今日は祝日、みどりの日。しかし、私たちの年代は、昭和天皇誕生日といったほうが分りやすい。
確かに昭和天皇はお亡くなりになられたが、だからといって、亡くなられた方の生年月日が変るわけでもない。祝日にしないのならともかく、祝日にするのであるならば、やはり、昭和天皇誕生日とするのが素直で、正しい歴史認識ではないだろうか。
早朝に、日の丸を出した。
以前、ある国会議員の方が、他党のことを攻め立てる際、「あの党は、国旗国歌法案の採決において、党内が真っ二つに割れた。そういう集まりを政党といえるのか。」と声を荒げていた。
しかし、このテーマは、政争の具とするに相応しいものではない。
私はそういう喧騒とは別に、素直な気持ちで掲揚している。妻も、「あなたは公職に就いているのだから」と、祝日の朝に目がさめると、真っ先に玄関に向かう。
十一月三日は、文化の日とされているが、本来は、明治天皇誕生日ということで祝日となっている。十一月二十三日は新嘗祭(大嘗祭)であるが、なぜか、勤労感謝の日なる名称になっている。
体育の日、成人の日といった祝日を、その該当月の第二だか第三だかの月曜日に移動させるという法改正が行われた。土日と連なる三連休にし、観光等消費活動を活発化させようというものらしい。私は、このいわゆるハッピーマンディ法なるものは、天下の悪法だと思っている。
これまで、十月十日は東京オリンピックの開会日ということで体育の日とされてきた。体育の日が、十月の第三月曜日とされてしまうことによって、なぜ、体育の日というものが作られたのか分らなくなってしまう。現在の若い親たちでさえ、分らないものがいるのに、その子供たちの代になったらなおさらだ。
昨今、荒れる成人式といわれることが多い。私は、その原因の一端も、ハッピーマンディ法的な考え方が根底にあると思っている。
古来、日本には、今の一月十五日を小正月といい、いわゆる左義長なども行なわれてきた。いくつかの日本の農村には、男性は「若者組」、女性が「娘組」という若い衆の集まりがあったところが多く(現在も、青年団的なものとして名残があるところもある)、元旦で一つ年を数えて、ある一定の年齢に達したら、その小正月の日に、新たに若者組、娘組に入るという儀式が行なわれているところも多くあったという。
そのことを由来として、成人の日というものが、小正月でもある一月十五日に設定されたともいう。真偽のほどはよく分らないが、さもありなんという気もする。
ハッピーマンディ法は、そういう日本の伝統や文化、風習、言い伝えよりも、三連休による経済効果を優先したものといえる。つまり、わずかなものであったかもしれないが、日本の伝統、文化よりも、カネを優先したものともとらえられる。
これまでも、一月十五日をもって、成人の日としていることによって、前述のようなことを意識していた新成人はほとんど全くいなかったとは思われる。しかし、ハッピーマンディ法なるものによって、かろうじて、本当に微かにかろうじて繋がっていた、「成人の日」という縁(えにし)が完全に途切れてしまったような気がする。
色々な意味での為政者が、そういう選択肢を選びながら、若者たちに過度な期待をできるものであろうか。
私の思い入れの強い話ではあるが、これまでも様々な講演等でこの話をすると、老若男女問わず、多くの方に共感を持ってもらえる。
実は、それだけ、多くの人たちにとって、身につまされる切実なテーマなのだと思っている。
百万石祭りのメインイベントでもある、パレードが、これまでの利家入城の日とされてきた、六月十四日から、六月の第二土曜日に変えられた。
これまでも、利家入城の日は、六月十四日ではないという説も根強くあったということ(どうやらこちらの説のほうが有力なようだ)や、パレードはお祭り事という点からも、私はこの変更は、理解しているつもりだ。
一方では、これまで長年にわたって、六月十四日を利家入城の日としてきた、金沢市における、「史実」も尊重していかなければならないとも感じている。
金沢市が関係機関と協力しながら、決して派手である必要はないが、厳粛な取り扱いをしていく必要もあると思う。
