浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

習近平 国家主席 研究

2012-12-06 09:42:07 | 資料

2012年11月15日に登場した常務委員のメンバー

  実のところ習近平がどんな人物なのか、まだそれほどよく知られていない。老共産党幹部の子弟「太子党」であることは客観的事実なので明らかだが、これは政党や派閥ではなく出自を指すものだから彼自身の「政治傾向」とはいえない。胡錦濤の前任、江沢民に近い、いや江派だよとも言われるが、日本のメディアは新しい指導部メンバー7人のうち、彼と王岐山が太子党、李克強を(胡錦濤と同じ)「共産青年団」出身とし、残りの4人を「親江派」と書いている。つまり、前述の3人はただ「出自」だけ、後者は「政治傾向」というラベル。だが、王岐山にしても2003年のSARS禍の際に南の果て、海南省から北京市長(当時は代理)として引き抜かれて10年近く胡錦濤の膝下にいたのだから、胡氏と相容れないわけがない。

「常務委員人事で胡錦濤惨敗!」と喧伝されているが、実はそうでもない。最高意思決定機関としての常務委員会は、保守に偏った分、常務委員会政策決定のルールと言われる「合意形成」(満場一致)には比較的スムーズな顔ぶれになっている。

7人の常務委員の大半は、大した実績も国民的人望もなく、未来へのビジョンも開拓の精神もいっさい持たない守旧型の党官僚ばかりである。昔、米メディアが日本の総理大臣のことを「冷めたピザ」と揶揄(やゆ)したことがあるが、それにならって、中国の政治局常務委員の面々を「冷めた餃子(ぎょうざ)」と評したい。

序列1位 習近平(59) 党総書記・(国家主席)・党中央軍事委員会主席(習近平派) 太子党

太子党でも薄煕来と違ってアクのない好人物。軍にも顔が利く

序列2位 李克強(57) (国務院総理)(李克強派) 共青団

周りに味方がいないものの、下には味方が一杯なので実務に専念

序列3位 張徳江(66) (全人代委員長)(習近平派)

何もしない

序列4位 兪正声(67) (全国政協会議主席)(上海派) 江沢民派の影響が強い

脛に傷があるので何も出来ない

序列5位 劉雲山(65)  中央書記処常務書記(習近平派)

嫌われているので何も出来ない

序列6位 王岐山(64)   中央紀律委員書記(習近平派) 太子党

汚職摘発に全力。でも老人を怒らせることはしない

序列7位 張高麗(66)  (国務院副総理)(習近平派)

李克強の監視役

 彼らに課されているのは、意見が別れそうな敏感な問題、直接的に言えば既得権益者である太子党・上海閥の逆鱗に触れる問題(急進的な民主・改革政策や、陳良宇・薄煕来クラスの双規など)に手をつけなければいいだけ。”消防隊長”の異名を持つ王岐山が鬼の紀検委を率いる理由も、腐敗防止の対象に既得権益者層を巻き込ませず、かつ末端のおイタした小役人や企業家をバシバシと斬って捨てるための布石だと考えると合点がいく。

今回新たに常務委員に昇格したメンバー5名だが、年齢的に全員が1期5年のみ、2期目を迎えることなく引退と相成る。習近平の独自の政策が見られるのはそれから、あるいは果たして団派の巻き返しはなるのか、胡春華は無事に次期後継者の座を射止められるのか?

いずれにしろこの面子では、『反日』以外は、殆どこれまでの胡錦濤の時代と同じ道を歩むと見られている。

★資産家や党幹部2世を指す『富二代』や『官二代』は世間からバッシングされてきた。
しかし、そんな風潮に逆行して党高官の2世、3世からなる『太子党』の習近平がトップ。
下流層を中心に、階級の固定化に繋がるという絶望感が広がっている。

★胡錦濤が属する『団派(共産主義青年団出身)』と、派閥争いをしてきた習近平は、就任後に団派の粛清を本格化するといわれている。
旧政権下で地方高官と癒着していた風俗店は一掃されるだろう。
賄賂をもらって脱税を見逃してきた税務局の役人も同じ構図で一掃される。これには戦々恐々としている日系企業も多い。

★習近平は9月の反日デモの“黒幕”といわれているように民衆扇動に長けている。
今後も内政が行き詰まった際、反日カードを繰り出してくるリスクがある。
こちらでビジネスをしている日本人にとっては気が休まらないだろう。

