ちぇろりすとの独り言

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コルトーせんせ第二弾!

2005年09月28日 | おすすめクラシック
うう・・・
ルイサダせんせのショパン・コンチェルト第1番(『ジャン・マルク・ルイサダのスーパー・ピアノレッスン』(NHK教育火曜夜放送))はあまり好きになれないなあ・・・。あれはちょとくどいんではないかと思う。
コーダまであんなくどく弾かれたんじゃ、ただでさえ第1楽章長いのにあれじゃホントに胃もたれしちゃいますよぉ。

センセの演奏より昨日の生徒さんの演奏の方が全然好きだなぁ。たしかにルイサダせんせのおっしゃるように少々メリハリが欠けていたとは思うけど、タッチは生徒さんの方が美しかったし、テンポ感も実にスマートでこのショパンの若書きの作品にはうってつけの演奏だったのに。。。ワタシにはルイサダせんせの演奏は少々下品に聴こえましたですわ 
今回の生徒さんはいままで出てきた生徒さんの中では一番お上手な気がいたしました。この方は磨けばもっともっと光ると勝手ながら思って観ておりましたー


まあ、ルイサダせんせのすぅぱぁレッスンの話題はこれくらいにしまして、今日もおひとつオススメCDの紹介しちゃいマス♪



ちょっと唐突かもしれませんが・・・
ロベルト・シューマン(1810-1856)ていう人はちょっと変わったお人だと思いませんか?
だって、唯一のピアノ協奏曲の第2楽章が“Intermezzo”(間奏曲)なんですもん。これってちょと不思議。全楽章の有機的な連関性を高めるための“Intermezzo”だということはわかるのですが、通常3楽章で構成される協奏曲の第2楽章に“Intermezzo”なんぞを持ってきた人はワタシの知る限りこの人だけです。
“Intermezzo”っていうのは、本来「オペラ」の幕間に器楽で演奏される間を持たせるための音楽だから、シューマンのこの曲ではもちろんすでに形式化してしまっています。なにしろ、曲全体が器楽曲ですからね。 ブラームスのピアノ小品でもこの“Intermezzo"が多用されているし、ショパンラフマニノフスクリャービンといった人たちが“前奏曲”だけでひとつの連作(全24曲)を作っているのとも発想は同じと言ってよく、要するにこれらは“キャラクター・ピース”(性格的小品)と化している。
ワタシ個人としては、ショパンやブラームスのようなキャラクターピース的な扱い方は普通にしっくりくるのですが、このシューマンのピアノ協奏曲への“intermezzo”の扱いかたは少し違和感があるんです。ちょと珍しい例なので。

それにね、この第2楽章は、要は恋人同士の他愛もないやりとりなわけですよ。最初にピアノで奏でられる少し無邪気な主題が「シューマン本人」だとすれば、途中まずチェロソロから始まりストリングス全体に受け継がれていく、甘~いため息のような曲線的で女性的な主題はまさしく「クララ」と捉えてもなんの不思議はない。ただそんな二人の恋人どうしのやりとりを赤の他人が聴くことほど、退屈なものはにゃい!!(爆)

まあいずれにせよ(苦笑)、シューマン本人に第2楽章の地位をおとしめるような気がなかったのは明白にもかかわらず、このピアノ協奏曲にのみIntermezzoをもってきたこと自体やはり非常に興味深いことに思えます。彼のチェロ協奏曲の第2楽章もヴァイオリン協奏曲の第2楽章も、Intermezzoではないし、4つある交響曲にもひとつとして出てこない。

と、まあいろいろと言ってきましたが
この曲はワタシも人並みに好きな曲で、ルプーや、クライバーンツィメルマンペライアなどの秀演をいろいろ聴いてきましたが、この少々風変わりな第2楽章については、intermezzoであるなしに関係なく、今までさして感動をもって聴いたことはなかった、というかいつも軽く聴き流してきたように思います。アルフレッド・コルトーの演奏を聴くまでは。

実は最近アルフレッド・コルトーの演奏が密かにマイブームでして、少しずつ、しかし着実にコレクションを増やしつつあるのですが、最近手に入れたものの中に、このコルトーせんせのシューマンがあったわけです。これもNAXOSヒストリカルシリーズのおかげ
ワタシがとっても素敵だと思ったのは、両端Allegro楽章ではなく、まさしくこの第2楽章Intermezzo。コルトーせんせの演奏だと、いままでかる~く聴き流していたはずのこのIntermezzoが突然、瑞々しい生命力を持った音楽としてワタシに訴えかけてくるではありませんか!!(別に大袈裟に言っているわけじゃありませんのよ) この泉のように湧き出てくるファンタジーは、もうどう説明してようのかわからないくらい素晴らしいとしか言いようがないです。特に最初のピアノで奏でられるテーマとそのテーマが再現するところを聴いただけでもう萌え萌え 言葉ではこれが限界
よく、有名な批評家の批評などを見ていると「最初の一音を聴いて、涙が溢れた」とか、歯の浮いてしまいそうな少々信じがたいような文句を目にすることがよくありますが(苦笑)、今回はワタシにもめずらしく「何かが降りてきた」のでしょうか、まさに「最初の1音」から「コルトーせんせ、素敵ぃ~」と思ったんです。ウソじゃないDEATH!!


ちなみに、このディスクにカップリングされているショパンのピアノ協奏曲第2番もとっても素敵です!それと、おそらくこの曲の第2楽章も今までワタシが聴いてきた中で最高の演奏だと思います。本当に詩情豊かな演奏 ここまでテンポルバートをしていながら、演歌にならないのは、ルバートをしながらも左手は一定のリズムを刻んでいる証拠。確かなリズム感と豊かな詩情の絶妙な融合DEATH!!ペダリングのセンスも素晴らしい!! 
同じフランス人なのになんでこんなにルイサダせんせと違うんだー

あ、ちなみに戦前の録音にもかかわらず驚くほどの優秀録音です、これ。文句なし!!

>以前のコルトーに関するエントリーです。よろしければどうぞ♪→こちら





<CDデータ>
【演奏】アルフレッド・コルトー(Pf)
     ランドン・ロナルド指揮ロンドン・フィル→シューマン
     ジョン・バルビローリ指揮 ロンドン・フィル→ショパン
【曲目】ピアノ協奏曲イ短調 Op.54
     ピアノ協奏曲第2番ヘ短調 Op.21
【録音】1934年、1935年
【発売】NAXOS 8.110612

帝王サマ奥儀・心眼振り!!

2005年09月27日 | 演奏会&CD評

いつのまに『Glicoアーモンドチョコ』のパッケージがこんな豪華仕様になっていたんですねー
前のパッケージはもっと長っぽそくて、ずいぶん長い間あの形だったせいもあってあっちのほうが思い入れがありますが(苦笑)、この豪華さときたら!!これはまるで・・・シャア専用!! いちおう味は変わってはないみたいだな( ̄~ ̄)



そういや、今日BSクラシック倶楽部でやっていたこちらの映像も・・・

シャア専用(背景が・・・)




なにしろ・・・こっちは“大佐”どころか“帝王”ですからねぇ。


この映像、驚いたことに帝王がパリ管を振っている!!(『幻想交響曲』(ベルリオーズ)1971年のスタジオ録音です。さっき調べたらDVD出ているようです。→こちら。さらに調べてみたら、1969年~1971年までパリ管の芸術監督だったそうですわ
ていうか、そもそもカラヤンの『幻想』なんか有名だったっけ??このイケイケ!ドンドン!!な曲はいかにもカラヤン向きだとは思うけれど、今まで意外なほどに帝王サマとこの曲はリンクしなかったんだよなぁ。(無知ですいません

実はワタシ、この曲が随分長い間好きになれませんで、ようやく好きになったのが、2年前くらいにゲルギー様がウィーンフィルと共演したド派手な演奏を聴いて初めて感激しましたです。でも、正直に白状すると曲の全てに感激したわけではなくて、第4、第5楽章の派手な部分のみいいと思っただけ もともと好きじゃないんだからしょうがないの(苦笑)
おそらく一般的に名盤と言われている、デュトワ盤や、ミョンフン盤は、邪道かもしれませんがワタシの趣味にはぜーんぜん合いませんでした。どうもあの軽さが趣味にあわない( ̄~ ̄)   ワタシはこのベルリオーズという人の曲は純粋なフレンチの曲とは全然思っていないので、あんましフランスっぽい明るいソフトな表現されちゃうと、拍子抜けするのよ。
ただ、まだ往年の超名盤って言われてるシャルル・ミュンシュ盤をまだ聴いたことがないので、こちらは機会があればいずれ聴いてみようと思っています。幻想でこの盤聴いてなきゃモグリだろっ!て言われそうですし

しかしですね、もともと『幻想』嫌いだったパンピーといたしましては、今日の帝王サマの映像を観て、ようやくこの曲の前半部分をマジメに聴く気になったのです!!これも帝王サマの偉大なるお力のおかげ!?
帝王サマはめずらしくパリ管をお振りになられているとは言え、この楽団を完璧にコントロールされておいでで、しかもまるでベルリン・フィルを振られているかのようなド派手な音色であらしゃりましたん


           むぅぅん!!帝王サマお得意のポォォ~ズ!!

