評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
量的緩和政策に対する評価など
量的緩和政策とその解除については、相変わらずメディアでの言及も多いし、私も(私は、いわゆる「エコノミスト」ではないのだが)見解を求められることがある。また、このテーマに関しては、楽天証券で、秘書的な仕事をしてくれているTさんが、雑誌の記事などをピックアップしてくれるので、しばしば他人の見解を見るのだが、最近のもので面白かったのは、「週刊エコノミスト」4月18日号の伊藤隆敏氏と香西泰氏のご意見の相違だ。
伊藤隆敏氏は、01年3月以降、日銀が大量に資金供給したのにインフレにならなかった理由として、それだけデフレ期待が強かったからだとして、もっと早く日銀がETFやREITなどを大胆に買うべきだったと言っておられる。しかし、貸し出しが伸びなかったのは事実だと認めた上で、だからと言って「量的緩和政策を実行しても意味がない」ということにはならないと述べておられて、それは「期待に働きかけた効果が大きいから」と説明されている。また、興味深い別の論点として、「私は、資産価格を目標に金融政策はとれないという意見です」と述べ、「もし、ミニバブルすら絶対に阻止と日銀が行動すれば、またデフレに戻るでしょう」とも言っておられる。
対して、香西泰氏は、物価については、景気の回復が物価に反映されるのであって、金融緩和だけで物価は上昇しないと述べておられる。また、03年、04年(デフレが続いている時期である)の景気回復について、「企業のリストラ成功の結果」と述べておられ、03年6月の日銀短観で大企業・製造業が、売り上げ・輸出共に減少を予想したのに、経常利益は前年比十数%増になったことが印象的だった(減収しても利益を上げる自信を持ち始めた事例として)と述べておられる。また、「物価さえ落ち着いていたらバブルが起きてもいいのでしょうか」と述べて、CPIだけを見る金融政策はバブルを助長しやすいことに警告されている。
何れのご意見にも「なるほど」と思わせる点と疑問点があるが、私の意見は、香西氏のご意見に近い。
伊藤氏の発言の中で、速水前日銀総裁がわざわざ「効果がない」と言って導入したのだから、市場や国民はデフレが解消すると思わなかった筈だという指摘は、その通りだと思った。確かに、政策を打ち出す本人が効果を打ち消すのではいけない。当時、ある知人との議論の中で、インフレーション・ターゲットについて、一番反論しにくかった意見は、「仮にダメでも、害がなければ、一回やってみるといいじゃない」というものだったことを思い出した。
もっとも、ETFを買ったり(形を変えた株価買い支えである)、REITを買ったりといった、日銀の資産市場への直接介入には、どうも賛成しにくい。私は、一方で、資産バブルを起こすことに対しては警戒的なのだから、公的介入に対する賛否に「買い」と「売り」で非対称性があるとの批判が可能かも知れないが、たとえば、銀行からマーケットインパクト無しで持ち株を引き取ってやるような日銀の株式買い取りには賛成できない(たとえば、銀行が普通の市場参加者として株を売ってくれれば、当時これから投資に参加する個人は株をもっと安く買えたのだ)。
香西氏の発言で、金融緩和の弊害として「M&Aが簡単に行えるようになったこと」を挙げておられる点には賛成できないが(上場しているのだから、やりたいものは、やらせていいではないか)、その他の、①金融緩和だけでインフレになった訳ではないこと、②企業業績の好転がその後の景気回復に大きなプラスとなっていること、③資産価格にも注意が必要なこと、については概ね賛成だ。
①金融緩和が、特にゼロ金利まで至った後に、これだけでインフレを起こすことが難しかった、という香西氏のご意見は、現実に近かったのではなかろうか。少なくとも、金融政策の波及経路と効果は、ゼロ金利以前と以後とでは異なるのではないだろうか。
当ブログにご意見を寄せてくださった「韓流の好きなリフレ派」さんのご指摘では(「リフレ派を批判した山崎元氏のその後」へのコメント参照)、「貸し渋り仮説」はもうだれも支持しないとのことだったので、私は恐縮して、参考文献(「論争 日本経済の危機」)を読んでみた。確かに、「貸し渋り仮説」は銀行貸し出しが伸びなかったことの説明として少なくとも弱いように思われた(同時に「追い貸し仮説」は話にならないくらいリアリティーがない。銀行側で資金に余裕のある時に、追い貸しをするからといって、優良プロジェクトへの貸し出しが抑制されるはずがない)。
