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ホリエモン・ブログに思うネットの「野暮」と「粋」

 通称ホリエモンこと(ご本人は「takapon」と仰っているが)堀江貴文氏がブログを再開した。ご存じの方が多いかも知れないが、「六本木で働いていた元社長のアメブロ」(http://ameblo.jp/takapon-jp/)というタイトルで、アメーバ・ブログを使っている。ほぼ毎日更新されていて、なかなかアクティブだ。
 彼は重大な容疑での刑事被告人であり、法的あるいは倫理的にたぶん何らかの非があるのではないかと私は思っているが、それと、新しいブログとには重大な関係はない。発信する自由と、受け取らない自由の、双方の意味でネットの世界では「自由」が重要な価値だと思うが、この観点で判断すると、彼がブログを書いていることは非難にはあたらないと思う。堀江氏のブログが不愉快な人はこれを見なければいい。
 コメント欄が誰かによって管理されているのかどうかは知らないが、「堀江さん、あなたは、意見の発信などする身分ではない」とか「キミは極悪人だ」というような幼稚な非難を書き込む人がいるとすると、これはお門違いだし、両者の関係を見ると「見苦しい」(嫌なら見なければいいのであって、わざわざ寄ってくることが、対人関係上は恥ずかしい)。その場の文脈で議論として意味のある場合を除くと、彼のブログに、単なる堀江批判や罵詈雑言を書き込む人は、堀江氏の知名度に嫉妬しているのだろう(嫉妬を見破られることは、一般にかなり恥ずかしいことだ)。
 実は、私の現在のブログの運営方針は、堀江氏のブログの影響を受けている。
 ライブドア時代の彼のブログは、コメント欄を(たぶん)ほとんどオープンにして、読者に好きなことを書かせながら、彼のペースで進行していた。
 当時、私は、彼のブログを読みつつ、これがネットの作法なのかも知れないと思ったし、ある意味で「粋」ではないか、と思った。「そうか、ブログは、こういう具合にやるものか」と思ったので、私は、このブログのコメント欄を概ねカキコミ自由にして解放している。
 ただ、堀江氏のブログのようなスタイルが、積極的に「粋」と言えるのかどうかは、かつても今も、自信がない。ある程度自信を持っていえるのは、閉鎖的なブログが「野暮」だ、ということだ。
 ネットのコミュニケーションの基本は、不完全ではあっても多くの人が情報(意見も含む)を持ち寄り、お互いが他人の貢献とネットという場に感謝することだろう(再び言うが、嫌なら、見なければいい)。この場の状況を理解せずに、議論でなく力んで他人を批判したり、物事を決めつけたりするのは、ネットのコミュニケーションにとってネガティブだという意味で、場をわきまえない振る舞いだから「野暮」なのだ。
 もっとも、粋とか野暮とかの難しいところは、相手や事柄を「野暮だ」と口に出して指摘すること自体が、相当に「野暮」であることだ。出来れば、お互いに言わずもがなで分かり合うのが「粋」だ。
 あるいは褒めすぎかも知れないが、ブログに於ける堀江氏の長所は、自分に対して割合に客観的で、場合によっては自分を笑いの対象にする余裕があることだ。自分は偉くて、自分の主張こそが正しいのだと力んでいる文章に較べると、二分法的には随分「粋」だ。最近彼が書いている、「技術が経済のパイを拡げるって話」とか、「夢精の話」とかの「内容」には、そう感心するわけではないのだが、彼の文章の書き方は案外クールだ。
 具体例に引いて恐縮だが(許可も取っていないし)、当ブログによくコメントを書き込んで下さるペンネーム「作業員」さんのコメントは、時に激烈だったり、一見乱暴だったりするが、「自分が偉そうにしていない」ということが読者によく分かる点にあって、「粋」に分類できると思う。
 もちろん、ここで言う「野暮」と「粋」は、議論の文章の内容そのものとは直接に関係のない話で、野暮だけれども意味のある、感謝したくなるような内容のブログやコメントも世の中には多数ある。
 主にブログに関係して、「野暮」と「粋」の別を二分法的に考えてみた。異論や追加があれば、ご教示いただきたい。