ただカラヤ~ンセンセ、いつも強奏部分になるとどうしてもテンポが重くなりがちになるんだよなー。リヒャルト聴いても何聴いてもそうなんだ 決して演歌調になって遅くなっているのではなく、おそらく、帝王サマ特製超豪華仕様のレガートを引き出そうとするあまり、知らない間にテンポが遅くなっているんじゃないかなーって思うんですよね。絶対にテンポジュストか、テンポを上げたほうがかっちょいいのにさぁ。付点のリズムも甘くなりがちになってキレ味悪いし。そこがいつも気に食わない。(まあ、これがカラヤンの“刻印”だという見方もありますけどね( ̄~ ̄) )
あともうひとつだけ言わせてもらえば、パリ管の金管どもうるせー もう少しデリカシーを見せ給へキミ達。いくら豪華な曲だからってそれは・・・ヤリスギDEATH!!

ただ、この2点を抜かせば、もうこの演奏文句なしです!!もしかしたら、ゲルギー様の演奏より気に入ったかもしれない。特に曲全体のバランス。帝王サマバンザイ・バンザイ・バンザーイ

しかし、帝王サマの指揮姿ははいつ見ても神々しいね 本当に全てを自分のコントロール下においています。この人、果たして演奏中に一度でも目を開けたんだろうか  あの振り方はまさに・・・帝王サマ奥儀・『心眼振り』ぞな!!(爆)

思わぬ収穫

2005年09月26日 | おすすめクラシック

思わぬ収穫とはまさにこのことです
目当てにしていたチェロ協奏曲Op.40もたいへん気に入ったのですが、それ以上に気に入った・・・いや!めっちゃくちゃ感動したのが、

◆ピアノと弦楽オケのためのエクローグ(Eclogue for piano and strings,Op.10)

です。これまた秋にピッタリの曲デス♪

作曲家のお名前はジェラルド・フィンジ(Gerald Finzi,英 1901-1956)

彼の印象をわかりやすい例で言うと、フィンジよりも少し前の時代のイギリスの作曲家ディーリアスのモヤモヤしたイギリス的印象派風の作風をもう少し輪郭がはっきりした作風とでもいいましょうか。あるいは、こないだ紹介したセヴラックのような田園風景を思わせるような素朴な美しさを讃えた音楽とでも言いましょうか。日本の作曲家で言うなら、吉松隆さんと、久石譲さんを足して2で割ったような感じかな。とにかく美しくて聴きやすいです。聴きやすいんだけど、決して安っぽい音楽では断じてないです!!
それにしてもこのフィンジのエクローグOp.10の美しさはまさに折り紙付きデス あとで確認して驚いたのですが、もともとピアノ協奏曲の緩徐楽章として構想されたものが、そのままこの楽章だけ残ったのだそうです。ピアノ協奏曲が完成されなかったのは残念でなりませんが、この美しいエクローグが破棄されずに残ったことは、たいへん喜ぶべきことだと思いますね(^-^) 

こないだ紹介したメトネルの第2協奏曲の第2楽章や、ラヴェルのピアノ協奏曲に似て、最初はもの凄い透明感のあるたいへん美しいピアノのモノローグがF-durで始まります。この最初の1分ほどのモノローグを聴いただけでもう昇天しちゃいそうDEATH そしてテーマが一巡したところで、ストリングスが加わり変奏曲風の展開を見せていき実に様々な色彩を奏でてくれます。

おもしろいことに、ところどころに“非和声音”を鳴らしているのですが、それがぜんぜん不協和音に聴こえないくらい自然に、かつ巧みに処理されていて、全然嫌味なところがないんです!たった10分ほどの曲ですが、実に聴かせてくれますよこの曲は。
コーダに入る前に再びピアノのモノローグが入りますが、出だしのどこまでも美しく甘いメロディーとは異なり、いつのまにかどこか陰を帯びた物憂い雰囲気に様変わりしているんです。一日に日の出と日の入りがあるように、人生にも穏やかな幸せをかみ締めている時と、孤独にさいなまれ悲しい時を過ごすこともあるということでしょうか。そして曲は、その雰囲気のままコーダへ導かれ、静かに幕を閉じます。終始和音はちゃんとF-durで終わりますけどね(^-^)
ま、なんと言いますか、ただ美しいだけで終わらないところがこの曲の魅力をさらに引き立てているように思います

フィンジ自身のプロフィールを調べているとわかるんですが、この曲はまさにフィンジそのものというか、フィンジの人間性が余すことなく発揮された作品のように思えてきます。
彼はイタリア系ユダヤ人の家に生まれ、8歳で父を亡くし、その後3人の兄に次々と先立たれ、13歳から師事した作曲家兼オルガニストのアーネスト・ファーラーにも第1次大戦で先立たれました。感受性豊かだったフィンジ少年は、ユダヤ系という特殊な出自と、人の死というものに早くから向き合って孤独をかみ締めて育ったせいか、とても繊細でどこか内面に暗い陰の部分を持った人物だったらしいです。結婚してからはロンドンを離れてハンプシャー州のニューベリーに移り、念願だった田園生活を営み次々と甘く美しい音楽を生み出したそう。

エクローグはそんなフィンジの愛した甘く美しい田園風景と彼の陰の部分がほどよくミックスした名曲のように思います


ところで、“Eclogue”(エピローグじゃないの)って、あまり聞きなれない言葉ですが、調べてみたら“牧歌”のことらしいです。

で、さらに国語辞典でこの“牧歌”の意味を調べてみると(苦笑)、

(1)牧童のうたう歌。
(2)牧人・農夫の生活を主題とする詩歌や歌曲。パストラル。


ということらしいです。
まあ、意味的には(2)のほうでしょうね

今思ったんですが、この曲、うちのブログのブログタイトルの壁紙の『夕暮れの十和田湖』の写真にもバッチリ合うじゃないですか!!BGM鳴らせるなら、間違いなくこの曲をバックにかけたいですねー。夕暮れの十和田湖にフィンジのエクローグ・・・いいなぁ~

そうそう、演奏者の紹介を忘れてました
ピアニストはピーター・ドノホー氏(イギリス・マンチェスター生まれ)で、彼は1982年のチャイコフスキー国際コンクールの優勝者。名前と経歴は存じていましたが実際の演奏を聴いたのは今回が初めてです。けっこう腕っ節の強い演奏で、タッチもかなり豪快なんですが、こういう甘く切ないスローテンポな曲も実にうまく聴かせてくれます。非常に幅の広いダイナミックレンジを持ったひとで、とてもスケールの大きい音楽作りをする人ですね。これとカップリングされている『大幻想曲とトッカータ』(Grand Fantasia and Toccata,Op.38) で見せるヴィルトゥオジティもまさに圧巻で、こちらも彼の骨太な演奏の魅力を余すことなく伝えているように思います。
まさか、ナクソスでチャイコンの優勝者の名演が聴けるとは思ってもみなかったので今回はちょっと驚いちゃいました

実はもうひとつフィンジのディスクをいっしょに購入しまして、それにも同じエクローグが入っていたんですが、こちらはドノホーよりもソフトで少し淡々としているところがありますが、タッチが非常に美しく、少し早めのテンポも実に心地いいです。タッチの美しさだけで言うなら、ドノホーよりもこちらのピアニストの方がワタシの趣味に合います。このマーティン・ジョーンズというピアニストに比べると、ドノホーの方がテンポが少し遅めで、しかも表現がドラマティックですね。ダイナミックレンジがドノホーの方が圧倒的に凄いです(録音環境どうこうではなく、明らかに表現としてそう聴こえます)。ダイナミックでエモーショナルな演奏が好きな方には、ドノホーの演奏がオススメかなー。逆にソフトな演奏が好みの方はマーティンの方がオススメでしょう。ただマーティンの方は、ストリングスオケの腕がちょっといまいちですね。ところどころ、音程のマズイところが気になります。表現や音色面でのソリストとの協調性はバッチリですけどね♪
というわけで、どちらの演奏もそれぞれ違った魅力に溢れている演奏だと思います

肝心のチェロコンですが、まだちゃんと聴いてないのでいずれまたエントリーいたしますー




<CDデータ>
【演奏】ティム・ヒュー(Vc),ピーター・ドノホー(Pf)
     ノーザン・シンフォニア(管弦楽),ハワード・グリフィス(Cond)
【曲目】○チェロ協奏曲Op.40
     ○ピアノと弦楽のためのエクローグOp.10
     ○大幻想曲とトッカータOp.38
【録音】2001年1月
【発売】Naxos  8.555766 



<CDデータ>
【演奏】Martin Jones(Pf),Alan Hacker(Cl),
     English String Orchestra,William Boughton(Cond)
【曲目】○Eclogue for Piano and Strings
     ○Music for Love's Lobour's Lost
     ○Clarinet Concerto
     ○Prelude for String Orchestra
     ○Romance for String Orchestra
【録音】1887年、1992年
【発売】Nimbus Records  LC 5871

この枯れ具合がたまらない

2005年09月25日 | おすすめクラシック
えー、こんなこんなこと言ったら怒られちゃうでしょうが(苦笑)、チェロ始めて10年目にして、初めて!前世紀最大のチェロの巨匠と言われたパブロ・カザルス(Pablo Casals, 1876-1973)をいいと思った・・・DEATH!!

