古代オリエント史の研究をいちずに続けた学究肌で、おかしいと思ったことは率直に主張する言論人。フォークダンスの普及に力を入れ、ラジオやテレビにも出演した庶民派の有名人-。二十七日に亡くなられた三笠宮さまは戦後、皇族の中でもいち早く一般社会に飛び込まれ、多くの人々に親しまれた。
三笠宮さまが名誉総裁を務めた東京都三鷹市の中近東文化センター。二十七日午前、阿部知之理事長が急きょ、元赤坂の宮邸に向かうなど、慌ただしい雰囲気に包まれた。この日は休館日だが、問い合わせなどの電話も続々と入り、事務担当の職員が対応に追われた。
センターは三笠宮さまの歴史研究の拠点ともなり、昨年末に百歳を迎えた際には、これまでの研究の成果の展示も行った。センターが一九八五年にトルコで始めた発掘調査は現在も続いており、考古学研究や貴重な文化遺産の保存に貢献、同国との友好親善に一役買っている。宮内庁によると、三笠宮さまはトルコでもよく知られているという。
小さい頃、新聞に自身の詩が紹介され、「童謡の宮さま」と呼ばれた三笠宮さま。二十九歳で終戦を迎えると、生活環境の激変に見舞われたが、「一人で町をあるく楽しみをはじめて知った」という。戦前の皇室制度という「格子なき牢獄(ろうごく)」から解放された、と著書で明かしている。
一方で「過去のあらゆるものに失望し、信頼をなくしていた」という時期でもあった。そこで思い起こしたのが、戦前の陸軍大学校で夢中になって学んだ戦史だった。「歴史を勉強して何かをつかまねばならない」と東京大文学部の研究生に。宮内庁に設けた「三笠宮研究室」などで、古代オリエント史の研究に取り組んだ。
五四年には自らが中心となって「日本オリエント学会」を創立し、会長に就任。翌年には東京女子大で講師として教壇に立ち、ラジオやテレビにも積極的に出演、オリエント学を一般に紹介した。満員電車に乗ったり、学食できつねうどんを食べたりする姿が報じられ、国民から親しまれた。
約五万三千冊の蔵書を誇る中近東文化センターの図書室は一時、資金不足で閉鎖されていたが、二〇〇五年に三笠宮さまがお手元金を寄付したことが契機となり、〇六年に「三笠宮記念図書館」として再開した。
所功・京都産業大名誉教授(日本法制文化史)は、〇一年に古代学協会(京都市)の創立五十周年記念講演会で三笠宮さまの講演を聴いた。「分かりやすくて面白かった。きちっと準備されて一言も無駄がなく、オリエント研究にかける熱い思いを語られ、頭脳明晰(めいせき)さが伝わった」と振り返る。
講演後、初めてあいさつをする機会を得た所さんが、かつて研究の著書を贈ってもらったお礼を述べた。三笠宮さまが「あ、読んでくれてありがとう」とほほ笑まれたのが印象的だったという。
公務や史跡調査などでの外国訪問は約三十回に及んだ。
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三笠宮さまが名誉総裁を務めた東京都三鷹市の中近東文化センター。二十七日午前、阿部知之理事長が急きょ、元赤坂の宮邸に向かうなど、慌ただしい雰囲気に包まれた。この日は休館日だが、問い合わせなどの電話も続々と入り、事務担当の職員が対応に追われた。
センターは三笠宮さまの歴史研究の拠点ともなり、昨年末に百歳を迎えた際には、これまでの研究の成果の展示も行った。センターが一九八五年にトルコで始めた発掘調査は現在も続いており、考古学研究や貴重な文化遺産の保存に貢献、同国との友好親善に一役買っている。宮内庁によると、三笠宮さまはトルコでもよく知られているという。
小さい頃、新聞に自身の詩が紹介され、「童謡の宮さま」と呼ばれた三笠宮さま。二十九歳で終戦を迎えると、生活環境の激変に見舞われたが、「一人で町をあるく楽しみをはじめて知った」という。戦前の皇室制度という「格子なき牢獄(ろうごく)」から解放された、と著書で明かしている。
一方で「過去のあらゆるものに失望し、信頼をなくしていた」という時期でもあった。そこで思い起こしたのが、戦前の陸軍大学校で夢中になって学んだ戦史だった。「歴史を勉強して何かをつかまねばならない」と東京大文学部の研究生に。宮内庁に設けた「三笠宮研究室」などで、古代オリエント史の研究に取り組んだ。
五四年には自らが中心となって「日本オリエント学会」を創立し、会長に就任。翌年には東京女子大で講師として教壇に立ち、ラジオやテレビにも積極的に出演、オリエント学を一般に紹介した。満員電車に乗ったり、学食できつねうどんを食べたりする姿が報じられ、国民から親しまれた。
約五万三千冊の蔵書を誇る中近東文化センターの図書室は一時、資金不足で閉鎖されていたが、二〇〇五年に三笠宮さまがお手元金を寄付したことが契機となり、〇六年に「三笠宮記念図書館」として再開した。
所功・京都産業大名誉教授(日本法制文化史)は、〇一年に古代学協会(京都市)の創立五十周年記念講演会で三笠宮さまの講演を聴いた。「分かりやすくて面白かった。きちっと準備されて一言も無駄がなく、オリエント研究にかける熱い思いを語られ、頭脳明晰(めいせき)さが伝わった」と振り返る。
講演後、初めてあいさつをする機会を得た所さんが、かつて研究の著書を贈ってもらったお礼を述べた。三笠宮さまが「あ、読んでくれてありがとう」とほほ笑まれたのが印象的だったという。
公務や史跡調査などでの外国訪問は約三十回に及んだ。
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