ランダエタ選手については、次の試合をどれくらい真剣にやってくれるものか、少々心配です。亀田選手にはタイトル戦一試合で何億円分もの商品価値があるので、経済的なインセンティブだけ考えると、相当のお金を貰って、彼が「協力的」になってしまう可能性が捨てきれません。
私のような素人が、試合内容からこれを見抜くのは大変難しいことでしょうが、たとえば、KOの際によくある頭or顔へのパンチではなく、ボディーへのパンチ(前回は終盤までさして堪えていなかった)で倒れるようなら、「意図的協力」の可能性が捨てきれません。(わざと負ける選手は、頭だけはガードして、ボディーを打たせて倒れると、後に後遺症が残らない)
何となく、亀田選手が負けるケース以外は素直に見ることが出来ないというのは、困ったことです。
>床屋政談さま
私のように安倍氏と意見を異にする人にとっては、安倍批判の心情は単純ですが、むしろ意見が似ている人にとってこと、「頼りない」し「じれったい」ということかも知れませんね。
それにしても、公務員の天下りを規制緩和するというのは、構造改革としては、一種の「逆噴射」になりかねません。
癒着や談合に関して「全財産の2倍を没収」するか「死刑」といった、常識的にはあり得ないくらいの罰則がないと、官僚と、民間の一部が深く癒着する可能性が大きいと思います。
が、前の試合の後のガッツさんを中心とした議論には違和感がありました。あの試合で八百長を疑うのなら、握ったのはジャッジではなく、ランダです。終盤において、「倒さないで判定にしろ」という天の声が届いたかどうか、が順序としては一番です。
そういう意味で、二宮清純はボクシングについては素人だなと思いました。ランダは、あんな弱い小僧を倒せなかった男であり、勝手な倫理で賞賛されるべきボクサーではありません。
なお、こないだのWBCの試合を僅差に判定できるなら、亀田戦について7ポイントは開かないだろう、というのが私の考えです。WBC系のひがみを利用したテレ朝には吐き気をもよおしました。
なお、亀田長男のパンチは打ち落としにはそれなりに威力があるので、腹に打って相手が倒れることはあります。十二回になってから、前半の下への攻撃が効きにくくなっているのは事実ですが、亀田長男の場合はないではないです。彼の問題は、ストレートの握りが甘く上へのパンチが抜けてしまうことです。今のままでは、勝てるかもしれないが、凡戦の山を築きそう、というところです。次男のイチカバチカの方がよほど楽しめます。
そして、ようやく「美しい国」の中味が分かりました。それは、自分と同じ価値観を持つ国や人間を尊重し、同じ価値観を持った人々からなる美しく、正しく、しっかりした、国家を作りたいとおっしゃっていたのでした。
自分と異なる意見に対しては狭量そうなのが不安です。本当にあの人で大丈夫かしら?
もう既に、
利権漁りの新劇場開幕とか、
岸信介・中曽根背後霊内閣とか
自民党断末魔内閣とか
の声が上がってるようです。
もっとも自民党だけの断末魔ならむしろ歓迎ですが。
しかし公明党の情けないこと、、、、
「狭量」と「説明不足を伴った思い切り」が安倍内閣の基本的な心配事項です。
お友達と論功行賞で固めた内閣であり、異論を唱えそうな大物が見あたりません。どう見ても、内弁慶内閣ですねぇ。
それに、結局のところ、第二次世界大戦で日本は悪くなかった、と言いたいのではないか、そのついでに、普通の軍を持つ普通の国になることが、安倍氏にとって「美しい」のではないか、と思えます。小泉内閣よりも更にダメなのではないか、と思えます。
なんと、どこにも無いのですね!(今現在、すくなくとも読朝毎と共同通信、NHK、自民党HPには…)
記者質問があったかどうかすら分からない…
たしかサッカー日本代表監督オシム氏の記者会見は、一問一答すらすぐにアップされていたと思うのですが…(違ってましたっけ?)
総理大臣周りで独占的にウロチョロする特権を国民から与えられている記者クラブ員たちは何をやっているのでしょう!!!
ニーズが無いということであれば、「民度」が低いということなのか、そもそも無視しているほどに民度が高いのか…(個人的には昨夏の小泉解散まで、後者なのでは、と思っていましたが)。
追伸 山崎さま
ナショナリストのつもりの私ですが「意見が似ている人には『頼りない』し『じれったい』のかもしれませんね」という表現には、正直カチンときて、しかし、自分はあんな人間に期待しているのかと省み、凹みました。
しかし、愛国ゆえに憂国!熱い血潮に冷えた脳味噌で!!をモットーに、がんがん噛み付いていきますので宜しくお願いします!!!(誰に!?)
::::::::::::::::::::
私は、根が田舎モノのルサンチマンからか、安倍氏とその周囲にいる「エスタブリッシュメントぼっちゃん」どもが気に障るのですね。
彼らや石原都知事の右翼性とは、自らが地に這うことを毛ほども考えていない「チキン・ホーク」(byガース町山氏)なのは言うまでもないと思いますが、
私には「再チャレンジ支援」なるものも、なにか手前の上位性を前提に見下だされている臭いがするのです…
これは私のヒガミ根性なのか…、それとも、山崎さんの怜悧な視点からもそういう臭みは観測できますでしょうか?
本当に、首相番の「番記者」どもの性根の腐り具合というか、サラリーマンとしての徹底度合いというか、本来なすべき仕事に対する手抜きには、嫌になります。
ジャーナリストの仕事ぶりをルポルタージュする、別次元のジャーナリズム、あるいはノンフィクションというものが、存在可能ではないでしょうか。たとえば、A新聞のX記者が個人としてどんな背景を持った人で、どのように仕事をしているか、というようなことを、首相やホリエモン並にルポルタージュする価値があると思います。
業界と同業者を敵に回すことになるのでしょうが、ジャーナリストの仕事としては、歴史に残る意義のある仕事ではないでしょうか。誰かやらないものでしょうか・・・・!
●
安倍氏の「再チャレンジ」には、何をどの程度分かっているのか不安を感じます。
「格差」で一番問題なのは、教育にかけられる経済力と教育の差を通じて、世代を超えて格差が固定することだと思うのですが、安倍氏の再チャレンジは、格差のどこにフォーカスがあるのかが分かりません。
フリーターなり、リストラされた中年なりが、正社員としてのチャンスを持つように、という意味で「再チャレンジ」を使っているのだとすれば、そもそも構造改革の背後にあったはずの実力主義に矛盾しています。
それに、歌舞伎俳優並みの世襲メリットを受けた、つまり、格差相続の得を(たぶん日本一豊富に)一身に受けた安倍氏が、格差問題をどの程度理解しているのかは(メリットを受けたが故に良く理解していれば大したものですが)、大いに疑問でしょう。
もっとも、今回の組閣(「粗閣」と書きたいくらいですが)で言えば、小泉政権で更迭された柳沢伯夫氏が閣僚に返り咲いたことは、確かに「再チャレンジ」だったのかも知れません。(年金一元化を控えた厚労省にバリバリの大蔵族である柳沢氏が差し向けられたという事態は、年金ウォッチャーや運用業界の人々には注目の人事ですが)
P.S.