あくまで私見ですが、今までカザルスという人はあのフルトヴェングラーのように時代の波に左右されない高い評価を得られるような演奏家だとは正直とても思えなかったのです。まず、音が美しくない、いや“汚い”!! ・ 「ガシュン!!」みたいな弓が壊れそうなほどの勢いのアタック音がきつすぎる ・ 演歌入りすぎ・・・などの理由で、はっきり言ってワタシの好みからは程遠かったわけ。(我ながら神をも恐れぬ発言(爆)ファンの方すみませにゅm(_ _)m)
でもね、今回ようやくひとつのCDを聴いておっ!と思ったんです。
それがこのCD。





【演奏】パブロ・カザルス(Vc)、アレクサンダー・シュナイダー(Vn)
     ミエスチラフ・ホルショフスキー(Pf)、プラド祝祭管弦楽団
     ユージン・オーマンディ(Cond)、レオポルト・マン(Pf)
【曲目】チェロ協奏曲イ短調 op.129  ピアノ三重奏曲 第1番 イ短調 op.63
     民謡調の五つの小曲集op.102   (以上、ロベルト・シューマン)
【録音】1954年、1953年、1952年
【発売】SONYクラシカル SMK 58 993


いやぁ~この枯れ具合たまりませんわ

シューマンのチェロ協奏曲と言えば迷うことなく、スティーヴン・イッサーリス(Vc)の演奏を一番に挙げるワタシですが、このカザルス盤、イッサーリスの流麗でかっちょいい演奏とは違い、オトコ臭い、いや、オヤジ臭い!!演奏そのものですが、なんつーかそれがまたいい味だしてるんだなぁ~。この曲はこうやって“演歌”してても、そんなにドぎつく聴こえねいですね♪不思議と。

このカザルス、たしかに“オヤジ臭”全開の演奏はいつもと同じで、演奏内容もかなりムラがあるのですが、これがこのシューマンにはかなりいい具合に作用しているみたいで、ワタシとしては、例えば第1楽章から第2楽章に移行する間奏部分のヴィブラートを極力押さえたすすり泣くようななんとも言い難い感情表現、心に染みますた(T-T) 
続く第2楽章 Langsamの“一時のやすらぎ”も、たまらなくいい ちょい男泣き入ってますが(苦笑)。再びテーマに戻ったところのアゴーギクもたまらなくいいデス そして第2楽章から第3楽章への移行部分の狂おしい情念を具現化したような鬼気迫る表現も凄い!!
そして・・・なんといってもこの演奏のハイライトは、第3楽章のコーダの前に置かれたカデンツァでございます。今までこのカデンツァを自作のカデンツァで弾いていたのはポール・トルトゥリエ(Vc)の演奏でしか聴いたことがなかったので、演奏者自作のカデンツァを聴くのはまだこれで2回目。このカデンツァがもう、くぅ~っ(T-T)ですわ。ほんとに聴かせてくれます 下手に技巧に凝ったつくりではなくて、第1楽章のふたつの主題をメインにした構成のシンプルな語り口がまた最高にいい゛オヤジ臭”を出してくれていますわ。ああ、もう最高DEATHパブロン(爆)

この曲の演奏で、これほど各フレーズ・各楽章の個性を明確に表現した演奏はワタクシ、おそらく初めて聴いたように思います。オケもこのカザルスの激しい気性に牽引されるかのように、とってもドラマティック!!エモーショナル・レベルはあのメリケン国で猛威を振るったハリケーン「カトリーナ」や「リタ」をはるかに上回るレベルDEATH!!

そして、カップリングされているピアノ三重奏曲第1番の“枯れ具合”もまた最高ですな( ̄~ ̄)  本当はこの曲の演奏の方がさらに好きです これぞ超絶名演!!  ホルショフスキの品のいい素敵なピアノといい、シュナイダーのいい意味でスタンダードなバイオリンといい。これにカザルスのスパイスの効いた味付けが絶妙にマッチしていて、たまりまへーん!!


というわけでこのディスクを聴けばカザルスの情念の世界に飲み込まれてしまうこと間違いなしデスッ!!

それにしても、パブロンじゃなかった(苦笑)、パブロさんよく唸ります。「うう・・・」とか「もふ~」とか「ムゥ・・・」とか、「むほっ!」とか「う゛っ!!」「う゛-!」とか。。。実にヴァリエーション豊富 奇声のヴァリエーションにかけてはあの“のだめ”の上を行ってますよ(爆)
唸り声的には、あのグールドのうるさいくらいの鼻歌のほうが気にならないんだよなぁ。あの人のはちゃんと“歌”なってるからそれほど気にならないんだけど、パブロンぜるきんパパのは、かなり凄い。たぶんこの唸り声の回数や声の大きさによってその日の彼らの調子が測れるんではないかと思っちゃう♪ うちにカザルスの1961年11月13日にケネディ大統領の前で演奏した有名な“ホワイトハウス・ライブ”のディスクがある(ワタシが買ったのではない)んですが、この演奏はこのシューマンほど唸り声が聞こえないような気がする(苦笑)
神をも恐れぬ発言になりますが、第1楽章の前半でパブロンがう゛っ!!って物凄いでかい声で唸るところ(第1主題が一巡して鋭い音階で駆け上がっていくところ(1′25″付近))があるんですが(爆)、ここで本当に発作でも起こって逝っちゃったかと思っちゃいましたよあたしゃ・・・。
パブロンのディスクはまさに奇声ラッシュですな(爆)

あ、そうそう。演奏内容のことばかり書いちゃいましたが、録音の音質もこの時代にしてはかなりいいです。ひとつひとつの音がとても明確に聴こえるし、ほどよい立体感も実現していると思います。

ワタシのようにカザルスが苦手だった方には是非オススメしたい一枚ですね


それにしても、台風はいったい今どこにいるんでしょう??まだ来てないのか、もう行っちゃったのか、はっきりしろよーったく!! さてと、午後に備えて練習でもするかなー。


寅ちゃんとトラ

2005年09月24日 | なんでもかんでも
あ~あ、寅ちゃんまたフラレちゃった(たった今BS2でやってる「寅さん~私の寅さん」DEATH) それにしても、岸恵子の若い頃の演技初めてみたんですが、なんか日本人離れした魅力(少し語弊がありますが)があっていいですね-。 なんか妙に生活感が感じられないところが。 なんかこう、この人が普通に生活している姿がまったく想像がつかないっていうか。女優ってのはこうでなくてはと思いますわ 日本人の女優でこういうのを感じるのは、岸恵子とあともう一人、アー!!出てこない。誰だっけ・・・。おばちゃんだけど(苦笑)最近こういう雰囲気をもった女優ってあんまりいないような気がするんだよなぁ。なんでだろう??
宮崎葵ちゃんとかこういう風になりそうな雰囲気はあるけどね
あー、でも逆に生活観をモロに感じさせる倍賞千恵子の「おにぃ~ちゃん」っつういつものフレーズも心に染みるねぇ~ 

今さっきHMVから届いたばかりのボッケリーニ(1743-1805)の有名な“メヌエット”が入った弦楽五重奏曲集フィンジ(1901-1956)のチェロ協奏曲を聴きながら書いてます。この雨のなか届けてくださったS川急便の方ご苦労様でございましたm(_ _)m
フィンジって今回初めて聴いたんですけどオーケストレーションのうまさにまず驚きました メロディーもきれいだし またそのうち別の記事でちゃんとエントリーしたいと思います

明日は、オケのトラ(練習)に行ってきます。今週の月曜日にパート譜が届いたばかりなのでまだあんまし自信がないんですが、もう本番が近いので無理やり行って来ますー(T-T) 明日の練習内容は、魔弾の射手序曲(ウェーバー)に、ハンガリー舞曲g-moll(ブラームス)に、ドボ8です。ドボ8以外は初めてなので緊張しまする~ 魔弾、途中からテンポが物凄く速くなるのであまり速くやられるとまだついていけない可能性が
それにしても明日雨やんでくれないかなぁ。。。傘を片手にチェロってけっこうしんどいもんでして・・・。あとこれにバスが加わるともうチェロ弾き的には(ノ゜o゜)ノ ひぃぃぃ~って感じ(爆)

今日のエントリーは“寅ちゃん”にはじまり、“トラ”で締め。お後がよろしいようで


P.S.
今思い出しました!!先ほどのわからないって書いた女優。秋吉久美子さんです!あの方も生活感をまるで感じさせない、妙な浮遊感みたいなのがあっていいですねー

素朴でいいっ!!

