評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
ボツになった原稿を掲載します
金融業界関係の雑誌に、私が書いた匿名コラムの原稿がボツになりました。テーマは日銀の内部管理批判と福井総裁への批判です。
編集長氏によると、
(1)匿名での批判原稿である、
(2)日銀のような不正(出張旅費の過大請求)は他の企業にも多々あり、日銀だけを強く批判するのはいかがなものか、
(3)福井総裁個人への批判は編集方針になじまない、
(4)今後の日銀への取材のしやすさその他という考慮もある。腰が引けていると言われればそれまでですが、
ということでした。
私の反論というか言い分は、
(1)実名で掲載しても構わないし、そのコラム欄は政策に対する批判などが日頃から載っている、
(2)日銀自体の管理に問題があるということだから、他社は関係ないし、読者が判断すればいいことだ、
(3)福井総裁は公人だし、根も葉もない批判を書いているのではない、
(4)編集方針だというなら仕方がないですね、
というものでした。
編集長と話し合った結果、表現を書き替えて載せるのではなく、今回は原稿を取り下げるのが、「ありがたい」とのことだったので、これに同意して、ボツが確定しました。
以下に、原稿を内容をそのまま貼り付けます(誤字の訂正が一カ所と、フォーマットの修正がありますが)。
================================
「日銀の自力更生には限界」
日本銀行がさる八月四日付けで発表した「国内出張における航空運賃の支給に関する調査結果等」という文書がある。同行のホームページにも載っているので、是非読んでみて欲しい。日本銀行がどれくらい、たるんだ、モラルのない組織であるかが、よく分かる。
同行自身による調査で分かった範囲だが、平成一一年四月から今年の一月までの国内出張で、出張者一三三〇人に対して航空運賃の過払いが七千三百万円あったという。割引料金のチケットを使いながら、正規運賃で旅費の支払いを受ける、単純な手口だが、多くの職員が、不当なお金を着服していてもよいと考えたモラルの乏しさ。そうしたことが可能な日銀の内部管理体制に対して、疑問を持たずにいた意識の低さ。これらの持つ意味は重い。しかも、会計検査院の指摘を受けてはじめて気づいたようだ。こんな連中に検査されるのでは、民間銀行も浮かばれない。
民間会社でも、社員が、出張旅費を浮かせるようなことが、全くないわけではないが、まともな会社は、過払いが起こらないような管理ルールを作り、実行する。また、金銭管理で問題を起こすような社員は、出世させない。しかし、今回、日銀は、譴責、注意、過払い分の返還といった、要は、「注意」と「盗んだお金を戻す」だけの軽い処分にとどめた。
世間的話題からやや遠ざかったが、福井総裁の今年二月の村上ファンド解約は、常識的な解釈では内規に十分触れている。量的緩和政策解除の前の株式ファンド解約だから、世間の疑いを買うに十分であり、これに気づかぬ何たる愚鈍。こうしたうす汚い人物は、直ぐに辞任して、ゼロ金利政策解除などの重要決定に関わらないことが望ましかったが、いまだにポストにしがみついている。組織を魚にたとえて「魚は頭から腐る」とよくいわれるが、日銀にもよく当てはまるようだ。
================================
短文のコラムということもあり、強い調子で書いていますが、内容は至極妥当ではないかと思っています。
当該雑誌を批判することを特に目的とはしていないので、今回は、雑誌の名前は挙げませんが、この程度の批判原稿でも、世に出すのは結構大変なのだ、という残念なサンプルとして、公開します。
そういえば、ある雑誌に載っていた漫画「ベルサイユのバラ」の作者、池田理代子さんのインタビュー記事によると、彼女の旦那さんは、ご結婚当時、日銀にお勤めで、投資信託関係のデータに関わる仕事を所管されており、新妻である彼女に「投資信託のようなものは買ってくれるな」と強く言ったのだそうです。彼女は、当時、随分堅苦しいことを言う人だなと少々不満に思ったらしいのですが、その後、福井総裁の村上ファンド問題が出て、うちの主人は正しい立派な人だったのだ!と見直した、というような話が載っていました。
