命の伝言

交通事故で息子を亡くして、交通事故ついて思うこと。

バス運転手の悪質な嘘 高知バス白バイ衝突死亡事故

2008-06-30 04:50:38 | Weblog
私達夫婦が事故で子供を亡くして痛感したことは、誠意がない事故の相手は恐ろしいということです。
肉親を亡くした心の傷がやっと癒えかけた時、信じられないような言葉で遺族を傷つける誠意のない事故の相手。

けれど、この事故の相手ほど誠意の欠片もない男はないでしょう。
それは、高知バス白バイ衝突死亡事故のバス運転手です。

判決では、
「真摯な反省の情に欠けていることを刑を重くする1つの理由」
裁判官にそう言われた男。

白バイに責任転嫁するため、
「あの時に(白バイが)前方さえ、見ていてくれたら」と平気で言う男。

そんな言葉を死亡事故の当事者が言いますか?
バス運転手自身が右をまったく見ておらず
「バイクは全然見えていなかった」と新聞に載っているのに。
自分の過失は棚にあげ、亡くなった相手に責任転嫁しようとするなんてとんでもない。

こんな身勝手な事故の相手はめったにいない。
しかも、バス運転手は、恐ろしいほど、巧妙で悪質な嘘を平気でつく人間です。

バス運転手は事故について自らのBLOGで
「訓練走行中の不幸な出来事だったと思います。」
悪質な嘘を書いている。

白バイが訓練走行中だったというのはバス運転手の嘘。
裁判では物理的に計算もして白バイは時速60kmだったということになっている。

なのに、バス運転手は、バスは止まり続けていたから無罪だ、証拠捏造だといい続け。
その不合理な主張が通らなかったから、次は、白バイが高速だったことにして責任転嫁しようとしている。

訓練走行中の不幸な出来事などという嘘を、さも事実のように混ぜて書くバス運転手。
どれだけ身勝手で恐ろしい人間なのでしょう。

判決は高知地方裁判所、高松高等裁判所ともに、バス運転手に「実刑判決」

判決を不服としてバス運転手が所かまわず身勝手な嘘を並べて無罪を主張している。
バス運転手のBLOG 嘘はここに書かれている
http://blogs.yahoo.co.jp/zassou1954/archive/2007/07/06


民事裁判 それは不当に傷つけられた故人の名誉のために

2008-06-20 01:48:38 | Weblog
まだ書けるだけの心の整理がついていません。
しかし、私達夫婦のこの言葉が、夫を亡くし様々な目にあった人の力に。
会見にのぞもうとしている、その力に少しでもなれればいいと願いながら言葉にしています。

私達夫婦が最愛の息子を亡くし、誠意のない事故の相手と対峙した時。
「民事裁判は心の裁判だ」と言ってくれた人がいました。
故人の名誉のための裁判だと言ってくれた人がいました。

失われた命は二度とかえってこない。
残された家族の遣り切れない思い、いつまでも癒えることない心の傷。
いい日など簡単に来ないのです。

あの子が座っていた場所、あの子が使っていた物、あの子が・・・。
見るものすべてが失った我が子と結びついて痛ましく悲しかった。
朝、目が覚めたら、もうあの子はいないんだという現実をつきつけられる毎日でした。

だからこそ、せめて事故の相手には誠意を!
誠意のある言動を!
それが遺族の本音です。

2006年3月におきた高知バス白バイ衝突死亡事故。
私には事故当事者のバスの運転手の言動に誠意の欠片も感じることは出来ません。

故人が何も言えない事を悪用して、事故と無関係な警察の問題を混ぜ警察=悪のすり込みをする。
そして、この事故も怪しい、証拠を警察が捏造した、冤罪だ!とさけぶ。
これは悪質な印象操作ではないでしょうか。

支援者のBLOGは、巨大掲示板の故人・遺族攻撃掲示板にリンクして日記に故人・遺族への誹謗中傷を表示している。
こんな事故の相手、その支援者の言動がまかり通っていいものでしょうか。

