山根たけとの「山猫日記」

山猫日記にようこそ! 「日本共産党吹田市議会議員:山根たけと」のブログです。日常はツイッター・フェイスブックで発信中

演じるということ

2013-02-28 16:19:20 | 趣味
今日で2月も終わります。
3月議会の準備に追われなかなかブログ更新ができません。
(+o+)(言い訳するな!との声も・・・)
ということで今回は、二つの演劇、保育園と障害者施設の劇を見て
の思いを書いてみたいと思います。
まずは、尊敬する健康福祉短大学長の
《秋葉 英則先生》「自分らしさの表現様式の獲得」の文章より。
 生きとし生けるものは、すべて固有の表現様式を持ち合わせています。しかも、その究極の表現は、そのものの美しさに他なりません。
 旬に咲く花、みなきそっているのではないかとおもわせるに足るだけの美がそこに展開しています。動物もまたそれぞれになんともいいようのない、あどけない表情をあらわにしています。これらは、みな、その種、それぞれを決定づける遺伝子によって決定されています。
 ところが、われわれ人間にあっては、自分で自分なりに自分にふさわしい表現様式(人格)を獲得しなければならないのです。難儀なことであるといえば難儀ですが、自分で自分の美を選択できるという視点に立つなら創造のよろこびといえましょう。このよろこびを演出しきるのはこどもの世界です。
自分がいやになったら、こども、とりわけ幼児の身ぶり表現にはじまるごっこの世界に学んだらよいといえましょう。
 この世界こそに、人間の自分らしさの表現様式を獲得できるメカニズムが潜んでいるといえます。いわば、こうなのです。
 「チョウチョウになって飛び花にとまる」のです。チョウチョウに自分がなったのです。相手の立場になった。もう一人の自分(異質な他者なのだが)になりきって演じるのです。演じている内容を自分がみつめ、共感し、共にイメージを共有するいとなみなのです。
 人間は、常に他者をくぐって自分に気づくもの、です。そのくぐり方を学んでいないと唯我独尊の世界にひたり、かたくなに自分を閉ざしてしまうものです。それだけに、この幼児期の身ぶり表現・ごっこ・劇づくりの世界は重要な経験です。

さつき障害者作業所30周年記念での
「3年寝太郎」演じた仲間も感涙
劇
劇②
こばと保育園生活発表会での
「龍の子太郎」演じきったこども達の満面の笑み
劇③
どちらの演劇も上手い下手という次元を通り越して
笑いアリ、涙アリの素晴らしいものでした。
なぜこんなにも感動するのか自分の中で考えてみました。
それは演じ手、子どもたちや障害者の人たちが
素直に真剣に役になりきって演じているからこそ
私も素直に彼らの思いを感じるのだと思います。
全ては模倣から始まるのかもしれません。
他者を通じて自分を見つめること。
他者の気持ちに思いをはせ、物事を見つめ自分を表現すること。
こんな単純なことだけれど、本当に大事なことだと
今更ながら気づかされます。
そんなことを改めて考えさせられた、
二つの素晴らしい演劇でした。


百条調査委員会

2013-02-07 17:53:51 | ニュース
昨日、市長の後援会役員企業が入札をせず単独随意契約で
2250万円の太陽光パネルを発注していた問題で
市長を始め関係職員への事情聴取がおこなわれました。
今回は一応参考人ということで偽証しても罪には問われません。
職員の方は、みんなきちんと真面目に答えていたように思います。
特筆すべきはやはり市長の事情聴取。
失笑に次ぐ失笑。最後は呆れであんぐり(゜д゜)
・今回の件で後援会資料を要求したら、何のために
そんな資料を出さないといけないの?的な逆質問の
文書が送られてきたようです。しかもすでに辞められている
後援会長名で。そのことを尋ねると、
「次見つかるまで名義だけかしてもらっています」
「なかなか見つかりませんねん」とのこと。
H22年12月には、辞めているらしいです。
(提出要求した資料出さず。情報提供を求めるアンケートにも
わざわざ総務部長名で職務命令でないので協力する必要なし的な
文書を各部に配布。議会として抗議文手渡す。「全面協力する」との
言葉はなんだったのか?)
・解雇した私設秘書について、解雇したのに事務所に
頻繁に出入りしている。後援会に電話すると元秘書が出る。
どうなっているのかと聞くと
「私に(市長)迷惑をかけたから辞めさした」
「書類などわからないときは来てもらっている(無償で)」
「後援会の役員会議には出ている」
「それは個人的に応援してもらっているから」
「後援会会計責任者は今だに元秘書」
秘書だった時の雇用形態は?
「契約書は交わしていない。文書はなく口頭で雇ったと思う」
「月55万円。●●工業(後援会役員企業関連会社)
 から給与をもらってたのは知らなかった」(迂回献金の疑い)
「事務長がいなくなってからは自分で自分の給与支払い
 などをしていたと思う。私はタッチしていない」
パーティー券や企業献金は受けてるの?
「パーティー券はやってない。案内状を出して来た人に
 会費をもらっている(どう違うの?)」
「領収書の控えはありません」
「新年パーティーには元秘書も来ていた」
最後に、この事業起案書に決裁印を押していたことについて
初めは、知らなかった、認識なかった、気楽に押していた、
との答えを覆し「認識していた」としたのに対し、認識を質され
「職員を信頼しているから(ただ押すだけ)」
市長決裁は重要なものが届く、
それでは市長決裁、押印の意味って何ですか?
市長の仕事とは?と問われ
「市長の仕事は大きい流れを決めるだけ。
 細かいことは職員がすればよい」
「毎日10~多い時で100ぐらい決裁書類がある。
 全部見て押印するのは無理!」と開き直り。
会場いっぱいの傍聴者からは、
「無責任や!」「職務放棄や!」「真面目に仕事せえ!」
「男やろ!正直に言え!」

などの怒りとも呆れともとれる声が飛んでいました。
こういう人物だからこそ「維新改革」と称し、末端で生活を
している市民への影響など気にすることもなく、「大きい方向性」
と称して職員に嫌われ役を押し付け、子どもたちやお年寄りの事業を
ことも簡単に切っていけるのだなあと思いました。
ほんとに情けないし許せない