1)カキコミの制限→野暮、自由なカキコミ→粋
2)実名の要求→野暮、匿名(ハンドルネーム)の許容→粋
3)自分が成功した(自慢)話→野暮、率直な失敗の告白(自虐)→粋
4)アフィリエイトの利用やバナー広告→野暮、無償の運営→粋
5)話の流れに関係ない話題→野暮、話に関連のある意外な話題→粋
6)一方的な批判→野暮、自説を批判の可能性に晒す姿勢→粋
7)詳細なプロフィール→野暮、控えめな自己紹介→粋
8)筆者自身が写り込んだ写真→野暮、話題に関連した写真や絵→粋
9)熱い議論→野暮、冷静な議論→粋
10)罵倒→野暮、ユーモア→粋
11)匿名で「どなる」→野暮、匿名を意識して謙虚→粋
12)徹底的な議論→野暮、センスのいい問題提起→粋

 最後の項目に関して一つ補足しておこう。
 実は、JMMでは村上龍編集長の方針で、メルマガ上で、寄稿者同士は直接議論しないことが暗黙のルールになっている。「JMMは、問題の提起までが目的で、結論を出すことまでは、この場に求めていません」というのが、いくらか記憶があやふやだが、村上編集長の動かない方針だった。(編集長が、以前に運営されていたホームページの教訓を生かしたものであるらしい)
 当初、この方針に「食い足りない」と思うことが私も何度かあったし、他の寄稿者もそう思ったことは一度ならずあると思う。
 しかし、後から振り返ってみると、JMMが「熱い議論の野暮な場」になって、後から後悔や倦怠感が漂うよりも、寄稿者と議論が適度な距離を取り合う方が、気持ちよく長続きできたのではないかと思う。今では村上氏の設計(粋なはからい?)に感謝している。

 私のブログの「野暮:粋の比率」は、野暮が少し高めだろう(管理者が田舎者だからだ)。野暮は、急に治るものではないが、もう少し「粋」に傾けようかなあ、とここのところ思うことが多い。。
 九鬼周造の「『いき』の構造」によると、「野暮と化け物とは箱根よりも東に住まぬことを『生粋』の江戸児は誇りとした」という。ネットの世界は、西も東も関係ないので、いろいろな人がいるなあ、というのが、当面の感慨だ。
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コメント
 
 
 
Unknown (店子)
2008-08-29 10:42:16
店先に野糞やゲロを放置しておくのは、少なくとも粋ではないと思いますが?
 
 
 
Unknown (山崎元)
2008-08-29 11:05:05
店子さま

ごもっとも。確かに、野糞やゲロは掃除が必要でしょう。「粋」以前に「息」ができないし。
 
 
 
ひとことでいうと。 (CHNPK)
2008-08-29 11:54:21
その行為に対して迷いがないもの⇒粋、構造的な矛盾や迷いを内包しているもの⇒野暮という定義はいかがでしょうか。
 
 
 
コメント欄について (喜八)
2008-08-29 12:17:11
山崎さん、こんにちは。

「野暮」でもかまいません~(笑)。
以前、私は自分のブログに書き込まれた全てのコメントに返信していました。
そして「全てのコメントに返信」するのが不可能になって時点でコメント欄を撤去しました。

忌憚なく申し上げますと・・・。
あるコメントには返信するが、別のコメントには返信しない。
これは「敢えて自分から『敵』をつくる」行為に思えてならないのです・・・。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2008-08-29 12:27:40
CHNPKさま

迷いがないけど押しつけがましくないもの→粋、
矛盾を内包しているのに断定的なもの→野暮、
ではないでしょうか。

そういえば「勇ましいものはいつでも滑稽だ」という台詞が小林秀雄の名言集の帯にありました。これが、自分の若い頃の文章を自分で評して言った台詞なら、相当に粋だと感心しますが、そうではないようです。

ついでに、「箱根の山」よりも西の人のものですが、将棋の升田幸三氏に「強がりが雪に転んでまわり見る」という、自分のことを詠んだなかなか粋な句がありました。自分のことをいつでも軽く笑えるような態度は「粋」でしょう。
 
 
 
コメント欄への対応 (山崎元)
2008-08-29 13:34:35
喜八さま

こんにちは。喜八さんのブログは時々拝見しています。

さて、コメント欄への対応ですが、コメントの数が増える場合もあるので、全てに対応する原則は物理的に無理ですし、私は、全てへの返信については、気にしないことにしています。