日銀にあっても、自分の仕事に関係があると思われるようなことで、疑いを受けるようなことは決してしたくない、と考えるような、真面目な人が多いのではないかと、私は推測しています。こうした真面目な職員は、福井氏のような方が総裁の地位にしがみついていることを、苦々しく思っておられるのではないでしょうか。ただ、行内での批判の声が、外に洩れてこないのは、さすが日銀(悪い意味で)と言うべきかも知れません。
それにしても、「尊敬」でなく「軽蔑」される人が中央銀行のトップというのは、国にとっていいことではありません。福井総裁には、早くお辞めになって貰えないものかとつくづく思います。
編集長氏によると、
(1)匿名での批判原稿である、
(2)日銀のような不正(出張旅費の過大請求)は他の企業にも多々あり、日銀だけを強く批判するのはいかがなものか、
(3)福井総裁個人への批判は編集方針になじまない、
(4)今後の日銀への取材のしやすさその他という考慮もある。腰が引けていると言われればそれまでですが、
ということでした。
私の反論というか言い分は、
(1)実名で掲載しても構わないし、そのコラム欄は政策に対する批判などが日頃から載っている、
(2)日銀自体の管理に問題があるということだから、他社は関係ないし、読者が判断すればいいことだ、
(3)福井総裁は公人だし、根も葉もない批判を書いているのではない、
(4)編集方針だというなら仕方がないですね、
というものでした。
編集長と話し合った結果、表現を書き替えて載せるのではなく、今回は原稿を取り下げるのが、「ありがたい」とのことだったので、これに同意して、ボツが確定しました。
以下に、原稿を内容をそのまま貼り付けます(誤字の訂正が一カ所と、フォーマットの修正がありますが)。
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「日銀の自力更生には限界」
日本銀行がさる八月四日付けで発表した「国内出張における航空運賃の支給に関する調査結果等」という文書がある。同行のホームページにも載っているので、是非読んでみて欲しい。日本銀行がどれくらい、たるんだ、モラルのない組織であるかが、よく分かる。
同行自身による調査で分かった範囲だが、平成一一年四月から今年の一月までの国内出張で、出張者一三三〇人に対して航空運賃の過払いが七千三百万円あったという。割引料金のチケットを使いながら、正規運賃で旅費の支払いを受ける、単純な手口だが、多くの職員が、不当なお金を着服していてもよいと考えたモラルの乏しさ。そうしたことが可能な日銀の内部管理体制に対して、疑問を持たずにいた意識の低さ。これらの持つ意味は重い。しかも、会計検査院の指摘を受けてはじめて気づいたようだ。こんな連中に検査されるのでは、民間銀行も浮かばれない。
民間会社でも、社員が、出張旅費を浮かせるようなことが、全くないわけではないが、まともな会社は、過払いが起こらないような管理ルールを作り、実行する。また、金銭管理で問題を起こすような社員は、出世させない。しかし、今回、日銀は、譴責、注意、過払い分の返還といった、要は、「注意」と「盗んだお金を戻す」だけの軽い処分にとどめた。
世間的話題からやや遠ざかったが、福井総裁の今年二月の村上ファンド解約は、常識的な解釈では内規に十分触れている。量的緩和政策解除の前の株式ファンド解約だから、世間の疑いを買うに十分であり、これに気づかぬ何たる愚鈍。こうしたうす汚い人物は、直ぐに辞任して、ゼロ金利政策解除などの重要決定に関わらないことが望ましかったが、いまだにポストにしがみついている。組織を魚にたとえて「魚は頭から腐る」とよくいわれるが、日銀にもよく当てはまるようだ。
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短文のコラムということもあり、強い調子で書いていますが、内容は至極妥当ではないかと思っています。
当該雑誌を批判することを特に目的とはしていないので、今回は、雑誌の名前は挙げませんが、この程度の批判原稿でも、世に出すのは結構大変なのだ、という残念なサンプルとして、公開します。
