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「東洋経済」の奥谷禮子氏へのインタビューについて

JMMのお題が「ホワイトカラー・エグゼンプション」だったこともあり、「週刊東洋経済」の1月13日号を読んだ。特集タイトルが「雇用崩壊」なのだ。「ダイヤ」、「エコ」は拙宅で読んでいるのだが、「東洋」はあまり読む機会がない(会社では購読しているのだが)。たまたま取材でお見えになった東洋経済の記者さんがくれた雑誌が、運良く、この号だった。

ネットの世界では既に話題になっているらしいが(wikiにも書き込みがあった)、「何でも"お上頼り"が間違い 過労死は自己管理の問題です」という見出しがつけられた奥谷禮子氏(株式会社ザ・アール社長)へのインタビューは、物言いがストレートで、一読の価値があると思う。過労死は本人の責任だ、という内容のことを言っているし、祝日も、労働基準監督署もいらない、などとも言っているから、かなりの反響があるだろう。

JMMにもちょっと書いたが、見出しの付け方や、写真の選び方(ご本人が「いい写真でしょ」と仰るなら、謝るしかないが、強面で、小うるさい感じが出た、印象の良くないカットをわざと選んで載せたように見える)からみて、編集部は、彼女に批判的な感情(と少々の悪意)を持ったのではないか、と思った。

この種の話は、言葉尻を捉えて、好き嫌いを言っても建設的ではないので、なるべく論旨に的を絞って、考えてみたい。

彼女は、次のようなことを言っている(以下、山崎の理解に基づく要約)。

1)若い人が働きたいときには本人のためにも自由に働かせるべきで、「早く帰れ」と上司が言わざるを得ないような現行制度は有害。代休などの制度を確保した上で、個人の裁量に任せるべき。

2)能力に差はあるのだから、格差はあって当然。「私たち」は、結果平等でなく、機会平等を選んだのだから、文句を言うな。

3)経営者は過労死するまで働けなどとは言わない。過労死は自己管理の問題。ボクシングの選手と一緒。休みたいならそう主張して、コンディションは自己管理せよ。他人のせいにするな。

4)祝日もなくすべき。働き方は個別に決めたらよい。

5)労働基準監督署も不要。労使が個別に契約すればいい。「残業が多すぎる、不当だ」と思えば、労働者が訴えれば民法で済む。「労使間でパッと解決できるような裁判所をつくればいいわけですよ」。

6)経営側も代休は取らせて当然と意識を変えなければいけない。「うちの会社」はやっている。「だから、何でこんなくだらないことをいちいち議論しなければならないのかと思っているわけです」。

彼女が言っていることは、米系の証券会社でフロントの仕事をしていたり、あるいは自営業的なフリーの立場で働いていれば、現実が否応なくそうなっているという意味で「当たり前」のことではあるが、全ての職場の労使関係に、これらを当てはめようとしたときに、無理が生じる点がいくつかあると思う。

1)「若い人が完全な自己管理が出来」かつ「上司も部下もお互いの仕事のニーズを完全に把握している」なら、「早く帰れ」は確かに、必要ないが、現実には、働きすぎて(自分の能力のためであっても、上司の期待に応えるためであっても)カラダを壊す若者も居るだろうし、代休を取りたいときに上司の側で部下が必要な場合もあるだろう。完全なコミュニケーションと自己管理には多大なコストがかかるので、職場にもよるが、労働時間でルールを決めておく方が、労使双方にとって無難で便利な場合があるはずだ。

2)機会平等については、本当に確保されているのか。教育や職業訓練の機会など、個人を単位としてみた場合に、必ずしも平等では無かろう。一経営者の立場では、「私の知ったことではない」(≒私には無理だ)と言ってもいいが、機会平等が完全には確保されていないだろう、ということに対する反省や、改善のための努力は、社会のコンテクストで発言する場合には必要だろう。「機会平等は達成できている」と彼女は考えているのだろうか。もしも、そうなら、根拠を示せるのだろうか。

3)人間は、自己管理に於いてもスーパーマンではない。ボクシングを知っているなら、たとえば、「レフェリー・ストップ」が無ければ、いったい何人のボクサーが死んだり、後遺症に苦しむか、考えてみるべきだ。そもそもヒューマンな(人間に関する)想像力が乏しい方なのかも知れないが、「完全な情報処理と意思決定」を前提にした議論で、使用者側の責任を回避しようとしているように聞こえる。

4)確かに、祝日は無くてもいい、と私も思う。いろんな業界から文句が出そうだけど。

5)現実には、「労使間でパッと解決できるような裁判所」など無い。加えて、法的手段に訴える、知識も、経済力も、労使間には格段の差がある。また、論理的には、このような裁判所が準備されない限り、労働基準監督署(現在のものでいいとは思えないけれど)は必要だし、ホワイトカラー・エグゼンプションは導入できないことになるのだが、奥谷氏はその点を理解しているのだろうか。重要な前提を軽く一言で誤魔化されては、議論としては困る。

6)「うちの会社」を根拠に社会全体の問題を論じられても困るが、それ以上に、なぜ「こんなくだらないこと・・・」と言うのかが不思議だ。「大事な問題だから、しっかり議論しましょう」と言えばいいのに、何とも「頭が高い」感じがして、奥谷氏にとっても損ではないかと思う。乱暴な「放言キャラ」で売っている人なのだろうか(政界でいえば、ハマコーさんのように・・・)。

奥谷禮子氏には、直接お会いしたことはないし、私は、好意も反感も持っていない。また、現実的に、私の働き方は、上記の「自営業的フリー」なので、世の中が彼女の言うようになっても、私に関しては何も変わらないし、むしろ仲間が増えるくらいのものだ。上記は、東洋経済のインタビューだけを読んで考えたものであって、私個人の利害の観点から述べたものではない、と一応言っておく。

尚、財界で名前の出る何人かの経営者(何れも、私には利害関係のない人)について、「奥谷禮子には頭が上がらない」という噂を聞いたことがあり、影響力のある人なのかと想像していたが、彼女の影響力の源泉が何なのかは、依然として謎であり、このインタビューを読んで、益々分からなくなった(ホワイトカラー・エグゼンプション導入には、著しく逆効果、と思えるから)。
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