確かに昭和天皇はお亡くなりになられたが、だからといって、亡くなられた方の生年月日が変るわけでもない。祝日にしないのならともかく、祝日にするのであるならば、やはり、昭和天皇誕生日とするのが素直で、正しい歴史認識ではないだろうか。
早朝に、日の丸を出した。
以前、ある国会議員の方が、他党のことを攻め立てる際、「あの党は、国旗国歌法案の採決において、党内が真っ二つに割れた。そういう集まりを政党といえるのか。」と声を荒げていた。
しかし、このテーマは、政争の具とするに相応しいものではない。
私はそういう喧騒とは別に、素直な気持ちで掲揚している。妻も、「あなたは公職に就いているのだから」と、祝日の朝に目がさめると、真っ先に玄関に向かう。
十一月三日は、文化の日とされているが、本来は、明治天皇誕生日ということで祝日となっている。十一月二十三日は新嘗祭(大嘗祭)であるが、なぜか、勤労感謝の日なる名称になっている。
体育の日、成人の日といった祝日を、その該当月の第二だか第三だかの月曜日に移動させるという法改正が行われた。土日と連なる三連休にし、観光等消費活動を活発化させようというものらしい。私は、このいわゆるハッピーマンディ法なるものは、天下の悪法だと思っている。
これまで、十月十日は東京オリンピックの開会日ということで体育の日とされてきた。体育の日が、十月の第三月曜日とされてしまうことによって、なぜ、体育の日というものが作られたのか分らなくなってしまう。現在の若い親たちでさえ、分らないものがいるのに、その子供たちの代になったらなおさらだ。
昨今、荒れる成人式といわれることが多い。私は、その原因の一端も、ハッピーマンディ法的な考え方が根底にあると思っている。
古来、日本には、今の一月十五日を小正月といい、いわゆる左義長なども行なわれてきた。いくつかの日本の農村には、男性は「若者組」、女性が「娘組」という若い衆の集まりがあったところが多く(現在も、青年団的なものとして名残があるところもある)、元旦で一つ年を数えて、ある一定の年齢に達したら、その小正月の日に、新たに若者組、娘組に入るという儀式が行なわれているところも多くあったという。
そのことを由来として、成人の日というものが、小正月でもある一月十五日に設定されたともいう。真偽のほどはよく分らないが、さもありなんという気もする。
ハッピーマンディ法は、そういう日本の伝統や文化、風習、言い伝えよりも、三連休による経済効果を優先したものといえる。つまり、わずかなものであったかもしれないが、日本の伝統、文化よりも、カネを優先したものともとらえられる。
これまでも、一月十五日をもって、成人の日としていることによって、前述のようなことを意識していた新成人はほとんど全くいなかったとは思われる。しかし、ハッピーマンディ法なるものによって、かろうじて、本当に微かにかろうじて繋がっていた、「成人の日」という縁(えにし)が完全に途切れてしまったような気がする。
色々な意味での為政者が、そういう選択肢を選びながら、若者たちに過度な期待をできるものであろうか。
私の思い入れの強い話ではあるが、これまでも様々な講演等でこの話をすると、老若男女問わず、多くの方に共感を持ってもらえる。
実は、それだけ、多くの人たちにとって、身につまされる切実なテーマなのだと思っている。
百万石祭りのメインイベントでもある、パレードが、これまでの利家入城の日とされてきた、六月十四日から、六月の第二土曜日に変えられた。
これまでも、利家入城の日は、六月十四日ではないという説も根強くあったということ(どうやらこちらの説のほうが有力なようだ)や、パレードはお祭り事という点からも、私はこの変更は、理解しているつもりだ。
一方では、これまで長年にわたって、六月十四日を利家入城の日としてきた、金沢市における、「史実」も尊重していかなければならないとも感じている。
金沢市が関係機関と協力しながら、決して派手である必要はないが、厳粛な取り扱いをしていく必要もあると思う。