2005年09月23日 | おすすめクラシック


<CDデータ>
【演奏】ピエール・ギヨー(オルガン)、リヨン声楽・器楽アンサンブル
【曲目】組曲ホ短調
     オルガンのためのヴェルセ
     スコラ的唱組曲ヘ短調   (以上、セヴラック)
【録音】1978年9月 リヨン、サン=フランソワ・ド・サール教会
【発売】Erato WPCS-22091


秋になると不思議とデオダ・ドゥ・セヴラック(1872-1921)の音楽が聴きたくなります この人の音楽を聴くと、なんか実りの秋が来た~(^-^)っていう感覚になるんです 素朴で温ったか~い彼の音楽とともに南フランスの片田舎の風景が浮かんできそうだなぁ。のんびり一人旅にでも出たい気分になってきますねぇ 彼の音楽は、世紀の狭間の音楽なんだけど、人の素朴な“信仰”・“祈り”というものを実感させてくれて、聴き手の心を実に穏やかにしてくれます(^-^)

今日は彼のオルガン曲集を紹介するつもりなんですが、今、タワレコ、HMV、Amazonのページを調べてみたら、セヴラックのオルガン曲集ってこのCDしか手に入らないみたいですねぇ セヴラックという人物がまだまだ認知されていないってことでしょうか。とっても残念なことです。自分もこれしか持ってないんですけど・・・。

彼の作品は、歌曲とピアノ曲がメインですが、生まれ故郷の南仏ラングドック地方の村の教会でオルガンをよく弾いていたせいか、オルガン曲もいくつか残しています。(以下が彼のオルガン作品を網羅したものなります。)


エレヴァシオン(1890)
ヴェルセ(唱句)(1890)
ヴェルセ(唱句)ないしは前奏曲(1892)
カノン形式の幻想間奏曲(1897)
下降音階のカノン(1898)
4部の前奏曲(1898)
組曲ホ短調(1897-1898)
オルガンの為のヴェルセ(晩祷唱句)(1912)
スコラ的小組曲ヘ短調(1912-1913)




今日紹介するディスクはこのなかの最後の3つのオルガン曲がまとめて収められたものです。その中でも、「組曲ホ短調」はなかなかの力作でたいへん聴き応えのある曲です。


「組曲ホ短調 Suite en mi mineur pour orgue」

a)前奏曲(Prelude):ことさらに壮麗な響きを求めているわけではなく、ほのかな悲しさを秘めた、素朴で美しいメロディーを基調とした曲です。急な転調がとても効果的に扱われていてこの素朴で美しいメロディーを近代的な感覚でうまく味付けしているように思います。
b)コラール(Choral):本当に傍らに天使が舞い降りてくるかと思うほどの暖か~い光に包まれた、神秘的で非常に内省的で穏やかなやすらぎに満ちたコラールです。まさに祈りの音楽であると思います。
c)田園風幻想曲(Fantasie pastorale):3拍子系の舞曲風のリズム(パストラール(※)って書いてあるか)に乗って非常に素朴でチャーミングな音楽が展開します。パストラールのゆるやかな6拍子のリズムが本当に心地よいです。いいなぁ~パストラール♪ 02'50"あたりから3声で繰り広げられるチャーミングな対話は本当に詩情豊かで、幸せな気持ちにさせてくれます
d)フーガ(Fugue):曲は再び主調に回帰します。決然とした雰囲気を醸し出しながらも、セヴラック独特の素朴でソフトなファンタジーはこのフーガでも充分に発揮されています。後半部分では途中挿入される即興的なレシタティーヴォや、オルガンならではの壮大で重厚な音響世界を楽しむことができます。



あのドビュッシーがセヴラックを賞賛した有名な言葉があるのですが、彼はセヴラックの音楽を聴いて「いい匂いのする音楽」と言ったそうです。当時、無調・全音音階といった機能和声崩壊の最前線にいたドビュッシーですが、同時代を彩った同国人セヴラックの素朴で美しい音楽も心から愛でていたことが伺われる言葉ではないかなと思います。

ワタシ自身の感想は、ドビュッシーラヴェルといった都会的で洗練された作風とは対照的に、フォーレデュリュフレといった南仏の素朴な詩情豊かなパステルカラー調の音楽という印象です。とにかく心が和みますねー彼らの曲は
もちろんセヴラックのピアノ曲も“メロディ”(フランス歌曲)もオススメDEATH


※ pastorale【独パストラーレ】・田園的な題材をもつ歌劇や音楽劇。ルネッサンス時代にイタリアで起こった劇。・牧歌的な性質をもった器楽曲や声楽曲。6, 9, 12拍子の素朴な旋律をなす。musette や siciliana はこれに類する。バッハ作曲「クリスマス・オラトリオ」の「パストラル・シンフォニア」など。(出典:WEB版ポケット音楽辞典)


ナマ・イッサーリス最高でした~☆

2005年09月21日 | 演奏会&CD評


たいへん遅くなりましたが・・・イッサーリスの演奏会報告です。

演奏会の内容ですが、

東京交響楽団第528回定期演奏会 ~'05・9・17 サントリーホール・ライヴ~ 

              “不毛からの脱却と栄光”

・戴冠式行進曲「王冠」(ウォルトン)
・チェロ協奏曲(エルガー) (アンコール:「鳥の歌」)
・組曲「惑星」(ホルスト)

スティーヴン・イッサーリス(チェロ)
ラモン・ガンバ指揮、東京交響楽団、東京コーラス



なんかこの演奏会のタイトル・・・、あまりのセンスのなさに思わず引いてしまいますが、なんのことはない、ごく普通にイギリス出身の作曲家の曲でまとめた演奏会です 無理にタイトルなんかつけなくていいのにねぇ
この日の演奏会は最初の前プロのウォルトンからブラボ~!!が出ちゃったりして、かなりお客のウケもよかった演奏会でした。ラモン・ガンバさんのタクトさばきはとても切れ味鋭く、この景気のいい「戴冠式行進曲」をジャーン♪♪ってあまりにも鮮やかに決めてくれたので思わずブラボー!って叫んじゃったのかも知れませんねー(^-^)

エルガーのチェロ協奏曲は、イッサーリスの演奏ではまだ聴いたことがなかったので、彼がどのようにこの曲を料理するのかとても楽しみにしていました。多くの人と同じように、ワタシもあのデュ・プレの渾身の演奏のイメージがたっぷりと耳にこびりついちゃってるし、彼女以外の演奏でエルガーのコンチェルトを聴くのもこれが初めてだし。

で、一言で感想を言いますと、イッサーリスはいつものように鋭いボーイングでたいへんあっさり味のエルガーに仕上げておりました♪  デュ・プレとはまさしく正反対の演奏といっていいと思います。ま、予想通りと言っちゃ予想通りですね(^-^) イッサーリスとラモン・ガンバさん。この二人の英国コンビの相性もなかなか良かったみたいで、ふたりの息はとても合っていたと思います。ガンバさんも、速く鋭く流れるようなテンポが好きな方みたいですねぇ。

第一楽章の重音で奏でられる重厚な序奏部分などは、むしろデュ・プレよりもたっぷりめに弾いていたりしましたが、基本的なテーマの歌わせ方などは、イッサーリスらしい鋭くかつソフトな弾き方でした。だから、第4楽章のコーダにもどってくる直前のあの狂おしく悲痛なチェロの旋律(第3楽章の主題の復活部分)などは、さすがにデュ・プレの渾身の演奏に軍配があがると思いますが、逆に第3楽章の穏やかで優美な歌わせ方にかけてはイッサーリスのソフトで甘~い語り口が良かったかなーって思います。第4楽章の最初のテーマの付点のリズムを少しいじくってイッサーリス味に仕上げている点もおもしろかったですね。

で、アンコールに弾いてくれたのがなんとあの「鳥の歌」。イッサーリスにしてはちょっと珍しい選曲のように思いましたが、やっぱりそこはこだわりの人イッサーリスで、少し珍しい編曲版を弾いてくれたんです。なんと普通のa-mollのバージョンではなくて、g-mollの編曲でした。かなりバスを補強した編曲で聞き応えがありましたねー。後半部分の繰り返しの後は一度めよりもかなりハイポジで弾いて変化をつけていて、これもなかなか芸が細かった♪(とってもきれいだった!)。もしかしたら、イッサーリスの特別バージョンだったのかもしれませんね(^ー^)  このアンコールも大変満足でした!!