★習近平は熱狂的なサッカーファン。
今まで何度も国内サッカーの育成に力を入れていくことを公言しており、特別な予算が組まれるはず。中国がワールドカップで優勝する日も遠くないはず、と期待されている。

★習近平の父・習仲勲の出身地である陝西省は、伝統的に犬肉食が盛ん。
昨年、省内で行われた美食イベントで1万5000頭の犬が用意され、海外メディアからバッシングを浴びたほど。
最近では中国でも動物愛護の観点から、犬肉に対する風当たりは厳しい。
そんななか、犬肉が大好物な人は、『犬肉文化圏で育った習近平がトップになれば、犬肉食で肩身の狭い思いをしなくてもすむ』と冗談交じりに噂している。

★中国共産党の関係者によれば、習は「周囲の意見を聞きながら政策を実行するタイプの人物」であるという。中国国内における習の政治姿勢はリベラルであり、党員、官僚の腐敗に対しては厳しく臨み、政治的にも経済的にも開放的な姿勢をもった指導者として評価されている。現在の中国共産党幹部の演説や文章を、「冗漫、空虚、偽り」で覆われているとし、文章や演説をもっと判り易くし、国民に理解できるよう改革する必要性を主張している。

★習をリベラル派とみなす見解があるのに対し、対米・対日強硬派とする見解もある。人権問題を巡る米国を中心とした諸外国からの中国批判に対し、習は2009年に外遊先のメキシコにて、「腹いっぱいでやることのない外国人(これは米国人を指す)が、中国の欠点をあげつらっている」と愛国心を全面に押しだし、米国による人権問題批判に反論し、物議を醸した。
中国国内では、愛国的発言と受け止められたが、海外のメディアには批判的に取り上げられた。

ただ『政策は中南海から出ない』と揶揄されている中国では、本当に人民が恩恵を得られる政策が浸透するかどうかは期待できないだろう。

 

習 近平(シー・ジンピン Xi Jinping )1953年6月1日 生まれ

第5代中国共産党中央委員会総書記(2012年11月15日~)

清華大学化学工程部卒

1979年に卒業した後、国務院弁公庁で副総理の耿飈の秘書を務めた。
廈門副市長、福州市党委員会書記を経て、2000年に福建省長となる。
2002年11月、張徳江に代わり49歳で浙江省党委書記に就任。
2006年に上海市で大規模な汚職事件が発覚し、当時の市党委書記陳良宇が罷免されると、翌2007年3月24日、書記代理を務めていた韓正(上海市長)に代わって上海市党委書記に就任。これにより、第17期の党中央政治局入りは確実とみられていたが、同年10月の第17期党中央委員会第1回全体会議(第17期1中全会)において、一気に中央政治局常務委員にまで昇格するという「二階級特進」を果たし、中央書記処常務書記(筆頭書記)・中央党校校長にも任命された。上海市党委書記は兪正声が引き継いだ。
2008年3月15日、第11期全国人民代表大会第1回会議で国家副主席に選出される。

  

妻は国民的歌手の 彭麗媛(ポン・リーユアン、Peng Liyuan)

1962年11月20日 生まれ

中国の軍隊歌手。
人民解放軍での階級は少将。
人民解放軍総政治部歌舞団団長。

 地方勤務時代の福建省に赴任中に、彭麗媛と出会う。離婚歴のある地方組織の役員と、すでに大スターとなっていた麗媛とは釣り合わなかったため、当時は格差婚だった。

'86 年12月、彭夫人は友人の勧めで習近平とお見合い。気が進まなかった彭夫人はあえて軍装ズボンを穿いて臨んだ。ところが習近平の「声楽の歌い方はいくつあるのですか」という彭夫人を声楽の専門家として扱った言葉に心を奪われた。翌年9月、習近平は両家の両親にも知らせないまま彼女との結婚を強行。入籍から披露宴まで1日で済ませ周囲の度肝を抜いたという。

彭麗媛は日本でいうNHK紅白歌合戦に相当する大晦日の音楽番組でも、毎年のように大トリを務めるなど、夫よりも常に目立ってきた。

かっては国家主席だった江沢民の愛人とも言われていた。

 彭夫人は18歳で解放軍の文芸兵となり、現職は解放軍歌舞団の団長(少将)だ。その美貌と歌声から軍内部での人気は抜群で、習近平の人脈の拡大に大きく貢献した。習近平が出世競争の最大のライバル李克強を退け、次期国家主席のポストに就いた要因になったという説もある。トップの座に就き、軍権掌握を目指す習近平にとって、彭夫人が結ぶ軍との関係は大きくプラスに作用すると言われている。 