この状況で強調されるべきは、むしろ「(優良な借り手の)借り渋り」であったろう。これは、企業のキャッシュフローのポジションが高水準だったことに対応するが、その原因として、デフレ(物価下落)期待も一部あるとしても、企業が優良プロジェクトと確信できるような投資案件に対応する需要・アイデア・積極性が企業の側に無かったことではなかろうか。もちろん、デフレによる実質金利の高止まりは、投資抑制的に働くが、今回の実質で2-3%かというような金利状況であれば、企業にとっては、この前後の1、2%の実質金利の差よりも、プロジェクトの採算性に対する自信の方が大きな影響を持ったと思う。バランスシートの整備や自信回復にかかる時間や、新たな需要(たとえば薄型テレビとか)の発見と対応にかかる時間など、実物的要因が大きかった(「外需」という幸運とともにだが)のではないだろうか。
但し、当ブログに飯田泰之さんが寄せて下さったコメントのように、例えば通貨発行益を財政再建に使うような形で、資金供給に対してこれに見合う需要の追加を富の配分上は比較的ニュートラルな形で行う方法があり、いずれは政府と中央銀行がインフレを起こすことが出来ることを強調して、期待に働きかけたなら、問題がもう少し早く片付いた可能性はあっただろう(少なくとも速水さんの嫌々方式よりは・・)。
03年、04年と企業業績がデフレ期待が存在する真っ只中で回復したことは、相当程度企業の自律的な回復と評価していいのではないだろうか。その後、企業は、設備投資、人材採用と総需要拡大に貢献しているから、今回の景気回復が、外需(幸運だが)と共に企業の利益回復が主体の景気回復であり、その前に、企業活動の低迷による不況(ひいてはデフレ)の側面が色濃くあった、という考えは自然ではなかろうか。
この点、「韓リフ」さんのご指導によると、企業の構造問題が不況の原因だという説は今や誰も採らないとのことで、ここでも、先の参考文献(「論争・・・」)を読んでみた。同書の野口旭氏の論文(第二章。これは小気味よくてためになった)によると、この時点で、構造問題が不況の原因とする考えの実証研究は、宮川氏によるTFP(全生産要素による生産の効率性。どうも、この概念には馴染めないが・・)をベースとしたものが唯一に近いものらしく、これが成功していないこと(私も成功していないと思った)で、「供給要因が不況の原因ではない」ということになるらしい。(この辺り、2004年の本を、今読んでいるようでは、いかにいい加減な「評論家」でも些かいけない)
この辺りは、正直なところ「TFP」に馴染んでいないので、自信を持った議論が出来ないが、企業側の要因として重要だったのは(企業側の要因を不用意に「供給要因」とも呼んだ私の用語法は不適切だったかも知れない。企業が需要に与えた影響は大きかった。但し、それは供給側の改善による利益回復が波及したものだということではなかろうか)、バブル崩壊の影響による業績下落からの自信回復や(また、企業の株価自体、90年代を通じてなかなか十分には下落しなかった)、これまでのものの生産性改善よりも次の需要の発見までに要した時間、さらに積極的な経営展開に要した時間(過去に失敗した経営者が居座ると、過去の清算と否定、新しい経営への展開は確かに難しい)などが必要だったのだろう(「素早い清算」が出来れば、早期の回復に貢献したはずだ)。もちろん、この辺の議論には、最終的に、どのようなデータでこれらの仮説を実証するかという大問題がある(だから、TFPによる研究も立派な業績なのだと思う)。
そこで、重要になるのが、③の資産価格の問題だ。90年代の経済低迷の大半は、バブル崩壊による資産価格の急激な下落(これこそ、不連続な変化だった)と、これを消化するのに企業も消費者も時間が掛かったことではなかったか。80年代の後半、株価も地価も余りにも高すぎた。
ここで、たとえば日銀が、物価、実質金利、資産価格のそれぞれを巧みにコントロールできる方策があるわけではないが(ちなみに、資産市場のミスプライスは大規模且つ長期的に継続しうる)、資産価格にも考慮が必要ではないかという点で、先の「週刊エコノミスト」の両大家のご意見については、香西氏のご意見により多くの共感を感じる。
但し、香西氏のおっしゃる金融政策の柔軟性も重要だとは思うのだが、予測可能性の向上や、金融政策が恣意的に民間経済に介入しないようにする制度設計(どのようなルール化がいいのか私には未だ分からないが)も必要に思える。インフレーション・ターゲットないしはその変種も、そうしたルール化の一つの候補であることは否定しない(飯田泰之さんに頂いたコメントで、「不換紙幣制度という制度は徹底して人工的なシステムです」というご指摘は非常に本質的だった)。