私は「バーかスナックのカウンターの中にいて、客とよくしゃべるオヤジ」というくらいの立場でやっているつもりなので、話しかける相手がなるべく偏らないようにとか、多少の酔客の面倒も見る(ことがある)というくらいのつもりでやっています。

最初は何となくバーくらいのつもりでしたが、力の入った長文のコメントが多いことなどを思うと、店のオヤジも歌うカラオケ・スナックのような店になっているのかもしれません。

基本は飲み屋なのだから、店のオヤジが全ての客と話さなくても、お客は、飲んでいけば、それでいいではないか、と思うことにしています。(「ただ飲み」ならぬ「ただ読み」なわけですしね)

「愛想のないオヤジだ」と思われるとお客を失うわけですが、一人営業の小さなスナックのビジネスモデルを考えると、手の掛かるお客が増えすぎるのも困りものです。

理想的には、客あしらいの上手い看板娘でも一人いるといいのでしょうが、そう上手くはいきません。

堀江氏の場合は、一つ一つのコメントを相手にすることはほとんどないので、お客を差別しない、敵を作らない、客数もこなす、という意味では上手いやり方なのかもしれません。

もっとも、私の場合は、もともと「話し好きのオヤジ」がはじめたことですし、書きたいことを書く場所は、幸い現在有り余るほどあるので、コメント欄のやりとりを全くしないのはツマラナイと思っています。

「カラオケ・スナック やまざき」としては、気のあったお客同士がそれぞれの持ち歌を気分よく歌って、仲良く盛り上がり、時々店のオヤジも歌う、というような展開になると楽しいので、ありがたいと思っています。

ただ、一つには私の選曲が悪く、流行物の割には内容的に重たい(「高級」ではなく「重たい」です)歌が最初に入るので、店のムードを勘違いして、「勝負」しなければならないとか、ケチをつけなければ面白くない、と思うお客が時々現れるようです。

場末のカラオケ・スナックでも、点数勝負が始まったり、対抗試合の様相をていしたりすると、殺伐とすることがありますね。

「勝負」といっても、実名の相手の暇な日記を相手に、匿名コメントで勝負を挑むのでは、将棋で言うと二枚落ちくらいの手合いなのに、酔っぱらうと変に真剣になる客がいるのは困りものです。元将棋部員としては二枚落ちもまじめに指しますが、指しすぎると、上手も疲れます。

(「平手」をお望みの方は、どこぞのメディアに実名で異論を書くか、直接の抗議や論争はメールでどうぞ)

マナーの悪い酔客への対応は、飲み屋と一緒で、なかなか難しいですね。「異論を封じようとしている」という誤解を与えないように、「あなた、場違いですよ」と伝えて、気付いてもらわなければなりません。私は、実生活で接客業や営業の経験がないこともあって、時々苦労します。

「お客さん、野暮だよ」くらいで分かってくれるといいのですが。

尚、実生活の私は、客としてカラオケ・スナックに行くことがよくありますが、選曲は、一昔前の安室奈美恵やドラゴンアッシュの歌など、至って軽めです。最近新曲の仕入れが滞っているのが残念なところです。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2008-08-29 16:29:30
誰の目にも触れる環境で、コメント欄を自由にしておいて、
「嫌なら見るな」ってのが一番野暮なんですよ。
ネットの使い方を理解していない人間の言い訳の典型です。
もう少し、色々とお勉強をなさった方がいいですよ。
 
 
 
Unknown (キブン)
2008-08-29 18:32:44
堀江氏のことは、
ミクシィでも散々、書き込まれているし。

メディアでも叩かれた。

でも、堀江氏が逮捕されたことを
詳しく説明できる人は少ないのだと思う。

フジ・サンケイグループであるニッポン放送の株を
時間外取引で大量に取得したとき。
フジテレビの対応は。。。。
上場企業と思えなかった。

株を買うのは、
「けしからん」みたいなイメージがついた。
株を買われて怒るくらいなら
上場なんて、
しなければいいじゃないかっと思った程だ!!!