そういえば、ある雑誌に載っていた漫画「ベルサイユのバラ」の作者、池田理代子さんのインタビュー記事によると、彼女の旦那さんは、ご結婚当時、日銀にお勤めで、投資信託関係のデータに関わる仕事を所管されており、新妻である彼女に「投資信託のようなものは買ってくれるな」と強く言ったのだそうです。彼女は、当時、随分堅苦しいことを言う人だなと少々不満に思ったらしいのですが、その後、福井総裁の村上ファンド問題が出て、うちの主人は正しい立派な人だったのだ!と見直した、というような話が載っていました。
日銀にあっても、自分の仕事に関係があると思われるようなことで、疑いを受けるようなことは決してしたくない、と考えるような、真面目な人が多いのではないかと、私は推測しています。こうした真面目な職員は、福井氏のような方が総裁の地位にしがみついていることを、苦々しく思っておられるのではないでしょうか。ただ、行内での批判の声が、外に洩れてこないのは、さすが日銀(悪い意味で)と言うべきかも知れません。
それにしても、「尊敬」でなく「軽蔑」される人が中央銀行のトップというのは、国にとっていいことではありません。福井総裁には、早くお辞めになって貰えないものかとつくづく思います。
コメント ( 13 ) | Trackback ( 0 )
« 将棋名人戦問... | ジャーナリス... » |
他の企業もやってる云々は全く的外れだし(公的機関だからこそ問題になさっているのにねえ、、)総裁個人への批判は云々もなおさら意味不明。総裁の女グセがどうとか、なんとか教の信者だとか、家庭問題を抱えているとか、身障者だとか(←こんなこというやつがいるわけがない、と思われるでしょうが、現にかつて国会議員間でホントにあった)そういうつまらんことを言っているのではないでしょ。あくまで公職におけるその職務関連性ある経済行為を問題にしてるんですから。
しかし今後の取材が難しくなる云々とコクった編集長は意外に正直者? それとも恥知らずなだけ? どういうツラして言論(経済誌だって立派な言論)に身を置いているんでしょうね。きっと御本人は自分が言論人だという意識・自覚はこれっぽっちもない、又は喪失して久しいのでしょう。食べるためには仕方ないというところもあるんでしょうけど、だけどそんな機関発表の提灯記事しかない雑誌にどれだけ存在価値があるんですかね。
山崎様の同意も、個人への批判は編集方針になじまない、という点への同意ではなく、今後取材できなくなると困る、という点への配慮でしょう(僭越にも勝手に判断)
もし批判的なメディアだけ取材させないという公的機関の処分がなされると、それは国民のいわゆる『知る権利』(憲法21条)に反し、違法処分になるわけで、損害賠償請求の形をとれば法律上の争訟にあたりますから十分訴訟で争えますが、そういう出版社はなにかとお上と仲良くやって有形無形に可愛がられたいっていうのが本音ですかね。
この前朝日が靖国からそういう拒否を食らったようですが、一応靖国は国家機関じゃないから違法処分とはストレートには言えない。このへんのねじれが気持ち悪いし、靖国神社自体も感じ悪いこと甚だしい。
そういう構図は今のアメリカではもっと露骨のようで、イスラエルの悪口を言えない、書けないの、まるで国家総動員状態みたいのようです。 寒々しい時代になってきました。
ところで週間ダイアモンド買って、日立の株価割安かみたいなコラムを読ませて頂きました。未だに果実にの二重計上を避けつつ正当に評価する方法は分かりませんでしたが、それでもなんとなく、こんな感じなのか、と納得しました。そういう雑誌を買ったのはたぶん生まれて初めてのことですが、700円か800円だったか、結構高いものなんですね。ちょっとびっくり。山崎様のコラム以外には読むべき記事が全く無かったので(あくまで自分にとってですが)特にそう感じたのかも知れません。
今はどうだか分かりませんが中央官庁でも罪の意識なく行われていたのは事実。
浮かした金をプールして飲み会の費用に充てるとか・・・。
最近、岐阜県でも似たような事件が発覚しましたよね。
批判しにくいのは、マスコミも含めてサラリーマンの「小さなことに目くじらたてるな」という共犯意識のなせる業なのかもしれません。
良くないことだけど、私も、非難するのを躊躇する気持ちがあったりするのが正直な感想です。
ご無沙汰致しておりました、今晩わ。
