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自分のイノチを大切にできないニンゲンに「ヒトを殺すことの非」を説いてもなるほど説得力はないかも知れぬ

2009年03月24日 | 時事
「まるで他人同士が同居」被告の家庭 土浦連続殺傷(朝日新聞) - goo ニュース

ここで報告されている連続殺人事件の被告の「家庭」(と呼ぶに値すればね)の話,なんとなくデジャブめいてる,どっかで聞いたことがあるような気がするぞ,と思ったら,一昨年読んだ「普通の家族がいちばん怖い 徹底調査! 破滅する日本の食卓」(岩村暢子著)で報告されていた「普通の家族」の姿に近いのだった。いや,実像が近いかどうかはともかく,なんてのかな,その「ありようのロジック」っていうのがクリソツなのね。

あの本を読んだとき,「なるほどこうやって『日本』が壊れていくのだなぁ」と題してこのブログにも書いたレビューには,「子供が高校生になってもサンタクロースを信じさせておきたい母親」や,「正月を自分の実家で過ごす場合はもちろん,それがたとえ夫の実家であっても上げ膳据え膳,家事は手伝わない母親」がいるらしいよ,てなことを書いた。しかもそこにはとっても不可思議な「理由」めいたものが介在しているのだと。

例えばクチでは「日本の伝統ですからお正月の風習などはキチンと子供たちに伝えていきたい」と書きながら(著者たちが行なった調査に答えながら),その正月の食卓に牛乳とトーストを並べて「お節料理なんて子供は食べませんから」と言い,この意欲と行動が本人のなかでまったく矛盾していないというオドロクべき精神構造。

これって上の記事で被告が,学生時代,成績を聞かれたこともなかった,家族との会話はほとんとなかった「家庭」を「仲が悪いとは思わない。普通です」と話すのに重なるような気がしませんか。彼だけぢゃない,彼が「一番仲がよかった」と思っていた弟は,兄が起訴された時新聞記者に「家族の生活は特に変わらない。もともとあまり話さないし,関係ない」と話したというのだ。関係ないってこたぁないだろ,東野圭吾が泣いちゃうぞ。

ま,もちろんそういう家庭の子供がみんな「死刑になりたいから人を殺す」ようになるわけぢゃない。ちうか,日本中にそんな家庭はなかっただろうころにも(まぁこれも仮定ですけど)ヒト殺しはいたわけだから,そう短絡できるものではないんだが,捜査関係者がこの家庭を評して「子どもの個性を重んじる家庭だったようだ」と言ってるのがオレ,とってもとっても気になる。

そうこうしてたら東京駅でまたぞろこんな事件が……

“死刑願望”男、東京駅ホームから女性突き落とす(読売新聞) - goo ニュース

考えてみれば「死刑になりたい」と自分のイノチを大切にできないニンゲンに「ヒトを殺すことの非」を説いてもなるほど説得力はないかも知れぬ。しょうがないから「世の中には『死刑になりたくないと思う』個性のヒトもいるんだからそのヒト達の個性は重んじなくちゃ駄目だよ」とでも言いますか?



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