チキン(気弱)とホーク(タカ派)をかけ合わせると、フクロウ(安倍氏)になるのでしょうか?
自主憲法を訴えながら、従米保守(安倍さんがどの程度なのかはまだわかりませんが)っていうのもそうだけど、何が「美しい国」なのか、安倍さんの主張にはちょっと理解できない部分が多いです。
私は、犬や猫など、わさわさ動く小動物が苦手です。理由は、彼らには言葉が通じないからで、特に、犬はかみつくので怖い。
同じ理由で、安倍さんは「苦手」であります。
(議論を避ける政治家は特に権力を持たせると怖い)
発言している時は。
それだけで器じゃないと思います。
引用で恐縮ですが、紀伊国屋書店BookWebの宣伝より、
【本文より抜粋】
〈安倍晋三が総理大臣になった。
「闘う政治家」をキャッチフレーズに「自信と誇りのもてる日本」を掲げて総理になったこの男には、実はほとんど政治的実績がない。北朝鮮拉致問題で強硬姿勢をとって世論の喝采を浴びたのが唯一の実績らしい実績なのである。だから、実は彼には自信がない。そのあらわれが「闘う」ポーズであって、それを前面に立てることによって懸命に自信のなさを見せまいとしているのがわかる。斜め上を見ながら早口になるときなど、それがちらちらと見えてしまう。
そんな彼が、しきりに押し出そうとしているのが「政治的DNA」なるものである。安倍=岸一族の血脈を政治的に受け継ぐ嫡子であるというのだ。彼には「自信」はないが「誇り」はあったのだ。血脈の誇りが。特に強調しているのが岸信介の孫だということで、それをもって、岸が描いたビジョンを受け継いで、それをついに実現するのは自分である、ということを政権の正統性に仕立てようとしている様子である。〉
〈安倍晋三と岸信介の関係について、こんなエピソードがある。「毎日新聞」二〇〇六年九月二日付で報じられていた。
二〇〇一年(平成一四年)九・一一の同時多発テロのあと、元警察官僚で危機管理問題の専門家である佐々淳行(元内閣安全保障室長)が、当時官房副長官だった安倍晋三に、憲法前文を根拠として使って、自衛隊の国際貢献をする途がある、と進言した。それを聞いた警察官僚の元締で佐々の元上司だった後藤田正晴(元副総理)が、佐々を強くいさめたという。そのとき、後藤田はこういった。
「おまえ、安倍に変なことを吹き込むんじゃないよ。岸の影響を心配しているんだ。おまえには岸信介の恐ろしさが分っていない」……〉
ただ、安部氏の語録だけではなく、対抗する民主党の小沢氏の語録なども検証した上で、評価してみないといけないかな?と思います。
政権交代できない野党党首の語録に、大変面白い(支離滅裂?)なものが多くあり、政権を任せられないと思せてしまっているのが今の日本ではないでしょうか?
自分個人はサラリーマンですが、仕事の経験として、その意見が自分にとって好きか嫌いかは別としても、発言がぶれない人を尊敬しています。
ぶれなかった結果、上手くいかなくとも責任と取る人って、いるんです。本当にたまにですが。。。
そういう人を見たときに、発言がぶれない人と判断できなかった自分のバカさ加減に嫌になったりします。
結果は、やってみないと出てみない。そのプロセスで発言がぶれない(逃げにいかない人)は、失敗しても評価されると思います(その意味が分かる人がいるという前提です)。
と思って、リスクのある金融商品(といってもインデックスファンド)をちまちま買い、20年後の定年に、それが良かったか確かめることを楽しみにしている私です。社会人になった18年になりましたが”自己責任”って、大好きな言葉になりました。
経済は全くの専門外なのですが、山崎さんの記事は言葉が平易で読みやすく、「なるほど!」と感じるエントリーも多いので、良く拝見しています。
コメントするだけの知識はないので、今までは読ませて頂いていただけでした。
「注目すべき発言があれば、是非、当ブログにご教示下さい」との事ですし、この記事を書くに当たってohmynewsの記事のみを参照されているようですので、少し意見をさせてください。
参照元にされたohmynewsの投稿者、「青木理」をgoogleってみると、氏のこれまでの活動がわかります。
氏は共同通信 前ソウル特派員の肩書きをもっており、2006年6月には広島市で開かれた広島県日韓親善協会の総会後に「どうなる拉致・竹島(独島)-地方選後の盧武鉉政権は-」と題して、日韓の問題悪化の原因は小泉政権にあるという内容の講演をしています。
小泉路線を色濃く引き継ぐ安倍氏に厳しい見方をしている事は明らかですね。
従って、バイアスのかかった青木氏の「安部語録」だけをもってして、安倍総理の判断をすることは公平ではないと感じました。
最近記事を読む時には「記者の名前」をぐぐる癖がついてしまいました。
まあ、「google八分」という言葉もあるくらいなので過信は禁物だと思いますが…
ちなみに私が「青木理」をぐぐった結果、氏に下した判定は「三流記者」です。
何故かというと、今も韓国軍が武力行使によって占拠したままで、島根県の多くの漁民が犠牲になっている竹島の問題を「領土問題として解決するのは困難だ。これまでの平和的現状維持しか方法はないのではないか」と発言しているからです。
(山崎さんのいうA、B、C級というレベルではなく、ただ単に認識不足だという意味で「三流」です)
ちなみに、私が一番好きな安倍氏の言葉は、教育問題を論じた時のものですね。
「精神の拠り所となる価値観は何かと言うと、やはり日本が培ってきた文化や伝統、歴史の力でしょう。例えばイギリスの場合、栄枯盛衰の歴史の結果、現在は経済力において、日本を下回ります。それでも世界からある種の尊敬を勝ち取っているのは事実ですし、畏敬の念を持たれている。これは彼らが、自分たちの文化や伝統に自信をもち、その価値観に基づいて毅然たる行動をとっているからです。我々はイギリスの行き方に眼差しを向けるべきではないでしょうか。社会全体がそのような方向に変われば、子供達も、この国に対して誇りが持てるようになるのです。
二十一世紀を担う子供達には日本の文化・伝統の素晴らしさを知って貰いたいし、日本の文化をさらに隆々たるものにしてもらいたい。それには教育が極めて重要です。」
安倍氏が最も重用視している教育問題の語録が無いと言うだけでも、この語録は片手落ちだと思いました。
一応、私は安倍総理ではなくて、麻生氏を支持していることを申し添えます。
安倍氏の考え方云々より、精神的強さという点で少し不安ですので。
安倍氏は、「器ではない」というところで無理をしているので、可哀想でもありますが、その無理の行き先が心配ですね。
>過客さま
宮崎学さんの安倍論は面白そうですね。ご指摘のように、「岸の孫」が彼の心の支えなのでしょうし、岸信介を正当化したい、というココロはありありと見えますね。
>とりさん@札幌さま