碁に将棋にボクシングに、そして疲労困憊にと視野360°の相変わらずのご活躍、頼もしく拝見致しておりました。
居座り総裁と居直り宮内御大、本当に困ったものです。
山崎さんの言われるように多くの日銀職員は(ORIX社員もそうかな?!)にがにがしく思いつつもサイレントなの(かなあ~?)だ、そうあって欲しいと思うのですが、他方で番号ミスプリのレアもの新1万円札を確保してみたり、旅費差額をくすねたりが起こる組織であるのも事実で、その一因は矢張り幹部連のダラシナサにあろうと思います。
批判されるような事をすることが批判を受けることから行為者達を防御して、何が誰の為になるのか? モラルの低下の連鎖を起こすだけとの重大な帰結に考えを至らせなかったり、又は重きを置かない人には腹立たしさが何時までも残ります。
山崎さんのご著書にある金融界への警告も、金融界の健全な発展を思えばこその有意・有志の誠からの声なればこそ、読み手も決して不快感の一片も感じません(単なる誹謗中傷や悪意の誇張に富む単なる陰口は自然と感じ取れますし悪寒を覚えるものですがそれは全くありません)し同意を強くする次第です。
雑誌メディアの存在意義も正に其処にある筈ですが、編集長や経営陣の使命感は何処にあるのかとの疑問の思いを強くします。
とは言え実際にその世界に暮す人が、正直に率直に、その世界の慣行には反する事共に対して良かれと思ったことを言うことの周囲からの有形・無形のプレッシャーに囲まれる難しさは現実のものですから、其れでも怯むこと無く良心に発する声をあげられる山崎さんの様な生き方をされる勇者には心から、尊敬のエールをお送りします。自分自身の様々な考えを確かめる良いきっかけを頂く事に対しても感謝します。
ところで8月15日は夏休みを取り、朝から靖国(参拝に行ったのではありません、どんな人達がどんな様子かを観察に行きました)と武道館そして夕方は安田講堂に行ってきました。(靖国は、不明朗なスタンダードに基づく選別式の戦没者慰霊の場であり、より優っては軍国主義者の戦意高揚の場としての利用者の何と多い事か、と言うのが率直な感想でした)
何を思い何を感じたかはまたの機会に置くとして、自律した個人が己が信じる処に従って行動し発言しまた見解の相違を認めつつも多くの方々と大人の論議を交わせる自由の大切さに思いを深めまた新たにした一日でした。
実はこの前に中国・韓国への出張があったのですが8月15日以降に遅らせられなかったのが少々残念ではありました。
新しい首相・政権下でいろいろなことが起きて日本改造論議が始まりそうですが、是非とも山崎さんを始め『ロバの耳』に集う皆様のお考えにも接し続けたく、宜しくお願い致します。
暑さが堪える時期ですがくれぐれもご自愛のほどを。
たとえば8行目あたり、11行目あたり、18行目あたり、27行目あたり。
ロジックに欠けた扇情的な表現だとは自分でお思いになれませんか?
ご批判ありがとうございます。
たぶんこのブログは各PCの表示幅によって行が変わるので、ご指摘の箇所が正確には分かりませんが、過剰に「扇情的」というのは分かります。私としても、そんなに立派な文章だとは思っていません。
ただ、ロジックについては別段問題が無いと思っています。短文であり、特段の論理展開があるわけでありませんが、矛盾は無いと思いますし、表現が強すぎるとお感じになる部分があるとしても、内容は正しいのではないでしょうか。
日銀の職員がだらしなくて、総裁もだらしがない、これは事実です。また、総裁からしてけじめがつかないのだから、職員にも甘いのだろう、という暗黙の想像(魚の比喩につながります)もそれほど不自然ではないと思います。組織として、トップからキレイにするべきだろう、ということを言っているに過ぎません。
福井総裁の出所進退の有り様は正確な形容として「うす汚い」と思いますし、「魚は頭から腐る」というのは、日銀には的確な比喩だと思います。
尚、ご批判には感謝するのですが、文末の「自分でお思いになれませんか?」という部分は、率直に言って、コメントとして少し尊大かと思います。「お思いになりませんか?」くらいの方が普通のような気がしますが、どうでしょうか。
shoushiminjpさまには、弊ブログに、何度もお越し頂いており、「友達」のようにも感じるので、敢えて一言ご指摘申し上げます。(気を悪くされないで下さいね!)