ちょっと感想を書くつもりが思わず長くなってしまったが、この問題については、「韓リフ」さんが教えて下さった参考文献をもっと読んで(特に「構造改革論の誤解」は面白そうだ)、また時々考えてみたい。
伊藤隆敏氏は、01年3月以降、日銀が大量に資金供給したのにインフレにならなかった理由として、それだけデフレ期待が強かったからだとして、もっと早く日銀がETFやREITなどを大胆に買うべきだったと言っておられる。しかし、貸し出しが伸びなかったのは事実だと認めた上で、だからと言って「量的緩和政策を実行しても意味がない」ということにはならないと述べておられて、それは「期待に働きかけた効果が大きいから」と説明されている。また、興味深い別の論点として、「私は、資産価格を目標に金融政策はとれないという意見です」と述べ、「もし、ミニバブルすら絶対に阻止と日銀が行動すれば、またデフレに戻るでしょう」とも言っておられる。
対して、香西泰氏は、物価については、景気の回復が物価に反映されるのであって、金融緩和だけで物価は上昇しないと述べておられる。また、03年、04年(デフレが続いている時期である)の景気回復について、「企業のリストラ成功の結果」と述べておられ、03年6月の日銀短観で大企業・製造業が、売り上げ・輸出共に減少を予想したのに、経常利益は前年比十数%増になったことが印象的だった(減収しても利益を上げる自信を持ち始めた事例として)と述べておられる。また、「物価さえ落ち着いていたらバブルが起きてもいいのでしょうか」と述べて、CPIだけを見る金融政策はバブルを助長しやすいことに警告されている。
何れのご意見にも「なるほど」と思わせる点と疑問点があるが、私の意見は、香西氏のご意見に近い。
伊藤氏の発言の中で、速水前日銀総裁がわざわざ「効果がない」と言って導入したのだから、市場や国民はデフレが解消すると思わなかった筈だという指摘は、その通りだと思った。確かに、政策を打ち出す本人が効果を打ち消すのではいけない。当時、ある知人との議論の中で、インフレーション・ターゲットについて、一番反論しにくかった意見は、「仮にダメでも、害がなければ、一回やってみるといいじゃない」というものだったことを思い出した。
もっとも、ETFを買ったり(形を変えた株価買い支えである)、REITを買ったりといった、日銀の資産市場への直接介入には、どうも賛成しにくい。私は、一方で、資産バブルを起こすことに対しては警戒的なのだから、公的介入に対する賛否に「買い」と「売り」で非対称性があるとの批判が可能かも知れないが、たとえば、銀行からマーケットインパクト無しで持ち株を引き取ってやるような日銀の株式買い取りには賛成できない(たとえば、銀行が普通の市場参加者として株を売ってくれれば、当時これから投資に参加する個人は株をもっと安く買えたのだ)。
香西氏の発言で、金融緩和の弊害として「M&Aが簡単に行えるようになったこと」を挙げておられる点には賛成できないが(上場しているのだから、やりたいものは、やらせていいではないか)、その他の、①金融緩和だけでインフレになった訳ではないこと、②企業業績の好転がその後の景気回復に大きなプラスとなっていること、③資産価格にも注意が必要なこと、については概ね賛成だ。
①金融緩和が、特にゼロ金利まで至った後に、これだけでインフレを起こすことが難しかった、という香西氏のご意見は、現実に近かったのではなかろうか。少なくとも、金融政策の波及経路と効果は、ゼロ金利以前と以後とでは異なるのではないだろうか。
当ブログにご意見を寄せてくださった「韓流の好きなリフレ派」さんのご指摘では(「リフレ派を批判した山崎元氏のその後」へのコメント参照)、「貸し渋り仮説」はもうだれも支持しないとのことだったので、私は恐縮して、参考文献(「論争 日本経済の危機」)を読んでみた。確かに、「貸し渋り仮説」は銀行貸し出しが伸びなかったことの説明として少なくとも弱いように思われた(同時に「追い貸し仮説」は話にならないくらいリアリティーがない。銀行側で資金に余裕のある時に、追い貸しをするからといって、優良プロジェクトへの貸し出しが抑制されるはずがない)。