単なる頑固はいけませんが、一貫性がないと、何を考え、どう反応するのか分からないので、相手を信頼するということはできませんね。
投資に関して言うと、仮に失敗するとして、(1)だったら自分ではなく他人に任せて失敗する方が気が楽だ、と考えるのか、(2)他人でなく自分が失敗する方がまだしも納得できる、と考えるのか、この分岐点が、向き不向きを分けます。もちろん、向いているのは(2)の人です。
>milkyさま
確かに、書き手がどんな人か、ということが重要な場合もあります。
ただ、今回の私のエントリーの場合は、典拠がはっきりした事実の発言であれば十分であって、青木氏のセレクションは、どうでもいいと考えています(あてにはしていません)。オーマイニュースは、どのくらい完全かはともかくとして、編集スタッフが、記事の事実確認をしているので、おそらくは、あの「語録」の発言は、根拠のあるものだろう、という推測ができれば、取りあえずは十分だと判断したのでした。
もちろん、安倍氏の全体像を評価するためには、特定の人のセレクションによる語録では不十分だと思います。支持者、反対者、両方から多数の発言を集めるのがいいでしょうし、何よりも、評者(=たとえば私)自身が直接安倍氏のコトバを集めるように心掛けるべきでしょう。
ちなみに、ご紹介いただいた(ありがとうございます!)安倍氏の教育に関する言葉は、正直なところ、私の心には余り響きません。
もちろん教育は大切だと思っていますし、日本の伝統や文化に素晴らしいものがある、とも思っていますが、私は、自分が関わったわけでないものを、「誇る」という気分がどうにも分かりません。日本のあるものについて「いいものは、いい」という認識を持てば十分なのであって、これを、自分が日本人だからといって、他国に向かって、「誇る」というのは、違うだろうと思っています。イギリスでも、アメリカでも、いいもの(伝統も、文化も)はあるので、それらと同列に日本のいいものを評価すればいいし、自分が貢献できる機会があれば貢献する(単なる応援かもしれませんが)ということでいいのではないでしょうか。
もちろん、意見として、少数でも、多数でも、どっちでもいいのですが、経験的に言って、私の考えは、どうも少数意見に属するようです。
しかし、日本のものでも、北朝鮮のものでも、インドのものでも、アメリカのものでも、先入観無く「いいものは、いい」と素直に評価できることこそが大事であって、目指すべき境地だと思っています。そうした、偏りのない、フェアな評価感覚こそ、個人が真に「誇って」いいものなのではないかと思っています。「日本を誇る」というのは、ツマラナイ感覚だと(あくまでも私個人は)思っています(気に障ったら、スミマセン)。
お子らは、山崎さんの好きな、ランダエタだけは許さんと公言している藤原新也のまねして、安倍政権の間に大陸でも放浪してきなさい、安倍へクソダスね、美しい国の。日本語が恋しくなったら村上龍もいいけど、丸山健二ぐらい読みなさい。間違っても遠足ライター沢木なんとかだけはやめるように。(佐高信風)放浪から帰ってきたら、大川周明をみならって安倍の後ろ頭はついて
欧米か! とすいませんタカアンドトシぱくりました。
町山さんはガースではなくて、「ウェイン町山」ではありませんか。ガースは確か柳下さんでしょう。別に細かい揚げ足を取るつもりはないんですけど、小生、町山氏のファンなので。
よりによって「名前」を間違えるとは!!!
最近は「町山智浩」さんとしてご活躍中とはいえ…私もファンなのです!!嗚呼!!!
ちなみに「9条どうでしょう」での町山さんの論考は最高でした。皆さんも機会がありましたらゼヒご一読ください。(私はナショナリストですが、彼の立場に賛成です。特に、ナショナリストこそ必ず読むべきだと思います。)
寒がり親父さん、ありがとうございました!
なるほど、確実なソースを集めるだけという記事の使い方は良いですね。私自身は新聞や雑誌の隅から隅まで熟読してしまう質なもので、つい記事を書いた方の考え方にまで目がいってしまい、気になってしょうがないのでした。今度からそう言う読み方も試してみたいと思いました。
(寧ろ一般的には当たり前…?)
私が紹介した安倍氏の言葉についての感想も拝見しました。同じ物を見ても人によって全く受け取り方が違うのは当たり前ですので、気になどしませんよ(笑)。
私がこの言葉に強く心を動かされたのは、きっと経験から来ているのでしょう。
高校の頃、とても素晴らしい国語の先生と出会いました。当時私は洋楽大好きだったせいもあって「ニッポンの文化はダサイ」だなんて思っていました。
その先生の古文の授業は毎回1度は脱線し、ちょうど授業で教わっている文章にちなんだ、当時の優れた文化(例えば十二単の襟の色の多様さ、組み合わせの意味だとか、茶の湯の作法の意味だとか)のうんちくを披露してくれていたのです。
それ以来私は日本文化に強く惹かれるようになりました。
素晴らしい日本文化に触れる時感じるのは、他の国の人に対してひけらかす自慢ではなく、自分のルーツに対する「自信」、アイデンティティです。
昔の人が感じ、努力して培ってきた文化に対する自信は、自然とそれを尊重し守っていきたいと思う心に繋がるのでは無いでしょうか。そのくらいの「愛国心」は必要だと私は思っています。
今はあまりに自虐的すぎて、頭から日本のことを否定的に教える先生が多すぎますから。
Dialecticianさま、まあ、安倍さんの言葉の使い方はご指摘の通りだと思いますが、意見は意見として、せっかくUPして下さった、milkyさんに感謝しましょう。
ここまでの観察から、言えそうなことは、安倍氏は、一定以上の長さの発言を、文章をしっかり構成して話す能力に、欠けている、ということのように思えます。
スピーチライターがよほどしっかりしていても、やりとりでは、ぼろがでてしまうでしょうね。
しかも、就任後の記者会見では、「しっかり」という言葉を繰り返して、なかなかスッキリ答えられませんでした。失言をしないように気を遣っているのでしょうが、政治家が話すことを怖がっているようでは、いけません。よほど気が小さいのでしょう。
ハート(心)はチキン、思想はタカ派で、顔はフクロウ! というのが、安倍晋三さんの、イメージです。 そういえば、英語では、バード・ブレインと言うと、
頭の悪い人をバカにする言葉になりますね。
>テレビで見ていたら家を出る新首相が「しっかりやります」と言っていた。記者会見でも「しっかり」を連発。きっと「しっかりなさい」と言われて育ったんだな。
日経71%、読売70.3%、毎日67%、毎日67%、共同65%、朝日63%、各社の世論調査によれば、「しっかり王子」へのご祝儀支持率は上々。
引用終了
朝日新聞の揶揄もかなり過激?ですね。
それにしても、世論調査の値と新聞社の姿勢との相関関係を感じるのは私だけでしょうか。不思議です。
いらっしゃいませ。お仕事で、「早出」でしょうか?