イッサーリスにいつもつきまとう批判があるのですが、彼はガット弦(もちろん裸ガットではないですが)を好んで使用するため、いつもオケの音に埋もれてしまって迫力が全然ない!という批判があります。ま、聴いてみると実際その通りでして、たしかに音量的には多少物足りなさを憶える面はワタシにもないとは言いません。
ただ単にガット弦を使用しているということだけでなく、おそらく彼が現在好んで使用している“フォイヤマン”(ストラディヴァリウス)という楽器が、以前使用していた“モンタニャーナ”のようなパワフルな音を持った楽器に比べて、より室内楽的な繊細な音を持った楽器であるということも関係していると思います。
聴いていておもしろかったのは、この日のメインの組曲「惑星」の第2曲“金星”にチェロのトップ・ソロで、このトップの人の方が、ソリストであるイッサーリスの音量を悠に上回る太~い音でゴ~リゴリ弾いてました(苦笑)

でもね、このようなことはイッサーリス・ファンとしては百も承知なわけでして(苦笑)、音量どうこうよりも彼の歌わせ方や、解釈が目当てで来ているのでワタシとしては全然満足でした いい意味でこだわりを持ったイッサーリスが、いまさら主義主張を変えることなんてあり得ないしね
さらに言うなら、このエルガーのチェロ協奏曲はラフマニノフのピアノ協奏曲などに代表されるような後期ロマン派のイケイケ!ドンドン!的な壮大な音響を求めているような曲ではそもそもないですから。管楽器の編成もこぢんまりしてますし、構成的にも室内楽的な要素が多分に見て取れる曲です。この曲の名前を「室内協奏曲」と呼んでもいいくらいだとワタシは思っていますので。ホント地味ぃ~な曲ですからね~この曲は だから弦のプルト数もハイドンやモーツァルトをやるくらいの編成に削ればいいのに!とイッサーリスではなくオケの編成に突っ込みをいれたくなるのがワタシの考えかなぁ。
ま、イッサーリスがガットの音が好きで使っているのですからあれでいいのですよ

メインの組曲「惑星」ですが、全体的にかなりハイスピードな演奏で、驚いたことに全ての楽章がまるで“atacca”でつながっているのかと思うほど、ほとんど切れ目なしに演奏していました。最近の「惑星」の演奏はこういうのがハヤリなんですかねぇ この曲の演奏はそういうこともあって、ちょっとしっくりこなかったかなぁ
それにしても、この曲はオルガンまで入っていたのですねぇ。いままで全然気が付きませんでした(苦笑)。


ここから先はファンのおのろけ話(自慢話)になるので、興味のない方は読み飛ばしていただいてけっこうでございます

実は、開演の1時間ほど前にアークヒルズ内のスターバックスに立ち寄ったら、いきなり横にイッサーリス本人とマネージャーがいて、おもいっきり舞い上がっちゃったけど勇気を振り絞ってこの日演奏会前に立ち寄ったアカデミアで購入したばかりのエルガーの楽譜(チェロコンの楽譜DEATH☆)に見事サインゲッチュ

終演後も楽屋に特攻してまたもや、ホールロビーで即買いしたエルガーのCDにまたもやサインゲッチュ ついでにいっしょに写真まで撮ってもらいました(^-^)v
なんだか思いっきりミーハーやっちゃいましたが、めちゃくちゃ満足しましたぁ~

あと、驚いたことに客席の隣の隣がたまたま大学時代に他学科履修で授業を受けたことのある、音楽学科の教授にばったり会っちゃったり。なかなかスリリングな日でございました~(*⌒▽⌒*)


         サインしてもらったCDジャケとエルガーの楽譜DEATH☆


で、その貴重な貴重なお宝写真ですが、思い切って公開しちゃいます♪
携帯で撮った画像なのであまり画質がよくありませんが、たった一枚の貴重なショットDEATH☆



イッサーリスはちょっとおどけた表情をしていて、おもしろいですね-。
場所はサントリーホールの舞台裏。
ここにたどりつくまでに、まず地下の搬入口みたいなところに陣取っていた警備委員の人に「基本的に関係者以外は無理です。お約束でしたらマネージャーの方のお名前をどうぞ。規則なので。」とかなんとか言われて一瞬たじろぎましたが(苦笑)、気を取り直して「お名前はわかりませんけど、開演前にコーヒーショップでお会いして、マネージャーの方に終演後にまた会えるって約束をしたんですけど。」と言ったら、見事入れちゃいました☆ラッキぃ~
実際にスタバで本人達にバッタリ会ったときに、「終演後にまたどうぞ♪」ってマネージャーの方にホントに言われたのでウソではないんです。約束とまで言えるかどうかはわからないけどね(^-^; “拡大解釈”ってやつよーへへん!<都合のいいヤツ
それにしても、さすがサントリーホールはガードが固いですね。ここまでしないと楽屋に行けないなんて。これが紀尾井ホールなどの小ホール系のコンサートホールだったら、ロビーや楽屋ですぐに演奏者本人と会えるのにぃ。まあ、苦労した甲斐がありました♪ 無理を言って取次いでくれた警備員の方にも感謝DEATH♪

いよいよ明日DEATH☆

2005年09月16日 | 演奏会&CD評
明日はサントリーホールでいよいよワタシが最も敬愛するチェリスト、
イッサーリス様の演奏会です。彼の演奏は5~6年前にソロリサイタルでショスタコのチェロソナタや、バッハの無伴奏第5番などを聴いたとき以来なので、実に久々です。彼も今年で47歳。円熟の域に入ってきていますね!楽しみです!!

曲目は

・戴冠式行進曲「王冠」(ウォルトン)
・チェロ協奏曲(エルガー)
・組曲「惑星」(ホルスト)

スティーヴン・イッサーリス(チェロ)
ラモン・ガンバ指揮、東京交響楽団、東京コーラス


ちょとベタな選曲ですが、前プロのウォルトンの曲は曲名すら聞いたことないし、というか、実は全部ナマで聴いたことがないのでとっても楽しみDEATH
 
最近知ったことなのですが、あの組曲「惑星」の最終楽章「海王星」で入る女性合唱は、実は“バンダ(banda)”(※)なんですよね(^-^) いつも合唱の姿が見えないので、おかしいなとは思っていたのですけど。ただでさえミステリアスな雰囲気の合唱ですが、バンダなのでなおさらその雰囲気が強調されるかも♪

とりあえず、彼のプロフィールはこちらです。

公演内容に関してはこちらになります。


あと、さきほど判明したのですが、今月30日(金)PM11:30からBS2で、“教授”(坂本龍一)の最新ツアーを放送するみたいですね☆こちらも楽しみDEATH


banda【伊バンダ】 =band; 楽団や楽隊を言うが, オペラではステージの上やステージ裏におかれた別働隊をいう。モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」ヴェルディ作曲「レゴレット」「アイーダ」にみられる。《参》レスピーギの舞台裏のブッチーナ群をいう。= isolate〈分離して, 孤立して〉の意。banda〈傍ら, 脇〉という意味もある。(出典:WEB版 ポケット音楽辞典)

ヤスクニサンパイ

2005年09月16日 | なんでもかんでも
ちょっとタイトルが物々しくなっちゃったかも・・・

先週末、生まれて初めて靖国神社というところに行ってきました。まあ、社会見学ということで。
行った理由は、もちろん今年の始めからあれだけ内外でキ~キ~・キャ~キャ~騒がれていたわりに、当の日本人である本人はあまりに靖国のことを知らなさ過ぎるんでは??と思ったので、とりあえず行っってみることに♪



    ◆明治2年(1869年)東京招魂社として建立、明治12年靖国神社と改称


で、行ってみてまず思ったのは、警備員の数がやたら少ない!
靖国神社って、正門から本堂(っていうのかな?)にたどりつくまでかなり歩くんですが(たぶん1km以上あるんじゃないかな・・・)そこにたどりつくまでなんと1人しか警備員を見かけなかったDEATH!これだけ毎回物議を醸す曰くつきの場所なのに、それで大丈夫かいな



                 ◆こちらは脇にあった能楽堂

まあそれは置いときまして・・・、本堂で国のために散っていった250万の英霊にご挨拶をして、本堂の横にある能楽堂(画像)をちらっと横目に見つつ、さらに奥の方にある資料館『遊周館』を見学しました。
玄関ホールに入ると、いきなりあの実物大の“ゼロ戦”(ハリボテじゃなく本物
)がデーンと飾ってありまして、「OH!ゼロ戦ってやっぱブッサイク!ねぇ」と思いつつ眺めておりました♪ 空冷式の戦闘機は先端がデブッちくてみんなブッサイクなの!!(爆)
一言のたまっておきますが、ワタクシ別に兵器マニアじゃないです、いちおう うちのオヤジが少し兵器ヲタクはいってるんでその影響で少し知ってるだけです(苦笑)。

で、いよいよ「遊就館」内部へ潜入(¥800)したわけですが、ここ、はっきり言って広すぎます。とても一日じゃ観きれまへん。17時半の閉館時間まで2時間くらい余裕があったにもかかわらず、結局半分までしか観れませんでした。たしか日露戦争のところまでだったかなぁ・・・。もしこの「遊就館」を1日で観られようと計画しておられる方がいましたら、最低3~4時間くらいはみておいたほうがよいと思います。そのくらいデカいんで

「遊就館」は靖国神社そのものの資料館という趣ではなく、日本史を豊富な資料とともに勉強するための日本史資料館の趣が強かったです。だからほんとに日本史の起源から日本史のお勉強をしたという感じ(;~_~)。 だからワタシが期待していた靖国神社自体のいろいろな資料と歴史を観たり勉強したりしたかった者にとっては少し拍子抜けでした。 いちおう靖国神社建立に関する内容を映画上映していましたが、ワタクシ不覚にも寝てしまいました たしかナレーションがやたら北朝鮮の国営放送の女性アナウンサーのあのコッケイなしゃべり方に少し似ていたので、「おいおい・・・、オレを洗脳するつもりか(苦笑)」と思いつつ。。。