記者がフジテレビの社長ではなく会長を追うのにも
違和感を覚えた。
普通なら、代表取締役なんだから社長にいくよね。
でも、現実は違った。
会長が、絶対的権力があるということを
テレビ局(フジテレビ)は証明したようなものだ。


楽天がTBS株を買ったときも然り。


日本という国は社会主義なのかとも思った。
社会主義には、「株」という概念がない。


上場している企業の株を買って、
怒られるなんて。。。。
世界的にも、きいた事はない!!!
それだけ、テレビ局は閉鎖的な組織なのだ。

堀江氏は、悪口いう人いるけど。
堀江さんが、近鉄買収に手をあげてなかったら
1リーグだったし。


株式市場というもの。
資本主義経済というものを
考えさせられるキッカケになったのは
良かったことだと思う。


堀江さんが、ブログ開設して興味はありますね。
やはり。
 
 
 
Unknown (平ちゃん)
2008-08-29 21:35:56
「野暮」「粋」は兎も角として、山崎様が山崎様に対する(言い掛かりのような、「ため」にするような)コメントまでそのまま掲載していることについては感服しております。

一方、山崎様に対して(言い掛かりのような)コメントを付ける方々については、もう少し自重されてもいいのではないのかと感じておりましたが、、、

、、、と言うのは、
山崎様は実名を明らかにしいるのに対して一方、コメントを付ける側は匿名でありなんら傷付く心配はなく非対称な関係にある( コメントを付け側に遥かに有利であり、コメントを付ける側が山崎様を挑発するようなミソクソな書き方をすることは「卑怯」なのではないのか? )

さらに、山崎様の専門は、社会における信用を第一にする商売であるから、コメント欄でのコメント者とのやり取りを通じて、不必要、なんの得にもならない信用低下を招き専門、「商売」にマイナスになりかねないリスクを敢えて冒していること( 山崎様に感服 )

本サイトにおいては、情報提供を専門とする山崎様から、「ロハ」で情報を聴くこともできるのだから、批判すべきところは批判するにしても、コメント者が礼儀を持って( あるいは、山崎様を持ち上げて )山崎様に対応をすること( 山崎様から気持ち良く情報を聴きだすこと )が「大人」の対応ではないのか(笑)、、、、( 山崎様にとっても、コメント者にとって、ハッピーな、お互い実利をも伴う関係なのではないのか? )

以上、(言い掛かりのような)コメントを付ける方々に対して、私が直接とやかく言う権利はない訳ですが、ただ、そうした(言い掛かりのような)コメントで山崎様が、本サイトに対しての「情熱」を失って、山崎様から情報を貰える貴重な機会が失われること危惧して一言。
 
 
 
Unknown (小太郎)
2008-08-30 00:30:59
最近はここ以外でも、その種のコメントをよく見かけるようになった気がします。今風の「モンスター・○○」で言うなら、「モンスター・コメンテイター」とでも言えばいいのでしょうか?w

そういう人たちのコメントを観察していると、「自分の意見が絶対。他者の意見はすべて誤りであり認めない」という極端な思考が根底にあるように感じます。それは裏を返すと、ある種の自己防衛なのかもしれません。

自己の現状等について、深層意識では否定しているものの、それを率直に認めることができず、自分自身すら騙すような極端な理論武装をすることによって、責任を自己から他者に転化して自己の精神を守っている、といった感じでしょうか?

山崎さんをはじめ、それに付き合わされる方々には申し訳ないような気もしますが、どのような偏った意見であれ、真っ向から否定してしまうのは、それはそれでやはりよくないと思います。

結局、遠くから見守る、あたりで折り合いをつけるのが、精神衛生上もよいのではないでしょうか。

せっかくですからもう一歩踏み込んで、観察・研究対象としてサンプリングし、詳細に分析してみる、なんてのも、やや悪趣味ですがおもしろそうですけどねw
 
 
 
野暮⇔粋 以前に (アベルフ・シンドラー)
2008-08-30 01:32:13
ゲスか、そうでないかが問題だと思います。
ゲスなやり口でさえなければ、野暮でもいいし、粋でもいいんではないでしょうか。