一個人としての安倍晋三氏について推測すると、あの一族に生まれ育って、大変だったのだろうなあ、と思い、少々同情します。
これまでのサラリーマン生活の中で、政治家や、事務次官、大企業のトップの息子などを何人か身近に見てきましたが、遺伝の世界で言われる「平均回帰」が働くせいか、「いい人だけれども、凡才」で、これまでの人生は大変だったのだろうなあと思わせる人が少なからず存在しました。
もっとも、こうした人々は、家柄があったおかげで、就職や出世に成功しているので(再チャレンジとは無縁ですね!)、家柄の重圧が、「可哀想」というのは、物事の一面でしかありません。
別の想像力を働かせると、安倍晋三氏が、もともともっと能力のある人だったとすれば、今頃、何とも鼻持ちならない、どうにも嫌な感じの人物になっていたのかも知れません。
人生は、何が幸いするか、分かりませんね。
まえに、あのふくろう顔の頬の袋は人民の血袋だ、ということを丸山の「千日の瑠璃」の文体を真似て書いたことがある、というどこまで暇やねんおまえと言われそうですが。
フクロウに一票。ですが、フクロウって、すごく人気あるんですよね。なんかむかつく。
大田弘子さんもひどいですよ。地方は十年ぐらいかけてなんとかしましょ、って、ほんとひどくない? 十年考え抜いたことを今からお話ししますねって、言ってくださいよ学者さん。
教育改革って、夜回り先生の徘徊地域には七つも組事務所あったんでしょ。大人が先にやることはいっぱいあると思うんですがなあ。不払いの保険屋も談合ゼネコンも潰せばいいではないですか。
まじめな話ですが、基本法は改憲のあとの改正が筋でしょう。しかもアメリカがおしつけたんだったら、グローバル化のいまこそ、基本法が輝くのではないですか? 外にグローバル化、内に復古調では、ダブルバインドでまとも子供は精神を病むのではないでしょうか。
イノベーションについてなのですが、これは、サプライサイド、とはどう違うのでしょうか?
いまごろ何故にサッチャーとかにあこがれる人が出てくるのか首をかしげる今日この頃です。減税によって成長を! って、なんでセメント屋の麻生さんが言うのかなあ。二十三億の資産のうち強制連行じゃなかった徴用で儲けた金はいくらなんだあんた。
安倍氏の使う「イノベーション」の読み方については、ちょうど、今日掲載のオーマイニュースのコラムに書きました。ご一読下さい。
http://www.ohmynews.co.jp/OhmyColumn.aspx?news_id=000000001771
学説分類には詳しくないので、私には荷の重いご質問ですが、サプライサイドがイノベーションを喚起するというものでもないと思います。本質的には、イノベーションは、経済主体が勝手に行うものであって、政策は、多少環境を整えるくらいのことはできても、具体的なイノベーション自体は、政策によって生じると言うよりは、民間が独自に起こすものでしょう(官にもイノベーションは可能ですが、主に)。また、たとえば、需要を刺激するような、ケインズ政策下にあっても、イノベーションは、起きるときには起きると思います。要は、政策の対象にするのがおかしい代物ではないでしょうか。
お礼に藤原新也物語よそに書いておきます。
所信表明演説は「言葉遊び」が過ぎる。何を言いたいのかさっぱり分からない。何度も新聞も読み直してみた。やはり同じ。広報担当の補佐官とやらは、明確なメッセージを出していると自信満々だ。頭が悪いのはオマエだと言んばかり。
国民をイメージや修辞語や広報活動で扇動できるとでも思っているのだろうか。
どうやら、こんなことを感じる人間は少数らしい。
私たちは、戦後60年を経て、こういう政治状況しか生み出せなかったのか?
歴史は繰り返すのかも知れない。
脱力感に苛まれている今日このごろである。
こんばんは。
演説の全文を読み返してみると、たとえば、「消費税については、『逃げず、逃げ込まず』という形で対応してまいります」と述べていますが、要は、これは参院選の後まで具体的な議論を先送りしたいと述べているだけで、ついでに”支出の削減が不十分な場合、消費税を上げて解決を図ることは、消費税に逃げ込むことだ”という揶揄をこめて発言しているように思えます。
所信表明演説というのは、この程度のものかとも思いますが、やはり具体的な金額を上げた議論を避けていては、「闘う政治家」とはとても言えませんし、為政者として無責任です。
消費税とは別に財政再建の大枠を逃げずに論じて、消費税自体は「税金の中で何を選択するか」という議論として、こちらも逃げずに論じるのがいいと私は思っています。
「消費税の増税を先行させると、歳出削減が不十分になるから、政治的には・・・」といった論法や、「消費税増税の話をすると、景気に悪影響があるから、今はしないほうがいい・・・」といった意見は、何れも議論を先送りするためのインチキだと思います。
その他のポイントについても、仰るとおり、安倍氏の所信表明演説は、具体的中身が乏しい、心に響かないものだったと思います。
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20060928-03-0901.html
(前後編)
個人的に、「上から」な感じの視線は気になるのですが、おおむね妥当な気はします。
結局、安倍氏がコケる、そして国民がひっかぶるのを、どう織り込むか、ということなのか…嫌だなぁ…
確かに、ナショナリストであることと、戦後の価値観との両立をはからないことには、辻褄が合わなくなるというのはその通りでしょうね。安倍氏は妥協が上手そうなタイプではないので、この点は弱点になるでしょう。
>ふ様
安倍氏にとっては、「お坊ちゃん」と「取り巻き」以外のタイプの人々と対話してみることはいいことでしょうが、今となっては、試練として厳しすぎるかも知れませんね。
というのも私、個人的に払おうかどうか迷っているんですね(拙宅の子供はまだ就学前なのです)。思うのですが、
1:親の経済環境や経済感覚には子供の責任はないので、そもそも義務教育は無料であるべきだとする(私はそう思ってます)と、現行の食財費のみ保護者負担というのは、「(その理由が貧しさであれ、自然食などの富裕なこだわりであれ)給食は不要です。弁当をもたせます」という選択肢が無いのを考え合わせても、実質的には行政が予算をケチっているだけなのでは、という疑念がぬぐえません。
2:いわゆる「開きなおる」困った親たちへの腹立ちは私にもあるつもりです。たとえば
生活保護費に給食費の名目で受け取っていたり収入があるのに払わない親は、逆に罰金や差し押さえをすべきだと思います。
しかし、月額で何千円かの給食費で罰金や差し押さえをしない、その仕組みを作らない実行しないというのは、行政側の「面倒」という怠慢ではないでしょうか?