まあ、それでもこの「遊就館」、とにかく歴史資料はたいへん豊富です。あと日本軍が使用した兵器などもかなり展示してあります。あと、太平洋戦争の戦死者の遺影がダァーーーーっと最後の方に飾ってあるのですがこれがまたすごい。
日本軍が次々と生み出した特攻兵器は何もあの「カミカゼ」だけではないということを、今回恥ずかしながら初めて知りました。悲しいことですが・・・。
なんと全長17メートルもある人間魚雷「回天」の実物が展示してありましたし、ロケット特攻機の「桜花」など、こんなに特攻兵器が存在したのか、と驚かされました。この17メートルもある「回天」の前にたたずんでしばらく眺めていましたが、さすがにつらいというか、やりきれない気持ちになりましたね。これで特攻していった人たちのことを思えば思うほど・・・。ちなみにこの「回天」はイ号潜水艦とともに200機ほど配備されたそうですよ。いやー、やりきれない・・・。

ちなみに今回初めて知ったんですが、この靖国に祭られている人たちは、厳密にいうと、嘉永6年(1853年)にペリーが浦賀沖に4隻の東インド艦隊を引き連れてきたときから、国内の戦乱で国家のために死んでいった人たちを祭ったところであるということです。ワタシは単純に江戸幕府が倒れるきっかけとなった「戊辰戦争」以降だと思っていましたので、これは少し意外でしたね。ようするに一連の開国の流れが始まったこの嘉永6年という年が象徴的に扱われているのだということがわかりました。元は「戊辰戦争」以降ということだったようですが、後から嘉永6年以降ということになったようですね。勉強になりました( ̄~ ̄)

そういえば、気象庁はこの靖国神社のなかにある特定の桜を基準にして“東京都の桜の開花宣言”を行うことをご存知でしょうか?その特定の桜がどれだかわからなかったのですが、きれいな桜だといいですねぇ(苦笑)。機会があれば見てみたいと思います

この夏一番聴いたヤツ♪

2005年09月15日 | おすすめクラシック
今日はだいぶ過ごし易い陽気ですね。今度こそイヤ~な暑さがぶり返さないことを祈りつつ、そして、このしつこい夏に引導を渡す意味で今日はこの選曲DEATH!

ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品50 (ニコライ・カルロヴィチ・メトネル)(1920年~27年(ラフマニノフへの献呈作))


この曲、もしかしたらこの夏一番聴いた曲かもしれません。特にたいへん美しい第2楽章はこの夏、子守唄代わりにしょっちゅう聴いてました~(~ρ~)
この第2楽章には、その意味がしっくりきすぎるくらいのテーマ、『ロマンツァ(Romanza)』という名前がついています。これははっきりと、“すでに終わってしまったロマンス”という、サブタイトルをつけてもいいくらいの内容をもった曲ですね。だって・・・、聴いていてほんとに切ないんだものこの曲。でもこの場合は“直後”ではなくて、少し時間を置いて落ち着いたあとに、いろいろと楽しかった場面やドラマチックな場面などを思い返しているようなそんな雰囲気ですね。でも、結局押さえ切れない感情がこみ上げてきちゃったりして・・・。なんつーか、これはまるで・・・ブラームスじゃないですか!!!!これぞ究極のロマン主義芸術!!夏が終わりを告げるとともに、ひと夏のロマンスもジ・エンド(爆)

なんかちょと後ろ向きなイメージが先行してしまったかもしれませんが(というか、ロマン主義の音楽は基本的に後ろ向きなんDEATH(苦笑))、この第2楽章は、実はオケ伴奏なしのピアノ独奏から始まります。そこがまたこの曲の魅力のひとつと言ってもいいと思います。しっとりと美しいピアノソロの旋律が、少し疲れて乾いてしまった心にしっとり水分補給してくれるかのよう。なかなか粋な演出だと思います。それにしても・・・“心に水分補給”・・・、自分の文才のなさに唖然

オケ伴奏なしでピアノ独奏から始まるピアノ協奏曲の第2楽章といえば、真っ先に浮かぶのがラヴェルのピアノ協奏曲ですねー。あれも少し寂しげで、遠い記憶の彼方から母親の子守唄を聴いているような、遠い子供時代の自分を大人のフィルターを通して見ているような、とっても懐かしい感覚にトリップできる曲ですよねぇ♪

いやぁ、それにしてもこの第2楽章は絶品です。こんな瑞々しい旋律はそう書けるものではありません。メトネルって同時代のロシアの作曲家のラフマニノフスクリャービンの陰にどうしても隠れがちなんですが、メロディー・メーカーとしての類まれな才能は、彼らに一歩も引けをとりませんね。この第2楽章を聴いていて、心の温度が3度くらい上昇しますが、少なくとも体感温度は5度近く下がりますよ それくらい瑞々しくビュ~テホ~な旋律に溢れた楽章です(もちろん他の楽章も他の曲も♪)。
この第2楽章の全体の構成としては、ワタシの印象では、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の第2楽章に似ているように思います。スクリャービンのピアノ協奏曲の第2楽章や、ラフマニノフの第2番の協奏曲のように、最初から最後まで全体的にしっとりとした落ち着いた感じに終始するのではなく、途中大変ドラマティクな展開があります。実に起伏に富んだ魅力的な楽章だと思いますね。ロマン派らしい優美な旋律とピアニスティックなパッセージが大好きな人ならだれでも楽しめる曲だと思います

これは余談ですが、メトネルの“ソナタ形式”の楽章って、やたら展開部が長い!って思うんです。これはヴァイオリンソナタ第2番の第一楽章などを聴いていてもそう思います。メトネルはこの時代の音楽としてはかなり保守的といっていい語法を使って作曲していて、親しみやすい優美なメロディーもたくさん出てくるのですが、彼の音楽がいま少しモヤモヤして輪郭が掴みづらいのは、作風が地味であるということに加えて、ソナタ形式楽章の展開部がやたら長いということにも起因しているのではないかなぁ、なんて思います。彼は“ロシアのブラームス”なんて呼ばれたそうですが、むしろブラームスよりもさらに地味で渋いというのがワタシの印象ですねー。
それでも、彼の作品の大半を占めるピアノ独奏曲や、ピアノ五重奏曲、ヴァイオリンソナタなどは、非常に聴き応えがあり、傑作というわれる作品が多いので見逃せません。ラフマニノフやスクリャービンとはまた違ったロシアが彼の音楽から聴こえてくるようです。

ちなみに、ワタシが聴いている演奏はNAXOSレーベルから出ている、コンスタンティン・シチェルバコフというピアニストの演奏によるものです。この方、なかなか素晴らしい演奏をしていると思います。全てのタッチが非常に明瞭で、フレージングもくどくなり過ぎず適度な優美さを保っていて、全体の構成力も見事です。NAXOSが隠れた名盤が多いというのはうなずけるきがします




<CDデータ>
【演奏】コンスタンティン・シチェルバコフ(Pf)、イゴール・ゴロフスチン(指揮)、モスクワ交響楽団
【曲目】ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品50、ピアノ五重奏曲ハ長調(メトネル)
【録音】1996年5月、6月、モスクワ、ブラティスラヴァ
【発売】NAXOS 8.553390

何度聴いても“じぃ~ん”ときます

2005年09月14日 | おすすめクラシック


なんだか急にジャクリーヌ・デュ・プレ(Jacqueline Du Pre,1945~1987)が聴きたくなったので、棚から引っ張り出して聴いておりました。たまに聴くこの人のエモ~ショナルなパフォーマンスは、やっぱり心にじぃ~んと響きますねぇ。

よくよく考えてみると、今年は彼女の生誕60周年なのですねぇ。ちぇろ弾きとして、今まで全然気づかなかったのはちと恥ずかしい。まあ、ワタシは彼女のことを“チェリスト”というイチ器楽奏者としてよりも、“偉大な音楽家”として尊敬しているので、器楽奏者としての彼女にすごくこだわりがあるわけでなないのですが・・・。

それでも好きな演奏はけっこうあります。エルガーのチェロ協奏曲の2度目の録音や、ショパンのチェロソナタの録音などは、年に何回か必ず聴きたくなる演奏です♪
これらはどれも彼女の演奏活動における最晩年の録音ですが、今日はそれより随分遡って1961年という彼女のデビューの年に録音された演奏のディスクを聴いておりました。この曲のこの演奏ってどの程度有名なんでしょうか。チェロ弾きの間ではかなり有名だと思っているのですが、クラシックファンの間でこの曲の話はしたことがないので、そこらへんがまだ未知数ですね。少なくとも、この録音は間違いなく名演DEATH!!