ブログ以前の掲示板が全盛だった頃、『新しい歴(中略)くる会』支持者の方々が多くの掲示板で下衆で迷惑な言動に及び狼藉を欲しいままにした、という歴史的事実があります。
彼らの狼藉ぶりに人々がドン引きしたことがひとつの大きな要因となり、教科書採択が低調を脱することが出来ぬまま、組織内利権をめぐって分裂と野合を繰り返し現在に至るわけですが、子供には見せられぬゲスぶりを発揮しつつ同時に子供の教育を語る彼らの教育の理想は『学校裏サイトによるいじめ』という形で結実しました。子供って奴は悲しいかな、時として大人の下衆なやり口を真似てしまうのです。
 
 
 
Unknown (は?)
2008-08-30 01:36:39
>>小太郎

それは考える方向が真逆なだけで、アンタらも同じ。
都合の悪いコメントが嫌なら、認証制にする、アメブロに移行する。いくらでも方法はある。
そういうこともせず、コメントに批判して善人面するのこそモンスター何とかだって。
 
 
 
世間のサンプル (Rum)
2008-08-30 02:34:27
以前「世界のナベアツ」のエントリーのところで、無粋を通り越している酷いコメントに対して胸を痛めていると書き込んだところ、山崎さんからお答えをいただきました。

①コメント欄を開けてブログをやっていると、ある種の歪みを伴うものの、「世間」のサンプル調査ができる。
②いろいろな人のコメントに対して、別の人がどんな反応を示すか、という点も時に興味深いデータを提供する。
③どういった文章が誤読されやすいかとか、妙に好反応か、といったことが分かることもあり、単に原稿を書いて本を出すだけでは分かりにくいことが、案外短期間で分かることもある。

そして『「世間とはこんなものだったのだ」と残念に思われる気持ちは分からなくもないのですが、全体としての世間を面白いと思って観察されるといいのではないでしょうか。私の率直な感想を言うと、世間はもっとダメなものだろうと予想していましたが、案外そうでもない、というものです。決して捨てたものではありません。』と言っていらっしゃいました。

なるほど、酷いコメントもなんらかの形で山崎さんの役にたっているということなら たまに胸が痛くなっても「残念だけどこれもサンプル」と思うことにしました。山崎さんのコメントは勿論いろいろな人のコメントもみなさんが(酷いコメントをされる方も含め)楽しまれていらっしゃると思いますので 参加するのであれば最低のモラルを守りたいと思います。そしてできれば粋で格好よくありたいですね。
 
 
 
Unknown (UNKNOWN)
2008-08-30 04:26:45
野暮=自分が自分が
粋=自分も他人

野暮=必死
粋=冷静

野暮=ベタ
粋=メタ(ネタ?)

 
 
 
ありがとうございます (喜八)
2008-08-30 21:38:22
山崎さん、こんばんは。

> こんにちは。喜八さんのブログは時々拝見しています。

率直に言いますが、大変に光栄です。
と、同時に冷汗三斗であります。(^_^;)
今後少しずつでもブログの質を高めるよう努力したいと思います。

おそらく「全てのコメントに返信」していた私は「やりすぎ」だったのでしょう。
当時そういう自覚もあったのですが、どうも小心なためか、「コメントを書いていただいた厚意に応えなければいけない!」という意識が強かったのです。
ただし、明らかな悪意コメントに対しては「ありがとうございます。今後の参考にさせていただきます」という定型の返信をしていました(はっきり言えば「コピペ」です)。

ブログコメント欄運営は難しいとつくづく思います。
特に、政治的なエントリの多いブログに対しては、明確な「破壊工作」が横行しているのが実情です。
悪意をもった複数の「練達者」によって工作をかけられたら、大抵のコメント欄は破壊されると思います。
コメント欄だけでなくてブログそのものを閉鎖する方も後を絶ちません(それが破壊工作者たちの目的なのでしょう)。

とはいえ、山崎さんの場合は心配ないと思いますが・・・。
佐藤優さんの影響を受けてしまうと、危険度はいっきにアップするかもしれません(笑)。

以上、詰まらぬことを書きつらねまして、失礼しました。
今後もご本・ウェブ記事・ブログを愛読させていただきます。
(「不美人投票」理論は投資分野だけでなくて、生活全般で活用させていただいてます)
 
 
 