払わない親たちに「しめしがつかず、子供たちの教育にもよくない」というのは、行政にも言えることだと思います。
この傍証になるかと思うのですが、身内の教師から聞いたのですが、その地域では、払わない子弟への督促を教育委員会が現場の教師にやらせているそうです。私は自分の「社会人としての現場感」から、これはやはり行政当局の「事なかれ主義」だと思うのです。昔より、開き直って払わない親が大きく増えたのに、対応する仕組みを作るのが面倒なだけだと思います。
3:払わない親の子弟にだけ食べさせないといのが「人権的に問題だ」というのは、
一部の親に(子供の食生活への)「無関心(ネグレクト)」が実際あるのを考えると、私は是認できます。(給食が唯一のまともな食事で「おいしい、おいしい」と言って頬ばる「下流」の子たちがけっこういるそうです。)
4:また、義務教育では、皆が「同じ釜の飯」というのは、(マズイ!という子供同士の一体感を含めて)公的アイデンティティーの醸成の面からも、そんなに悪いことではないと自分の経験から思っています。さらに、最近は「食育」が言われますが、自治体で各地の名産を使った良質の給食を創意工夫するのは、(予算も勘案しつつ)行政レベルを判断する一指標として、便利ではないかとも思います。
だいたい以上から、私は行政の「怠慢」の部分が大きいと判断し、どうするか迷っています。
具体的には、現場の教師を困らせないよう、いつでも一括で払える用意を公然と見せつつ(供託?)行政を訴えようかとすら思っています。(騒ぎになって子供がイジメにあわないかが心配なのですが…)
便乗で長文の質問にて恐縮ですが、もしも可能でしたら、山崎先生にご教示いただければ幸いです。
上記の2の下から5行目、「払わない子弟」は「払わない親」の間違いです。
PS
それにしても、3のような子供の窮状の例を身内の教師から聞くにつけ、「愛国心」や「日の丸・君が代」の前に、やることがたくさんあるだろう、と安倍ボッチャンへ毒づきたくなります。
(とはいえ、私自身がそれらへの内省を国民に促すことを是としている立場なので、なんともフクザツなのですが…)
教育が「義務」なら、給食費も税金で賄われていていいはずですね。
給食の普及率が100%ではないのでしょうから、弁当を持たせるケースとの整合性とういうようなこともあるのでしょうが、「義務だというなら、平等に取ってくれよ」というのは、あり得る話です。
「払わない者が得をする、NHKの受信料は、罰則付きの強制徴収にならない限り、払わないのが正しいと思う。だって、簡単に払ったら、不公平な制度が直らないだろう・・・!」というのと似たロジックが成立しますね。もっとも、給食はNHKよりも必要で且つ役に立っていますが。
あとは、「闘争」に関わる広い意味での費用対効果の問題でしょうか。
オヤジの怒りで、子供に一種の無銭飲食をさせるのは、子供に対する負荷が大きいようにも思いますが、子連れ狼の大五郎君よろしく、オヤジと共に瞑府魔道(←漢字に自信がありません)の道を行ってくれる子供なら(そんな子は珍しいと思いますが)、巻き込んでみるのも一つの方法です。
ただ、子供さんが、イジメに合うくらいはっきりとした戦いの形になるならまだ良いのですが、何となく肩身の狭い思いをするだけ、というような場合、卑屈に育ちそうで心配ですね。これは、小銭を惜しんで、高く付くケースです。
だいたい、自分の損得を絡めると、この種の喧嘩は上手く行かないとしたものですが、どんなものでしょうか?
私の<2006-10-02 01:08:15>のコメントの冒頭に、「作業員さま」とありますが、これは「床屋政談さま」の間違いです。お詫びして、訂正いたします。
国連分担金拠出額、日本は世界2位なんですから、安倍さん、なんか物言いつけたほうがいいかもしれません。
例のボクサーの方はベネズエラ人でしたね、そういえば。
まあ、こういった内容を受けまして、ブッシュ政権の反応は「どうだ、ここ米国はどこでも何でも言えるフリーダムがある国なんだということがよく分かっただろう。」的な反応であったと、在米知り合いが教えてくれました。
以上、補足でした。
チャベス大統領の役者振りも見事なら、たしかボルトン米国連大使のコメントも及第点ですね。アベ君には、こうした大人のやりとりは難しそうですね。
給食代についてのご教示ありがとうございました! 「…子供が卑屈に…小銭を惜しんで高くつく…」視点は、ノーマークでした。
私は、残念ながら自分にセコいところがある気がしているのですが、子供がそうなるのは考えものです。ちょっとカミさんと相談したほうがよさそうですね…
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神保氏と宮台氏の対談、目を通していただいたようで恐縮です。
対談中の「平和維持に命を投げ出すことも辞さないスタンス」は、それが、この国の世襲?権力者の陶酔と、一般庶民の思考停止によるものでさえなければ、私はアリだと思っています。
(ちなみに小泉前総理のイラク派兵演説時の憲法前文の引用は、もちろん陶酔と思考停止によるものでした。が、リベラリストのあの演説への反応は、まったく不十分、かつ思考を深めていないものだったと思います)
陶酔や思考停止によらずに、行為主体にとって明らかに損な行為、究極的には「命を投げ出」させることがありうるのか?という疑問もあります。
勝手にですが山崎さんはその立場だと推察しています。
ただ、これも以前から一度うかがいたかったのですが、山崎さんご自身の行動、たとえば損失補てんへの内部告発など、エリート層にはあまり見られない、いい意味での事の荒立て方は、「損得によるものではない」ように見受けられます。
矜持や美学なのかもしれません。が、そうだとすると「ポピュラリティ」は得ないような気もします。
私はエンタテイメントにかかわる人間でして、そうしたカッコよさ・美学が、特に映画やドラマや小説(ノンフィクション含む)やドキュメントやルポや漫画などの良質な表現の中の登場人物に宿って、作品やその受け手のなかで力を持ちえることはあると思いますし、私も目指しています。
また、働く場や友人や家族や、といった身近な集団生活で、ある人の美学が輝きをもち、また周囲に伝播することはある、と思います。(またまた勝手ながら、山崎さんのお父様がカッコいい方だったのではないかと想像しています)。
しかし、ただしかし、政治の場では…どうなのでしょうか…
(立場の違いはあれ)チャベスやボルトンの、政治家の人間くささに可能性があるような気もします。が、ボルトンどころか、ラムズフェルドもそら恐ろしいブラックジョークを吐く人間です。
いつものように何が言いたいか見えない長文になりましたが、ちょっと美学と力についておセンチになってしまいました…すんませんでした…
こんばんは。
私が、時に金銭的に損であったり、周囲と軋轢が生じたりするような行動を、意識的に選択することがあるのは、単にその方が気分がいいからです。時に計算が不十分なこともありますが、自分にとってのコストとリスクは計算してやっているつもりです。
たとえば、当時の職を放り出す(放り出されるの方が近いかな)コストを払ってでも、不正を告発せずにぐずぐずしていて、自分の気持ちを腐らせて、ひいては人生の勢いを削ぐよりは、多少転職に苦労してでも、その時にやるべきだと思ったことをやってしまおう、ということでした。
それは○○信託銀行にしばらく居て、もう少しいいタイミングで転職する方が同じ転職でも得だったでしょうが、まあ、いいではないか、と思ったということです。
もちろん、あのとき迄に転職経験がゼロだったら、リスクやコストの見当が付かなかったでしょうから、あのような行動には出られませんでしたし、それでは、行動すると言っても、実名で名乗り出て告発するところまでの実力は、当時の私にはありませんでした。
一般論として、時には「命を投げ出す」ような利他的な価値観は、普通の人間に十分備わっているものだと思いますし、それは、怪しむべき事でもありません。
ただ、その対象が、「国」であったり、それを指示するのが為政者だったり世論だったりするのは、些か情けないと、私個人は思うわけです。
「お国のため」のように、他人からあてがわれたものに熱くなるのは格好が悪いと私は思うのですが、どんなものでしょうか。
もっとも、私のアンチナショナリズムの起源を敢えて辿ると、子供時代の力道山や東京オリンピックに対する(3歳から6歳くらいです)大衆の熱狂に対して、本能的に疑いを覚え、反発心を持ったことにあったと思うのです。私は、テレビの前で、ルー・テーズを応援し、東京オリンピックではヘーシンクが日本柔道の伝統と根性を蹴散らしたことに歓喜するような子供でした。
その後、私の少し上の世代を中心に左翼思想や平和主義に人々がかぶれていくわけですが、これらの世代の雰囲気に対して、今の若者世代は子供の頃に反発を覚えたのかも知れず、そうしたわけで、ナショナリズムに熱狂することが、格好のいいことである(私には意外なのですが)と思うようになったのかも知れませんね。
何れにせよ、私にとっては、ナショナリズムは、フェアではないし、克服すべき思想だし、何よりも、格好の悪いものに映るのです。
こんばんは。丁寧なレスありがとうございます。
「その方が気分がいいから」「コストとリスクは計算して」…山崎さんの強さに関心し、自分もそうあろうと、あらためて思いました。本当にです。嫌味でもありませんし、また逆に、気持ち悪がらないでください(苦笑)。
2点、ツッコませてください。
1:「ただ、その対象が『国』であったり」(私もそこを問題にしています)ですが、
前の文章で、家族や友人といった関係での利他行動については私も山崎さんも否定していないと思います。
その共同体が地域や故郷や母校や会社、そして「国」になるとすると、いかがでしょうか?