●尊大であるとの指摘、そうかもしれず、御不快でしたら申し訳ありません。 前にこのエントリを流し読みしたときはコメント欄を含めて『ああ、そういうことも世の中にはあるのだな』というような気持ちだったのですが、改めてエントリを読み直したときに、『これは元の原稿の方の問題なのではないか』という正反対の判断になり、その時に感じた山崎様の元原稿を肯定するコメント欄の雰囲気(とはいっても具体的にこれが・・というふうでないとこが感情的なところですが・・)に対する戦闘的な気分が出てしまったようです。とはいえ、ケンカ腰で相手を説得できるはずもなく、これは無用でまずいことだったと反省しています。ここには文章修行に来ている意味も多少ありますので、ご指摘いただいたのはありがたいことだと思っております。
●さて、本題。
ロジックの問題ですが、 私が感じているのは、文章全体の流れのロジックに問題を感じているわけでではなくディティールの問題です。
1)『出張者一三三〇人に対して航空運賃の過払いが七千三百万円あったという。』
元の報告書からの引用ですが、わかりにくいです。(これは報告書が意図的に目指したわかりにくさではないか?という気がします)一人アタマ5万5千円と書くと具体的な読者が想定しやすい数字になると思います。しかし、一回の国内出張にこの数字だとしたらとんでもないですよね。『宿泊費が10000円ときまっていて浮かすために8000円のホテルにとまる』なんていうのはありえる話ですが、これとはレベルが異なるとんでもない話です。 しかし、本当にそうなのか? 実は報告書にはひとつ一番大事な数字が抜けていて検証できなくなっています(これも意図的なものではないかと思います)。つまり出張費全体(その内訳の旅行代のほうがなおいいですが)の総額です。 できればこの数字はジャーナリズムで調べてほしいところです。
その数字を調べて、『出張費のX%は実質的な給付だった』とやれば説得力が飛躍的に増すんではないかと思います(いまの数字からの想像だと50%を軽く越しそうですが・・)
2)『量的緩和政策解除の前の株式ファンド解約だから、世間の疑いを買うに十分であり、これに気づかぬ何たる愚鈍。こうしたうす汚い人物は』
<愚鈍>と<うす汚い>は言葉としてはまったく別のことで、総裁にあてはめたときに、アンドというよりオアの可能性が高いを私はおもっています。 で、
<解約>が<愚鈍>と<うす汚い>にどのようにつながるかが文章中明確でありません。それにもかかわらず、<愚鈍>を<うす汚い>に置き換える。これはすりかえ、つまり騙しによく使われているレトリックであり、この種のことが私が元原稿を『扇情的』と感じるところです。
短い文章だから難しいことだとは思いますが、であるならばどっちか一本に絞って押すとかできないもんでしょうか?
以上、気になった箇所の一部を改めてコメントしてみました。幾許なりとも参考になれば幸いです。
P.S. 当方1024*768 左側にツールバーを縦にしている画面で閲覧しています。
「尊大」とは控えめに言ってみたものであり、正確にいうと、書き方として「失礼」なのですよ・・・、というようなことを延々と書いても生産的ではないので、批判の文章の書き方について考えてみました。
本題に関するshoushiminjpさまのご指摘二点は、文章を書いた私からすると、「なるほど」という感じもすれば、「事実かつ正論(論旨自体にご反論はないようなので)なのだし、細かいことにこだわるなあ」という感じもするわけですが、ここで、私の文章の本来の目的が反対の意見を持っている人の説得にあることを思うと、たとえば、「愚鈍」と「うす汚い」が共に正しくても、その並べ方に気を遣うべきだ、というようなことに思い至ります。
思うに、批判を意図する文章を効果的に書くためには、反対の意見を持っているような読み手が、「これは正しいので、仕方がない」と思うようなトーンで書くことと、論旨以外で揚げ足(たとえば文章が乱暴だとか)を取られないように書くことが肝要です。
私のもともとの文章でいえば、トーンを抑えた方が効果的に内容が伝わったと考えることが出来るでしょう。(もっとも、私が期待したような「福井は辞めて当然だ!」と思っているような読者には、少し乱暴な文章の方がウケたかもしれませんが)
shoushiminnjpさんのご指摘のコメントでいえば、「自分でお思いになれませんか?」というような<お前、理解できないのか?>と言っているような取られ方をしかねない語尾ではなく、「ご自分でもお思いになりませんか」とへりくだって書くくらいの用心深さ(私に対して敬語が適当だというのではなく、そちら側のある意味で慇懃な周到さとして)があった方がいいのでしょう。
以上、私の側では、「批判の文章は、多角的に目配りして、抑えめに書く方が効果的だ」ということを教訓として理解しておきます。
とても根本的なことを書いたつもりだったのですが、あれだけ書いてまさか、『論旨自体にご反論はないようなので』と書かれるとは。
ロジックとは表面的なことは伝わっても、以外と意図は伝わらないものなのですね。 一方、感情だけ伝わっても無用な軋轢になったりするものですし、どうしたらよいのか・・・。
あまりヒートアップしたくはないので、一時撤退します。
うーん。確かに、お互いに満足するように意見を伝えるのは、なかなか難しいことです。
やりとりの中でロジックというと、どうしても、形式的な論理や、因果関係になってしまいます。私の側では、「事実自体に間違いはないし、私の文章が雑ではあっても、矛盾を指摘されたわけでも、何でもないので、ロジックと言われてもねえ」と思うわけです。
(1)旅費の過剰請求がだらしないこと、(2)福井総裁が辞任に値すること、(3)両者が通底していると推測することが不自然でないこと、については、何らご反論されていないと思うのですが、ちがいますか?