この状況で強調されるべきは、むしろ「(優良な借り手の)借り渋り」であったろう。これは、企業のキャッシュフローのポジションが高水準だったことに対応するが、その原因として、デフレ(物価下落)期待も一部あるとしても、企業が優良プロジェクトと確信できるような投資案件に対応する需要・アイデア・積極性が企業の側に無かったことではなかろうか。もちろん、デフレによる実質金利の高止まりは、投資抑制的に働くが、今回の実質で2-3%かというような金利状況であれば、企業にとっては、この前後の1、2%の実質金利の差よりも、プロジェクトの採算性に対する自信の方が大きな影響を持ったと思う。バランスシートの整備や自信回復にかかる時間や、新たな需要(たとえば薄型テレビとか)の発見と対応にかかる時間など、実物的要因が大きかった(「外需」という幸運とともにだが)のではないだろうか。
但し、当ブログに飯田泰之さんが寄せて下さったコメントのように、例えば通貨発行益を財政再建に使うような形で、資金供給に対してこれに見合う需要の追加を富の配分上は比較的ニュートラルな形で行う方法があり、いずれは政府と中央銀行がインフレを起こすことが出来ることを強調して、期待に働きかけたなら、問題がもう少し早く片付いた可能性はあっただろう(少なくとも速水さんの嫌々方式よりは・・)。
03年、04年と企業業績がデフレ期待が存在する真っ只中で回復したことは、相当程度企業の自律的な回復と評価していいのではないだろうか。その後、企業は、設備投資、人材採用と総需要拡大に貢献しているから、今回の景気回復が、外需(幸運だが)と共に企業の利益回復が主体の景気回復であり、その前に、企業活動の低迷による不況(ひいてはデフレ)の側面が色濃くあった、という考えは自然ではなかろうか。
この点、「韓リフ」さんのご指導によると、企業の構造問題が不況の原因だという説は今や誰も採らないとのことで、ここでも、先の参考文献(「論争・・・」)を読んでみた。同書の野口旭氏の論文(第二章。これは小気味よくてためになった)によると、この時点で、構造問題が不況の原因とする考えの実証研究は、宮川氏によるTFP(全生産要素による生産の効率性。どうも、この概念には馴染めないが・・)をベースとしたものが唯一に近いものらしく、これが成功していないこと(私も成功していないと思った)で、「供給要因が不況の原因ではない」ということになるらしい。(この辺り、2004年の本を、今読んでいるようでは、いかにいい加減な「評論家」でも些かいけない)
この辺りは、正直なところ「TFP」に馴染んでいないので、自信を持った議論が出来ないが、企業側の要因として重要だったのは(企業側の要因を不用意に「供給要因」とも呼んだ私の用語法は不適切だったかも知れない。企業が需要に与えた影響は大きかった。但し、それは供給側の改善による利益回復が波及したものだということではなかろうか)、バブル崩壊の影響による業績下落からの自信回復や(また、企業の株価自体、90年代を通じてなかなか十分には下落しなかった)、これまでのものの生産性改善よりも次の需要の発見までに要した時間、さらに積極的な経営展開に要した時間(過去に失敗した経営者が居座ると、過去の清算と否定、新しい経営への展開は確かに難しい)などが必要だったのだろう(「素早い清算」が出来れば、早期の回復に貢献したはずだ)。もちろん、この辺の議論には、最終的に、どのようなデータでこれらの仮説を実証するかという大問題がある(だから、TFPによる研究も立派な業績なのだと思う)。
そこで、重要になるのが、③の資産価格の問題だ。90年代の経済低迷の大半は、バブル崩壊による資産価格の急激な下落(これこそ、不連続な変化だった)と、これを消化するのに企業も消費者も時間が掛かったことではなかったか。80年代の後半、株価も地価も余りにも高すぎた。
ここで、たとえば日銀が、物価、実質金利、資産価格のそれぞれを巧みにコントロールできる方策があるわけではないが(ちなみに、資産市場のミスプライスは大規模且つ長期的に継続しうる)、資産価格にも考慮が必要ではないかという点で、先の「週刊エコノミスト」の両大家のご意見については、香西氏のご意見により多くの共感を感じる。
但し、香西氏のおっしゃる金融政策の柔軟性も重要だとは思うのだが、予測可能性の向上や、金融政策が恣意的に民間経済に介入しないようにする制度設計(どのようなルール化がいいのか私には未だ分からないが)も必要に思える。インフレーション・ターゲットないしはその変種も、そうしたルール化の一つの候補であることは否定しない(飯田泰之さんに頂いたコメントで、「不換紙幣制度という制度は徹底して人工的なシステムです」というご指摘は非常に本質的だった)。