Unknown (山崎元)
2008-08-31 00:08:32
皆様、コメントありがとうございます。

それぞれのコメント者と直接議論したいわけではないので、引用からハンドルネームを省略します。

>誰の目にも触れる環境で、コメント欄を自由にしておいて、
>「嫌なら見るな」ってのが一番野暮なんですよ。

>それは考える方向が真逆なだけで、アンタらも同じ。
>都合の悪いコメントが嫌なら、認証制にする、
>アメブロに移行する。いくらでも方法はある。
>そういうこともせず、
>コメントに批判して善人面するのこそ
>モンスター何とかだって。

何れも嬉しい印象のコメントからではないのですが、
背景を考えると参考になります。

アメブロに移行すると何かいいことがあるのかを私は全く知りませんが、(アメーバが雑菌を食ってくれるのだろうか?)たとえばこのブログは現在gooでやっていて、コメント欄を原則オープンにし、トラックバックを承認制にしています。(後者は自動で送られてくると見られるエロサイトのトラックバックが余りに多かったので、女性読者の要望もあり承認制にしました)

さて先の意見の背景には、ネット空間上の「所有権」に関する特定の意識があるように思います。

このブログの運営が、一種の飲食店のような「店」の営業だとすると、店を自分の土地でない共有地で開いて、戸締まりもしていない場合、ここは誰が何をしてもいい場所なのだから、大声も出すし、糞もするよ、という通りがかりの人間が居てもおかしくありません。

店開きする側にも、多少は注目されて、人に集まって欲しいと思っている弱みがあるし、仕方がありません。

現実にも、街から遠く離れた自然の中で、楽しそうに炊事遠足やパーティーをしていたら、地元のチンピラもどきに絡まれた、というような事態なら実際にありそうです。

まあ糞をしていかないまでも、大音響を鳴らして自動車で近くを通り過ぎる、というくらいのことはありそうです。

運営側や既存のお客様は、「嫌なら来なければいいのだし、 威張ったカキコミはバカに見える訳だし、本人にとっても時間の無駄だろう」というくらいの弱い期待を持つことはできますが、バカ且つヒマ人が多数やって来ると、しばらくムードが変わるのは仕方がありません。

このブログが今まで「炎上」にも閉鎖にもいたらない理由は、
A)幸運であることと、
B)運営者があまり有名でないこと、
C)「良い」コメントの数が多く、
  内容の乏しいコメントが書き込みにくいこと、
の三点でしょう。

もっとも、ブログの運営にはもっと工夫が必要かも知れません。

可能性として、
1)コメントの承認制への移行、
2)コメントの強制削除の頻繁な実行、
は何れも「野暮」なので私は嫌ですが、場合によっては考えるべきかも知れません。

コメントの選択的且つタイミングのよい削除は大変ですし、自分では手が回らないからといって、秘書などに任せるわけにも行きません。この点では、堀江氏のように、コメントをおおらかに放置して、エントリーだけ書き進むという方法があります。これは一つの方針でしょう。

しかし、そうするとコメント欄の良心的投稿者にとって、居心地のわるいコメント欄になることが心配です。

ただコメント欄を全く閉鎖してしまうのなら、私としては、ブログをやるべき積極的な意味がありません。

ブログは全く原稿料を生まないし、経済合理的にはブログ自体を止めてしまうのが、いいのかも知れません。著書と本人を宣伝する自己紹介ホームページでも、別途作ればいいでしょうし、その場合どこかのブログの枠組みを使えば、自分でもホームページが簡単に作れそうです。

あるいは、
3)他の場所にブログを移す、
という選択肢があるのかも知れません。
ただ、この場合どこのブログにどんな特色があって、何がメリットになるのか私はよく分かっていません。
また、できれば、最初に声を掛けてくれたgooに対する義理を立てたい。

また、
4)エントリーの書き方も、
変えた方がいいのかも知れません。

たとえば将棋の渡辺明竜王のブログのように、長くないエントリーを頻繁に書くほうが、別の媒体の原稿との競合を避ける意味でも、いいのかも知れません。たとえばブログに長いエントリーを書くのをやめて、
ネットに原稿を書くたびに、要点とURLを紹介するというような方法は考えられます(なんだか宣伝屋みたいで気が進みませんが)。

このブログの運営方法については、もうしばらく考えてみることにします。

もちろん、ご意見・ご提案を歓迎します。
 
 
 