私は、そういう利他的行動が広がることを完全には否定できませんし、愛するゆえに厳しく、というのは有ると思います。
ちなみに、左の人で愛が地球にまで広がるひとがいますが、そのこと自体はすばらしいことですが、私は、「まず自分だろう」と、そして家族や地域、国!、最後に地球、という順序の人の方が好ましく思う確率が高いんですね。
ところが、山崎さんの日本の総理や日本の市場への批評や提言といった、摩擦覚悟のお仕事ぶりを見ると、とても山崎さんの自己認定が、怪しいと。
「この人は愛国者だ!」と!!!(照れ屋さんなだけなんだと・笑)
たんに、権力者や事象への日本社会の反応が目障りで癪にさわる、ということなのでしょうか?
ふざけているように聞こえるかもしれませんが、より良いメンバーを共同体(国も!)が持ちうることのヒントになるような気が、真面目にするのです…
2:力道山や東京五輪(サッカーW杯はさしずめ…)のヘーシンクの件は爆笑してしまったのですが(失礼!)、柔道における伝統の胡散臭さはともかく、ルー・テーズは…? 彼のプレイスタイルがカッコよく見えたのでしょうか? それともアンチ・ヒーロー(へそ曲がり…再度失礼!!)なのか…それにしても巨人ファンだったんですよね…(私、アンチ巨人でした)。すいません、2点目、余分でしたかね。
お忙しい中を絡んでばかりで申し訳ありません。お時間あるとき、もしくは、私は山崎さんのファンなので、他のお仕事やエントリーの中ででも、この愛国者からの疑問に触れていただければ幸いです。
ご興味を示していただきまして大変ありがとうございます。(山崎さん、こんな格好でもって、他人の褌(ブログ)で相撲をとらせていただきましてすみません。)
さて、DownUnderとはコレいかに?私に言わせれば”そちら”が「地球の裏側」でございますです。(笑)。
ラテン気質が大好きでいらっしゃるとのことですが、私は仕事でこちらにたまたま居る、というだけですので、仕事の絡みからだけ申しますと、ラテン気質、特に時間の観念にはムカつくことが多いです。朝9時といったら昼12時、あさって午後4時といったら、これはもうずっと先の将来のことを指す。人々の脳内カレンダーにあるのは今日と明日のみ。半年後、一年後、何それ?そんな先の話どうだっていいじゃん。まあこんな調子でございます。昨日のYESは今日のNO。昨日のNOは今日のYES。今が楽しきゃええじゃないの。まあその態度には基本的に同意はいたしますが。。。。。面白い文化圏ではあります。
山崎さんのエントリー内容からなるべく外れない形でコメントをすべく努力し、時折「なんべー」事情なども散りばめてみる、といった格好でご報告させていただければ幸いです。
尚、更に私事で大変恐縮ですが、年間3分の1はアジアのP国に居るもので、そちらの話題が時折混ざることもあろうかと存じます。このP国もある意味ラテンではあります。ド田舎では挨拶や数の数え方に若干のスペイン語が残っていますし。かの国は、「看護師」を日本に「輸出」することにどうやらなったようですので、こんな話題も山崎さんにいずれ取り上げていただけたら、などと勝手に思っております。
安倍語録スレからかなり離れまして、他の読者の皆様大変失礼いたしました。
私が日本の政府や社会に対して意見や提言を持つのは、ひとつにはこれらが自分に関わるからですし、次には、自分が影響を与えやすい距離にこれらがあるからです。ただし、日本だけが他国に対して、不当に得をすることは望んでいないつもりです(「国益」という言葉の、何と下品なことか!)。
自分→家族→(会社/地元)→国(日本)→世界、という順番にあって、家族までは自分が関わったものだし、世界はもともとあるものですが、「国」というものはかなり恣意的に作られたものです。国を利用して、個人が別の個人から収奪しようとしていますし、国が違うと利害が違う、という先入観は、国の異なる人々を不必要に対立させます。行政の単位は各種必要ですが、これが常に「国」である必要はありません。
サッカーでは、私は日本代表が嫌いです(プレースタイルが嫌いだし、それ以上に応援して「熱狂」する日本人が嫌いです)。仮に、ブラジルのサッカーが好きなら、日本対ブラジルで、ブラジルを応援するのがごく自然だと思いますし、ブラジルであっても日本であっても、優れたプレーには拍手を送ればいいのだと思います。これが素直に出来ないのは、「日本」にこだわるからであり、私は、そうした感情を克服したいと思っています。
日本人だから日本代表を応援するのが当然だといわんばかりに、好みでもないスタイルの下手くそなチームを応援するのは、ナショナリズムという伝染性の「悪い病気」に脳が冒されているからだろうと、私は、思っています。
もちろん、日本人のスポーツ選手にも、たとえばハードルの為末選手やマラソンの高橋尚子のように、私が応援する選手は居ますが、それは、個人として好ましく思うからです。たまたま知っているということはありますが、彼らが日本人だから応援するわけではありません。
プラスもマイナスも含めて、自国に対するこだわりを捨てて、国に関係なく個人を個人として尊重する姿勢こそが「品格」の名に値するのではないでしょうか。他国の人々が、自国にこだわる姿勢を捨てられないなら、それに対しては、優越感(!)と寛容(!!)をもって接することが正しいと思っています。
もちろん、こうした日本のナショナリズムに対する反感は、地域を愛さないわけでも、友人を尊重しないことを意味するわけでもありません。私は、地域としての日本が住みよい場所であることを願っていますし、行政サービス単位としての、日本国が「悪くない」効率のものであって欲しいと思っています。ただ、日本国を優先させようとするナショナリストへの深い軽蔑と嫌悪があるだけです。
たびたびのレスありがとうございます。
私も個人的に「国益」という言葉に以前から違和感はあったのですが、山崎さんの「日本だけが他国に対して、不当に得をすること」「下品」とハッキリ定義していただいて、すっきりしました。
また、ご指摘のような「国」の恣意性や暫定性(近代国家はたかだか4世代200年)は、政治家に限らず、思考や発言の際に押さえておかなくてはいけないと思います。
私にとって「国」は、軽く言ってしまえば、たまたまそこで生まれ育った「いきがかり」にすぎないかもしれません。
ただしそれは、濃淡はあるにしろ、他の共同体も、地域にしろ、家族にしろ、同じことだと思います。(余談ですが、DVや貧困があったわけでもないのに、大人になっても父や母や兄弟姉妹の家族にやすらぎを持てないと知人から聞いて驚いたことがありました)