一人娘の 習明沢 現在米国のハーバード大学に在学中。

当然、習明沢という娘はCIAの監視下の元でアメリカ生活を満喫することになり、CIAは彼女を通して習近平の生活を知り、コネクションを持つことになる。

つまり、習近平は裏側で娘を通してアメリカと通じ合っているということになる。諜報活動というのは、こうやって時の権力者のコネクションに入り込んで行くのである。

 習近平国家主席はマザコンである。毛沢東元国家主席に嫌われて失脚した習仲勲元副首相は父だが、ピッタリとより添った糟糠の妻が、習氏の母、斉心氏である。このゴッドマザーは革命理論派で、いまでも強引で口数が多い。この母が習の最大のブレーンといわれる。

 このほか、キッチンキャビネットを形成しそうなのは、「兄貴」と呼んできた劉源陸軍少将=劉少奇の息子=や、精華大学の同級生である何立峰天津副市長ら。参謀役となりそう。同じく大学同級の陳希遼寧省副省長ら、幼なじみの発言力も増すだろう。

 習のファミリー・ビジネスの基本は『不動産』と『IT関連企業』。不動産は公共事業に繋がり、政府の情報に近い立場にあれば有利。それに、不動産はすぐにカネになるからどの高官も手を出す。ITも、政府関連の事業が多数ある。カネのなる木なのだ

 習近平には姉が2人おり、長女夫妻は複数の会社を経営し、北京や深圳、香港を拠点に不動産関連を中心としたビジネスを展開。次女夫妻はカナダに居住しカナダ国籍も取得していながら、中国の国内事業に出資して巨利を得ているという。また、習近平の弟・習遠平は中国に返還される前から香港に移住しており、北京に本部を置く国際環境団体の会長に就任している。だが、それは多分に名誉職的な肩書で、その行動には謎が多い。

 彼らは中国最高指導者である習近平のファミリーとして、さまざまなコネクションを使いながら手広くビジネスをしていることが分かっている。これまでその実態は闇に包まれてきたが、最近、金融・経済情報専門通信社「ブルームバーグ」や香港メディアなどが報じた情報を総合すると、習近平ファミリーの総資産は少なくとも420億円を下らないことが分かってきている。

上の図表「習近平の『ファミリー・ビジネス』」をご覧いただきたい。これは、現在海外や香港メディアなどで報じられている情報を元に作成したものだ。4人の姉弟とその家族を中心に、様々なビジネスが展開されているのが分かるだろう。よく見ると、ファミリーの蓄財の主要部分が長女の斉橋橋に集中しているのも分かる。

  長姉の斉橋橋(旧姓習橋橋)氏は、北京の中民信房地産開発理事長で、夫は同社CEOの家貴(トウ・カキ)氏。ところが、両人の国籍はなぜかカナダである。弟の習遠平氏は豪州に住居を構えている。

 遠平氏は「国際省エネ環境保護協会」の会長。兄弟のなかで長姉が一番商売上手といわれる理由は、配偶者が抜群のビジネスマンだからである。

橋橋は、不動産会社「北京中民信房地産開発」の理事長で、娘の張燕南の名義で香港に多数の不動産を所有している。いずれも投資物件とされるが、「宝馬山花園」は、富裕層の多くが居を構える香港島の山の上にある高級マンション。敷地内には20階を超える10棟ほどの高層マンションが隣接して建ち、部屋数は優に1000室を超えるとみられるが、これらすべてを所有している。

 また、10階までがオフィスで、11階~46階までの595室が居住エリアとなっているタワーマンション「会景閣」も橋橋の所有で、ビクトリア湾に面した好立地。これらだけでも数十億円の価値があるとされる。香港島南部海側にある高級別荘地「浅水湾麗景道」には、一戸建ての別荘も所有している。昨年時点で香港に所有する7つの不動産総額は60億円と報じられているが、不動産バブルの続く香港だけに、その不動産価値はさらに上がっているかもしれない。

