今日で2月も終わります。
3月議会の準備に追われなかなかブログ更新ができません。
(+o+)(言い訳するな!との声も・・・)
ということで今回は、二つの演劇、保育園と障害者施設の劇を見て
の思いを書いてみたいと思います。
まずは、尊敬する健康福祉短大学長の
《秋葉 英則先生》「自分らしさの表現様式の獲得」の文章より。
生きとし生けるものは、すべて固有の表現様式を持ち合わせています。しかも、その究極の表現は、そのものの美しさに他なりません。
旬に咲く花、みなきそっているのではないかとおもわせるに足るだけの美がそこに展開しています。動物もまたそれぞれになんともいいようのない、あどけない表情をあらわにしています。これらは、みな、その種、それぞれを決定づける遺伝子によって決定されています。
ところが、われわれ人間にあっては、自分で自分なりに自分にふさわしい表現様式(人格)を獲得しなければならないのです。難儀なことであるといえば難儀ですが、自分で自分の美を選択できるという視点に立つなら創造のよろこびといえましょう。このよろこびを演出しきるのはこどもの世界です。
自分がいやになったら、こども、とりわけ幼児の身ぶり表現にはじまるごっこの世界に学んだらよいといえましょう。
この世界こそに、人間の自分らしさの表現様式を獲得できるメカニズムが潜んでいるといえます。いわば、こうなのです。
「チョウチョウになって飛び花にとまる」のです。チョウチョウに自分がなったのです。相手の立場になった。もう一人の自分(異質な他者なのだが)になりきって演じるのです。演じている内容を自分がみつめ、共感し、共にイメージを共有するいとなみなのです。
人間は、常に他者をくぐって自分に気づくもの、です。そのくぐり方を学んでいないと唯我独尊の世界にひたり、かたくなに自分を閉ざしてしまうものです。それだけに、この幼児期の身ぶり表現・ごっこ・劇づくりの世界は重要な経験です。
さつき障害者作業所30周年記念での
「3年寝太郎」演じた仲間も感涙
こばと保育園生活発表会での
「龍の子太郎」演じきったこども達の満面の笑み
どちらの演劇も上手い下手という次元を通り越して
笑いアリ、涙アリの素晴らしいものでした。
なぜこんなにも感動するのか自分の中で考えてみました。
それは演じ手、子どもたちや障害者の人たちが
素直に真剣に役になりきって演じているからこそ
私も素直に彼らの思いを感じるのだと思います。
全ては模倣から始まるのかもしれません。
他者を通じて自分を見つめること。
他者の気持ちに思いをはせ、物事を見つめ自分を表現すること。
こんな単純なことだけれど、本当に大事なことだと
今更ながら気づかされます。
そんなことを改めて考えさせられた、
二つの素晴らしい演劇でした。
3月議会の準備に追われなかなかブログ更新ができません。
(+o+)(言い訳するな!との声も・・・)
ということで今回は、二つの演劇、保育園と障害者施設の劇を見て
の思いを書いてみたいと思います。
まずは、尊敬する健康福祉短大学長の
《秋葉 英則先生》「自分らしさの表現様式の獲得」の文章より。
生きとし生けるものは、すべて固有の表現様式を持ち合わせています。しかも、その究極の表現は、そのものの美しさに他なりません。
旬に咲く花、みなきそっているのではないかとおもわせるに足るだけの美がそこに展開しています。動物もまたそれぞれになんともいいようのない、あどけない表情をあらわにしています。これらは、みな、その種、それぞれを決定づける遺伝子によって決定されています。
ところが、われわれ人間にあっては、自分で自分なりに自分にふさわしい表現様式(人格)を獲得しなければならないのです。難儀なことであるといえば難儀ですが、自分で自分の美を選択できるという視点に立つなら創造のよろこびといえましょう。このよろこびを演出しきるのはこどもの世界です。
自分がいやになったら、こども、とりわけ幼児の身ぶり表現にはじまるごっこの世界に学んだらよいといえましょう。
この世界こそに、人間の自分らしさの表現様式を獲得できるメカニズムが潜んでいるといえます。いわば、こうなのです。
「チョウチョウになって飛び花にとまる」のです。チョウチョウに自分がなったのです。相手の立場になった。もう一人の自分(異質な他者なのだが)になりきって演じるのです。演じている内容を自分がみつめ、共感し、共にイメージを共有するいとなみなのです。
人間は、常に他者をくぐって自分に気づくもの、です。そのくぐり方を学んでいないと唯我独尊の世界にひたり、かたくなに自分を閉ざしてしまうものです。それだけに、この幼児期の身ぶり表現・ごっこ・劇づくりの世界は重要な経験です。
さつき障害者作業所30周年記念での
「3年寝太郎」演じた仲間も感涙
こばと保育園生活発表会での
「龍の子太郎」演じきったこども達の満面の笑み
どちらの演劇も上手い下手という次元を通り越して
笑いアリ、涙アリの素晴らしいものでした。
なぜこんなにも感動するのか自分の中で考えてみました。
それは演じ手、子どもたちや障害者の人たちが
素直に真剣に役になりきって演じているからこそ
私も素直に彼らの思いを感じるのだと思います。
全ては模倣から始まるのかもしれません。
他者を通じて自分を見つめること。
他者の気持ちに思いをはせ、物事を見つめ自分を表現すること。
こんな単純なことだけれど、本当に大事なことだと
今更ながら気づかされます。
そんなことを改めて考えさせられた、
二つの素晴らしい演劇でした。