何も言えない故人は誤解され悪く言われている。
遺族として、せめて正当に故人の名誉を守りたい。
そう思うのが残された者の悲痛な気持ちでしょう。
だから、民事裁判だったのだろう。
私にはそう思えます。

第三者でもわかります。
最愛の夫を亡くし、その民事裁判の会見にのぞむのです。
心細いこともあるでしょう。
でも大丈夫。
不当に傷つけられてきた故人の名誉のために、残された子供のために、真っ直ぐに前を向いて歩いてきたあなたの気持ちが私達には痛いほどわかります。
何の力にもなれませんが必ず見守っています。
家内が息子の・・・裁判のことなど思い出し、思いを重ね、ぽろぽろと涙を流しながらそう繰り返している。
私も同じ気持ちです。

交通事故で子供を亡くした親として

2008-06-10 19:57:34 | Weblog
交通遺児の会の子のブログが2ちゃんねるで攻撃されました。
「腹が立ったからコメントを自動連射する田代砲(DUKE)でも作ってやろうかと思った」
「炎上させてやる」
そんな物騒な言葉を投げつけられました。

何が原因か?
誰が攻撃したのか?

それは、2006年3月におきた高知バス白バイ衝突死亡事故。
バスの運転手は警察が証拠を捏造した、冤罪事件だと主張しているが。
・・・しかし、交通事故で大事な肉親を亡くした子には冤罪だと思えなかった。
なんで死亡事故の当事者が冤罪だと言うのか。
しかし、そう思って当然だろう、私もそう思う。

冤罪を主張するのに邪魔だから・・・
交通遺児はブログ攻撃された、それが真実です。

ネットで検索すれば、常軌を逸したほどの数のバス運転手は冤罪だ!と叫ぶページにいきあたりますが。
・・・冤罪なんてとんでもない。

私には、彼らが罪を逃れるために悪質な印象操作までしているように思えてならない。
邪魔なものは交通遺児のブログでさえ容赦なく攻撃するような身勝手な裏の顔を持っているように思えてならない。

事故の証拠を警察が捏造した、冤罪だと巧みに叫んでいるようですが。
・・・真実は、冤罪ではないでしょう。
まず、判決を知ってほしい。
それだけでも、これは冤罪ではない!とわかります。

交通事故で子供を亡くした親として、こんなに誠意がない事故の相手は信じられない。
事故で命を落とした白バイ隊員の青年が本当に気の毒です。


このblogについて

2008-06-10 16:12:10 | Weblog
やっと5月が過ぎました。
5月は私達夫婦が一人息子を亡くした月です。
入学式から一ヶ月、真新しいランドセルを背負い元気に「いってきます」と出かけたあの子は交通事故で命を落としました。

事故の日から何度季節が巡っても私達夫婦の時計は止まったままでした。
良く晴れていたあの日の朝。
「運動会の練習、がんばれよ。」と声をかけると嬉しそうに頷き、元気に、
「行ってきます。」と言って出かけていった息子の後姿。

今でも真新しいランドセルを背負った子を見かける度に、「あの子ではないか」とどきりとします。
「ただいま。」と言ってあの子が帰ってくるような気がする。
家内は5月になると、帰ることのないあの子の帰りを待ちながらため息をついていました。
時間が経っても、私達夫婦の中で息子は事故にあった時の小学一年生の姿のままでした。

けれど、ある日。
「もし、あの子が生きていたら、このくらいになっていただろう。」
そう思わせてくれる出会いがあって、私達夫婦の時計は再び時を刻み始めました。
交通遺児の子供達との出会いが止まっていた私達夫婦の時計を動かしてくれました。

事故はあってはならないことです。
そんなことについて。

また、最近、遺児の会で話題になっているある事故について。
交通事故で子供を亡くした親の立場から思いを綴ります。