 夫の家貴氏は、北京中民信房地産開発有限公司CEOが表の肩書だが、氏が密接に関係する企業は「陝西省達為房地産開発」「陝西実業発展」「深圳達為電力工程」「深圳達為公路建設」「深圳地下鉄達為房地産開発」など、主に不動産開発やデベロッパーなど十数社にのぼる。香港では1億5000万香港ドル(邦貨換算で16億円程度)の大豪邸に住み、親族多数も香港に移住して不動産投資、開発事業で富豪になっている。

 基幹企業は「深圳達為投資公司」で資産は230億円。この会社を通じて、次のハイテク時代最大の利権となるレアアースに投資している。家貴名義で、中国の不動産大手「万達商業地産」(大連)の大株主になっている。

産経新聞中国総局特派員で『習近平 共産中国最弱の帝王』(文藝春秋)の著者である矢板明夫氏が解説する。

「資産が橋橋に集中しているのには、理由があります。習は長男ですが、上から3番目。下放(=文化大革命期に学生らを地方の農村に送り込み、肉体労働を通じて思想改造を進めた思想政策)されて15歳から7年間農村で暮らしたが、その間、自身も下放され厳しい生活を強いられながら、習に仕送りを続けたのが長女の橋橋でした。今でも、近平は頭が上がらないと言われます」。



 習家のファミリー・ビジネスのスタートラインは父親の習仲勲(故人)にある。仲勲は中国共産党の元革命戦士で、毛沢東の下で党中央宣伝部長など要職を歴任した。文化大革命時に一時失脚したがその後復活を果たし、'78年から広東省第一書記として深圳地区の経済特区構想を進めた。この時不動産関連のビジネスに乗り出したとも言われている。

習家の資産は不動産だけではない。特筆すべきは、中国のレアアース販売のほとんどを手がけていると言われる「江鵭集団」の株式の18%を所有していることだ。時価で約230億円の価値がある。

 「レアアースは精密機器の生産に欠かせない鉱物で世界的な希少資源。国家主席の立場でしか分からない情報があれば、この20%近い持ち株は利権ビジネスの最大の武器になる。

 習の2番目の姉は斉安安氏というが、夫の呉龍氏は広州新郵通信設備の董事長(=社長)である。同社は、中国最大の移動体通信事業者「チャイナモバイル」のファミリー企業で、設備請負工事を引き受けている。つまり、「もうかって仕方のない企業」ということになる。

 こうして習近平王朝の台所も豊かになりそうである。

☆北京市の西郊に、清朝末期の教会跡地がある。昨年夏からマンションの建設工事が進められていたが、今春、騒がしかったそのつち音が突然やんだ。市当局から「安全基準に問題あり」と横やりが入ったのだ。

 この開発業者の社長は、中国共産党の習近平総書記(59)の中学時代の同級生だった。毛沢東時代の閣僚を父親に持つ、「太子党」(高級幹部の子弟)でもある。

 社長が憤慨し市当局に掛け合ったところ、ある幹部が声を潜めて打ち明けた。

 「この土地を、(党最高指導部の)政治局常務委員会メンバーの子弟という『大物太子党』がほしいと言っているんだ」

 困った社長は習氏の周辺を通じ、「大物太子党」と食事する機会を設けた。社長の素性を知った「大物太子党」は宴席で手打ちに同意した。「あなたが太子党で、しかも習さんの同級生とは知らなかった」-。工事が再開されたのはそのすぐ後だ。

 ■太子党同士で解決

 習総書記を代表格とする太子党は、胡錦濤(こ・きんとう)前総書記(国家主席、69)を中心とする共産主義青年団(共青団)グループとは大きく異なる。組織というより、政財界における巨大な人間関係のネットワークのようなもので、構成メンバーさえはっきりしないのだ。

軍事委主席就任の習近平

 党大会では党中央軍事委員会主席に居座るとみられていた胡錦濤主席が退き、習近平国家主席が軍のトップに就任したことで、軍も習近平体制への移行を鮮明にしたといえよう。

 共産党最高指導部人事が発表された翌日の11月16日、党中央軍事委員会拡大会議が開催され、胡主席が軍指導部の前で最後の演説を行なったあと、習副主席が胡主席の労をねぎらって、「胡主席は党、国家、軍を発展させるという重要な決定を行った」などとして、胡主席を「マルクスレーニン主義を体現した政治家、戦略家」として讃えた。