すごく穏やかな異論 (通りすがり)
2008-08-31 03:52:52
野暮→下品→炎上→サイト閉鎖。

ソニーのウォークマンのサイトが炎上したのは、記憶に新しいですね。読者がバイラルマーケティングを行っている事くらい分かって、それを楽しんでいた。
問題がマーケから「やらせ」→野暮を通り越して下品になってしまったことで炎上してしまった。
ソニーの対応のまづさにソニーファンは怒りを感じたのでしょう。行った行為よりも、その後の対応のまずさに。
マッケッターはどのように「言い訳」、「謝罪」をしたのでしょうかね?
「いき」→謝罪。「野暮」→言い訳かの違いは、記事を読んだ個人が、どちらに感じるのかの違いでしかないのでしょうね。
いきの構造的では、「公共圏内の好意的解釈、否定的解釈は「いき」を好むか、野暮を好むかを自由に選ぶことの出来る、個人の判断(感覚)である。」と。
判断は両極にある概念を昇華した上で事物を見ることが出来るのであれば、「いき」と云うことになるのではないでしょうかね?

バイラルを仕掛けられても、それを承知で商品を購入すれば、実に「いき」な奴です。どちらか一方向でしか判断できないとすれば「野暮」ですかね。

星野ジャパンが儒教的倫理観(非合理性)でずいぶんとバッシングを受けてますが、経済的側面(合理性)で星野ジャパンを見ればWBCは星野氏であると云えるのでは?WBC監督になるかどうかは別として、どちらが好きか、嫌いか、好むか、好まないか等、対極で、判断でなければ、「不意気」と云う事ではないでしょうか?。
一昨日のコメントに「星野!頑張れ」と書きましたが、悪意で書いた訳ではありません。知識人である山崎氏が大勢迎合のブログを再生産させる装置として機能していることに、少々「さみしい」と思ったわけです。最後あたりに「さらり」と「いき」な文章で締めくくって戴きたかった。余計なお世話ですね。

私が「粋」だと思った面々。
野暮⇔粋 以前に (アベルフ・シンドラー) →頭良すぎて山崎さんに嫌われるタイプ(笑)
Unknown (は?)→論理的に書けば一番確信を突いた意見だと思いますよ。
世間のサンプル (Rum)→新たなマーケティングスタイル?。怖いですね。わたしもサンプルですかね?

ご意見・ご提案を歓迎します・・・を真に受けて書きますね、ブログ運営方法の方向性。

■web1.0からweb2.0へ移行。
結論は、主体が山崎氏であるならば、現在悩まれて問題の解決には至らないと思いますよ。合理的運営方法を模索すれば、制限事項が付き纏う。これでは、山崎さん面白くないんですよね?
web2.0の基本は主体が運営者ではなくて、暴論を吐く書き込み者も含めて、主体は読者だと思いますよ。
暴論を吐く方も山崎さんの記事を読んでいるのですから。嫌なら山崎氏の意見に同調・賛同する方々が、SNSで話し合う。最高につまらないことになると思いますが?内輪だけの意見交換なんて、「野暮」でしょ?。

■おだやかな解決方法。
主体が読者であるならば、暴論か否かは読者が決めれば、よろしいのでは?例えば、私のようなものを排除するのであれば、コミュニティーの総意によりこの意見は削除されましたと・・・。(え、この意見が削除対象ですか?)
両極にある意見が一番健全で、楽しいと思いますが如何でしょうか?
 
 
 
お店の魅力 (Rum)
2008-08-31 05:48:07
「カラオケ・スナック やまざき」は店主さんの途中でも聴ける上手な歌や粋な会話がほかのお店と違う魅力なので、それがなくなってしまうとしたらとても悲しいです。

野暮なお客さんも、自分がなぜこのお店が好きなのかちょっと考えてみるといいと思います。
 
 
 
リメンバー ホリエモンは犯罪者 (怒助兵衛)
2008-08-31 18:55:04
堀江さんに関しては、恨み事をコメントしたくなる人は大勢いると思いますよ。
彼は嘘のIR、粉飾決算を連発して、多くのライブドア株主を食い物にしたわけですから。
一見わかりづいらですが、手口が巧妙な詐欺師です。(経済が専門の山崎さんには釈迦に説法ですね)
人間そうそう粋にばかりはふるまえませんよ。
罵詈雑言のコメントした人は、知名度に流されず、ホリエモンの犯した犯罪をしっかりとおぼえているという点では粋ではないでしょうか。
 