根本的なご指摘とのことですが、1)の過払いされた旅費と対象人数は日銀の公表資料からのもので、それ以上の推測を根拠無く書いて、批判したわけではありません。
また、2)の「愚鈍」と「うす汚い」は、筆者は、愚鈍でもあるし、うす汚くもある、と思っているのであって、「愚鈍」を「うす汚い」ことの根拠にしているのではありません。ただ、「うす汚い」ことは辞任に是非とも必要な条件ではありませんから、ご指摘のように、一本に絞る方が文章としては効果的かも知れませんね。
そもそも、文章を解釈する際の土台になる、何が「自然だ」と思う感覚は、現実的には、もともとの意見が異なると随分変わると思います。
私は、福井総裁は辞任しないことはそれ自体でかなり悪いことだと思っていますし、日銀の組織は、相当にたるんでいるのではないかとの印象を持っています。一方、shoushiminjpさんは、他のコメントもお読みすると、マスコミ(いい加減なコメンテーターに象徴されるような)が日銀を叩いて、総裁が辞めるというような事態があるとすれば、これに対して苦々しく思われるような感覚が(なぜかは分かりませんが)おありのように推察します。
まあ、もともと、私の文章自体が、「ヒートアップ」に値するほどの価値を持つ題材ではありませんので、気にされないでください。
「一時撤退」とのことですが、本ブログのコメント欄でも、あるいはメール連絡先にでも(yamazaki_hajime@@goo.ne.jpで大丈夫だと思います)、いつでもご意見は歓迎します。
但し、公金の管理に私的なローカルルールを勝手に作って運用してはならないのであって、そこがトップからして卑しいのは組織として信頼性を欠きます。簡単に言えば公金横領ですよね。
小泉総理もその問題を追及できないのは既に精神的にレイムダック化した証拠ですし、辞め時でしょう。ご自分の限界を悟って再選されないというのは少なくとも今までの総理にはない潔さでしょう。
それはそれとして本件は山崎さんの仰るとおりの「不潔な」話だと思います。
どちらの雑誌か存じませんが、いわゆる業界誌の世界の話でしょう。○○経済新聞を含め、業界誌というのは業界の発展の為に存在するのであって、業界の発展とは業界が沢山お金を集められる様にすることであって、社会の正義のために等とか何とかとはついでの世界です。いわゆる一般(?)のマスコミとは建前からして違うものでしょうが。
お話の編集長はまさに業界誌の華であって金稼ぎのじゃまになる事はしないと言う商人としての本質をいってますよね。トヨタが良い自動車を売るのと同じと思います。ただ商人と言ってもトヨタと違って、チンケな小商人根性の段階なのは少々残念ですが、やっぱりチンケな小商人根性でないと運営できないチンケな雑誌なんでしょう。
今は、山崎さん達がこうやって、正論を流して下さるおかげで我々もチンケな業界誌ばっかりの中から確かな情報に気がつく事が出来るのは有り難いことです。
しかるべきところで適当なお話をして金を稼いで、こういうところで頑張っていただいて少しでも世の仲良くなるように宜しくお願いいたします。
表現には色々あって内容の本質に触れる問題でなければ私は ま、いいやと思うのですけどね。
コメントありがとうございます。
文章について、ああだこうだと言っていると(私も自分の文章なのでつい・・)、事実を忘れそうになりますが、要は「日銀には問題あり」という事実が重要ですね。
私は、もともとも現在も、日銀の全てがダメだとは思っていないのですが、組織のあり方や雰囲気には疑問を感じます。
尚、話題のきっかけになった雑誌の編集長さんは、残念ながら、そう「金儲け」になっているわけではなく、雑誌の発行元の組織に対する圧力に弱い立場にある(つまり、ジャーナリストでなく、サラリーマンとしては、同情できる)ことを付記しておきます。要は、ジャーナリストに無理矢理祭り上げておいてから、「腰が引けている」「腐っている」と叩き落とすには忍びない立場の人なので、雑誌名は匿名にしました。
もっとも私の若い頃であれば、激怒して、雑誌名・編集長の実名を出していたような気がするのですが、そのように「怒らない」(怒る元気がない?)ことが、いいことなのか、わるいことなのか、は、自分でも良く分かりません。