で、たまたま、その共同体に不幸な関係でない「いきがかり」を覚えるなら、よりよき共同体であって欲しいのです。
これも余談ですが、東海地方のある田舎で育った私は、少年時代に父からタイガースの帽子を与えられていて、困ったことになりました。その後、自然にドラゴンズを応援するようになるのですが、どうにも「燃える男」に肌が合わず、アンチ星野(中日)になってしまいました。当時からドラゴンズとタイガースには質的に違いはないのでは、と思っていたのですが(甲子園球場は素晴らしいと思います)。ひいきチームうんぬんよりも、野球そのものの魅力(面白さ)に関心が主としていかなかったのは、今考えると残念ですが、地域チームと地域チームの対抗で馬鹿っぽく盛り上がるというのは、なかなか良いものでは、と否定できないものがあります。なので、私はサッカー日本代表チームには、カナリア軍団とまではいかなくとも、たとえばアイルランド代表程度には(勝負も含めて)より見ごたえのあるプレースタイルを確立して欲しく、そのための(熱くでもクールでも)楽しいサッカー論議を見たいし読みたいのです(いまさらサッカーにお国柄なんて時代遅れかな?)。
それには安倍首相のようなタイプは、かえって有害だと思っていますし、彼のような人間(名門!)がナショナリストとして人気がある傾向にはかえって落胆しています。
話を戻します。「国」はたまたまの行政単位でもありますから、生まれ育った地域を跳び越えて、たとえば国際的に自由に活動する頼もしい日本人なり国際人がいるのはいいことです。
ただ、私自身は、ときに面倒くさいローカルさ(たとえば住んでいるマンションの自治会とかですね…泣)からまず、よりよきものにしたいな、と。お金や能力があれば、面倒の少ない快適な環境に引っ越すことはできるかもしれないけれど、この身が絡まるローカルをよいものへ協働することに魅力すら感じています。(自分はまぁ、ローカル内で愛憎半ば世話になりつつ育った田舎モノだしね、と)
それから、自分が前のコメントとしてコピペした対談に、「戦後の価値」というのがありましたが、私は山崎さんの「憲法に詫びの要素が入ってたっていい」、「北朝鮮のミサイルを(撃ってくる可能性は低いし)最初の一発ぐらいオタオタ気にしなくていいじゃないか」(いずれも私の要約)というのは、「戦後の〈誇るべき〉価値」だと思いました。(特に後者は痛快ですらありました)
そういう山崎さんに「日本」の要素を私は見ました。(実際、そうした「美しい」発想ができる人間がある程度いるのは戦後日本ぐらいのような気もします。)
しかし辞書でも、「ナショナリスト」とは、国粋主義者、排外主義者の意味があるようですね。イラク戦争にただ反対したのみならず、無法国家アメリカへの闘いを呼びかけたのは、皮肉にも私の知るかぎり右翼の一水会だけだったと思いますが、ナショナリストには好戦的ロマン主義な面が抜きがたくあるような気もしますね。
私自身が、山崎さんの言う「日本国を優先させようとする」ナショナリストにならないよう気をつけたいとも思います。
いつもながら長文で絡んでしまいました。寒暖の差が大きく、体調を崩しやすい季節です。ご健筆期待しています。ご自愛ください。
ユーモア溢れるご返答有難うございました。
この記事の話題からは逸れてしまいますが、南米諸国の政治家の汚職・スキャンダルというのも沢山ありそうですね。南米では不倫騒動がどこまで盛り上がるか知りませんが、お金がらみは、まだ貧しい経済ということもあってか、一族に大統領にでもなった者でも出ようものなら、それにタカル大勢の親族・関係者もゴッソリ出てきそうですね。
実は南米諸国のメディアは日本のそれよりしつこく粘着質なようです。これは意外でした。只今議論沸騰中の日本人セニョリータの一件も2-3ヶ月すれば沈静化して忘却の彼方になるのが日本だと思いますが、ここP国ではそうは問屋が降ろしません。問題のセニョリータのお相手は国会議員であったようですから、もうこれは半永久的にタブロイド版の餌食となるでしょう。また例えば、大統領の職を解かれてもは6-7年以上経つのにも関わらずFモリ氏の名前が新聞に登場しない日はないといっても過言ではありません。今年になって彼が本国への舞い戻りを企てる以前からの話です。(まともな新聞およびタブロイド版含む)。ご本人のことについてもありますし、元奥様、娘、息子、そして日本人の恋人の件等々。一切合財がネタでありえるようです。延々やっています。他に娯楽が少ないからこういう現象が起きるのかどうなのか、私のスペイン語が幼稚なので分析しきっておりません。
仮に、晋三殿に個人的なスキャンダルがあったとして、首相を降りたあとも日本のメディアは延々と何年にも亘ってしつこく報道するでしょうか?考えにくいです。こちらは「熱し易く冷めにくい」ようです。
話が突然変わります。
「プラスもマイナスも含めて、自国に対するこだわりを捨てて、国に関係なく個人を個人として尊重する姿勢こそが~」と山崎さんがお書きになられた一パラグラフに共感します。(その他のパラグラフもですが、あえて言うならこのパラグラフがすっきりはっきりしていて溜飲が下がりました。)
私はそういう発想をラクに出来、且つ実生活において自然にやってのけられるのが日本人なのではないかと秘かに”誇り”を持っております(笑)。
「ラテン系は時間にルーズでムカつく」と先だってのコメントに書かせていただきました。本当にムカつくのであれば、「やり返し」と称し、重要会議に大幅に遅れるは、約束は平気ですっぽかすは、と私も復讐すれば良いわけですが、どうしても日本人根性・習性が抜けず、いつまでたっても会議の5分前には場所に着いてしまうし、アポイントメントを突然キャンセルするなど勇気がなくてできないし、でこういうときに自分が日本人である、と自然に自己再認識します。そういう感じ方が心地良いし、それで十分だと思っています。
自国についての必要以上の執着や、特定の文化に起因する価値観にガリガリとしがみつき離れようとしないことは自分にとっても疲れることですし、また周囲(他国・多文化の方々)とも余計な摩擦を生んで、何ら得になることはないように考えます。
以上、散文で失礼いたしました。
3つ項目をあげて表になっていて、首相就任後には安倍さんの発言がこのように変わった、と書いてあります。
たとえば、ちょっと長くなりますが引用しますと、
『A級戦犯』の項目では、
就任前:戦勝国によって裁かれた。責任をとらされたということではないか。(後略)
就任後:
先の大戦に対する責任の主体については様々な議論があり、政府として具体的に判断することは適当ではない。(10月2日)
指導者の立場にあった人たちは私の祖父も含め大きな責任があった。政治は結果責任なので当然、そのときの判断は間違っていた(10月6日)
といった具合です。
ただ、村山談話と河野談話については、ともに、
「引き継いでいる」「受け継いでいる」という言葉をつかっているのですね。
とすると、「引継ぎ事項としてその内容についてはうけとりました、知っています」と言っているだけ、ともとれるかなあ。
というのは、うがちすぎでしょうか。
しかしここまで言ったからには、それこそ「政府として」行動する際には、ひきついだ内容をふまえて行動する、とおもわれてもしかたないし、誰もがそのように予想すると思います。
実際、訪中でどのような発言が出るのか、続報に注目しています。
持論のすべてを封印したのかどうか分かりませんが、初動は概ね慎重にやっている感じですね。
ただ、「靖国に行くとも行かないとも言わない」「侵略戦争については歴史家に任せる」といった、一種の判断停止ないし先送りがいつまでも通用するものではないような気がします。
ただ、A級戦犯の、国内法では犯罪人ではない、といった答弁は、そもそもA級戦犯というのは、国内法の概念ではないですから、何の意味もない、余計な発言ですね。厳しい質問をされると直ぐにぼろが出そうな感じですが、厳しい質問者を遠ざけて、何とかやっていこうとするのでしょう。
まだまだ、「良くやっている」という感じにはほど遠いですね。
さて、一応経済問題のブログなので、安田投信投資顧問の悪辣ぶり、でも書こうかと思ったが、それは山さんにまかせて。
安倍ちゃんの話やけど、トンパチなこともよく言うがなかなかな男藤原新也が、安倍ちゃんのことと朝日の心配について書いていた。興味のある方はご自分でオフィシャルサイトへどうぞ。
で、わし的今日の安倍ちゃん話は、読売のコラムから。なんだって?、チャンネルなんとかの水島なんとかが、安倍のブレーンだって? ほんとか。まったく安倍のすごさは言葉を失うなあ。あそこのサイトは掲示板で、朝から晩まで、チクシやオタカサンのことを朝鮮人ダーとかチャンだのチョンだの言っていたところだし、尊敬するハゲ尾失礼西尾先生とかがご発言のところじゃないか。反米じゃねえのかい右翼さんたち。安倍のブレーンって、ほんと、とほほ。
ほんでから、別にネットで少々の下品も差別発言も知ったことか、とは思うものの、そういう場の賛同者に、裏千家の千とかが名前連ねてたら、まったく淡交なんだか粘着質なんだか。と思い、こら千、守銭奴不動産王ならまだしも、わびさび、どこいったんや、茶道王かと、からかうと、即効賛同者から名前が消える。そんなことなら名前貸すなって。それでなくても、斉藤貴男のカルト資本主義でいじられているのだから、君は。わしかって、一期一会を大事にする珈琲茶人やけんね。たのむよほんと。
ちなみに、藤原先生が気にしているのは、安倍耐震偽装問題は、韓国系、とどうつながるのか。つながるのかなあ。統一の名前とか出してるけど、相変わらず敬愛する藤原先生、チャレンジャーやなあ。アルチュール山さんも、見習ってください。中島らも先生の、今夜すべてのバーで、は傑作ですので、まだお読みでなかったらどうぞ。あと、週間現代の終わりの方のページ、シングル山崎だったので笑ってしまいました。最後に、日刊ゲンダイは読まないのですが、二木さんの土下座は立派でしたね。みんなユニークだなあ、ほんと。人間だもの、か。
私は安倍氏を評価していないので、ちょっと書きにくいのですが、少し気になっていることがあります。
朝日新聞に限らず、他のメディア、知識人といわれる人たちの、総裁選前での「空気」は、安倍氏が総理になると、「日中関係が悪くなるだろう(安倍氏には弱点だろう)」というものであったような気がするのです。(谷垣氏などはその空気に乗るか使おうとしていた気もします)
しかし結果は今までのところ、中国は「折れてきた」とさえ見える現状です。
安倍氏が参院選まで猫をかぶっているにしろ、それだけではない印象があります。
「折れてくる」と予想していた外交専門家も
(絶叫調のアンチ中国文化人だけでなく)いた気憶もありますが、総体としては、前述のような空気だった気がします。
なんというか、総裁選・権力闘争にからんだ「プロパガンダ合戦」だったのではないかと…
振り返ると、外交上のチャンスとしての総理が変わるということ自体の力、北朝鮮や日中貿易、そして中国の国内事情、それらから分析・解説してくれていたメディアの印象がありません。もっと言うと、たとえば海外の普通のレベルの報道機関が、もしくは日本でもある程度の専門家が普通に分析すると、ほぼ現状のようなことになることは分かっていたのではないかという疑いを感じるのです。
もちろん、山崎さんのいう下品な「国益」からの観点だけでは困りますが、プロパガンダ合戦というのは、保守にとってもリベラルにとっても、最悪だと思います。
そして、私が安倍氏を嫌いな理由の一つも、そのプロパガンダの要素と手法が、強い気がするからなのです。(あの小泉氏よりも強い気がしませんか?)
私は「世の中は全て実力者達による陰謀で動いている」という見方には、安易に与したくありませんが、安倍氏側と北朝鮮(の誰か)との間には、もちろん米中も含めてお互いに便宜を図るような太いパイプの存在を感じます。
今後、それだけではとても安心できそうにないミサイル防衛網でも発注することになれば、もろもろの事情は、たぶん、米国(の実力者)も含めた「出来レース」なのでしょうし、中国(の実力者)も北朝鮮の資源でも手に入れば十分なのでしょう。
安倍氏ご本人は、脚本など書けないし、アドリブも利かない大根役者だと思うのですが、脚本・演出・監督はそれぞれ誰がやっているのかをよく見ていきたいと思っています。ご指摘のように、プロパガンダにはかなり力を入れているように思えます(そういう手法は、もちろん、嫌いです!)。
またブログ読ませていただいて勉強します。srtt
日本にとって今必要なことはそういった話しではないということだよ
重要なことは断言してるし、そうでないことは人をまとめる為にも暈して発言するのは当たり前
その言葉尻を捕まえてあーだこーだ言うのは
常套手段じゃないか
つまりは安倍さんは自分のイデオロギーは押し殺して日本や日本国民のことを考えて行動しているといえる
政治家としては一番冷静で信頼できる発言をしている
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July 23, 2020