この拡大会議は軍を引退した胡主席の「さよならパーティ」とでも位置づけられよう。
 
その証拠に、習氏は24日、党中央軍事主席の肩書きで、上将昇格式を行ない、軍の第2砲兵(戦略ミサイル部隊)トップの魏鳳和司令官に上将昇格の命令状を手渡した。

中国では国家と党それぞれに中央軍事委員会がおかれており人事的にはほぼ重なっているが、胡主席は依然として国家中央軍事委主席の座にあるにもかかわらず、党中央軍事主席に就任したばかりの習氏が上将任命式を主宰するのは極めて異例。

習氏は自らが軍権を握ったことを誇示する狙いがあったとみられる。

特に、党大会の1週間前から党大会後までのほぼ2週間で、解放軍の中枢を占める2人の軍事委副主席ポストや空軍やミサイル戦略舞台、軍の四総部トップに加え、7大軍区中5軍区のトップなど主要22ポストの人事異動を発表するなど、これほど大幅な最高指導部人事は史上最大規模だ。
 
このなかには、明らかに習と親しい太子党(高級幹部子弟)勢力や習が推薦したとみられる幹部が多数含まれている。

たとえば、軍事委副主席の範長龍や総後勤部長の長克石、総装備部長の張又侠、空軍司令員の馬暁天など。
 
このほかにも、今回の人事の対象にはならなかったが、劉源・総後勤部政治委員や張海陽・戦略ミサイル部隊政治委員ら軍内には太子党勢力の高級幹部は、100人は下らないといわれる。

さらに、尖閣問題に絡んで日本にとって不気味なのは、尖閣諸島海域にほとんど毎日、監視船を出動させている国家海洋局の存在だ。

そのトップの劉賜貴局長は福建省泉州の出身で、習が福建省長を務めていた2000~2002年の約2年間、福建省海洋・漁業局長のポストにあり、習とは縁浅からぬ関係といえよう。劉はその後、厦門(アモイ)市長を務めたあと、昨年2月に海洋局長に転じており、執拗な海洋監視船の尖閣諸島海域への出没も習の指示との見方もできよう。
 
習は8月から9月にかけての激しい反日運動の黒幕とみられており、軍権掌握を進める過程で、軍事的に強硬な対日方針をとることも否定できないだろう。

3月、中国では数年に一度の大きな政変があった。共産党の権力中枢を担う3つの派閥、太子党・共青団・上海閥のうち、太子党のトップランナーの一人と目されていた薄熙来が、失脚したのだ。

この最高権力者である習近平もまた、太子党に属する。

 太子党とは、かつての共産党高級幹部の子弟を指す。親の七光りの恩恵を受けて、党内で異例の出世を遂げたり、若いうちから多額の金銭的利得を得るなどの特権を持つ人々のことだ。

 彼らのもう一つの特徴は、幼少期から幹部専用住宅に住むため、互いに顔見知りで、広範な人的ネットワークを形成していることである。実際、習近平と薄熙来も幼い頃から面識があった。

 習近平と薄熙来は、薄の方が4歳年上だが、幼稚園の頃から一緒に育った。薄熙来は喧嘩ばかりしている腕白なガキ大将で、一方の習近平は大人しくマジメな子供だった。

 薄の弟が習近平をいじめていたという噂もあった。いわば二人は不良グループとマジメな子グループの代表で、習は薄に頭が上がらないという間柄だった。そのせいか、今でも習近平は薄熙来をどこか怖がっているふしがある。仲間でありながら同時にライバルでもある、そんな微妙な関係だというのだ。

 ではいったい、薄熙来を失脚させたのは誰なのか。

 薄は前総書記の胡錦濤、前首相の温家宝らにとって邪魔な存在だった。というのも、彼は書記を務める重慶市で次々に保守反動的な政策を実行に移し、貧しい民衆の不満を煽りながら、現指導部と真っ向から食い違う政治方針を打ち出した。さらに、胡錦濤の腹心とも激しく対立していたのである。ここで薄を潰す決断を下したのが、前最高指導者の胡錦濤であることは確実だ。胡はずっと「薄打倒」のタイミングを計っていた形跡もある。