チェロ・ソナタ ト短調  (ヘンデル作曲/J.SLATTER編曲)


やっぱり天才って生まれたときから天才なんだなって、この演奏を聴いていてしみじみ思います、デュ・プレ16歳
このデビューの時からデュ・プレ節は全開で、彼女独特のポルタメントや、すすり泣くようなヴィブラートがたいへん印象的です。ちょっと“こぶし”も入ってます(苦笑)。それにしても、ホント心にぐっと染み入る演奏ですよこれは
ふつうならこのくらいの小曲なら、あっさりBGMとして聴き流してしまってもいいくらいなんですが、デュ・プレの場合だとそれができないんです
天才ってすごいなー!!

この曲はもとはオーボエ・ソナタかなにからしいのですが、チェロの渋い音色にもなかなか合いますね。
構成は4楽章形式で、【Grave・Allegro・Sarabande(Largo)・Allegro】の順に並べられています。まさに緩-急-緩-急のスタンダードな『教会ソナタ形式(sonata da chiesa ソナタ・ダ・キエーザ)』の構成で、長調で始まるのは第3楽章のみ。ヘンデルらしく、あまり凝った対位法が使われていませんが、いい意味で平易で、かつ気取らない、美しい旋律が魅力的なシンプルな名曲です。

ああ、それにしてもこのデビューから彼女はわずか12年しかまともに演奏活動できなかったのですから、それを思うと本当に残念でなりませんね・・・。今頃天国でもあのエモ~ショナルな演奏で人々を魅了しているのでしょうか


<CDデータ>
【演奏】ジャクリーヌ・デュ・プレ(Vc)、アーネスト・ラッシュ(Pf)、ウィリアム・プリース(Vc)
【曲目】チェロソナタ第2番(ブラームス)
    王宮のコンセール(F.クープラン)
    チェロソナタト短調(ヘンデル/Slatter)
【発売】EMI 7 63166 2

しつこい暑さに対向するには

2005年09月13日 | おすすめクラシック
なんかいつまでもしつこく暑くてやんなっちゃいますねー
このいやーな暑さを忘れるにはどんな曲が持ってこいかちょっと考えてみたんですが、こんな曲はいかがでしょう?

◆交響曲第4番イ短調Op.63 (シベリウス作曲)◆

この曲は何度聴いても非常に謎めいていて、しかも不気味な雰囲気の作品ですね。いまだに曲の輪郭がはっきりと掴みきれていないのがお恥ずかしいのですが、それでもこの曲はショッパナから否応なしに聴き手を引き込んでしまう圧倒的なパウアがありまする
たしかこの曲を書く少し前に、シベリウス自身重い病気にかかり生死をさまようほどの危機的な状況になったという話を聞いたことがあります。その恐怖と不安が全面に出たと思われるこの作品。
この曲には、交響曲第2番のような、木々や草花たちのざわめきも、鳥達のしゃべり声も、心地よいそよ風の音も、聴くことはできません。大気は緊張し、長く果てしない極寒の季節が突然襲ってきたという感じです。北極圏での冬の厳しさはまさに“死”と隣合わせですからねぇ。北極圏の“厳しい冬の世界”と、作曲者自身の“生命の危機”が、折り重なるようにしてワタシに迫ってくるんDEATH。

この曲ですが、表向きはいちおう4楽章形式で書かれてはいるものの、既存の形式からはかなり逸脱した自由な形式で書かれているため、曲の輪郭が判然としないところがあります。彼の全7曲の交響曲中もっとも謎めいた曲、とも言われています。ですので、感想が第1楽章の部分的なものに偏ってしまうことを、なにとぞお許しくだいさいませm(_ _)m

第1楽章は、のっけから、怒涛のような重低音の強奏でバス声部が奏でられ、それが少し遠のいたところへチェロのトップソロが、まるで死神が不気味な死の世界へと誘惑しているかのような子守唄にも似た旋律を奏で始めます。まるでシベリウス自身の“慟哭”を聴いているかのようでもあります。そして金管の咆哮も加わり、旋律が折り重なっていき最初のクライマックスを迎えます。そしてようやく長調に転調していっときこの極度に張り詰めた緊張感から開放されますが、曲は当てのない道をさ迷うようかのように迷路に入りこんで行き、再度長調に転調して開放感を得るものの、結局は煙にまかれるようにして静かに、消え入るように楽章が閉じられます。この楽章の後半部分は第7番を予感させるような響きもあっておもしろいです。なんとも不思議な楽章。
そして・・・、楽章が進むにつれてますます不思議で謎めいた世界が深まっていきます。うーんつくづく難解な曲ですな。謎めいた雰囲気が好きな人には是非聴いていただきたい曲ですね♪

1998年にオスモ・ヴァンスカ&ラハティ交響楽団が初来日したときに、ワタシが一番大好きなホール、墨田トリフォニーホールでこの曲を含めた6番・7番というワタシがシベリウスの中で最も好きな3大交響曲の実演を一夜のうちに聴ける素晴らしい演奏会に居合わせたのですが、この時は本当に背筋がゾクゾクぅ~の感動ものでした
あいにくまだ彼らのこの曲のディスクは持っていないので、紹介できませんが・・・。(クッレルヴォ交響曲と、Vn協奏曲のCDしか持ってません

ワタシが家でこの曲を聴くときはたいていこの演奏で聴きます。

♪ジェームズ・レヴァイン&BPO♪

えっ?そりゃ邪道でしょ と思われた方も多いかと思いますが、なぜかこの演奏なんです。なぜかザンデルリンク様でもないんです。
このレヴァイン&BPOの響きは、たしかに“必要以上に豪華極まりない”のですが、この作曲者自身の慟哭を聴いているかのような危機的な精神状態の吐露を、彼らはよりナマナマしく響かせてくれているようにワタシには思えます。まさに絶対零度の世界・極寒の地で、あまりの寒さに生命の危機にさらされているような気分になるの・・・DEATH!

この曲のチェロソロもいつかやってみたいなぁ 
あと、大変定評のあるケーゲルの全集とヴァンスカの全集を早く手に入れなくては、“シベリウスファン”としては失格ですねぇ。今年中には手に入れよっと




<CDデータ>
【演奏】ジェームズ・レヴァイン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
【曲目】交響曲第4番イ短調Op.63 交響曲第5番Op.82(シベリウス)
【録音】1994年(第4番)、1992年(第5番)ベルリン・フィルハーモニー
【発売】独グラモフォン 445 865-2 

加筆・修正しました

2005年09月12日 | 保守・管理
たいへん申しわけありませんが、昨日9月11日の記事「ベルティーニ観損ねた・・・」の記事を大幅加筆・修正いたしました。(加筆が中心です)
記事をお読みになられた方、コメントをいただいたyuriamome122様、大変申しわけありませんm(_ _)m 
自分自身あとで読み返してみて、あまりにも適当な日記じみたものになってしまったので、加筆してしまいました。お詫び申し上げます

昨日の選挙速報を観ていて

2005年09月12日 | ひとこと言わせて!
昨日のNHKと民放各社の選挙速報番組。非常に興味深く観させていただきました

まず、いままでと全く異なるのは、法律改正でもあったのでしょう、普段なら開票が始まる遥か前の夕方くらいから延々と選挙速報を各局が競うようにやっていた光景が今回いっさい見られず、どの局もいっせいに20時を境いにいっきに速報を始めたことです。わざわざ大袈裟にカウントダウンまで始めた局までありましたねえ。これに気が付くまでは、どうして?どうして?どこも速報の“そ”の字すら出てこないの??と本気で不思議に思ってました(苦笑)まあ、たしかに投票時間が終わったあとで、速報を始めるというのは、投票行動に公正さを期すという意味でも、いい試みなのではないかと思います。

で、いろいろと各社の放送を観ていましたが、はっきりいって今回、“フジテレビ”のバカさ加減にはあきれ果てました 他の民放各社でもあそこまで“バカ”はやってないでしょう(苦笑)。のっけからあの『スターウォーズ』のタイトルロールのパクリにはじまり、音楽までそのもの使ってるし、“エピソード1”がどうしたって??笑わせるなよ。こっちは遊びで投票いったのと違うのよ??言ってることも稚拙極まりないよ。とりあえず、あの速報の番組プロデューサーを始めとする番組スタッフが相当のアホだということが判明したわけですな。
これが、今回は有権者の若者の興味を引くためにこういう構成にしたなんて言い訳が聞かれようものなら、もうあきれ果てるしかないね。ったくここまで有権者を愚弄するような稚拙な放送は頼むからもうやめてくれ(苦笑)。今回の選挙を「劇場型選挙」とかさんざん言ってきた当のマスコミ本人たちが、あんな選挙をエンタテイメント扱いしてる時点で、そんなことを言う資格はないでしょ あんたらなんかさっさとホリエモンに食われちまえば良かったんじゃないの??いつだかのバレーボールでの菊○アナとジャニーズの未成年飲酒の事件やら、もう最近とどまることをしりませんねフジテレビの失態は。心底呆れました。