 
 
堀江氏のブログ (山崎元)
2008-08-31 20:14:06
怒助兵衛さま

私は、堀江氏には、少なくとも経済倫理的な問題があったと思っています。また、彼は、違法でなければ何をやってもいいでしょうという言い分を持っているでしょうが(私の推測にすぎませんが)、だとすれば、法律に引っかけられるのなら、ゲームに負けたのだから仕方がないと思うべきでしょう。ただし、「それは、それ」で、現在のブログとは基本的に関係ないのではないでしょうか。

一方、堀江氏自身は、たぶん「批判でも何でも人が来るほうが、来ないよりもいいでしょう。ネットなんだから、アンチもバカもページビューですよ」というくらいに思っているのだろうと思います。

それも一つの割り切りかとは思いますが、それに加えて、第三者的に眺めると、堀江氏のブログにわざわざ出かけて堀江氏を罵るコメントを書くのは、人間対人間の関係としてみると、書いている人の側に一種の卑屈さを感じます。

文句があれば、堀江氏に直接メールでも出せばいいし、他人にそれを訴えたければ、自分が使えるメディア(たとえば自分のブログや新聞の投書欄)で非難すればいいのではないでしょうか。

ところで、最近の堀江氏のブログのコメント欄を見ると、妙に堀江氏礼賛のカキコミが多く、罵詈雑言的な批判が殆ど見あたりません。ブログの読者には彼の支持者が多いとしても、メディアによる彼のブログの取り上げ方や、彼に経済的に恨みを持つ人の数を考えると、少し不自然に浄化された感じがします。

特定の雑菌を食う「アメーバ」がバックグラウンドで働いているのかもしれません。
 
 
 
Unknown (しげる)
2008-09-01 20:18:37
理屈っぽい → 野暮
短い言葉で直感的に納得させてしまう → 粋

次のように言い換え可能かもしれません。

やりこめる → 野暮
短い言葉で感心させてしまう → 粋

粋でありたいものです。
(自分は山崎さんのブログを楽しく読んでいるほどの野暮です。山崎さん、嫌味ではありませんので気に障ったらご勘弁を。)

そして残念なことに・・・

野暮 → もてない
粋  → もてる
 
 
 
人間万事塞翁が馬 (とおりすがりん子)
2008-09-02 01:52:26
Where there's smoke, there's fire.

傷ついた心を自己弁護に費やすことは読者としても辛いです。
返信の文章は「粋」にお願いします。

本文から
議論でなく力んで他人を批判したり、物事を決めつけたりするのは、ネットのコミュニケーションにとってネガティブだという意味で、場をわきまえない振る舞いだから「野暮」なのだ。
 
 
 
雑菌を食う「アメーバ」 (ぎんえもん)
2008-09-02 12:04:42
ホリエモンは粋かもしれませんが、アメーバブログは全然粋ではありません。
以前、自殺したアナウンサーのブログが不自然に更新されていて話題になってます。

>芸能人に金払ってブログ書いて貰ってるような糞会社だから
>妙な仕組み仕込んであんだろ
>自殺という予定外の事件があってもそれが作動し続けてると

>アクセス数に応じて反映される自演スクリプト稼動しっぱなしwwww
>当然お悔やみもスクリプトで削除されるように仕組まれていた。
>なんて準備が良いんだw
>誰かお悔やみをローマ字であげてみろ。

こんな野暮な仕組み無いでしょう。
 
 
 
私も一言 (駒込っ子)
2008-09-02 18:35:49
野暮=長文 粋=文間で読ませる
 
 
 
「世間 野暮と粋」 (世間研究家)
2014-03-29 06:00:08
初めまして。「世間 野暮と粋」のGoogle検索だと2014年3月現在、ここが1位にヒットしており、初コメントさせていただきます。

日英通訳の真似事を仕事の一部にしておりまして、職業柄、英語だとどういうかな、と考える事が多いのですが、「粋」は英語だと"Cool"に近い気がします。

一時期、「Cool Japan」を世界に売り出そうとして、「粋(いき)」を説明しようとしたようですが、粋を説明しようとするのは野暮な事である事に気づいて、駄目だったみたいですね(^^♪
 
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