 習近平にとっては、胡錦濤がライバルの薄熙来を倒してくれるなら悪い話ではない。それで、今回の政変では中立を決め込んだ。

 ただ、習近平は複雑な心境でなりゆきを見守っていたはずだ。薄熙来の失脚により、太子党全体には少なからずダメージがある。胡錦濤=共青団の力を見せつけられ、習の政権は発足後しばらく共青団に配慮しながらの運営を迫られる。習の権力は、スタート前にして既に揺らいでいると言っていい。

 習近平が胡錦濤ら長老から選ばれたのは、彼が父祖を否定しない、いわゆる〝赤い子孫〟であり、安心できる人物だという理由が大きい。李登輝やゴルバチョフのような改革派では、せっかく作った国が民主化で潰れてしまう。薄煕来のように反発をせず、思想的背景もない習近平には、その危険が少ない。

 もうひとつ、習は敵を作らないことに非常に長けた八方美人の政治家だ。温厚で、小さなことを気にしない。人を怒鳴りつけたりということは絶対にしない。

 習近平とライバル関係にある共青団のトップエリート・李克強副首相は、ものすごく頭が切れるので、彼の部下に聞いた話では、失敗や不正をするとすぐに見破り、追及するという。

 しかし、習近平は何も言わずずっとニコニコしている。だから、不正に気付いているかどうかわからず逆に不気味で悪いことができない。そういう力が、確かに習近平にはあるという。

◆習近平たち文革中に失脚した共産党幹部の子弟は、〝下放〟といって、思春期を農村での強制労働の中で過ごした。

(下放先の)梁家河村に着いた習近平だが、いきなり厳しい洗礼を受けた。持ってきた荷物を整理したところ、カバンからボロボロに乾燥したパンの残りが出てきた。「もう食べられない」と思った習近平はそれを通りかかった犬に投げ与えた。

 うわさがたちまち村中に広がり、「腐敗分子の息子は北京で毎日贅沢三昧をしていたに違いない」と言われるようになった。

 農地まで数キロの山道を歩かねばならない。農地に辿り着くだけで汗びっしょりとなった習近平は、それから一日中、腰を曲げて作業を続けることが何よりも苦痛だったという。

 急に農作業をやらされた都会のお坊ちゃんたちには、農民とうまくいかず挫折し、自殺する者もいた。

 しかし、習近平は最終的に農民になりきり、村人の信頼を得て、20歳あまりで党支部書記(村長にあたる役職)を任されるほどになった。大物の片鱗、包容力があったのだろう。

 習は、運も抜群にいい。かつて、江沢民派は上海市書記だった陳良宇を、胡錦濤派は李克強をそれぞれ後継者にしようと画策したが、'06年に陳を失脚させた胡錦濤は、李のことも強くは推せなくなった。両派ともダメージを受けたのだ。

 そこで、江沢民派からも胡錦濤派からも「この人なら仕方ない」と、消去法で習近平が一本釣りされた。決して好かれないが、悪く言う人もいない。そういう時代の流れにもうまくはまって、トントン拍子で出世していった。

 しかし、習近平にはかつての毛沢東や小平のように、強いリーダーシップを発揮したり、何か新しいものを生み出す力はない。政治理念もなく、とりあえず目先のことを問題なく回せればいい、そう考えている。

 31歳の時、習近平は河北省の正定県の党書記を務めアミューズメントパークを建設し、観光客誘致に成功するなどして県の経済基盤を強化した。若手幹部としてそれなりの実績を残したが、(当時の河北省党委書記で習の上司の)高揚はそれを評価しなかった。革命時代にゲリラ部隊のリーダーだった高揚は、親の七光りで若くして県書記となった習近平のことを軽蔑しており、「業績は父親の人脈の力で作った」として冷たく当たっていた。

 困り果てた習近平は(父親で元共産党幹部の)仲勲に相談した。仲勲は革命時代に面識があった高揚に対し、「息子をよろしく頼む」との手紙をしたためて送った。しかし、それが裏目に出た。高揚は全省の幹部会議で、手紙の全文を読み上げたうえ「父親の力を使ってこんな裏工作をしても無駄だ」と厳しく批判した。

 周りの笑い物となってしまった習近平は河北省を去ることにした。父親の人脈を使い、翌年6月にアモイ市副市長へ転出するとの辞令を出してもらった。アモイは経済特区に指定されたばかりの都市で、その副市長のポストに、河北省という田舎から32歳の党委書記を持ってくることは大変異例な人事でこれはやはり父親の力で実現した。