それに比べて最近さんざん失態続きのテレ朝(厳密には朝日新聞ですが)に関しては、まあまあだったかな

おもしろかったのは、TBS。民放にしてはかなりまともな放送をやっていたとは思いますが、今回は久米宏氏の独壇場でしたね~ まあ、彼はフリーですからいきなりどの局に登場してきても何も驚くことはないのですが、あの筑紫哲也さんと久米さんが2人ならんでしゃべってる様を観るのはある意味、非常に観ごたえがありました。もの凄いテンポと怒鳴っているとしか思えないようなデカイ声で、政界の猛者達を相手に真っ向から臆することなくあの言い切り型の鋭いトークで切って切って切りまくってゆく様は、唖然とするとともに、物凄いパワーを感じましたね。これじゃ、筑紫さん霞んじゃってるよ~(ノ゜o゜)ノ みたいな。 久米さ~ん、もう少し筑紫さん立ててあげたほうがいいんじゃないのぉ~って思いましたね(苦笑)。彼は放送界の小泉さんだなあと、変な意味で関心してしまいました。もうニュースステーション止めてそれなりに時間が立つのに、あのバブル期を一世風靡したニュースキャスター魂、というかあのある種天才的ともいえるトークは相変わらず健在なんだなぁと。。。

でも結局は、最初の30分くらいは久米さんの竜巻のようなトークにこちらも飲み込まれながらも、結局は筑紫さんの冷静で脚色のないトークにこちらの耳が傾いていったんですけどね。結局のところ、久米さんはあまり内容のあること言わないですし、しゃべりにエンタテイメントが入りすぎているし

というわけで、なんだかんだ言ってきましたが、今回の選挙速報番組で、イチバン観た民放のテレビ局は結局TBSでした。久米宏のようなかなり“毒気の強いエンタテイメント性”も取り入れながらも、民放としてはそれなりにまともな放送をやっていたように思います。

でも結局のところ、NHKの解説委員が各党首を同時に並べていっさい無駄のない立体トーク(インタビュー)を展開していたのが一番観ごたえがありましたね。何時間も費やして無駄の多い民放の速報を見ているより、この15分か20分くらいの間に行われた各党首の立体中継トークを聴く方がよほどためになる
久米宏のように脚色が多く切り口だけが鋭いトークでは決してなく、もの凄く内容のある、それももの凄く切り口の深いインタビューを矢継ぎ早に展開していました。これくらいのテンポで中味のあるインタビューをどの局もやってほしいもんですな。マスコミと政治家の馴れ合い染みたトークを聞くことほど、視聴者として白けるものはないんでね

民主党の岡田党首が、選挙戦の途中から《郵政民営化反対》という“党としての立場”を超えて、《最終的には民営化もひとつの手段としてありえる》という、“自分個人の意見”を言い出して、党としての方針がぶれにぶれまくってメチャクチャになってしまい、そのやり方の下手さが今回の大敗を招いてしまったのではないか、というような鋭い指摘や、この選挙後の国会で、郵政民営化法案の可決は疑いのないこととしても、年金問題に関して、民主党が自民党に歩みよりを見せることはあるのかあり得ないのか、などの鋭い質問があったり・・・。そして、勝者の小泉氏に対しても、郵政民営化以外の重要懸案はどのように問題解決していく見通しなのか、とか、今回郵政民営化に反対票を投じて自民党として公認しなかった議員に対し、彼らが次の国会で翻意して賛成票を投じた場合に出戻り行為を果たして許すのかどうかなど、無駄なトークはいっさいなく、こちらが本当に知りたいと思っていることを次々に解説員が聞いてくれたので、聴いていて非常に有意義でしたね まあ、NHKがそうでなくては困るんですけどね。 昨年まではハリケーンのような逆風が吹き荒れていたNHKですが、そのNHKが、受信料未払い者を法的に訴えるなんて最終手段に乗り出そうとしているくらい、今は強気ですからねぇ。 時代の流れは速いですなぁ。

ちなみに、もし小泉氏が出戻り行為を許すようなことをしたら、彼が首相でありつづける限り二度と彼を支持するつもりはワタシはありません。小泉氏は、あの衆院議員解散前後のインタビューなどで、“自分は法案の成立に命を欠けている”とまで言いました。そして既得権益を貪っている族議員どもの一斉排除を目的とした、“自民党をぶっ壊す”宣言を何度もしていましたし、その発言も行動も首尾一貫していたのがまさに小泉が小泉たる所以だったと思います。その小泉氏が今後約束を破るようなことがあれば、あっさり不支持に回ります。彼を全肯定などするほど、ワタシも甘い人間ではないので、そこら辺ははっきりケジメをつけています。

いや、しかし今回の選挙はおもしろかったでね~
ちなみに、最近なぜか武部さんをやたら応援したい気分になるのが我ながら可笑しい 武部幹事長ファン倶楽部でもつくるか(爆)

ベルティーニ観損ねた・・・

2005年09月11日 | LOVE☆TV
ここのところ、ちょっとブログがだらけモードになっていて申し訳ありませんm(_ _)m 
今日は中学以来の友人と久々に会ってランチして、友人と分かれたあと投票に行き、そしてさっきまで選挙速報見てたら、ガリー・ベルティーニ観たかったのに見事にN響アワーを見逃しました
なんだか、悔しいのでいまマゼール&VPOの演奏でマーラー交響曲第9番を聴いています♪
マゼールって緩徐楽章に関しては掛け値なしに天才的だと思うのですが、それ以外ではあまりに曲を歪曲している面ばかり目立つので、全体的にはワタシの中で評価の高い指揮者ではありませんが、このマラ9の演奏はいいですね~ あんまりマジメには聴いてないのでまともな感想が書けなくて申し訳ないのですが、なんかいいです 
やっぱりマーラーが完成させた最後のシンフォニーだからなのでしょうか。少しクセのある演奏のほうがしっくりくるのかなぁ 

ワタシがこのマラ9と初めて出会ったのは、4~5年かまえTV放映した、小澤征爾&ボストン交響楽団における、ラストコンサート。このコンサートは、言うまでもなくたいへん素晴らしい演奏だったので、初めてこの曲を聴いたにもかかわらず、すぐにこの曲を好きになりました。そのあとすぐに小澤&サイトウキネンの演奏でこの曲のディスクを購入しちゃいました

この曲は第1楽章の提示部までは一聴して理解できるのですが、展開部から非常に難解で複雑な展開になり、続く第2、第3楽章と、最終楽章に到達するまで曲の輪郭を掴むのに非常に体力と集中力を要します。少なくともワタシにとっては。いまだに曲全体の輪郭をしっかりと把握していると言うには程遠い状態です(苦笑)。

この曲のクライマックスである最終楽章は、まさに“瀕死の人間の慟哭”を聞いている様な感覚にさせられます。弦セクションの非常に濃厚な、あるいは洪水のような、滝のように降り注ぐ芳醇な響きの世界はまさに我々聴き手を圧倒します。まさに濃厚なストリングス・サウンドの洪水DEATH!
滝のように降り注ぐ弦楽器の芳醇な音響という点では、第3番の最終楽章を思わせますが、描いている世界がまるで違うので単純に比較はできませんね。ただ弦楽器奏者にとってこれだけ濃厚で、かつ弾き甲斐のある楽章もなかなかないのでないかと思います。

この曲自体は、第3番や第4番で描かれたような無限に夢見るような天上の世界を第2楽章でそれなりに垣間見させてくれるものの、交響曲第2番「復活」においての復活の瞬間や、第6番「悲劇的」でハンマーの一撃で打ち砕かれる英雄など、これらに描かれたような“精神的な生き死に”を意味したのとは、この最終楽章は明確に違います。まさに、一人の人間の“肉体的な死”というものを生々しく描きだしているという点で。

第1楽章~第3楽章までは、作曲者本人の穏やかで牧歌的な側面や、激しく闘争的な側面、そして皮肉っぽい側面、夢見る子供のような無邪気な側面など、今までのマーラーとさほど変わらない、分裂気質的で複雑怪奇な側面を我々は見出すことができますが、なんといっても最終楽章は、今にも消えようとしている儚い命の最後の一瞬の輝き(=肉体的な死)を我々聴き手は感じずにはいられない。そこが我々に“真の感動”を誘うのだと思います
そしてこの最終楽章で、第3楽章の半ば以降で提示されるひとつの主題が、最終楽章で使われる主題と同じだということに気が付いたときその感動がいっそう増すのです もう涙せずにはいられない
以前として、この曲はマーラーの全ての交響曲の中で一番ワタシを魅了しつづけている曲DEATH





<CDデータ>
【演奏】ロリン・マゼール(指揮)、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
【曲目】交響曲第9番、交響曲第10番 (マーラー)
【録音】1984年4月 ムジークフェラインザール(オーストリア)
【発売】今は亡きCBSソニー(笑) 54DC671~2


※'05・9・12にこの投稿の後半部分を大幅に加筆・訂正いたしました。ころころ書き換えてしまってスミマセンm(_ _)m (コメントしていただいたyrikamome122さんにはまことに申し訳ないですm(_ _)m)今日、あまりにもやる気のない自分の文章をみて少し恥ずかしくなってしまったのがその原因です