ちょっと感想を書くつもりが思わず長くなってしまったが、この問題については、「韓リフ」さんが教えて下さった参考文献をもっと読んで(特に「構造改革論の誤解」は面白そうだ)、また時々考えてみたい。
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« 米長会長と | テレビ出演の... » |
いらっしゃいませ。過分の(本当に・笑)お褒めにあずかり、恐縮です。もしかすると、皮肉が入っているかも知れない、とも思わないでもないのですが、それでも、ありがとうございます。
私は、特別に「知的誠実」を標榜しているわけではないのですが、①思ったことはハッキリ言う(言ってみる)、②知らないことは知らないと言う、③間違えたら潔く直す、④批判や指摘は歓迎する、という要領で議論をするつもりでいます。
また、相手がいれば尚結構ですが、相手が居なければ、できるだけ自分で④、③を繰り返しながら、考えつつ、書いたり、しゃべったり、しようと思っています。アウトプットしながら考えないと、まとまらないし、深まらないテーマが多いと思うので、ブログや雑誌に何か書いたり、テレビで話したりする機会を継続的に持っていたいとも思っています。
量的緩和と金融政策の問題に関しては、(1)特に金利ゼロ以降の金融政策波及のプロセスと有効性、金融政策の目標という点では、(2)資産価格と物価に対する態度がどうあるべきかという二点が目下興味深く、かつ「分かった!」とは言えないので、考えてみているところです。
そんなわけなので、ご意見、ご批判を歓迎します。もちろん、「誰かが見に来ている」ということ自体が、何かを書いて、考える上では好ましいことですから、無言のご来訪も歓迎します(興味本位の方も含めて)。
>価格と物価に対する態度がどうあるべきか
そうですね。中央銀行は資産価格については
積極的に考慮すべきでなく、物価安定のみを
目標にすべきという立場を取ればインフレ・
ターゲットは整合性がありますね
この立場に立つなら、中央銀行は専ら物価の
安定に責任を有して、その他の経済状況への
積極対応や責任は持たないことになるか、と
思いますね
ここで一つ気になるのは「景気を回復させる
ためにインフレ・ターゲットすべき」と言う
ことは自己矛盾ではないか、ということです
景気回復のために「金融緩和」すべき、と
言う論なら、そのような矛盾はないのです
が…
資産価格をどうするかは、特に、ストックの規模が大きくなった、先進国経済では大きな問題だと思います。
物価・景気(≒GDP)、資産価格、と金融緩和すると上昇ないし拡大するものが三つありますが、これらは、反応のタイミングや感応度が異なり、これらに対して、「金融の緩和/引き締め」という政策手段一つだけでは、対応が難しい場合が出てきますし、優先度の選択を迫られる場合が出てきます。
この点、幸運の要素が大きかったかと思いますが、グリーンスパン時代の米国は、「グリーンスパン議長の口先」という、幾らか自由度のある、別の政策手段があったので、これが、金融政策に対して補助的な形で資産価格に割り当てらていた、と見ることが出来るでしょう。
ただし、一般論としてこうしたスタイルが、いつでも可能なものか、また、あり方として健全なものか、という点は、大いに議論のあるところだろうと思います。
ご返答、どうもありがとうございます。
私は経済学部はおろか、経済学の講義
すら、まともに聴講したことのない者
ですので、素人の感覚(世間知?)で
考えておりますが
一つのフェアネスの観点から、資産価
格については放っておけ(フリードマ
ン的に?)という立場もあるとは思う
のです。しかし、それで本当にいいの
か、という気もします。バブルにせよ、
不況にせよ、消費者物価と資産価格の
変動が異なることが大きな要因である
ような気がします(デフレなのに資産
インフレになれば気が大きくなるのは
当然ではないか?)。こうなるのは、
ストックが大きくて、しかも、それが
民主化された世界に生きているからで
しょうけど。
このこととは別に、インフレ以上に、
デフレの方が、労働市場、金融市場の
調整機能を損ねるのでマイルドなイン
フレが望ましい、という学者の方々の
意見はその通りだろうと思っています。
蛇足ですが、諸外国で導入されている
インフレ・ターゲティングは学説上の
それよりも柔軟性がある、という話も
あるようです。
http://www.mof.go.jp/finance/f1607b.pdf