 習近平が高揚に「別れのあいさつをしたい」と電話をかけたところ、高は「あなたは党中央から直接の指示を受ける幹部だから、私のところに来なくていい」と冷たく拒否されたという。

 習近平は、その政治家人生の要所要所で父の威光を利用し、最短距離で出世街道を駆け上がった。

 前妻にロンドン留学を勧められた際には、欧米留学の経歴が共産党内で「資本主義に理解がある」とみなされ出世の妨げとなりかねないと考え、これを断った。それが離婚の遠因ともなったという。中国の国内政治の中で、純粋培養されたエリートなのである。

 各派の妥協の結果として頭角を現した習近平には、支持基盤もなく、理念もないため、今後さまざまな勢力に翻弄される恐れがある。彼が「最弱の帝王」と呼ばれるのは、建国以降最も強大になった中国に対し、彼の求心力がアンバランスなまでに弱いためだ。

 現在のところ、習近平政権のほぼ唯一の権力基盤は軍である。軍内部に多い太子党の人脈に加え、現在の妻は少将の位をもつ解放軍所属の有名歌手だ。しかし道を誤れば、北朝鮮のように、ゆくゆくは逆に軍に呑み込まれかねない。

 現在の人民解放軍は、政権を握る、戦争をするというつもりはなく、金儲けを中心に動いていて、資金さえ握らせれば大人しくついてくる。こうした状況は江沢民時代から続いているが、習近平政権ではそれがさらに顕著になる。

 近年の軍事費増大の背景には、海洋利権の拡大という思惑もある。中国はこれまで海軍力が乏しく、海外の利権には手を出せなかった。しかし今後は、軍事費が潤沢になり、新しく空母も建造し、次々に打って出るだろう。

 軍の膨張は、こうした利権と密接に関係している。今までの中国はGDPばかりを誇っていたが、そのパワーが外へ向けば、圧迫されるのは日本や南シナ海の国々である。

 国内を強力に支配していた小平時代は、中国の国力が弱かったので、国内の不満を押さえつけつつ、外国に対して譲歩せざるを得なかった。それが経済成長をもたらしたという一面もあった。習近平の場合、国力は強大になった一方、国民を押さえる指導力は弱い。日本を含め近隣諸国にとっては迷惑な事態になる。

 おそらく、習近平体制では対日外交も今以上、いや、徹底的な反日政策をとった江沢民時代よりも強硬になっていくだろう。 国内では脆弱な権力基盤しか持たない習近平が、唯一強く出ることができるのは、日本をはじめ近隣諸国に対してだけ。日本は、この新たな帝王にどう向き合うのか。それ以前に、正しい分析ができているのか。残された時間はわずかだ。

 今のところ、民衆をまとめる卓越した指導者が存在せず、地域同士の連帯もないため、大きな反政府勢力になる危険性は低い。ただ共産党幹部は、いつか万単位の民衆が集まって大きな反政府運動に発展しないか危ぶんでいると指摘する。

 妻の英国人実業家殺しへの関与と、数十億ドルに上る不正蓄財疑惑で失脚した薄煕来・前重慶市党委書記(63)の存在も、悩みの種だ。

 『中国人民解放軍の内幕』(文春新書)で知られるジャーナリストの富坂聰氏は「腐敗政治の撤廃と毛沢東時代への回帰を説いた薄氏の大衆的人気は高い。今期限りで政治局常務委員を退いた周永康氏ら、薄氏とともに失脚したシンパも残っている。党内の不満分子と民衆蜂起が結びつき、クーデターが起きかねない」と解説する。

 こうした背景もあってか、習氏は総書記就任直後の演説で、毛沢東時代の流行語「為人民服務(人民に奉仕する)」を2度繰り返し、薄氏が提唱した「共同富裕(共に富み栄える)」というスローガンも使っていた。

 次に習氏を直撃するのはどんな地雷か。

共産党幹部らの「裏ビジネス」

 ファミリー・ビジネスで財を成すのは、習近平に限らない。習の後見人である江沢民・元総書記の政敵、胡錦濤国家主席や温家宝首相にしても同様だ。

 北京五輪の際、テロ対策として空港、地下鉄の駅、ホテルなどに安全検査器を置くことになった。落札できれば、これはとんでもない規模のビジネスだ。落札したのは『威視』という企業だった。その役員に座っていたのが、胡錦濤国家主席の長男、胡海峰(当時30代半ば)。これが海外メディアに報じられると、慌てて海峰は関連会社に転勤となり、入札担当者は更迭された。しかし、その安全検査器は今も使用されている。

 温首相の長男、温雲松は未公開株を扱う投資ファンド「新天域資本」の役員を務めてた。'10年、香港株式市場で株式公開を控えた医薬品メーカー「四環医薬」のインサイダー疑惑が取り沙汰された。報道によれば、3ヵ月で3億7000万元(約47億円)儲けたとされる。

世襲政治家グループ「太子党」の一人で習の盟友、薄熙来・元重慶市党委書記(63・今年9月に失脚)も凄かった。

「妻の谷開来は、金銭トラブルから英国人ビジネスマンを毒殺したとして死刑判決を受けたが、薄ファミリーの利権ビジネスは有名でした。開来の姉が経営する印刷会社は、中央省庁はもちろん地方の政府の入札事業を受注していた。13億人の免許証を印刷するとなれば、その莫大な利益は想像がつきません」(ジャーナリストの相馬勝氏)。

ただし、薄夫婦のように利権ビジネスを攻撃対象にされてしまう政治家は多い。'06年、胡錦濤と権力争いをしていた党委書記の陳良宇は、「地位を利用した縁者の優遇」などの嫌疑で突如、職務を停止された。新国家主席の習にも後ろ盾はあるが、ファミリー・ビジネスがアキレス腱になる日が来ないとは言い切れまい。

習政権が抱える「暴発の危機」

今後、13億人もの国民が生活する国家の舵取りをすることになる習近平。しかし、彼は大きな不安に包まれている。下手をすれば、共産党史の中で敗戦処理という役割を演じかねないのが習の運命だ。

第1の不安要素は、格差拡大によって爆発寸前にある国民の不満だ。党トップは党と一蓮托生。習は文字通り、自分の生命を守るため、国民の不満が党に向くのを避けなければならない。が、不満は拡大の一途をたどり、現在、いわば「乱」を望んでいる状況にあるとも言える。

原因は、経済成長の減速だ。今年の成長率は8%を切るとも予想され、13億という人口を食べさせるに足りない水準に落ち込む。まさに今、中国は経済の転換点にいる。'08年には、4兆元(約52兆円)の追加公共投資という〝劇薬〟が持ち出され、事態を悪化させた。公共投資は景気を刺激するが、政治家の恣意によって決定されるため、格差を生みやすいのだ。

この不満解消のために必要なのが、庶民に対する再分配だが、しかし、再分配政策には大きな壁が立ちはだかる。この〝壁〟が、習の第2の不安要素だ。すなわち、党内に並び立つ政治家たち。いざとなれば海外逃亡が可能な、相対的に地位の低い政治家の一部は、子弟にグリーンカード(アメリカに居住するための権利)を与え、沈み行く中国から、多くの資産を持って脱出することに最大の関心を抱いている。彼らが資産拡大のために不正をし、庶民に分配されるべき富を吸収することで習の邪魔をする。

本当なら、習は彼らを支配するだけの実力を持っているべきだ。しかし、習は後ろ盾に不安がある。よく、太子党がバックについているとされるが、実は、「親が政治家」というくくりで表現される太子党などという〝政治〟勢力がはっきりと確認されたことはない。また、何より、習が、江沢民、胡錦濤と違って、小平というカリスマから指名を受けていないことが彼の正当性を削いでいるのである。

第3の不安は、国内の不満に配慮して強硬外交の方針をとらざるを得ないこと。9月に起こった暴動や10月のIMF世銀総会不参加を見れば分かるとおり、国内情勢が不安定な今、民意を刺激する政策を避ける意味でも、外交においては強硬な態度がとられている。特に日本にパイプをあまり持たない習が、日本に対して、強硬な姿勢をとることは明白だ。

しかしこれはその場しのぎの手段に過ぎない。長期的に見れば、強硬外交は中国の力を削ぐ。日本と中国との貿易総額は27兆円を超え、中国の輸出総額に占める対日輸出の割合は、8%弱だ('11年)。この市場を失うことは経済成長を縮小させ、国内の不満をさらに大きくするという悪循環を生むだけである。これが習にとって致命傷になる可能性が高い。不安定な習政権に残されているのは、国民の機嫌をとり、うまく〝ソフトランディング〟させるという選択肢だけだ。


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